きみが慾しい_06


残されたふたりの時間は、きっと今日だけ。

次に会ったとき、君はきっと。

……僕から離れていくんだよね。
















きみが慾しい














6.





だから伊織からデートの誘いがあった時、一瞬は驚いて、一瞬はどこか納得した。

優しい彼女なりの気遣いなのか……でもそれは少し、僕にとって空虚でもある。


「遊園地?」

「うん。明日、ふたりとも丁度お休みみたいだし……あ、でも周助なにか予定ある?」

「ううん。ないよ。大丈夫」

「あ、ホント?じゃあ……いいのかな?約束取り付けちゃって」

「もちろん」


あの電話以来、伊織に会った土曜日のことだった。

次はいつ会えるのかな、なんて思っていたほどの時間もなく、バイト先で顔を合わせて。

朝会ったときの挨拶も相変わらずに、彼女は元気な様子を僕に見せてくれた。

当然と言えば、当然なのかもしれない。

もうすぐ、本当に好きな人と結ばれるのかもしれないのだから。


「じゃあ、明日……何時にしよっか?」

「そうだね……じゃあ、僕が9時頃に迎えに行くよ」


「本当?ありがとう」

「どういたしまして」


僕は伊織に心配をかけたくなくて、何食わぬ顔をして接した。

ふっきれてるよ、と、極力全面に押し出しているつもりだった。

それを伊織がどう思って見ているのかはわからない。

遊園地デートの提案をしてくるあたり、僕のその努力は意味の無いようにも思う。


「ねえ伊織」

「うん?」

「どうして、遊園地デートしたくなったの?僕でいいの?」


受付シートのチェック項目を確認していた伊織は、少し驚いたような表情で僕を見た。

僅かに揺れている瞳に、困らせてしまったかな、と後悔する。


「……周助じゃなきゃ、ダメだよ」

「…………」


「だって、月曜から二週間くらい、会えなくなるでしょ?」

「うん、そうだね」


「二週間後は、練習……試合だし」

「……」


月曜から、この近所の学校はほとんどがテスト週間に入る。

一週目はテスト勉強の週。二週目はテストの週だ。当然バイトも休むから、僕らはその間、会うことは無い。

それが終わったらいよいよ、練習試合当日が待ち受けている。

仁王の彼女との調整で、その日に二人を話し合わせることになっていた。

僕らは邪魔になっちゃうね、と軽い笑いで切ったのは、つい先日のことだ。そう言って、慰めあった。


「わたし、周助との想い出を作りたい……から」


僕から目を逸らして呟いて、最後には、だから、ね!と笑って僕を見上げた。

まだ何か言いかけたように見えたのは、僕の疑心だろうか。

彼女の中で、しっかりとした決心をつけているとするなら。

少なからず僕を利用してしまったことへの、懺悔のつもりなのかもしれない。

僕との想い出は、即ち、僕にとっても、伊織との想い出。

仁王へ身を委ねる前に、精一杯僕に尽くそうとしているように思えた。



























でもそれは、余計に残酷なことなのに……。

伊織のことを毎日毎日、僕は好きになるのに。

遊園地でデートなんかしたら、もっともっと好きになって、離したくなくなってしまう。

今はまだ、僕の彼女だから……伊織はきっと僕の衝動に、嫌な顔はしない。

それがどうしょうもなく切ない。

君から求められているわけじゃないのに、愛を与えてるような傲慢な錯覚が、どうしようもなく、切ないんだ。


「おはよう」

「おはよ周助!じゃー……いこっか!」


「うん。ねえ、今日の服かわいいね」

「あ、本当!?これねー、こないだネットで買ったんだ」


「ふふ。またバイト代が消えちゃったね」

「だって我慢出来なかったんだもん!」


「はいはい、別に責めてないでしょう?」

「どっかで呆れてるくせにー!」


心の葛藤とは裏腹に、いかにも恋人同士の話をしながらそっと手をつないだ。

談笑を引きずったままの笑顔で僕を見上げている伊織は、大したことでもないように自然と僕の手を握り返す。

笑って話せる些細な時間は、心の底にある虚しさを和らげてくれた。


遊園地での時間はあっという間に過ぎていった。

ほのぼのとした乗り物が多くて、僕らは互いに傷付いた心を癒されていると感じた。

もともと遊園地が好きなんだろう伊織は、くるくると表情を変える。

時おり見せる、僕の顔色を伺うような視線も含めて、全部、僕のものなんだと言い聞かせた。

伊織が望み通り(それは僕の望み通りでもあるけれど)、恋人としての時間を、しっかりと満喫した。


そして僕らは今、観覧車の中に居た。

付き合い始めたふたりの初めてのデートで、観覧車の中なんて。

