ファットボーイ&ファットガール_07


「おっはよ!」

「!……お、おはよ千夏……なんか元気だね。やたら」


「うん、今日はね、今のうち伊織とじゃれとこうかなってね」

「え?」















ファットボーイ&ファットガール















7.





練習試合当日。

コートに向かう途中で、わたしを見つけたんだろう千夏が後ろから声をかけてきた。

勢い良く肩を叩かれて目を丸くする。

このしゃかりきなテンションは、きっと今日という日に怯えていたからに違いないと思うのだ。


「言いつけ通り、お弁当作ってきた?」

「作ってきたよ……本当に面倒くさかった……」


「またそんなこと言わない。丸井くん喜ぶよ!」

「千夏は?作ってきたんだよね?仁王と一緒にご飯するんだよね?」


昨日の夜に千夏から電話があって、必ず丸井くんのお弁当を作るようにと念を押されていた。

本当に面倒だから嫌だったのだけど、彼女なんだからそれくらいしろと怒られてしまい、わたしは珍しく千夏の言いつけを守り、恥ずかしながらも彼女らしいことをしてみた。

当然、千夏も作ってきたんだろうと不安ながらに問いかけると、千夏はにっこり笑った。

その笑顔に、ほんの少しだけほっとする。だけど……仁王とはどうなっているんだろうか。

テスト週間ということも手伝って、この頃は千夏ともまともに話していなかった。


「するよ!だけど、今日はふたりきりでします」

「え……」

「だから伊織は丸井くんとふたりっきりで食事してね!よろしく!」


嘘でしょー!と言うために吸い込んだ息は、胸の奥で待ったをかけたのと同時に飲み込んだ。

別に非難するほど嫌なことでもない。

それに、千夏が仁王とふたりきりで食べると言った意味を考えると、頷ける部分があるからだ。

今日だからこそ、ふたりきりでいるべきなんだ……。

千夏のその心境を悟って、わたしの胸が切なくて締め付けられそうだった。

千夏は覚悟してる……仁王と別れること。


「それと、昼休み後は雅治すぐに試合で、終わったら例のアレがあるわけよ」

「……うん」


なんでもないことのように言う千夏の視線は真っ直ぐにわたしを見ていたけど、わたしはうまく見返すことができずにいた。

飄々とした態度を取る千夏を見ているこっちが辛くて、泣いてしまいそうになる。


「でね、わたしその時、ちょっと話したい人がいるから、伊織とは昼休み前で解散したきり会えないと思う」

「……あ……そう、なんだ……」

「そう。なのでよろしく」


自分の未来を予測して、わたしとは顔を合わせないつもりだ。

仁王と別れた直後でわたしに会うのは辛いと考えているのか、わたしとブン太に遠慮しているのか……。

だけど恐らく、そのどちらの気持ちも彼女の中には存在しているんだろうと思った。

そんなのどうだっていいと、どうして甘えれないのだ。不器用すぎる。

そこが、良くも悪くも、仁王に捨てないでと言えない千夏の強さ……いや、それは弱さでもある。


「きちんと連絡しますので、心配しないように。あ、ほら!丸井くん見つけた!」


何が、ほら、なんだ。と心の中で反論した。

本当なら、こんな状態の千夏を支えることが出来ていたかもしれないのに。

そう思われるのが重たいんだとでも言いたげな千夏は、一切わたしに相談しなくなったじゃないか。

何かと言えば「丸井くん」だ。

ブン太とわたしのことはほっといていいんだ!わたしらのことはわたしらでする!

だから自分のことだけ考えて、とにかく無理だけはしないで欲しいのに!


