ファットボーイ&ファットガール_08


「伊織、待った!?」

「ううん。大丈夫」


「あー……なんだよお前、またそれ見てんの?」

「うん……なーんか、気になるんだよね」

















ファットボーイ&ファットガール















8.






「気になるのは、俺だけにしろって」

「……!」


昼休み。

無人教室で先に待ってた伊織は俺を耳だけで確かめて背中を向けたまま振り返りもしねえ。

こないだ練習試合で拾ったなんかよくわかんねー消しゴムみたいなのを手の中で意味無く転がしてる。

むかついたから、後ろから抱きしめて、顔を強引にこっちに向かせてキスした。


「……い、いきなりすぎる」

「嫌だった?」

「嫌じゃ、ないよ」

「じゃあ、良かった?」

「そんなの知らないよ!」


顔を赤くしてソッポを向く伊織が、超、超、超、超超超超超かわいい!……モーニング娘か。

いや、でもマジで。

あの日の帰り、手ぇ繋いで一緒に帰って。

家まで送ったら、伊織のおばさん出てきて。

「彼氏です!」って挨拶したら、おばさん、伊織に向かって「あんたやっぱりあたしに似て面食いだねえ」

とか言ってくれて、かなり嬉しかった。幸せってこういうことだよな。なんか、認めてもらえた感じ。

今までの女の家に遊び行っても、嫌な顔される事のほうが多かったし。だから余計に嬉しかった。


「なあ伊織」

「ん?」


「また、弁当作ってきてくんないの?」

「あー……また、機会があればね」


作ってくれる気ねえじゃん。

まあ、別にいんだけど……伊織が俺のこと受け止めてくれてるってだけで、今は。

これからもっと貪欲になんだろな。エッチしたい、とか……言ったら殺されっかな。


「ねえブン太」

「え!!」


「わ……なに……、なんでそんな大きな声出すの」

「あ……いや、ごめん。何?」


エッチな妄想してたらそれを察知したかのような伊織の声が耳の奥まで響いて、俺はびくびくした。

でもその驚きに対して、伊織は俺を咎めた後、はー……と白々しいほどの溜息をついて言った。


「千夏と仁王さ、様子、変じゃない?」

「あー?またその話?」

「だって……」

「変か……?俺、あんまよくわかんねーんだけど」

「……なんか、よそよそしい感じがするんだよ。四人の時」

「それは、俺らがよそよそしくなってんじゃね?ほら、なんつーか、やっぱ出会いがあんなだったし。今こう……付き合ってる感じがさ、なんかさ、照れるっつーの?」


弁当を突きながら口をもぐもぐさせる伊織に、俺はニヤける顔を止めることも忘れてそう結論付ける。


「そういうことじゃないよ、ふたりの距離の話をしてんの」

「……まじめか」

「まじめに話してんの!さっきから!!」


突っ込んでくれたら場は和むのに、伊織はかなりの頻度で、こういう空気を読んでくんねえ。

あれ……?それって俺が空気読んでねえってこと?……まあそんなのどっちだっていんだけど。

伊織は吉井と仁王の練習試合後のことを気にして、翌日の学校ですぐに吉井に聞いたらしい。

で吉井は、「あ、雅治ね、戻ってきてくれた」とあっさり口にしたらしい。

俺も俺で気になってたから仁王に聞いたら、「おう、相変わらず仲良しじゃ」と返された。

だけど、伊織はこないだ四人で取った休憩ん時と、帰り一緒になった時のふたりの様子が引っかかるって……一昨日くらいから言い出した。


「でもさ、元に戻ったんだろぃ?」

「そう言ってたけど……なんかなー……」


気になるんだよ、と言いながら、言葉通りに気になってるんだろう消しゴムをまた弄び始めた。

気になるものが多すぎる伊織は大変だ。


「だから俺のことだけ気にしてろってば」

「……っ……もう、また……」


「俺は、何度だってしたいんだけど……伊織はそうじゃないの?」

「ブン……っ」


悪いけど、うまくいってるって言ってる奴らの何が気になんのか俺にはわかんねーし。

でもって、俺には今、目の前の伊織しか、気にならない。

