きみが慾しい_05


人にしたことは自分に返ってくる。

君の幸せを壊した僕には、当然の報いだ。















きみが慾しい














5.





幸せだと思った瞬間に訪れた姿に、僕はそんなことを思った。


「本当に、突然、ごめんなさ――」


突然来た仁王の彼女。

戸惑いを隠せないままだけど、伊織は即座に彼女に言った。


「――いいんです。わたしだって、こないだ突然だったから……」

「…………」


伊織はあの日のことを後悔していたのかな。

本当はずっと謝りたかったと告げるように、申し訳なさそうに少し俯いた。

それにつられたみたいに、仁王の彼女も俯いてる。

彼女はこの二週間、ずっと苦しんできたのかもしれない。

やっぱり、痩せたように見えた。


「バイトは五時に終わります。それまで待ってもらえるなら、お話出来ます」

「あ、待ちます。全然待ちます」


なんとか背筋を伸ばしてはっきりとした口調で答えようとしている伊織に対して、仁王の彼女は慌てたように顔をあげた。

ホントにホントに、いきなり来てごめんなさい。

まるで怯えているように見えるその仕草に、僕は心が痛くなった。

ごめんなさいと謝らなくちゃいけないのは、僕のほうだ。

だけど僕は、なんて謝ればいいんだろう。


「周助」


ぼんやりとした思考の中、伊織が僕を呼んだ。

表情で返事をしたら、伊織は不安げに僕を見上げる。

さっきよりも、目はしっかりとしていた。


「同席してもらっても、いい?――いいですか?」


僕に聞いて、すぐに仁王の彼女にも聞いた。

伊織が気遣っているのがわかる。仁王の彼女を怯えさせないように。

きっと仁王の彼女が、伊織を怯えさせないようにしているからだ。


「いいの?僕、邪魔にならないかな」

「わたしは構いません。不二くんもいいなら、三人でということで……」


仁王の彼女はどこまでも謙虚な姿勢だった。

また五時頃に来ますと頭を下げて、彼女は店を出て行った。

その背中を見送って、僕は伊織を覗き込むように首を傾げる。


「大丈夫?」


僕は全然、大丈夫じゃないけど。


「ちょっと、ダメージだった、かな」


素直な伊織の言葉。

だけど冗談めかして笑ってくれる優しさ。

そんな君だから、僕は守りたいと思う。


正直、仁王の彼女の話が何なのかはっきりしないこの状況は、怖い。

きっとそれは伊織も同じで、だからこそ軽く笑って誤魔化しているんだと思う。

でも僕は、仁王の彼女が伊織にとって悪い話を持ち込むようには思えなかった。

彼女の謙虚な態度がそう思わせたのかもしれない。

だとしたら、それは僕からすれば……。


悪い、話?












