遥か彼方_06


「俺とあいつが会ったのは、高一の時だ」

「結構……長い付き合いなんだね」















遥か彼方












6.






俺にはひとり、姉貴がおる。下には弟もおるけど、まあそれはいいい。

その姉貴の友達っちゅうのが、あいつのバイト先の先輩にあたる人じゃった。


『雅治くんさ、一度でいいから会ってみてよ!』

『……紹介っちゅうのは、あんまり気乗りせんのんじゃけど』

『生意気言ってんじゃないよ雅。あんたそれとも、姉ちゃんがこないだ貸してやった一万すぐ返せるの?』

『わかったわかった、乗るからそんなせんないこと言いなさんな』


俺と同い年で可愛い子が入ってきたっちゅうて、その友達はやたら張り切っちょった。

あいつが誰か紹介してくれっちゅうたんかもしれんし、その友達のお節介じゃったんかは今もようわからん。

でもとにかく、俺とあいつはそういう経緯で会うことになった。

高校にあがったばかりの頃だ。


『はじめまして』

『あ、はじめまして……な、なんていうか、ちょっとびっくりした』

『なにが?』

『いや……まさか、こんなイケメン来るなんて思ってなかったし』

『言った通りだったでしょ〜?』


姉貴の友達はやけに満足気じゃった。

あいつはあいつでいきなりそんなこと言うて、最初はからかわれちょるんかと思ったが、表情でそれがどうやら本音じゃっちゅうこともわかった。

じゃけど、それはお互い様。

うまい話で会うと大抵はがっかりするもんだが、俺にとってもあいつは違った。

予想以上に可愛い女だと思った。

真っ白な肌に、触れたくなるようなぽってりとした唇。見た目は言うことなかった。


『ねえ、雅治って呼んでもいい?』

『……断る』


『えっ……つ、冷たいね』

『まだ会ったばかりじゃろう?』


気にいらんかったのは、いかにも女子高生っちゅう明るさと、いきなり言われたその馴れ馴れしさだ。

第一印象は悪くないが苦手なタイプじゃと思った。俺が嫌いそうなタイプじゃろう?

だが結局、俺らは何度かふたりで会って、そうしていくうちに惹かれあっていった。

苦手じゃった要素が好きになっていく。会うたびに自分のものにしたいと思うようになった。

ただ明るいだけじゃない、ただ馴れ馴れしい今時の女っちゅうだけじゃない、どこか癖のある性格に、俺はあっという間に恋に落ちた。


付き合うようになったのは、六月頃だ。

たまたま駅の改札で会って、家まで送って帰った時に告白した。


『明日も、家まで送らせてもらえんかの?』

『え……だって……明日土曜だし』


『どっか出かけたりせん?帰りに連絡くれたら、駅で待っちょくけど』

『明日は、家にいる予定だから……どしたの仁王くん?』


『なら俺がデートに誘って、家まで送るっちゅうのはどう?』

『!……そ……それって……』


『それから、明日からなら雅治って呼ばれてもええって思ったりしちょるんじゃけど』

『……遠回しすぎる……』


『降参して、先に好きって言うて』

『〜〜〜〜……うう……悔しい……好き……』


それから付き合って半年後くらいだ。

あいつはバイト先を辞めて、今のバイト先に入った。あいつが不二と会ったのは、その時じゃったと思う。

最初はバイト先を聞いても行くことはなかった。カメラの現像なんか滅多なことがないとせんからのう。

だがテニス部の帰りにたまたまあいつと不二が歩きよるとこを見かけた。

一瞬は不思議に思ったが、歩きながらカメラ屋に入っていくのを見て、ただのバイト仲間じゃとわかった。

だがその時から、どうも腑に落ちん思いが募り始めた。

不二がテニスで全国区に名が知れちょる男じゃっちゅうことくらい、あいつは知っちょるはずだ。

俺も何度か名前を出したことがあるし、不二がテニスのことを話してないとは考えにくかった。

大会や部活が遅くなる場合、バイト先に報告するからだ。

部活で、と言えば、何の部活なのか聞くのが普通じゃないか?

不二という名前も、俺の口から出た時にピンとくるはずじゃろう?

だがあいつは俺には最後まで一言もなかった。敢えて言わんかったんとしか思えん。


『のう』

『ん〜?』


『新しいバイト先、ちいとは慣れたか?』

『うん!楽しいよ。友達も出来たし』


『ほーう?どんなヤツ?』

『雅治とは正反対の人って感じ』


あいつの配慮?

それなら尚のこと、言わんとおかしい。

伊織、お前なら?バイト先にテニスで全国区に名が知れちょる人間がおったら、どうする?

