きみが慾しい_09


このまま静かな時間をただひたすら耐えていけば、僕の想いはいずれ消えていくのだろうか。

消せる気がしなくても……?

誰もが言う時間の解決には、一体どんな根拠があるんだろう。

今すぐにそれを知りたい……ねえ、誰か教えて。















きみが慾しい













9.





伊織がバイトを辞めてから、もうすぐ一ヶ月になる。

突然、その日に店長から聞かされた時、僕は彼女にとって意味の無い人間になったような気がした。

僕に何も言わなかった伊織の心が、今、どこにあるのかわからない。

少しだけ強く責めてみても、うまくはぐらかされただけで……どうして、言ってくれなかったんだろうと思う。

最後に何かあげたくて休憩中に買ってきた花束も……結局は無駄になってしまった。

彼女は終業と同時に、いつのまにかお店から居なくなっていたから……。


そんなこと、ぐじぐじ考えてしまう僕は勝手なのかもしれない。

彼女の手を離したのは僕で、離れた瞬間の、少しだけ寂しげな表情は今も鮮明に僕の中にある。

どんな形であれ付き合っていた僕らに、確実に情はあったから、当然なのかもしれない。

だからなのか、忘れようと毎日思えば思うほど、伊織のいまが気になる。

笑っているだろうか。疲れて無いだろうか。たまには僕のことを、思い出してくれるのかな――?


「あー!思い出した!去年じゃんそれ!でしょ!?桃!」

「そッスよ〜!あの時のバーガー代、結構でかかったんスから。英二先輩、見かけによらず食いまくるからな〜!」


僕の思考を読み取られたのかと思って、はっとして、すぐにここが部室だったことを僕も思い出していた。

結局は未練たらたらな自分に少し自嘲気味に笑いながら耳を傾けると、どうやら英二と桃が懐かしい話で盛り上がっているみたいだ。

もうすぐ全国大会が始まるから、チームメンバーとはほぼ毎日顔を合わせてる。

賑やかな部室は、僕の安らぎの場でもある。


「ねえ不二も覚えてない?去年の今頃さあ、桃が掛けに負けてさ!」

「僕も奢ってもらった気がするよ。確か、ホットチリバーガー3個とポテトフライを2つ」

「そうそう、不二先輩も意外に食うから……ってか不二先輩、あの賭け参加してませんでしたよね?」

「そうだったかな?もう忘れちゃった」

「カ〜!調子いいぜ全く!」


仲間とのコミュニケーションには、いつも癒されている。それはプレイしている時も同じ。

どんなに悩んでいても、テニスをしている時は吹っ切れる……それも、このチームメイトのおかげ。

いつもありがとう……なんて、こっそり心の中で言ってみたりして。


「……なあ不二ぃ!」

「うん?」


英二が突然、僕の背中をぽんっと叩いて機嫌を伺うような声を出してきた。

首を傾げて見ると、満面の笑みになった英二は、「お腹空かない?」と僕に投げかける。


「……え、うん、まあ、お昼だから……そうだね。そろそろご飯食べたいかな……」

「よーし!今日バイトないって言ってたよねん?ならオレと付き合ってよ!」


「それは勿論、いいけど……」

「よーっしゃ決まり!」


部活が終わってからは大抵、面倒見のいい英二は後輩達とどこか行くのに、今日は珍しく僕に声を掛けてきた。

もしかして、お金に余裕が無いから僕に奢らせよう、なんて思ってないよね?……うーん、有りえるかも。


「あ……なに不二、その目!」

「ううん。まあ、行こうか」


「今なんか疑ってたんじゃないの〜!?不二〜!」

「疑ってなんかないよ。ほら、行こう?」


テニスバックを持った僕と英二を、笑いながら後輩達が送り出してくれた。








ここのパスタ、超〜美味しんだよ!!