*    *












「周助」

「うん?」

「お願い、してもいい?」

「どうしたの?」

「……キス、して」


五時。

時間が進むにつれて、やっぱり伊織は落ち着かなくなった。

接客中に少しぼうっとしていたし、今だって。

着替えた僕を見計らって、傍に来て、甘えている。

僕を見上げているその瞳がたゆたって、心もとない。

伊織からキスを求めてくるなんてことが、現実に起こるなんて思いもしなかった。

それも、今日やっと触れ合った唇に。


僕は何も言わず、伊織の唇に触れた。

頭を落としていくにつれて閉じられた伊織の瞳は、きっと震えている。

少しずつ僕を意識していたのに、一瞬で戻されてしまうんじゃないかという不透明な気持ちの表れ。

だから僕を感じて、しっかり心に刻んで、忘れないようにと踏ん張っている。

それは僕にとって、曖昧模糊とした焦りを覚えさせた。

僕は一瞬で、忘れられてしまうかもしれない程度の存在?それとも。

自覚していたつもりなのに、結局舞い上がって全然わかってなかったんだ。


「周助」

「うん?」


「もっと、深いキス、して……」

「……いいよ」


――触れるだけのキスじゃ、心のよどみを洗い流すことなんて出来ないから。

髪を掬って、後頭部を抱えるように支えて、腰を強く抱きしめて、僕は唇に割って入った。

君に求められることが、こんなに切ないきっかけなんて、残酷。

だけど僕自身が呼んできた深淵であることは明確だった。

僕が仁王の彼女に接触して無ければ、あの時あんな酷いことを言わなければ。

きっと彼女はここまで踏み出さなかっただろう。


君の吐息が漏れて、僕を高揚させる。

裏腹に、胸を抉られるような強烈な痛みが僕を襲っていた。

好きな人に愛を送っているのに、どうしてこんなに哀しいんだろう。











「本当にごめんなさい。いきなり押しかけるみたいな真似して……」

「ううん。それは、お相子、だし……」


喫茶店に入って注文を終えた途端、仁王の彼女は目を伏せて切り出した。

伊織はとても哀しい目で彼女を見ていた。

悪い人じゃないことに複雑な心境なのかもしれない。

そうだね。嫌な女なら思い切り嫉妬して、罵倒できたかもしれないのに。

奪い返す、なんてことも……。


「どうして、僕らのバイト先がわかったの?」


余計な想像を打ち消したい。

話を進めなきゃと、仁王の彼女にそう促した。

水を一口飲んで、おどおどと頭を上げ、ゆっくりと視線を僕に合わせる。

僕のことを、怖がっているのかもしれない。


「不二くんが部活をしてるかもしれないと思って、青学に……そしたら、たまたまテニスコートに居た二年生の部員の人が、ここだって教えてくれて……」

「じゃあ、最初は僕に会うつもりで?」

「そう……そしたら、あなたがいた。でも最終的には、あなたと話したかったから……語弊があるかもしれないけど、好都合でした」


しっかりと伊織を見た。

毅然とした視線を一直線に受けた伊織も目を逸らさずに、答えるように仁王の彼女を見ている。

だけど落ち着かないのか、両手を隠すようにして握り合わせた。

僕にまで、その緊張が伝わってくる。


「わたしと、何を話したいんですか?」

「もちろん……仁王のことで」


仁王、と言った彼女の言葉に、伊織は少しだけ驚いた様子だった。

「雅治」と言わなかった仁王の彼女の気遣いが、どう伊織に響いたのかわからない。

でもそれは、僕からすれば些か癪だった。

嫌味じゃないのは見ていればわかる。

彼女なりに、伊織がまだ仁王のことが好きだと突き詰めた結果、そういう言い方をしたのだと。

でもそれは、伊織と付き合っている僕を否定されていると同じだ。

彼女が僕と伊織の関係を知っているか知っていないかは、このさい問題じゃない。


「仁王とあなたの間に何があったのかわたしにはわかりません。でも別に、それを聞きたいとかじゃなくて……」

「……違うの?」


もう一度、伊織は驚いたようだった。

同じように、僕もてっきりそういうことが聞きたいんだと思っていたせいで、伊織と顔を見合わせた。

だけど仁王の彼女の目は、増して思い定めたように。


「はい……そうじゃなくて、わたしが思う、仁王の気持ちをあなたに伝えたくて」

「え……」


伊織を見ながら一瞬だけ、その揺らぎ無かった瞳を僕に向けた彼女を見たとき。

僕の心臓が、音をたてて胸の奥のあるべき場所に落下していった。

お願い、言わないで。

君にしたことの咎が消えるなら、僕はなんだってするから。

それだけは、聞きたくない。


「仁王はまだ、心のどこかであなたを想っていると思います」











*     *










――だから、後悔しないように話し合って欲しいんです。


それからしばらく続いた仁王の彼女の言葉に、僕らは黙っていることしか出来なかった。

節々に、決して清らかな心でこの行動に至ったわけじゃないということを、暗に悟らせた。


それは彼女からの挑戦状なのか、自分自身へのけじめなのか。

薄暗い夜道にぼんやりと浮かぶ僕の顔は、きっと真っ青だ。

さっきから、まともでいられない。


話が終わって席を立った彼女に、僕は咄嗟に謝った。

いま謝っておかないと、もう謝る機会がないと思っていた。

そんな僕の謝罪に飛びつくように振り返った彼女は、やがて穏やかに目を細めて……そして言った。


――違うよ不二くん。これはあの日のこととは関係ない。


全部は言わないよと、その目が訴えかけていた。

彼女なりの気遣いかもしれない。

僕と伊織の関係がどうなのかわからないから、言葉を避けてくれていたように思う。

そして彼女の眼差しはそのまま僕の眼差しを鏡に映したように、ごめんねと謝っていた。



「ねえ周助」

「……なあに?」


まともじゃいられないのは、伊織も同じで。

仁王の彼女の話を聞いてからというもの、ずっと翳を落としている。

それでも僕の手を握って歩いてくれていることを、素直に喜んでいいのかわからない。

だって本当なら今すぐ仁王に会いたいと、思っているかもしれないのに。


「最後に周助と彼女が言ってたことって、なにかなって……」

「…………」

「そういえばって、前からちょっと思ってたんだ。あの時も彼女、周助のこと知ってるようだったから……」


伊織が仁王の家にまで行った、あの時。


「もしかしたらわたしが厚かましいお願いしたときに、知り合ったのかなって思ってたの。だって、雅治の周辺調べてもらうようなこと、言ったでしょ?その関係で、お友達にでもなったのかなって」