両手で頬を包んだら、伊織の唇から、甘い吐息が零れ落ちた――。










「ひゃ!」


あの日からブン太は、人がいないとこならどこだってキスを迫ってくる。

その度に柔らかい唇と想いに捉われて、体が熱くなるわたしのことなんか全然知らないんだろう。

いつもの如く、何度も何度も唇を求めてくるブン太にされるがままになっていたときだった。

突然、無人教室の扉が開いたのと同時に、女子生徒の驚愕の声。

わたしとブン太はすばやく唇を離してそちらを確認した。


「あ、ご、ごめん……誰もいないと思って……」

「いや……」

「こ、こちらこそ……」


誰もがぎこちなく声を発して、そのせいか多少の沈黙を生み出した。

気まずくなってしまった空気を挽回しようと、その女子生徒が台詞じみた口調で言う。


「あ!ああ、あのね、ここ、百人一首部が放課後部室に使ってるんだよ!」

「はあ」

「へえ」


百人一首部なんてものがあったことに関しての、しかし関心を示さないわたし達の声など物ともせず、彼女は聞いてもいないことをべらべらと喋りだした。

恐らくそれが、だからさっきのことは見て無かったことにします。あなた達も忘れていいよ!というサインなのだ。

それをありがたく頂戴する為に、わたしとブン太は(特にブン太は)要らない情報を黙って聞いた。

彼女が作った部だということ。部員は今のところ三人だということ。

だから何か問題があればすぐに部は廃部になってしまうということ。

そんな最中、テニスの練習試合の日にこの無人教室から鉢植えが落ちてきたとの報告があったとのこと。

日曜日に学校には来てないし、鉢植えなんかこの教室に置いた覚えもないのに。とは考えてみたが、もしかしたら自分の知らないところで鉢植えが置かれていて、その存在に気づかないまま放置していたら、日曜にたまたま風に揺られて落ちてしまった?


「――のかもしれないなあって思って、見に来たの……」

「でも、そんなのないじゃんね?」

「おう。俺らしょっちゅうこの教室使ってっけど、そんなの見たことないぜ?」

「ああ、なら良かった。部員だけじゃ信じてもらえないかもしれないから、丸井くんのその言葉、あると助かるな。もしかしたら先生に証言してもらうかもだけど、いいかな?」

「別に構わねえけど……そんな大変なことなのかよ?」

「うん、なんか、そこに人が居たらしいし……しかも氷帝なんだよ、その、被害にあった生徒さん」

「え……」

「氷帝か……そりゃ確かに、穏便に済みそうもねえな」


その時、わたしの頭の中で痺れたような感覚が迸った。

これは何か、重要なことを聞いている。そんな気がしたのだ。


「ねえ部長さん、それって、氷帝から被害連絡があったってこと?」

「え……あー、うん。先生が言うには、氷帝の方から連絡があって、鉢植えがないか確認して欲しいって。あれば、そういうこともあったわけだし、危ないから撤去した方がいいっていう進言がね……」

「でもさあ、先週の練習試合は日曜だよ。窓が開いてることのほうがおかしいよね」

「……あ……そっか」

「それに、その日ここでご飯食べたのって、わたしとブン太だけだよ」

「え!そうなの?」

「そう。その時、窓は開いてなかったよ。全部閉まってたから蒸し暑くて、ふたりで開けたんだもん。もちろん、わたし達そんな悪質なこと、絶対してないし!誓ってもいい」

「しても意味ねーしな」

「ちょっと待って……えっと……じゃあ……どういうことなんだろ。虚偽報告?……あ……まさかあたし達、百人一首部を廃部に導こうとして!?」

「そんなことして得する人なんか誰もいないよ。その可能性はない。大丈夫」

「…………」

「ご、ごめん……こいつ、ヒートアップするといきなり辛辣なこと言ったりするからさ」


ブン太が部長さんを宥めている間に、わたしは記憶を探る。

そうだ、日曜もここで食事をした。その前は……これだ、これを拾ったんだ、わたしは。

氷帝の男子生徒が、いきなりブン太にぶつかって……そのとき、コレを落としたんだとしたら?