と、英二に連れられてやってきた喫茶店。

パスタだけじゃ終わらない英二は、当然のようにパフェを頼んで、それに目を爛々とさせていた。


「ねえ英二、そこ、ちょっとちょうだい?」

「いよん!あ、待って待って!このチョコつけたほうがオイシっから!はい!」

「こんなに?ふふ、ありがとう」


スプーンいっぱいにパフェを掬って僕の口に運んでくれた英二に笑うと、英二は何故か満足そうに頷いてジュースに口をつけた。

普段はあまり食べないパフェも、時々食べると甘さが疲れに効くのか、本当に美味しい。


「なあ不二」

「うん?」


「なんか、やっ〜と不二のちゃんと笑った顔見た気がする、オレ」

「え?」


突然告げられたその言葉に顔をあげると、英二は真面目になるでもなく、笑顔のままだった。

だけど、声のトーンが少しだけいつもより落ち着いて、目の奥の真剣さが僕に伝わる。

このとき初めて、英二が今日僕を誘った理由がわかった気がした。


「なんかね、オレ、他のヤツらのこととかあんまりよくわっかんないンだけど……中学ン時から不二が元気ないのだけは、昔からすぐわかるんだよね〜!」


ヘヘヘ、と照れくさそうに頭を掻いてから、またパフェに向き合う。口に運ぶ。美味しいと呟く。

いつもと何も変わらない英二なのに、いつもよりも僕が、はっきりと捉えられている気がする。

心を衝かれた気がして思わず口を噤んだ僕に、英二は様子を伺うように、ぽつりと呟いた。


「…………」

「最近、ずーっとヘコンでたっしょ?不二……」


「……ん、……」

「あ、別に話せって言ってんじゃないかンね!ただ、今の一瞬だけでもそれ忘れてくれたなら、満足かな〜って、思ってるし……あ、結局、この会話で思い出させちゃってるんだけど……あー、オレ駄目だな。なんかうまく言えない!」


そういえば、前にも似たようなことがあった。

僕が落ち込んでいる時、英二は決まって、僕を元気付けてくれている。

ちょっと前にもあったし、ずいぶん前にも、何度もあった気がする。

鋭いんだよね……、意外と……なんて言ったら怒られちゃうかな。


「ん〜、ん〜……あのね不二!オレ、別に詮索しようとか思ってンじゃないんだよ?だけど、なんか今回の不二の落ち込み方は普通じゃない気がしててさ。オレが勝手に思い込んじゃってるだけかもしんないけど、オレはすンごいそう思うから、今日は我慢しきれなくて誘っちったんだよね。……その、嫌なこと言ってたらゴメン……にゃ」

「ううん、英二、大丈夫。いつも僕のこと心配して、元気付けてくれてるの、わかってるんだ。本当に嬉しいし、……英二に少し、聞いて欲しくなったよ……僕の話」


打ち明けるようにそう言ったら、英二は途端に慌てだした。


「あ……ふ、不二、本当に、無理しなくていんだかンね!それにオレ、相談とか向いてないかもよ!?」

「ううん。聞いてくれるだけでいいんだ……どこかでこのチャンスを、待っていたのかもしれないよ、僕は……」


自分が情けなくて、あの日からのことを誰にも言うことなく過ぎていった日々。

僕は独りで考えて、独りで悩んで、独りでどうにも出来ない時間を呪っていた。

本当にどうにも出来なかったのかな?