……じゃろう?話題に出すのが普通じゃ。

自分の恋人とバイト先で知り合った人間が元々知人同士だと知れば、偶然に浮き足が立つ。

じゃけどあいつはそれをせんかった。俺が嫉妬すると思ったからだ。

それが配慮っちゅうことなら、どうもおかしい。

バイト先に自分が知っちょる男がおるくらいで誰が腹を立てる?過剰な推測じゃと思わんか?

あいつが不二のことを俺にわざわざ言わんかったのは、少なからず俺に疚しい気持ちがあったからだ。


……なんじゃ、その顔。俺の言うことには賛同出来んか?

まあ、伊織がそう言うのも無理ないかもしれん。

自分でさえ気付かんとこで、っちゅう感じじゃと俺も思っちょる……今は、の。

だが当時の俺は、不二と同じバイト先で働きながら、そのことを俺にひとことも言わんあいつに……ずっとそういう感情を抱いとった。


『雅治雅治!聞いて!聞いて今日ね!』

『なんじゃ、騒々しい』


『バイト先でさ、……あのね、同い年の人がいるんだけどね』

『ほう?』


『その男の子がね、今日わたしが誕生日だって言ったら、休憩中にケーキ買ってきてくれたんだよ!』

『……ほう、優しいヤツやの。お前さんに惚れちょるんじゃないか?』


『それはないと思うけど、優しいの!何をするにも優しいんだよ。見習って!』

『あんまり食いよると太るぜよ』


『なーにー!』

『気をつけんしゃい』


誤解……?

ほう?伊織、やけにあいつを庇うのう?

いやいや、勿論、誤解かもしれんよ。冷静になってみれば俺の考えすぎじゃったんかもしれん。

ただあの時はそれが出来んかった。俺は好きな女に、冷静になれんとこがある。

好きなら好きなだけ、猜疑心が強くなる。俺にはそういう醜い部分があるんよ。

じゃけど、俺は結局最後までなんも言わんかった。

そんなこと言うのはカッコ悪いとか自分に理由つけて……本当は、怖かっただけだ。

嫌われとうなかった。醜い自分を見せたら、あいつが離れていく気がした。


……まあそんなこんなで、一年が過ぎた。

ちょうどその頃じゃった。

俺がたまたま学校帰りにクラスの女子と会って話しよったところに、あいつが通りかかったことがあっての。


『雅治?』

『お?おお、どうしたんじゃ。珍しいのう、こんなとこにおるの』

『うん……ちょっと、買い物……』

『じゃ仁王、あたし先帰るねー』

『おう。またの』


クラスメイトは俺の彼女じゃって気付いてすぐに帰って行った。

別に一緒に帰っちょったわけじゃない。おったから話しかけた、それだけのこと。


『ねえ、今の人、誰?』

『ん?クライメイトじゃけど?』

『……すごい、仲良さそうだったね』

『……?お前さんもしかして、妬いちょる?』

『別に……違うもん!』

『ほーう?』


その時は適当にからかって、多分、あいつも些細な嫉妬くらいに思っちょったはずなんじゃけど……。

日が経つに連れて、段々メールの数が増えるようになった。

その時から一ヵ月後には、学校におる時も、部活の時も、メールがひっきりなし。


『―お昼休みは誰とご飯食べたの?あ、女の子だったりして?―』

『―今日は部活ある?わたしは今からバイトです。部活あるフリして浮気しちゃ嫌だよ、なんてね―』

『―わたしは今バイトが終わりました。雅治は部活終わった?帰ったらメールちょうだい―』

『―雅治〜、何してるの?もうとっくに部活は終わってるでしょ?少しくらいメールして―』

『―え?……丸井くんと遊ぶなんて、聞いてないよ、わたし。ずっと雅治の帰り待ってたのに―』

『―ねえ、そこに女の子いたりしないよね?丸井くんの彼女とか……―』

『―何時に帰るの?落ち着いたら電話して欲しいな。声が聞きたいよ―』

『―いつまで待っても電話はかかってきそうもないので、もう寝ます―』


あいつの不安が加速していく様子が、手に取るようにわかった。

安心させるためになるべくメールに応えても、すぐに「女の子」っちゅう単語で俺の様子を伺う。

あいつにとっては釘をさしちょるつもりじゃったんかもしれんけど、俺はそれが嫌でたまらんかった。

不二のことを棚にあげるようじゃけど、信じて欲しかった。

疑われるようなことをしちょるつもりは全くなかったし、信じれんでも、それを表に出されるのは苦痛だ。

正直、ほとほとうんざりしちょった。

……ほう?伊織も同じようなことしちょったんか?