「伊織?」

「え!」


「おはよっつってんのに、無視かよ?」

「え、あ、おはよ……あれ?千夏は?」


いつのまにか目の前にいるブン太が、はあ、と溜息をついたよりも少し離れた場所で、千夏は相変わらずの笑顔を振り撒いて仁王へと駆け寄っていた。

傍から見たら全くなにごとも無かったように感じさせるあのふたりはやっぱりすごいと思う。

そこでまた、上から、はあ、と溜息が聞こえた。


「俺、久々に顔見せてると思うんだけど」


ブン太は少しだけ口を尖らして、わたしの目をチラッと見てからすぐに逸らした。

いきなりその不機嫌な感じは何……ああ、わたしに怒っているのか。


少しだけ口を開けて考えて、「久しぶりだね」

「……そうじゃねえだろぃ」


さっきの千夏の真似をしてにっこりと笑ってみたものの、ブン太はもう一度、はあ、と溜息まじりに頭を掻く。しつこいヤツ。

なに。どうしたらいいの。久しぶりだよ。だから久しぶりだねって笑ったんじゃんか。


「んじゃ俺が手本な」


ブン太はそう言うと、すーっと鼻から深呼吸をして、ゆっくりわたしを見据えた。

どことなく薄い黒目がわたしを捕えて、外野からは全く関係のない声がちらほらと聞こえる。

でもそのちらほらは、一瞬にしてわたしの脳から消え去った。


「会いたかった」

「っ!」

「……すっげー、長かった。二週間……」

「ブ、ブン太……待っ」

「超、会いたかった。お前は?」


これはわたしの熱なのか。

それともただ気温が高いだけなのか。今だけ?急に?そんなわけない。これはわたしの熱だ。

頬が一気に赤くなっていく自分を皮膚で感じて戸惑ってしまう。

お前は?って?なんでわざわざこんな人がいるとこでそんなこと確認しようとするんだ!


「なあ、伊織。お前は?」

「そ、あ、そんなのは……」

「そんなの?」


会いたくなかったかなんて嘘になる。

現にわたしは今日、ブン太に久々に会うのがちょっとだけ楽しみだった。

少し、意識し始めた証拠だ……それは自覚してる。

朝だって、なんだかんだ言いながらお弁当を作り終わった後、喜んでくれるかな、とか、考えて。

今だって、お弁当の時間、待ち遠しかったりは、……したりする。少し、少しだけだけど!!


「い、いっ」

「ああ、一緒っつーのナシ。ちゃんと言ってくんねーとヤだから、俺」


ぐ、と声が喉の奥で詰まる。そういうとこだけは見透かしてるんだ。

わたしの気持ちがどうであれ、ブン太の目は、「会いたかった」と言わなければ開放してくれないという意思に満ち満ちている。


「だ……だから、あ……ああ会いたかったよ……」

「……ホント?」


目を逸らして二度ほど頷くと、ブン太は縦にした握りこぶしを口元に当てて少し俯いていた。

何を考え込んでいるのだろうと顔を覗き込もうとしたら、僅かに口の端が上がっていることに気付く。


「……嘘でも、嬉しい」


大人になりかけている少年の笑顔にブン太らしさを感じて、意味もなく咳払いをした。









朝の試合が一通り終わって、幸村の声で休憩の放送が流れた。

トーゼン、全試合俺らの勝ち。俺らっつーのは、俺とジャッカル。

チーム自体には不覚にも負け試合があった。でもまあ、柳が故障してるし、幸村出てねえし。しゃーない。

とにかく俺はダブルスで勝って、シングルスでも勝って、とりあえず伊織の唇に一歩近付いたってことだ。

あとは後半の二試合を残すのみ!


「伊織?なあ、昼飯……おう、うん、わかった!すぐ行く!」


電話越しに聞こえる声だって愛おしい。

伊織が俺の試合をどっから見てたのかは試合に集中し過ぎてたのと客の多さでわかんなかったけど、絶対見てくれてるって思ったらいつも以上に調子が良かった。

そんな俺にジャッカルも煽られてうまくいった。ま、別にそんなことなくても俺は天才だから勝てるんだけど。


「ブン太、調子いいと思ったらそういうことだったのか?」

「ジャッカル〜、やっぱ恋しなきゃダメだよな!恋ってサイコー!」


「付き合ってても振られてるようなもんだってこないだまで言ってなかったか?」

「まあな。まだ彼女に片想い中って感じだけど。でももうすぐ両想いになってみせっから、黙ってみてろぃ」


呆れて笑うジャッカルに手を振って、俺は伊織の待つ校舎前に向かった。

伊織は俺を見つけると、笑いもせずに軽く片手を振ってきた。

……こういう感じが、まだ片想い中ってビリビリ伝わってくるんだよな……いいけどさ、別に。


「ごめん、待った?」

「ううん。どこで食べる?」


「あー、じゃあ、一番上まで上がんねえ?誰も居ないほうがいいじゃん?」

「別に誰か居てもいいけど」


俺は人差し指を空に向けてそう提案した。

この校舎は基本的にいつも人がいない場所だし、別に一階でもいんだけど、たまに教師が歩いてたりするし。

でも伊織は、むしろ人が居てくれた方がいい、くらいの態度でそう言ってくる。

……心なしか、俺と付き合うようになってからどんどん冷たくなってる気がすんだけど。気のせいか?