でも、なんか、さっき……

途切れ途切れに、聞いていいのかいけないのか。僕の沈黙に待ちきれないように伊織は続けた。

あんなことを仁王の彼女に言われた挙句、伊織に軽蔑されてしまうかもしれないという恐怖が僕を襲う。

それが、僕をどこまでも黙らせた。


「……周助?」

「うん……」


「なんで、謝ったの?あの日のことは、関係ないって、どの日のこと?わたしが雅治の家に行った日じゃないよね?あの時はすでに、顔見知りだったよね?」

「……僕、ね……」


やっと声を出した僕に、伊織は立ち止まった。

歩きながら気軽に話せるようなことじゃないと、感じ取ったのかもしれない。

夜もすっかり暖かくなったというのに、僕の心にはすきま風が通り過ぎる。


「彼女が一人になったときに、話しかけたことがあったんだ」

「…………」


「ちょうどね、練習試合の申し込みを立海にしに行く用事があったから。それは僕じゃなくても良かったんだけど、僕は部長に立候補した。行かせて欲しいって」

「……わたしの、ために?」


その問いかけに頼りなく首を振ると、伊織はぎゅっと口を一文字にして、黙った。

自分のためであって欲しかったということじゃない。

きっと、伊織は僕のしたことを聞くのに、あらゆることを想像して覚悟を決めている。

そうして構えておかないと、僕のことをどんな風に思ってしまうかわからないから。


「最初はそんなつもりなかったけど、結局は、僕のためだよ。僕が、言ってやりたいことを言うため」

「……言って、やりたいことって……」


どうしてか、わざと乱暴に言い放った僕の言葉。

伊織は思考が一瞬止まったように僕を見て、心の中じゃもう僕から後ずさっているに違いなかった。

醜い僕。穢れた心。

こんな自分を剥き出しにしてまで、僕は伊織に答えたい。謝りたい。

君が思っているような僕じゃなくてごめんね。

僕なんかが君に触れて、ごめんね。


「仁王は君じゃない、他の人を抱いてるって言ったんだ」


瞬間、伊織は口元に手を当てて、絶句したように僕を見た。

やがてその手は下にさがり、僕に宛てる言葉を探す。


「どうして、そんなこと……」唇はわなないていた。

「もちろん嘘だよ。今、仁王が彼女以外の誰かと接触しているところを見たわけじゃない。ただ彼女を傷付けたかった。言い訳だけど、君が苦しんでいるのに――」

「――望んでないよ」


僕の言葉を遮って。

目にいっぱい涙を溜めた伊織の顔は、僕を非難していた。

そうだね。そんなこと、優しい君が望むわけない。


「知ってる……君が望んでると思ったから、したわけじゃないよ」

「周助」


「言ったでしょう?君のためじゃないって。僕が、ただ彼女を傷つけたかっただけ」

「周助!」


僕の両腕を力なく掴んで、伊織は泣きながら僕の胸に顔を埋めた。

抱きしめることすら出来ない……僕には、そんな資格ない。

淡々と語った僕を悲観しているような泣き声に、僕はどうすることも出来なかった。


狂ってたんだよ。

人のこと平気で傷つけるなんて、そんなことしていい人間なんかどこにもいやしないのに。

あのときの僕は、狂ってたんだ。平気だった。

だって彼女が、許せなかったんだ。