本当ならお互いがドキドキして、喋ることもままならなくて、触れ合うことにすら過剰な反応をするんだろう。

考えていたら、こんな寂しい気持ちに笑ってしまいそうだった。

信じられないよ。この狭い密室に、君とふたりきりなんて。


「周助」

「ん?」


「聞いてもいいかな?」

「うん?……なあに?」


この空間だけにある独特な雰囲気が、伊織の声色で伝わってくる。

心のどこかで思っていたことをつい口にしてしまいそうな、不思議な場所。

ゆらゆらと揺れながら空へと上る透明な箱舟は、それだけで人を饒舌にする。


「いつから、わたしのこと……その……」

「……好きだった?」


ぎこちなく頷いて、心配そうに僕を見た。

そんな顔しなくても怒ったりしないのに、どうしてか伊織は申し訳なさそうだ。

僕は両頬をあげて微笑みながら答えた。

伊織に初めて会った日を、思い出したから。


「もう、二年くらい」

「…………」


声にならない息を吐いて、唇が僅かに開く。

どう言っていいのかわからないのだろう、少しだけ俯いて、迷ったように手で頬をかいた。

可愛いその癖。伊織にしか似合わない。


「ふふ。重たいでしょう?」

「え!い、いや、そんなことないよ!」


クスクス笑う僕に慌てたように声をあげて、首をむやみにぶんぶん振る。

その仕草がやっぱり可愛くて、思わず抱き寄せた。

いいんだよね?今は……今日は、僕がこうしても。


「……思ったより長くて、ちょっと、びっくりしただけ……」

「伊織、あったかいね……」

「……周助も、あったかいよ」


ゆるゆると僕の背中に手を回して、胸に顔を埋めた。

サラサラの髪を撫でると、ほんのり甘い匂いが漂って、僕を刺激する。

そっとこめかみにキスすると、後ろに回されていた手が小さく握られた。


「ねえ、僕ね……」

「うん……」


「こないだ、ずっと友達だと思ってた子に告白されたんだ」

「え……」


「僕の友達の幼なじみで、中学一年の頃から、僕もずっと友達としていた子で」

「……うん、……うん」


伊織は、耳を澄ますように、静かに僕の声に聞き入った。

小さく握られていた手に、少し力が入った。何を言い出すんだろうと、怯えているんだろうか。


「伊織のことも、ずっと相談に乗ってもらったりしていたんだ」

「…………」

「だから本当に、びっくりしたんだ。同時に、情けないけど、僕はどうしていいのかわからなくて……」

「周……」

「返事はいらないってすぐどこかに行っちゃって」

「…………」

「……僕と同じ立場だったのに、僕は何にも気付いてあげれなかった」


僕にとって吉井は、友達でしかなかったから。

だけど僕と同じ片想いをしている、同士だった。

僕は伊織のことをどこかで残酷だと思いながら、同じことを吉井にしていた。

気付かなかったというあどけなさは、鬱蒼とした森を刈る刃物のようだ。

そんなつもりのない一振りでも、そこら中に散りばめられている葉に必ずぶつかってしまって、知らず知らずのうちに、小さな葉の一欠けらを傷付けている。

好きだという想いが、あどけなさに消されていく。

それでも、想いはみるみるうちに氾濫する。蘇る。傷付いても消されても、根っこは取り除けない。

森はいつまで経っても、森でしかない。想いは儚くて、強いから。

新しい土を見つけるまで、そこで成長し続ける。

見通しのつかない、出口のない、森……。


伊織は居心地が悪くなってしまったのか、僕の胸から顔をあげた。

「周助、わたし――」

「――違うんだ。伊織を責めたいんじゃないよ」遮って、僕は続けた。

「……っ」

「ただ僕は……彼女が思い切ってしてくれた決断を……教えてくれたその強さを、見習いたいと思った」

「……周助?」

「だから、もう少しだけ……」

「――ッ」


傍にいさせて。

僕の、彼女でいて。

震える想いを振り払って、僕は何度も何度も、伊織にキスをした。












「紅茶、好きだったよね?これでいい?」

「うん、ありがとう……よく覚えてたね」

「うん!それに周助、休憩中もよく紅茶飲んでるし」


見ていてくれたということが嬉しくて、僕は伊織の頭を撫でた。

伊織は照れくさそうに微笑んで、ティーカップを口につける。


少しだけ早めに出た遊園地。

伊織を家まで送り届けたとき、彼女から「少しあがっていかない?」と誘われた。

伊織の部屋にあがるのは怖くて断ろうとしたけれど、「せっかく周助のために紅茶買ってたんだけどな」なんて拗ねられたら、断ることなんて出来なくて。


だけど僕はやっぱり、後悔することになった。