幸村が言ってた……えっと……R?A?……なんだっけ。――思い出せない!!


「ブン太!」

「え!はい!」


突然大声をあげたわたしに、ブン太はしゃきん、と背筋を伸ばしてわたしを真ん丸の目で見た。

同時に、隣にいた部長さんも飛び上がってる。


「幸村どこにいる!?教室にいないなら、メールで教室に呼び戻して!」

「え、ちょ……伊織!どこ行くんだよ!」

「この真下!!」











「……はぁ……はぁ……ここ、かな」

「伊織!」


「ブン太……」

「なんなだよ一体……俺にわかるように説明しろって」


ブン太を置き去りにしたまま、わたしは階段を全速力で下りていった。

見上げると、一番上にはさっきまでわたし達が居た教室の窓。


「はあ……ここに、何かあんの?」

「だって、さっきの部長さんの話なら、ここで、誰かの頭上に鉢植えが落下してきたってことでしょ?」


「そうだけど、それと、幸村と一体なんの関係があるんだよ」

「これ……」


ブン太に説明する前に、わたしの視線は地面の少し色の違う土に落ちていた。

手で探ってみる。明らかに、周りの土とは違う感触。


「なあ伊織って…………あれ?なんだこれ……」

「え?」

「カエルだ……」

「えっ!」

「違う違う、入れモンだよ。カエルの。見て」


カエル、と言われて少しだけ身を引いたわたしに、ブン太は笑いながらそれを差し出した。

土に塗れたカエルの小さい入れ物が目に入る。上はキャップ……これは、どう見ても……。


「醤油さし?」

「だな。なんでこんなとこに落ちてんだろ。こんな場所で弁当食うヤツなんかいんの?」


5号館裏庭。

日当たりも悪くてじめじめしていて、ここにはいろんな虫が多くて弁当を食べるには適していない。

でも氷帝の生徒だったら……人通りがあまり無さそうだ、というそれだけの理由で選ぶかもしれない。

わたしの推測が正しいとするなら、鉢植えは人為的に落とされたもの。

落としたのは恐らく、あの、ぶつかってきた男。そして、今わたしの手の中にあるコレを落とした男。

だからあんなに急いでいたんだ……ようやく合点がいく。



*



幸村を訪ねると、彼は相変わらず爽やかでいて、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出しながら教えてくれた。


「ああ、これ、まだ持ってたんだね」

「うん。ねえ、なんだったっけ?」

「なにが?」

「ほら、この、数字がちょこまかするじゃん!教えてくれたじゃん幸村!ブン太の試合の時!」

「ああ、ブン太が負けた試合の時ね」

「う……それ、言わなくてよくね?」


ふふふ、と嬉しそうに笑ってブン太を見た幸村は、わたしの手の中にある物を取った。

何か気になることでもあるの?と言いたげにわたしを見た後、ようやく口を開いてくれる。

その時間があまりにたっぷりで、いくら幸村と言えども意地悪が過ぎるんじゃないかと思った矢先だった。


「RSA。マサチューセッチュ工科大学の研究者三人が開発した暗号だよ」

「暗号!?」


反復の必要はないのに反復してしまうほどに驚いてしまった。

それでも幸村は涼しげだ。


「素因数分解って、習ったでしょう?それを使った暗号なんだ。ある数が与えられたら、その数と1でしか割りきることができない2以上の整数、つまり素数を使った掛け算の――」