じゃから、気持ちはわかるっちゅうてまたあいつを庇うか?……いや、俺も気持ちがわからんわけじゃない。

最初のうちは可愛いよ。ちょっとした束縛じゃし、愛されちょるんじゃのうって思うことも出来る。

だがそれが一ヶ月も続くと、信じてもらえんことが重荷になった。

束縛されても構わんほど好きな相手なのに……面倒臭いと思うことも多かった。

どうすれば信じてもらえるんかもわからんし、何より、俺は不二のことが引っかかっちょった。

不二とのことを隠すくせに、俺には何でも話せと要求する。

今どこにいる。今日は何した。誰と会って、どんな話をした。メールの返事が遅い。電話が話中じゃった。

……何から何まで、聞いてくるようになった。

そんな中で、喧嘩の延長に言われたんじゃ。


『明日はふたりで何しよっか』

『ああ〜……すまん。明日はブン太と遊ぶ約束しちょるから、ここには来れんよ』


『え……嘘。そんなの、聞いてないよわたし』

『すまんすまん、急に決まったんよ。一昨日か、その前か……』


『すぐ言ってよ!わたし、明日の休みも雅治と遊ぶと思ってたから友達と約束もせずに空けてたのに!』

『すまんって。じゃけどブン太とももう約束しちょるから……』


『雅治いっつもそうだよ。わたしが予定空けてるのわかってるくせに!』

『……お前さんも友達と遊んだらええじゃろう?わざわざ立ってもない俺との予定を優先させることはない』


『そうだよね!雅治は友達との遊びが優先だから!』

『ちょっと待ちんしゃい。誰もそんなこと言うちょらんじゃろう?』


俺がやけに冷静に宥めるのも、あいつは気に入らんかったんじゃろう。

自分が知らんとこで学校生活を送っちょる俺のことを、信じることが出来んようになっちょった。

恐らく、変な噂もようけ耳にしたんじゃろうて。

じゃけど俺は、あいつのことをそこまで理解してやれるほどの余裕を無くしちょった。


『本当に丸井くんと遊ぶの!?本当は女の子だったりして!』


目にいっぱい涙を溜めて、思い切ったように俺に啖呵を切った。


『……お前さん、それ本気で言うちょるんか?』

『そんな目したって……怖くないんだから』


『答えになっちょらん。本気かって聞いちょる』

『本気だよ!だって雅治、しょっちゅう女の子と歩いてるし!』


『俺が?いつじゃ。言うてみんしゃい』

『そんな細かいことまで覚えてない。でもわたしの友達もよく見るって!』


『俺よりもその友達を信じるっちゅうことか?』

『自分だってわたしより丸井くんの方が大事なくせに!』


俺は好きな女から疑われて、その口論の間も好きな女を疑っちょった。

つべこべ言いながら、本当は、お前はどうなんじゃと問い詰めたかった。

気持ちはわからんでもないよ。あいつは元々そんな挑発的なことを言う女じゃない。

そこまで追い詰めたのは俺じゃ。噂の一人歩きは、俺にも責任がある。

どういうわけか、俺は確かに女にはようモテる。

そういう人間であればあるほど、今何をして、誰のことを考えちょるんか気になる。

信じちょらんわけじゃないんじゃろうけど……頭では理解して、信じちょるって言い聞かせても、好きになればなるほど、実際は信じちょらん。その想いだけは、どうにも出来んのじゃろう?