伊織の匂いで埋め尽くされた、シンプルだけど優しい、ふんわりとした部屋。

伊織の横には赤いモコモコとしたクッション。

ここにどうぞ、と僕の座る場所を促したもうひとつのクッションは、透き通るようなブルー。

目の前の小さな丸テーブルは真っ白で、汚れひとつなかった。

そこに出された僕の紅茶のカップは、たっぷりと入る大きめのサイズ。

勉強机の上には化粧品や香水が少しだけ並べられて。

すぐ傍に見えるベッドの上には、携帯の充電ホルダーが枕の横に置かれていた。


その全てが。


仁王のためだとわかる。

そんな意図はないのかもしれなくても、僕には、仁王の色に染められているとしか思えなかった。


あのベッドの上で……仁王と何度、愛を交わしたんだろう。

いやらしい想像を掻き消すことは出来なくて、伊織と仁王の抱き合う姿を目の当たりにした気分になった。

激しく絡み合いながら、伊織は仁王を求めて喘えぐような呼吸を繰り返したんだろうか。

何より僕自身が怖かった心の奥の感情が、そのまま湧き上がってきてしまった。


「……周助?」

「……っ」


「大丈、夫?」

「……うん、ごめん」


自分の話に相槌も打たずすっかり黙り込んでしまっていた僕に、伊織は不安そうな声を出した。

目の前で手を叩かれたように、僕ははっとする。

嫉妬という不快感が今すぐにでも伊織を壊したくなる……そんな衝動を、唾で飲み込んだ。


「……無理に……引き止めちゃって、ごめんね」


伊織は僕を見て、残念そうに呟いた。

僕が楽しくなさそうだと、彼女の中で判断したのか。

その言葉に、僕はざらりと砂を噛んだような違和感を覚えた。

そうだよ……君はどうして、僕をこの部屋に呼んだの?僕にこんな思いをさせるため?


「無理じゃないよ……」

「……でも、帰ろうとしてたのに、我侭言っちゃって……」


本当はもっと言いたいことがあるんじゃないかなんて、その朴訥とした様子に心が乱れる。

何がしたかったの?君は、こうすることが本当に僕を慰めることだと思ってるの?

僕の中で、薄暗い感情がたぎりはじめていた。


「伊織は……」

「うん?」


「僕をここに呼んで、どうしたかったの?」

「……え」


最後であると確信している僕。

最後だからと、僕との想い出を作りたいと言った伊織。

それは僕のため。きっと、彼女にとっての懺悔。

それが残酷であることもわからない、「あどけなさ」。


「しゅっ……!」

「ねえ、僕のこと、好き?」


わざと困らせるようなことを言って、きっと仁王と何度も愛し合ったこの部屋で、僕は伊織を押し倒した。

赤いクッションの上に、伊織の柔らかい体が食い込む。


「周助……どしたの……」

「僕のこと、好き?答えて、伊織……」


今にも零れ落ちそうな涙を両目いっぱいにためて、伊織は僕を見る。

その瞳で、君はずっと仁王を見ていたんだね。

怯えてたって、かまわないよ。

その眼差しを、僕はもしかしたら、ずっと壊したかったのかもしれない。

どうせこれで終わるのなら……今日だけはせめて、君を壊して、僕のものにしたい。


「…………好きだよ、周助」


――うそつき。





























目を閉じた瞬間、周助はわたしの上から離れていった。


「……周……助?」

「ごめんね……帰るよ」

「…………」


わたしの首筋に唇を押し当てて、冷たい手で頬を撫でて。

キスを落としてくる直前に、彼に全てを委ねたくてそっと目を閉じた……ほんの、僅かな時間。

周助は、帰って行った。

困惑するわたしを振り返りもせず、帰って行ってしまった。

引き止めるべきだったのかもしれない。

だけどあんな顔をした周助を無遠慮に引き止める勇気は、今のわたしには無かった。

彼はどこか、わたしに呆れているんじゃないかと思う。

段々と嫌われてしまっているように思う……それを目の前に掲げられるのは、何より怖かった。


まだどこかで、燻っている雅治への想い。

決着をつけるのは、青春学園と、立海大附属と、氷帝学園の三校で行われる練習試合。

好きで好きで仕方なくて、病気みたいに雅治のことばかり考えていた日々。

わたしを沼地から引きずり出してくれたのは、周助の優しさだった。

サラサラの綺麗な水で流されたわたしの体は、彼の羽の中で温められた。

だけどはっきりしない恋の終わりが、虚構のように茫洋としていたから。


――定めだ。

雅治との話し合いは、きっと運命が与えてくれた時間。

もうそれは、目前まで差し迫ってきている。





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