「あー、もう俺イヤだ、聞きたくねえ!」

「ほら。こうやって、ブン太みたいに数学が苦手な人にとっても、得意な人にとっても、素因数分解っていうのは難しいんだよ。例えば、55なら5×11という式に分解できる。5も11もそれぞれ素数。だけどこれは経験だけでわかることで、例えば5301だと素因数分解は難しい」

「わかった、わたしももう聞きたくない」

「うん、つまりそれくらい巨大になればなるほど難しくて解けない暗号がRSAなんだ。本当はもっと詳しく話せば何故それが暗号化できるのか説明できるんだけどね……やめておこうか」

ニッコリと笑う幸村は実に愉快そうだった。人の嫌がる顔が好きなんだ、この人は。

「そうしてください」げんなりと返す。

「ちなみに5301だと57と93になるよ」

「つか暗号って……なんか、すげー話になってきてんな」

「ううん。それほどでもない。これを持っている人は少なくないよ。例えばネット銀行にログインするときとかね。口座開設の時にこれを顧客に送って、今表示されている数字を入力してからログイン出来るようにする。セキュリティに有効な暗号なんだよ。だから俺も知ってた。うちの親が持っていたからね」

「セキュリティ……」

「今では誰でも自由に使えるから、何のセキュリティ番号かはこれだけじゃわからないけど……」


幸村はわたしの顔をじっと見て、また嬉しそうに微笑んだ。

その笑みに、背中を人差し指で撫でられたような気持ちになる。

なにを面白がっているんだこの人は。


「……跡部の上に落とされそうになった鉢植えと、何か関係あるかもしれないね」

「!?」

「え、ちょ……幸村、それどういうことだ!」

「うん、百人一首部の顧問に話をしたのは俺だからね。跡部から連絡があったんだ。弁当を食べてたら鉢植えが落ちてきたって。念のため確認して欲しいってね」









あれから、伊織はずっと考え込んでた。

部活の帰り道で俺が手を握っても、話しかけても、キスしても、どこか上の空で。

それが、跡部って名前を聞いてからだってわかるから、めちゃくちゃ胸騒ぎがする。

せっかく、やっと伊織に好きだって想ってもらえてるって、自信がつきそうだったのに……。


「お?ブン太か」

「!……なんだ、仁王……あれ?お前今日、吉井と予定あんじゃねえの?」


その週の土曜日。

部活が終わってからシャワー浴びて、着替えてから伊織の家に行こうとしたら、道端で仁王と会った。

確か部室で、今から吉井と映画でも観に行こうかと思っちょるとかなんとか……言ってた気がする。

映画の時間まで気にして……急がないと間に合わないとか。

なのに、全然急いでる様子もなけりゃ、完全に仁王は独りだった。


「あー、それがー……あれじゃ、なんか、急用入ったらしい」

「へえ。残念だな」


「お前さん、今から佐久間ん家か」

「そ。そろそろエッチさせてくんねーかな」


「ははは。頼んでみんしゃい」

「バーカ。殴られんに決まってんじゃん」


笑ってみせたけど、本当はそんな気分じゃなくて。

俺は自分の声色に、いつもの元気がないのを自覚してた。

相手は仁王だ……すぐに俺の異変に気づく。

その視線が気付いてるってわかったし、仁王には、結構なんでも話せるし。


「なあ仁王、ちょっと時間ある?相談に乗ってくんね?長くはなんねーから」

「勿論ええよ……どうしたんじゃ?お前さんらしくもない、弱気な声出して」