伊織の泣き声は、静かな住宅街の中でしんしんと降る雪のように僕に堕ちてきた。

しらばくして、伊織は一瞬だけ顔を上げて僕を見て。

僕は虚ろ気に、その視線に視線を合わせることで応えた。もう、何も言えない。


「……ごめん、ごめんね……」


やがて震えながら伊織が言ったのは、僕が伝えたかった言葉。

伊織は、何度も謝った。

最初は何を謝っているのかわからなかった僕も、ほどなくして頭がついてきた。

だけど同時に、その思考にめまいを感じる。

わかるのは、これから起こることへの「ごめん」が含まれているということだけ。


やっぱり、僕は軽蔑されてしまったんだ。

だからやっぱり伊織の中で、僕じゃだめだと思い知らされてしまったんだ。

仁王の彼女の言葉が、伊織の気持ちを後押ししてしまった。

僕は無力だ……自分自身の虚脱にすら、手を差し伸べることが出来ない。


「気持ちの整理がついたら、連絡するから」

「…………」

「おやすみ」


別れまでのカウントダウンを告げられたような気がして、何の言葉を返すことも出来なかった。

走り去って行った伊織の背中を振り返りもせず、僕はただ、悄然と歩き始めた。

























「ゴールデンウィークは何してたの?」

「……やあ、吉井。久しぶりだね」


そのゴールデンウィークが明けた週のはじめに、陽気な声で僕を伺うように訪れた吉井の表情はいつもと変わらず元気だった。

前に吉井と話したとき、彼女は悩み事を抱えているんじゃないかと心配していたから、少し安心した。

でも、やっぱりどこか寂しそうだ。


「あたしは定番の家族旅行!」

「僕は定番の部活とバイト」


「まー、味気ない」

「ふふ。残念な休日の過ごし方だよね」


そんな適当な会話をしながら、彼女はちゃっかり自分の古文ノートを手に、それを指差している。

その催促に僕は案の定だと悪くない溜息をつきながらノートを手渡した。

そして受け取ると、どこか落ち着かない様子でぐるりを見渡す。


「どうしたの?」

「うん、ちょっと聞かれたくない話をするからさ」


てっきり沈没した様子の僕をどこかで見て心配してくれたのかと思っていたら。

どうやら吉井はようやく、僕に隠していた悩み事を話す気になったらしい。

声を潜めるように椅子に座る僕よりも低い位置にしゃがんで、僕を見上げている。

絶対誰にも言わないでね、と釘を刺す小学生の女の子みたいだ。


「どうしたの?ホントに」

「うん、実はね」


悩み事にしてはどこか嬉しそうで、だけど、捨てられた子猫のような目をして。

その目から視線を外して少しだけ耳を近づけた僕に、吉井は突然言った。

僕にとっては、なんの前触れも無かった。


「不二のこと、好きなんだ」


瞬間、僕だけが教室の中でぜんまいが壊れたおもちゃのごとく時間を止めていた。

驚きに空唾を飲んで、スローモーションで吉井と視線を合わせる。

冗談だったら、してやったりの顔を僕に向けているはずだ。

だけど、吉井は違った。穏やかに微笑んで、おどけたように言った。


「びっくりした?」

「…………」


その声色が、僕を騙した後に言うそれとは全く違うことがわかったから。

本気の告白だったんだと、改めて痛感する。

痛感して、それで、僕は……?