さっきの「会いたかった」は、やっぱ強制だったかも……一瞬、顔を赤くした気がしたんだけどな。


「ところでブン太」

「ん?」


「お昼ご飯、持ってきてる?」

「え……おう、えっと……」


チラリと俺のテニスバッグを気にするようにして、伊織は少しだけ目を泳がせてそう聞いてきた。

今日は適当に弁当2個くらい買って、菓子は5個くらい買ってきた。

もしかして忘れたとか……?だったら、伊織に弁当一個やれるし。


「コンビニ寄ってきたから。えっと、炭火焼牛カルビ弁と――」

「――それ、賞味期限いつまで?」


「へ?」

「……その……わたし、今日……」


最後の階段のとこで立ち止まって、テニスバックを探る俺を横目で見て、右手に持ってた手提げの可愛らしい袋をゆっくりと上げて、俺の目の前に掲げた。

もしかして、って思った時は、嬉しくて、あっという間に首が熱くなってきて。


「伊織……」

「ブン太の口に合うか、わかんないけど!」

「あ……合うに決まってん――!」


すっげー嬉しくて、伊織の手を引いて抱きしめようとした寸前だった。

いきなり現れた人影がテニスバックにぶつかってきて、俺の体ごと大きく揺れた。

危うく階段から足を踏み外しそうになる。俺は咄嗟に手すりに力を入れて、その男を振り返った。


「ってえな!!」


でもその人影は、謝りもしなければ俺を振り返りもせずに全速力で階段を下りていった。

昼休みだっつーのに何急いでんだが、俺が頭に来て大声を出す寸前だった。


「こっの……!」

「大丈夫ブン太?」


「……っ……お、おう……大丈夫」

「失礼な人だね、謝りもしないで!何考えてんのあいつ!!ブン太が階段から転んだらどうするつもり!」


俺のことで怒ってくれてる伊織を見たら、馬鹿馬鹿しいけど嫌な気分はどっかに飛んでって。

俺はもう一度、伊織の手を取った。

そのことに、はっとする伊織が、めっちゃくちゃ可愛いし、愛しい。


「弁当、伊織の一番に食べるから」

「え、い、一番?」

「全部で弁当3個……全然いける!」

「ええ!?」

「まっかせろぃ!」


そう言ってどさくさに紛れて、伊織を引き寄せて抱きしめた。

何の抵抗もしない伊織の体は、最初はちょっと強張ってたけど、「マジで嬉しい」って俺が呟いたくらいから、ゆっくりと力が抜けていったような気がした。

でもそれは、俺に身を委ねてるってわけじゃなかった。

トントン、と俺に気付かせるように、伊織が俺の背中を叩く。


「ねえ」

「へ?」

「……そこ、何か落ちてる」










落ちていたのは消しゴム程度の大きさの、チップだかカードだか、よくわからないものだった。

厚さは1cmにも足らず、表面だと思われる方には白黒の液晶画面が6桁の数字を表示している。

その数字は1分ほど経つと、全く違う数字になるのだ。どうやらランダムに6桁を表示しているらしい。

もっと細かく言えば、6桁というよりも、3桁が2つだ。

さっきまで「945 081」と表示されていたが、見ているうちにそれは「424 108」になった。

なんなんだろう、これは。また変わった。今度は「519 764」だ。


「なに見てるの?」

「わああ!!」


立海の試合を見ながらもさっき拾った不可解な物体を気にしていると、後ろから突然声をかけられた。

必要以上に驚いたのは、声をかけてきたのが恐怖の幸村だったからだ。

ここは完全に観客席だというのに、アンタこそこんなとこで何してんだと言うのはやめておいた。


「ああ、いや、あはは。いや、なんでも」

「ふうん?面白そうだねそれ」


「いや、面白くはないと思うんだけど……ていうか幸村、試合出ないの?」

「うん、今回はね。練習試合とかはなるべく出ないようにしてるんだ。ちょっとそれ、見せてよ」


幸村の過去の病気に関係しているんだろうかと思いながら、聞くのはやめておいた。

言われるがままにチップのようなカードを渡すと、幸村は興味津々の顔をしてそれを眺める。

裏返しにしたり、表の白黒液晶をずっと眺めたりしながら何がおかしかったのか、ふっと微笑を漏らした。


「ブン太とうまくいってる?」

「え!」


チップカードを熱心に見ながら突然そんなことを聞かれたわたしは、丁度いま試合しているのがブン太だと言うこともあって、跳ね上がるほどに驚いた。

わたしとブン太が付き合っていることを知らないとは勿論思っていなかったけど、この人そんなことに興味あったんだという発見と、妙な違和感。どぎまぎしてしまう。


「この試合、負ける」

「え?」


胸の中でしこりを覚えて幸村に顔を向けると、彼はわたしの方を見ないままチップカードを返し、真っ直ぐと目の前の試合を見やった。

負ける……?どっちが?