わかるんよ……俺も結局、あいつと一緒じゃった。


『……距離、置きたい……雅治に嫉妬しながら自分が嫌な女になってくのがわかる。もうこれ以上、雅治の心が離れていくのは耐えれないから……我慢できないから……っ』

『……そうか』


俺らはそれから数日とせんうちに、距離を置くことに決めた。

距離を置くなんて綺麗な言い方をしても、もう元には戻れんと、俺はどこかで勝手に結論付けた。

別れを告げられたと同じに考えたんじゃ。

その日の俺は人に当たるくらい心が荒んどった。

格好つけて納得したフリしても、俺はやっぱり離れたくはなかった。

どんなにうんざりしようと、口論しようと、それでもあいつが好きじゃった。傍におりたかった。

それで……自棄になった挙句、俺は一週間後には他の女と寝たんよ。


『雅治くん、聞いたよ……別れたんだって?』


姉貴の友達で、俺とあいつを引き合わした先輩。

姉貴の居らん時に家に来て、ちょうど玄関で姉貴は留守にしちょるって伝えた俺にそう言ってきた。

おかしいとは思っちょった。姉貴に連絡もせんとうちに来ることなんか初めてじゃったし。

……じゃけど俺は、そっちがその気なら相手しちゃるっちゅうくらい、荒れちょったんじゃ。


『別れた?あいつがそう言うちょった?』

『うん……』


鵜呑みにしたわけじゃないが……そう言われてもおかしくない状況じゃっちゅう頭がどっかで働いた。

同時に俺は、俺をただ欲望の対象としか見んこの女を利用しちゃろうと思った。

姉貴の友達だとか、そんなのはもうどうでも良かった。

姉貴自身、あまりこの女を快く思っちょらんっちゅう事実も自棄に拍車をかけた。


『俺としたくて、ここに来たんじゃろ?』

『……雅治くん、知ってたんだ?』


『知っちょるよ。アンタが夜な夜な男を変えてホテルに出入りしちょることくらい』

『……話が早い。ここじゃ嫌なら、あたしの家に来る?』


女は、セックス依存症じゃった。

姉貴が他の友達と話しちょるのを聞いたことがある。

次から次に男を誘惑する。

最悪なことに容姿がそこらの女よりもズバ抜けてええもんじゃから、友達の恋人を何度も平気で寝取る。

あの女に本当の友達と呼べる人間はおらんかった。

うちの姉貴も一度は被害者になっちょる。じゃけど、姉貴はなんとなく友達を続けちょった。

精神科に行くように電話口で勧める声も、何度か聞いたことがあった。

本人は全く行く気がないっちゅう話も、姉貴自身から聞いた。

忠告されたこともある。変な病気がうつる可能性があるから、絶対に手を出すなってな。

けど結局、俺は寝た。

だが何度か寝てから、その女から時々壊れたようなメールが届くようになった。


『―あなたの陰茎をこの膣に差し込んで―』


何度も何度も、同じようなメールが届く。

俺は後悔した。

その時になってようやく、自分のしでかしたことがわかったからだ。

ヤク中にヤクをやったのと同じことをしたっちゅうこと……ひょっとしたら、治療中じゃったかもしれんのに。


それから数週間後、あいつからもう一度やり直したいと言われた。

利用するだけ利用した挙句に、あいつからやり直したいと言われた途端、俺はすんなりセックス中毒の女を見捨てて、あいつと付き合い直すことにした。


伊織……俺はこの過去を、お前に知られるのが怖かったんよ。












*  *









「雅治……」


その女性との縁を切ってから数週間後。

よほど雅治が良かったのか、セックス依存症の女性からのメールが止むことはなく、ついにはそのメールを彼女が見てしまい、彼女との関係は終わったと言う。

雅治は、距離を置いた時間のことだと弁解したけれど、彼女は理解を示さなかった。

わたしにはどちらの言い分も、正しいわけではなく、間違っているとも思えなかった。


聞き終わって、雅治がわたしに過去を話すのが怖かったという気持ちを、わたしは不謹慎にも嬉しく思った。

わたしに軽蔑されたくなかったのだ。

距離を置くという曖昧な線引きの中とは言え、自暴自棄に駆られて利用できそうな女を抱いた自分を。

雅治は、そんな自分をわたしに曝け出すことが、恐ろしかったのだ。


「平気だよ。ねえ聞いて。雅治のこと見る目、わたし、変わったりなんかしてない」

「……そう、言うてくれるのは嬉しい」


ようやく、翳りがさしていた表情にふっと笑みが見えて、わたしは安堵した。

そして思う……彼女のこと、雅治はどう考えているのか。

彼女に会うのが怖いというのは、どういう意味なのか。


「ねえ、それとは違う意味で、その人がセックス依存症じゃなかったとして、雅治はやっぱり、後悔してる?」

「……浮気したことなら、後悔はしちょらん」


「……え……」

「それがなきゃ、別れちょらんかったじゃろう?」


「そうだけど……じゃあ、別れてしまったことに後悔はしてないの?」

「しちょらんよ……」


きっぱりと言い切る雅治に戸惑っていると、雅治はわたしの頬に手を当てた。


「じゃなきゃ、伊織に会えんかった」


優しい目でわたしを見て、優しい声でそう言った雅治に、全てを委ねてしまいたくなる。

涙が溢れてしまいそうだった。わたしはちゃんと、愛されている。それがわかったから。


だけど……その柔らかい空間は、一瞬で打ち消された。


「だが……あいつに会うのは怖い……あいつに会ったら――」


真っ直ぐわたしを見てそう言った雅治の姿に、平常心でいられなかった。

過去の話を聞いている間にも、酷い嫉妬に幾度と無く襲われた。

好きな女には冷静になれないと言われた時も、あいつには醜い自分を見せたくなかったと言われた時も。

傍にいたかった、あいつを好きだったと言われた時も。

その目に、雅治がわたしに伝えた彼女への想いを聞いている時と、同じ胸焼けを覚えたのだ。


「――どうなるかわからんよ、俺……」


お前を哀しませる結果が待っているような気がして、怖い……そう言っているような雅治の瞳を……わたしは、震える心で見ることしか出来ずにいた。





to be continued...

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