仁王は、黙って俺の話を聞いてくれた。

俺の頭の中から、消えてくれない跡部……それは伊織の頭の中でも同じことが起きてる気がする。

めちゃくちゃ不安で、伊織に、聞くのも不安で、嫌で……。

俺の胸のうちを全部吐き出したら、仁王はようやく、そうか、と呟いた。


「佐久間の気持ちはわからんが……ただ、見ちょる限り、お前さんが思っちょるより、佐久間はお前のことを好きじゃと思うけどの」

「本当に、そう思う?」


「思う。自分のことはなかなか見えんでも、人のことになると鮮明に見えるもんなんじゃって」

「そっか……そうだよな。なんかちょっと、元気出た」


全開、とまではいかねーけど、話を聞いてもらっただけでも、スッキリする。

仁王は一切、無駄な横槍を入れてきたりしねーし、最後に言ってくれることがいつも俺の支えになる。

やっぱ、友達っていい。仁王は俺の、大事な仲間で、友達だ。


「ありがと。俺、もう行く……伊織、待ってるし」

「おう、気をつけんしゃい」


「なあ仁王」

「ん?」


その時、なんだか伊織が前に言ってた、どこかよそよそしい仁王と吉井の話が頭が浮かんだ。

気になんねーとか思ってたけど、たまには喧嘩だってするよな。もしかしてそれで、よそよそしかったのかも。


「お前もさ、なんかあったら、俺、いつでも話聞くし!……あー、あんま、頼りにはなんねーけど」

「……おう。嬉しいこと言うてくれるのう」


「だから、いつでも、な!」

「おう。じゃあの」


そう言って仁王は背中を向けた。

その背中を見て、根拠はねえけど、伊織の直感は、もしかしたら当たってんじゃねえかと思った。




*



「いらっしゃい。伊織なら部屋にいるよ」

「お邪魔しまっす!おばさん、これ……」

「あらまあ、あれあれ……こんなの持って来なくていんだよ〜?」

「あ、大丈夫!気が向いた時にしかしねーから!」

「あははっ!ならいいけど。ありがとう」


おばさんにシュークリーム渡して、俺は伊織の部屋に入った。

伊織は俺に見向きもせずに、パソコンと向かい合ってる。

この、振り返りもしない感じっつーの?いつだってそうだし、最初からだからもう慣れたけど、結構切ねえ。


「なあ伊織――」

「――ブン太、ちょっと聞いて欲しいんだ」


さっき仁王に会って、伊織の心配してたことが当たってるかもしんねーって伝えようと思ったら、伊織はぐるっと俺に(やっと)振り返って、身を正すように背筋を伸ばした。

真面目な話っぽい……。

構えた俺は、伊織の手の中にある消しゴムを見て、めちゃくちゃ不快になった。


「またその話?」

「聞いて。やっぱりこれ、あの鉢植え事件とすごい関係してると思う」


「もういいよその話。怪我はなかったんだし、俺らがどうこうしても結局わかんねーじゃん。なんだっけ?アール、……どうでもいいけどさ。暗号とかなんとか、ただの落としモンだろ」

「違うよ、聞いて。RSAを使うシステムってことは、何かの情報をネット上で見る可能性が高いと思うの。あのカエルの醤油さし、跡部くんが幸村に聞いてきたってことは、跡部くんが被害を受けたってことでしょ。でも跡部くんが自分で醤油さしまでつけてお弁当作ってるとは思えない。跡部くんの家の感じ見ても、そんなお弁当を誰かが作るとも思えない。おまけに5号館裏庭。ひょっとしてさ、あの彼女と一緒にお弁当食べてたんじゃないかな?人目につかないように」