僕には、仲間がいたのに……いつも僕の味方だと、僕を勇気付けてくれる仲間がいたのに。

相談は、答えを求めているわけじゃない。

誰かに聞いてもらって、その澱みを共有してもらうことで、少しだけ、自身が楽になるためだ。

だから英二には、その澱みを少し受け取ってもらうことになっちゃうけど……ごめんね英二。甘えさせて。







「それきり、会ってないんだ?」

「うん……連絡も……ちょっと、勇気出ないんだ……」


最初から……ようやく話し終えた頃には、英二のパフェは無くなって、余ったアイスは溶けきっていた。

何度も相槌を打ちながら、時おり、ぽかんと口を開けて、だけど黙って聞いてくれた。

僕がずっと伊織を好きだったこと。

仁王と別れてから、僕と付き合うまでの時間のこと。

あの練習試合の日……戻ってきた伊織に、別れを切り出したこと。

僕に別れを切り出すだろう伊織を、僕はもうこれ以上、苦しめたくなかった。それだけだった。

最後まで、一切言葉を挟まなかった英二が口を開いた時、僕は緊張していた。

なんて、言われるだろうって。


「……不二」

「うん」


「オレ、率直に言っちゃうね」

「うん」


英二はひとつ深呼吸をしてから、目の前のパフェを横に避けて、僕の目を見た。

その表情に、もう笑顔はない。緊張が、余計に高まった。


「オレ、初めて思ったよ」

「え?」


「不二、バカだなーって」

「…………そう、だね」


納得するように呟いた僕に、英二は、


「違う、お前わかってない」

「……っ」


絶句した僕に、直後、目の前で両手を合わせて、ゴメン、と謝る。

だけどね、と続く英二の言葉に、僕は神経を集中させる。どうしてか、胸が苦しくなってきた。

英二が伝えようとしてくれていることに、感情が震えてしまいそうだった。


「オレがバカだなって思うのは、不二が何もかも決め付けちゃってるってこと。だってその、伊織ちゃんってコが仁王と話した後に仁王が今の彼女選んで、伊織ちゃんてコが不二に戻ってくるって、不二はなんとなくわかってたって言ったじゃん?」

「うん……うん」

「ね、不二さ。オレも、話聞きながら、そうじゃないかな〜って思ってたンだよね。そこは一緒。遊園地の話とかもだし、仁王の彼女がバイト先に来たときの話ンときも思ってたんだよ」


なんでかわかる?

首を傾げる英二に、僕は力なく首を振った。

英二はすぐに、そこが、違うンだよね、と呟いて、しょうがないのかも……と前置きした。


「好きな人のことって見えなくなっちゃうンだよね。オレもそうだから人のこと言えないんだけどさ。だから客観的に聞いてオレが考えた彼女の気持ち、不二に教えるね。オレね、伊織ちゃんってコが戻ってくるとは思ったけど、不二に別れを言いに戻ってくるなんて、お前みたいにひねくれた考え方してたわけじゃないんだよ。オレはね、伊織ちゃんってコ、不二のこと、とっくに好きンなってたんじゃないかなって思うんだ」

「え……」


「それなのに、不二は彼女が別れを切り出すだろう、そうなったら彼女は自分を責めるだろうから、ボクから別れを言い出そう、そしたら綺麗にまとまる、なんてさ……バカみたいジャン。ねえ、不二が考えてるような、情とかじゃなくて。伊織ちゃんってコ、ちゃんと、不二のこと好き好きーってなってたと思うんだ。お前がそやって決め付けてる間に。不二にそれが見えなかったのは、何度も言うけど、お前が彼女の気持ち勝手に決めちゃってたからだよ」

「僕が、勝手に……?」


頷くようにしてジュースを口に含んだ英二は、少しだけ口を尖らせながら言った。

はー、ちょっと言い過ぎたかにゃ……と、独り言のように言う。


「んにゃ、オレはね、だから不二が悪いって責めてンじゃなくて、それもしょうがないと思う。だって不二はずっと片想いしてたんだし、もしオレが不二の立場だって、同じだと思うし。だけどさ、彼女が仁王のことを忘れるはずがないって、不二が思い込んでたら、彼女が不二のこと好きだって気持ちも、不二に伝えたくても伝わらなかったんじゃないかなって思うんだよ。だとしたら、彼女が不二に黙ってほいほいバイト辞めちゃった理由も、わかる気がしない?だって伝える前に、お前に拒絶されちゃったんだよ、伊織ちゃんは……傍にいるの、辛くなるジャン」

「伊織が僕のこと……好きだったって言うの?」


俄かには信じられない気持ちで英二を見つめると、それに不二、優しいから余計に辛かったんじゃないかな〜と、はぐらかすように言う。

困惑したままそれでも英二を見つめていたら、英二は厳しい表情になって僕に身を乗り出してきた。


「だって不二はさ、好きでもない人とキスしたりすんの?しないジャン」

「ッ……それは、そうだけど」


「デートは?しないジャン?」

「しないけど……」


「好き、なんて言える?」

「言えない、けど……」


「じゃあナンだよ。自分はそんなことしないけど、伊織ちゃんってコはそういうこと平気で出来るコって思ってンの?不二は」

「そんなこと思ってないよッ……でも……!」


今度は英二が首を振る番だった。

反論しようとする僕を止めるように、首を振る。

気付け不二、そうじゃない……そう、英二の言葉が僕に流れてくるようだった。


「最初は、伊織ちゃんてコも、気付いてなかったのかも。不二の彼女になるって決めた時はまだ、仁王のことで頭いっぱいだったかもしんない。でも、不二と付き合っていくうちに、忘れるようになってきてたンじゃないの?だって好きって言ってくれたんでしょ?不二、なんでそれ信じないの?てか、仁王との話し合いに応じたら、やっぱり仁王のことが好きってことになんの、おかしくない?それ、どんな計算?人の気持ちって、そんな単純な計算じゃないじゃんか」