だめだ、頭がついていかない。


「ごめんね、いきなり。返事は要らない。わかってるし、わざわざ聞きたくない」


屈託なく笑って。

そして呆気にとられている僕の肩を、ばしんと叩いた。


「ちょっと、しっかりしてよ。らしくない」

「……僕……」


「後は不二に任せる。気まずかったら、もうこのまま終わりでいいよ。一応言っておくなら、あたしは友達のまま居たいけど。でも、あたしだけが良くってもね」

「吉井、僕……」


「行きます!今なに言われてもたぶん泣いちゃうから、ごめん、黙ってて。ノートは実は、今日は全然用無し。返すね。ごめん、また!」


そう言って、僕の机の上に、さっき手にとったばかりの古文ノートを置いて。

吉井は逃げるように、教室から出て行った。














*    *













「ふーじ?」

「……英二」


「どうした?お前、顔色すんげー悪い」

「……いろいろ、ね。あるんだ」


それは見てれば、なんとなくわかるんだけどな〜。

着替える僕の横で、シャツを脱いだ英二は上半身裸のまま携帯を開いている。

無理やり聞いてこようとしない、放任主義の英二の心地よさは、昔から僕にはありがたい。

そう。もともと相談するタイプじゃない僕だから。

だから、吉井に相談してることすら本当は不思議だった。

そういえば吉井とそんな関係になったのも、彼女が僕に恋愛話をするよう促したのがきっかけだった。

不二は誰か好きな人いないの?と聞いてきた数年前の吉井を思い出す。

積極的に話さない僕に、相談という名目で恋愛事情を聞き出すようにしていたのかもしれない。

種明かしをされれば、こんなに簡単なことだったなんて。


「大石から遅れるってメール入ってる……あ、そういえばさあ」

「うん?」

「試合だってね」


英二が話しかけてきている間も、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

僕は今、伊織のことで頭がいっぱいだった上に、突然、友達から告白されて。

テニスをすれば、少しはこの心の穴を埋められるかな。


「不二、聞いてる?」

「え?」

「なんだよう。しっかりしてよ不二。練習試合、決まったんだって」


語尾を強めにしてようやくジャージを着た英二は、あ、と口を開けたままの僕を見て眉根をぎゅっと縮めた。


「不二、お前ホント、大丈夫?」

「練習試合……立海、と?」

「ん、あと氷帝だってさ。場所は立海のコートで、今月の下旬で……えーっと、いつだったかな」


と、英二が部室にかけられているカレンダーを見ながら指でたどっている時だった。

学生服のポケットに入っている僕の携帯から電子音が飛び出した。

ちょっとごめん、と携帯を手に取ると、液晶画面には「伊織」の文字。

心臓が跳ね上がるのは、自分でもわかった。


「もしもし」

「不二、先に行くね」

「あ、うん」


気を使ってくれた英二に手を振って、電話越しの伊織にもう一度声をかけた。

伊織は一呼吸置いて、ゆっくりと答える。

聞こえてきた第一声に、僕の心は容赦なく揺れ動かされた。


≪周助?≫

「……うん、僕だよ」


≪そうだよね、周助に決まってる≫

「うん、そうだよ」


笑った伊織に、僕も無理やり笑顔を作って返した。

伊織が見ているわけじゃないけれど、そうしなきゃ、声のトーンは変えられないような気がして。

だけど数日間連絡を取らなかった彼女からのこの電話は、そんなにいい知らせじゃないとわかる。

カウントダウン。今は、いくつなんだろう。


≪伝えて欲しいの。あの、彼女に≫

「……うん、なんて伝える?」


いよいよ、僕は捨てられるかもしれないと胸がざわついた。

仁王の彼女からの後押し。

僕への軽蔑。

なによりも、仁王の彼女が言った、仁王がまだ伊織を想っているという彼女なりの確信。


≪雅治と話し合おうと思う……伝えて、くれる?≫

「…………うん、伝えておくよ」


≪周助≫

「うん?」


≪……ううん。また、バイト先でね≫

「うん、またね……」


何も、言うことはなかった。

伊織だって、僕に言うことはもう何もない。

言われなくても、僕にはわかる。

サヨナラのカウントダウンは、もうはじまってしまったんだ。



こんなことなら、最初から……出会わなきゃ良かった。

こんなに辛いなら、もう、僕の存在ごと消えてしまえばいいのに。




今度君に会えるのは、いつだろう――――?





to be continue...

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