伊織は目を見開いて、さも重大事項を伝えるように俺に詰め寄ってきた。

イライラが募る。だからなんだよ。

何が言いたいのか全くわかんねーし、お前のその唇が、跡部って形を作るのが許せねえ。


「なあそれよりさ、仁王と吉井な――」

「――ちょっと待ってブン太、最後まで聞いてよ」


その、真剣さ。

仁王と吉井の名前を出してもどこか興奮気味でいて、話を遮ってきた伊織に、俺は正直、頭にきた。


「聞きたくねえよ!」

「ッ…………そ、何……怒って……」


「仁王と吉井のこと、どうでもいいのかよ!」

「そんなこと言ってないじゃん!話を聞いて欲しいだけ!だってもしかしたら、跡部くん、命の危険があったかもしれないってことだよ!?」


こんな話、こないだまで逆の立場でしてた気がする。

あれだけ仁王と吉井のことを心配してた伊織が、今はそれそっちのけで跡部の心配をしてる。

挙句、涙目になって訴える伊織は、俺の怒りを更に増長させた。

誰のために泣いてんのお前……お前は結局、誰が好きなんだよ。


「跡部は無事じゃねえかよ。もうそれでいいじゃん。何が問題あんだよ」

「あるよ!そんなの、これからも続くかも!どう考えてもあのふたりの婚約で、誰かがやったんだよ!鉢植え、落としたんだよ!頭に当たってたら!?」


「で?お前は仁王と吉井より、跡部のことのほうが心配なわけだ?」

「……なんでブン太、そんな言い方するの?跡部くんがどうのこうのじゃない、誰であっても危険でしょ!?」


伊織が言ってることはわかる。多分正論だ。

俺の嫉妬で、伊織を困らせてることもわかってる。

でも嫌なんだ。伊織が跡部のことばっか考えてるのも、仁王と吉井のことよりそっちに傾いてんのも、婚約者のことを口にする時、もう気にしてないって言わんばかりのその口調も、なにもかも!!


「だから、何だよ……」

「ブン太……?」


「だから、何?明日にでも、跡部に報告しに行こうとでも思ってんの?」

「……っ…………そうだよ。これ、落とし物だけど、きっと関係あると思うから。そもそも氷帝の人の落とし物だし、跡部くんなら、何かわかるかも」


そんなことを、あの日から今日までの五日間、俺よりも、何よりも、ずっと考えてたんだ、伊織は。

パソコンに向かって、暗号がどうやって使われてんのか、この消しゴムの暗号でどこにログイン出来るのか、こいつはずっとずっと、俺に対しても、多分、吉井に対しても上の空で、そのことばかり考えてたんだ。

俺はどうしても、それに嫌悪感を感じずにいられない。

好きだから……伊織を絶対に誰にも渡したくないから……だから、嫌なんだ。


「……っ、ブン……太?」

「……頼むから……」


伝えたい想いを口に出したら全てが終わりそうで、だけど伝えたくて、伊織を引き寄せて抱きしめた。

そんな嫉妬だけでキレてる自分を露呈して、伊織に嫌われんのなんかもっと嫌だから。

臆病な俺……求めてることが手に入れば入るほど、自分を曝け出すのが怖くなる。

せっかくここまで伊織を振り向かせたのに、一瞬でそれが崩れるのなんか、冗談じゃねえよ。

だけど、これだけはわかって。

お前のことが好きで、気が狂いそうなんだ……嫌なんだ。俺だけにしてよ。


「跡部に会いに行くなんて、言うなって……」

「……ブン太……」


「会って欲しくない。嫌なんだよ、絶対……跡部に、会って欲しくねえんだよ……」

「………………」


腕に入る力がどんどん強まって、俺は、少しだけ震えてる自分に気付いた。

泣きそうんなってる……こんなに怖いんだ、伊織が離れるかもしれないって思ったら。

なあ伊織、伝わってる?

俺、こんなにお前のこと好きで……どうすりゃいいの?


「ブン太」

「…………」


長い長い沈黙の後だった。伊織が、すげえ優しい声で、俺の頭を撫でて。

背中に回した手で、強く強く、俺を抱きしめて。

俺の耳元に唇を寄せて、頬と頬を寄せて。


「信じて」

「……っ……」


「ブン太のこと、わたし、好きだよ……だから、信じて……大丈夫だから」

「……伊織」


俺の頬に口付けた後、伊織は俺の鼻先で、もう一度、「好き……」と囁いた。

止められない想いを伝えたくて唇を寄せた時、俺と伊織の想いが、やっとひとつになった気がした――。





to be continue...

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