「…………」

「それって、不二が勝手に決めた結論でしょ?じゃあ不二が、前の彼女と話し合うことになったら、不二、前の彼女こと、やっぱり好きだって思ってることになっちゃうワケ?違うジャン。違うっしょ?」

「……それは、そうだけど……」

「だとしたら、ひょっとして、伊織ちゃんは仁王との関係にはっきり終止符打ちたかっただけかもしんないよ?今の恋人を選ぼうとしてたのは、仁王だけじゃなくて、伊織ちゃんだって同じだったかも」

「……っ……」


僕はあの日、どんな結果になっても、優しい伊織のことだから、僕をもうこれ以上傷付けないように、僕に別れを切り出してくるだろうと思っていた。

違う、あの日の伊織との運命は、それしかないと決め付けていた。

仁王はきっと今の彼女を選ぶだろう。振られた伊織は、僕の元へ戻って、僕に別れを切り出す。

別れを告げるのは、辛い。僕を散々利用して、傷付けてしまったと、彼女はきっと自分を責める。

僕はそんな風に自分を責めて欲しくなくて、彼女が切り出す前に、僕から別れを切り出した。

そうだ、伊織は僕の中で、必ず僕に別れを切り出すことになっていた……でも。

誰が決めたんだ、そんなこと……僕が、勝手に思い込んでいただけだ。

僕は、僕を選んで戻ってくるなんてことがあるはずないと、確信めいた気持ちで、僕自身を煽っていた。

さも吉井と付き合っているような素振りで、伊織を遠ざけた。別れ易いように。

伊織もそれ以上は、何も言わなかったし、納得した。喜んでさえいるようだった。

そして、安心した表情を見せて、帰って行っただけ……本当は、泣いてたかもしれない?

ねえ伊織……あの時、君は僕に、違うことを伝えたかったの――?


「……英二、僕……」

「うん……まだ遅くないと思うけどなー。でもオレこれで間違ってたら、散々偉そうにしてたくせに責任持てないけどねん!にゃは!あーでもね、不二……絶対言えるのは……」

「……うん?」

「不二にそこまでされて、惚れない女なんかいるわけないじゃんってこと!」


にゃはー!オレ、かっこいいー!

照れ隠しのように言った英二は、オレも恋したいよー!と大声で言って、他のお客さんの注目を浴びていた。

笑った僕の顔を見て安心したような顔を浮かべた英二に、ありがとうと告げて、注目に恥ずかしくなった僕は、そろそろ出よう?と促し、伝票を手に取った。


「え、不二、いーよ!」

「ううん。奢らせて。英二に話して良かった。すごく大切なことを教えてもらったよ」

「ホント?へへ、良かった!ラッキー!奢り奢り〜!」


英二は歌いだしそうな勢いで、僕の隣でごきげんを振り撒いた。

会計を済ませて外に出た時、思いついたように空を見上げた英二が、酷く大人に見えたんだ。


「不二」

「うん?」

「ならもひとつ教えちゃうね」

「う、ん?」

「嘘は、ダメだかんね!」









英二に相談してから、一週間が過ぎた。

明日行こう、今日連絡しよう……そんな風に思っているうちに、時間が過ぎてしまった。

バイトや部活で忙しくて、少し余裕がないという理由もあるけれど……そんなの言い訳かな。

何度も頭の中でシュミレートしては、大丈夫だと言い聞かせている自分に呆れてしまう。

今更、やっぱり君が好きなんだと言ったところで、信じてもらえるのか、不安になっている。

だけどまだ遅くないと言ってくれた英二の言葉が、僕を強くさせているのも事実だった。

明日は土曜日だ……明日こそは、と今日の朝から何度決心したかわからない。

でももうこれは、うまくいく、いかないの問題じゃない……すでに伊織に、他の人が居ても、仕方ない。

だけどもしも、少しでもチャンスがあるなら、僕は彼女に思いを伝えるべきだ……後悔、しないために。


「不二!」

「……やあ、吉井。久しぶりだね」


「うん……あの、ちょっと話があるんだけど、いい?」

「うん?」


放課後、部室に向かう途中だった。

廊下で僕を呼び止めた吉井が複雑そうな面持ちで僕を人気のない教室に誘った。

この頃、彼女は氷帝の宍戸と付き合いだしたみたいで、いつもすごくいい笑顔をしていたから、彼女のこんな暗い表情を見るのは本当に久しぶりで、少し怖くなった……何が、あったんだろう?