「ブン太、負けるよ」

「え!?」


「この試合に勝てば、ブン太だけで言えば全勝だったのに、惜しいけどね」

「ちょちょ、まだ、わかんないでしょ?」


ちゃんちゃらおかしいという気持ちと、チームメイトなのにキャプテンのあんたが諦めるのか、という微弱な怒りが頭の中を支配して、から笑いをさせられた。

でもそんなわたしに、幸村は優しく微笑んで、宥めるような声色で言った。


「ブン太はね、ああ見えて実はすごく神経質なんだ。本人も気付いてないけどね」


神経質、という言葉に口を僅かに開いたわたしにもう一度優しく微笑んで、幸村は続けた。


「プレッシャーには強いけど、認めて欲しいなんて願いを誰かにかけてたとしたら全力を出せない。ブン太が試合中に他のことを考えているわけじゃないんだ。でもブン太は自分自身でも気が付かないところで、おかしな不安を引き起こしたりすることがある。試合に負けたら、格好悪いところを見せたら、今以上に遠ざかっていくんじゃないか……そんな過度のストレスがあったとしたら、ブン太は全力を出しているつもりでも体が言うことを利かないんだ」


幸村の努めて穏やかな口調でそう言ったけれど、わたしはそれを聞きながらに顔を歪ませていた。

彼が何を言わんとしているのか、わかっているつもりだった。

ブン太は全部の試合に勝ったら、キスさせろって言ったけど。

本当は、そんなのちょっとした賭けで、彼の心の奥底には、勝たなきゃならない理由があったんだ。

キスは、もしかしたら自分を煽るため。ブン太自身気付いていないのかもしれない。

負け試合なんか、絶対に見せたくない……見られたくないんだ。


「普通の付き合いなら、そんなストレスなんてないんだろうけど」

「……普通じゃ、ないから?」

「ブン太のこと不安にさせてないって、言える?」

「……っ……」

「ブン太はモテるから、今みたいな恋愛したことないんじゃないかな。いつも、全力で自分を好きだって言ってくれるコばっかり相手にしてきたんだと思う……だから、初めてなんじゃないかな……」

「初めてって……」

「……不安にさせられるほどの、恋がね」


幸村がわたしを責めているわけじゃないのは、わかっていた。

幸村の口調が穏やかなのは、きっと、だからブン太の負け試合を見ても彼を認めてやって欲しいという忠告。

そんな根回ししなくたって、勿論わたしは、ブン太を見限ったりしない。

でも、彼だってわたしが見限ると思ってるから言ってくれているわけじゃない。

教えてくれたんだ、ブン太のこと……何もわかってないわたしに。


「ねえ、それ、どこで拾ったの?」

「え……あ、昼休みに、5号館4階の踊り場……」

「それ、RSAっていうんだよ」


ふふ、と笑って去っていった幸村の背中を見ていたら、背中から試合終了の声が響いていた。

咄嗟に視線を戻した先には、コート内で仰向けになっているブン太の姿があった。










試合が終わって、俺は真田に殴られて。

肩で息をしながらコートから外に出た。

殴られた俺を面白そうに見る目も、心配そうに見る目も、どれもマジでめんどくせー。

菊丸がシングルスで出てくるとは思ってなかった。

菊丸も俺がシングルスで出てくるとは思ってなかったみてーだけど。

とにかく……絶対勝てる相手なのに、俺は負けちまった。マジで!未だに信じられねー!


水場まで行く途中、何度も、俺に声をかけようとして躊躇う女子達に出くわした。

「丸井先輩……!」までは相手も気付かずに駆け寄ってくる。

でも俺がむっとした顔を上げると、そのまま立ち止まって、手に持ってたタオルを隠すようにして黙って俯く。

本気でめんどくせーから、その度胸ないなら最初から来んな。……とか思う俺って鬼畜?


蛇口をひねって出てきた水にそのまま頭から突っ込んだら、自分に対する怒りと試合で上がった熱が一気に冷めてく感覚が体中を駆け巡った。

はー……ちょっと気張りすぎてた?