「不二さ、落ち着いて聞いてね」

「なに……?」

「佐久間さんの、ことなんだけど……」


目を見開いた僕に気付いたように、吉井は一瞬目を逸らして、俯くような仕草で深呼吸をした。

僕の胸の鼓動がけたたましく波を打つ。

どうしてそんな顔をしているの?

それに、どうして吉井から、伊織の名前が出てくるの……?

会釈くらいしか、したことないよね?

聞きたい言葉を全部我慢して、僕は吉井の言葉を待った。

慌てなくても、話があると言っているんだから、いずれ聞ける……ねえ、早く話して……。


「ごめん、あたし……ずっと、黙ってて……」

「なあに?」


「三週間前くらいに、偶然、亮とデートしてる時に佐久間さんに会ったの。呼び止められて、あたし」

「うん、それで?」


黙ってたことを聞きたくて気持ちが逸る。

僕自身、いつになく早口で彼女の言葉を責めるように促していた。


「佐久間さん、あたしに、不二と付き合ってないの?って聞いてきたんだ。だから、付き合ってるわけないじゃないですかって言ったの。その後、少し不二のこと聞かれて、いろいろと話して、バイバイしたんだけど、その時……」


吉井の言葉が詰まった。

なに?と急かすと、目をきょろきょろさせながら、口にするのを躊躇うように唾を飲み込んだ。


「佐久間さん、いきなりしゃがみこんじゃって……」

「え……」

「痛い、痛いって言い出したの。亮もあたしもびっくりして、どうしたの?大丈夫って聞いたら、大丈夫って頷くんだけど、本当にすごく辛そうで……でも、その時、佐久間さんが逃げるように帰っちゃって」


胸の鼓動が身体中を駆け巡っているようだった。

ここから先、僕は聞いて、自分がどんなショックを受けてしまうのかが怖くて、耳を塞いでしまいたくなった。

吉井がこんな話を苦しそうな顔でするのは、きっと良くないことだって、わかってるから。


「だけどやっぱり心配で、あたし、それから一週間くらい経って、彼女に連絡してみたんだ。連絡先、ちょっと話したときに聞いたから……そしたら、佐久間さんの、お母さんが出て……」

「え……」


「今、ちょっと病院で検査中だって言うの。だから本人は出れないって。それで、入院することになったから、良かったらお見舞いにでも来てやってくださいって……」

「待って、ねえ、入院って、どこが悪いの!?」


耐えれなくなって、僕が揺さぶるように吉井に聞いたら、吉井は僕の腕からすり抜けるように床にへたり込んで、泣きじゃくりだした。

ごめん、ごめん、黙っててごめんと僕に訴える。

違う、聞きたいのはそんなことじゃないよ!


「ほ、本人が、大袈裟にしたくないから、絶対に、ふ、不二にだけは……周助にだけは言わないでって……それであたし、い、言えなくて……もしかしたら、麻痺が残っちゃうかもしれないって……そんな状態で、周助に会うの辛いから、絶対に言わないでって……うっ、う……あ、あ、あたしが初めて行った時は、全身麻酔かかってて、全然、まともに、話できなくて……っ」


頭が真っ白になった……――麻痺が残る?全身麻酔?

僕の思考を目まぐるしくいろんな病名が駆け抜けていく。

泣きじゃくる吉井の傍で、僕だってへたりこんでしまいたい気分だった。

その時、吉井が泣きながら自分の制服のポケットを弄った。

出てきたのは、小さく折り畳まれたメモ用紙……病院の名前と、住所が書かれてあった。


「お願い……すぐ行ってあげて……!」


吉井が悲痛な声を出して僕に差し出したそれを、毟り取るようにして教室を飛び出した。

走りながら大学病院に向かう間中、伊織の笑顔だけが、僕の頭の中を支配していた――――。





to be continue...

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