チックショウ、伊織、見てたよな?……キス出来ねえし、俺、超かっこ悪りいとこ見られたじゃん。

どうすりゃいんだよ……惚れさせたいのに、情けねえ姿ばっか。

跡部も負けたらしいけど、相手は手塚だし、あいつは殴られはしねえし。

そもそも伊織から好きになってんのに、かっこ悪いとか思うわけねえし。

つか、真田に殴られたとこも見てたかな……あー、マジ、それは無い!


「ブン太?」

「!」


水道水を浴びながらあれこれ考えてたら、伊織の声が聞こえてきた。

やばい、今一番会いたくない……あんだけの見栄切っといて、負けましたとか……無さ過ぎる。


「ねえ、ブン太……」

「…………」


とりあえず蛇口を閉めて、俺は持ってきてたタオルで頭を無茶苦茶に拭いた。

伊織が近寄って来れねえように、水をそこら中に散らす勢いで拭いた。


「……無視、しないでよ」

「……っ」


しょげたみたいな声出されて、俺はつい顔をあげて伊織を見た。

伊織は眉間に皺を寄せて、当惑顔を俺に向けてきていた。

ダサい俺になんて声かけていいのか困ってんの?別れるとか言い出さねえよな?


しばらくの沈黙の後、どうしていいかわかんないのは俺も一緒だったから。

とりあえず、ありきたりな言葉を探して、その場を去ろうとした。


「情けねえ試合、見せ――」

「――そんなことない」


「!」

「全然、そんなことない!ブン太、かっこ良かったじゃん!」


なのに、語尾を強めて、怒ったみたいにそう言って、伊織はむすっとして俺を睨んだ。

逃げるタイミングを完全に失った俺は、ただただ俺を睨んでいる伊織を見つめた。

なんで……キレてんだよ、こいつ……言葉は褒めてくれてんのに。おかしいだろぃ。


「伊織……さ、なんで怒っ……」

「怒ってない!」

「……っ」


え〜……怒ってんじゃん。なんで?


「勝ててたのに!!」


したら、俺の心の声に応えるみたいに、伊織は更に眉間に皺を寄せて俺に近付いてきた。

周りに人が居なくて助かった……女からこんな説教されてる俺なんか、絶対に見られたくない。


「絶対勝つって、約束したくせに!」

「……あ……そ、それは、ごめ……」


「許さないよ!」

「……っ」


伊織は断固として俺に抗議するつもりみたいだ。

でも、こんな怒られるとか思ってなかったし、俺、どうしていいか本当にわかんねえ。


「お弁当だって作ったのにさ!」

「ご、ごめん」


「一生懸命応援してたのにさ!」

「ごめん、ホントごめんけど!でもしょうがな――」


「しょうがないとか言うんだ!?ああ、もう真田ばりに怒ってるから、わたしも殴らせてもらっていいかな!?」

「え……!」


俺の承諾も得ないまま、伊織はぐいっと近寄って手を振り上げた。

なんでだよ……!って言いたいのも忘れて、咄嗟に目を瞑る。

けど、衝撃がくるかと思ったら先に胸倉を掴まれた。

っつかお前平手じゃなくてグーで殴る気かよ!!

ボコボコにされんのかよ俺――!!


そう思ったのは、ほんの一瞬だった。

唇に落ちてきた、柔らかい感触に目を見開く。

視界に入った睫毛のおかげで、そのときやっと事態が把握出来た。


「……っ……」


唇を離しても、頭が混乱してる俺は息を止めたまま伊織を見つめるだけで、何も言えなくて。

伊織も俺を見つめたまま、ただ切なげに目を細めると、そのまま静かに瞼を閉じて、もう一度短くキスしてきた。


「っ、伊織……?」

「……ブン太が……ブン太が頑張ったことに、変わりは無いから……」


小さな声で、自分に言い訳するみたいに。

俺は、すでに両想いって考えてもいいんじゃねえかって舞いあがる気持ちを止めることが出来なかった。

気まずそうに俺から目をそらした伊織の前髪がサラサラと風に揺れて、俺が試合に負けた悔しさも、その風に流されていくみたいで。

伊織のキスは、魔法みたいに優しくて、一瞬で俺を落ち着かせてくれた。


「伊織」

「ん」


「マジ、お前サイコー過ぎるから……っ」

「っ!ブン――ッ!」


思い切り強く抱きしめて、俺からたっぷりのキスをしたら……今度こそ顔を真っ赤に染めた伊織は、俺の背中に、ゆっくり手を回してくれた――。





to be continue...

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