love._07


「ねえ、鳳くん」

「はい、なんですか先輩」


「跡部ー……知らない?」

「……それは……一人にしろってことなんで、口止めされてます。言えないです、ごめんなさい」



















love.



















7.







ケチケチしやがって。

という口の悪さは胸の中に留めておいた。

見渡しても見渡しても、跡部は見つからない。


昼食を終えた午後からの後半試合では、氷帝Aチームは一足先に試合を終えた。

氷帝Aチームの選手達も立海と青学の試合に見入っていたり、Bチームの応援に回ったりしている。

だけど校庭のどこにも、跡部の姿は無かった。


「ぐぞー」

「諦めや」


ベンチで項垂れたわたしに、後ろからノッポの声がかかった。

振り返るまでもなく忍足は、とん、とわたしの隣に腰を下ろして試合ではなく客席を眺めていた。


「ねえ」

「ん〜?」

「残念だったね、青学Aとの試合……」


氷帝は、ついさっき青学Aチームとの試合で負けて、全試合を終了した。

跡部はその試合を終えてコートを去って行ってから、わたしの視界には入ってきていない。

彼はチームとしてだけではなく、個人としても負けてしまっていた。

その酷く落ち込んでいる様子は、遠目からでも痛いほどにわかった。

頭にタオルを垂れて去っていく彼の背中を、わたしは見守ることしか出来なかった。

その苦しみを、少しでも和らげることがわたしには出来ないだろうか……。

そんなことを考え出したら居ても立ってもいられなくなり、わたしはいま、跡部を探しているのだ。

だけど跡部の居場所を知っているであろうレギュラーメンバーが、みんなして跡部の居場所を隠す。

わたしでは力になれないというのですか。それをどうしてあなたらが決めるのだ。


「ん〜……まあ、でも立海Aに勝てたのはすごいことちゃう?言うても練習試合やし」


忍足は悔しくなかったのか、あっけらかんと言った。

思わず睨みつけてしまう。跡部があんなに落ちていたというのに。おのれ。


「俺かて悔しいわ、そんなん……」


しかしわたしの心を見透かしたように言った忍足は、はあ、と深い溜息をついた。

そうだよね。忍足もがむしゃらだった。でもどこか、彼は練習試合だと割り切っているような気がする。

そしてさっきからどこか、心ここに有らずだ。


「忍足」

「なんや。跡部の場所なら知らんで」


「そうじゃなくて。跡部ってさ、なんかすごい、本当は優しいじゃん」

「……へえ?」


意外やね、佐久間ってそんな風に跡部のこと見とったんや。とでも言いたげに忍足はわたしを見た。


「いろいろさ、わたしのいじめの時だって、気遣ってくれてさ」

「そうやで?俺言うたやん。跡部ってああ見えて、めっちゃ優しいヤツやねんて」


忍足の言葉に、「そうだよ、跡部はすごく優しい」と心の中で独りごちた。

さっきだってそうだ。

彼のあの行動で、恐怖が一気に消え去ったのと同時に感動までしてしまった。

誰があんな土だらけのおにぎりなど食べてくれるだろう。自分でさえ嫌なのに。

挙句、また作って来いなんて嬉しいことを言ってくれた。

本当は恥ずかしいくせに。

いつだって跡部はそうだ。わたしをかばってくれる。気遣ってくれる。

そんな跡部だからこそ、わたしが今慰めたいと思って何が悪い。


「ねえ、わたしさ、跡部の……」


お返しまでとはいかないけれど、力になりたいんだ。

言いかけたところだった。忍足は、途端に厳しい表情になった。


「やめとき。あいつ今めっちゃ機嫌悪いで。怒鳴られる可能性大や」

「…………」


悪いこと言わんから。

忍足は念を押すようにわたしを覗き込む。

さっきから何度も繰り返されている忍足とのやりとり。黙って一度は頷く。でも結局諦めがつかない。

わたしが辛い時は彼が慰めてくれた。だから今度はわたしが支えたいと思うのは間違いだろうか。

おこがましいだろうか。


「気持ちはわかるけどな。そっとしとくんもひとつの優しさやろ?」

「あの人、孤独だよ」


「跡部は強いから、大丈夫や。すぐにナンもなかったような顔して戻ってくるで」

「あの人は、孤独なの」


聞き分けのないわたしに、忍足はまたまた深い溜息をついた。

沈黙が訪れる。

しばらくすると忍足は、その空気を誤魔化すように、急に背筋を伸ばしてキョロキョロとしだした。

あいつどこ行ったんやろ、とぼやき出す。

しらじらしい、と思いながらも、付き合ってやることにした。


「誰?親友ちゃん?」

「親友ちゃんって……ああ、まあ、親友ちゃんや。お前から言わせたら」

「さっき見たけど?」

「そうか。なんかいきなり居らんようなったでな……」

「女の人を追っかけてたよ」


何気なく呟くと、忍足がぎょっとしたように目を見開いてわたしを見た。

その顔にこっちがぎょっとする。


「なん?」

「え、な、なに……」


「女の人って、どんな人や?」

「どんなって……髪の長い……なんか、すごい綺麗な……」


消えた跡部を探している時。

物陰に入っていく彼女を見かけたのだ。試合を観に来ていた女の人を追いかけているように見えた。

きっと知り合いのお姉さんで、声をかけるために追いかけてるんだと思ったのだ。

だから然程、気にもとめていなかった。


「どこや?」

「なに忍足?どうしたの?」

「どこやって!その場所!」


わたしの話を聞いて、忍足は何故か焦ったようにしつこく聞いてきた。

急用なのかと思い、それこそさっきの、「南門5号館あたり……」と口を動かそうとして、しめたと思った。

これは使える。こすい思考だけはやけに働くのだ。


「……忍足、親友ちゃんの場所と交換しよ」

「!」


「あら、別にわたしはどっちだっていんですよ?」

「……おま…………佐久間ー……」


今日三度目の深い溜息をついた忍足は、どうなっても知らんでと付け加えて跡部の場所を教えてくれた。

彼の方はよっぽどの急用だったのか、場所を教えた途端に走って、親友ちゃんを探しに行っていた。











扉には「氷帝A」のA4用紙がセロハンテープで留められている。

立海が氷帝に与えてくれたその扉を控え目にノックすると、中から「入るな」と厳しい声が聞こえてきた。

忍足が言ったとおり、跡部はここに居るようだ。


「伊織です」

「…………」


返事はない。

忍足の言うとおり、怒鳴られるかもしれない。

余計なおせっかいなのかもしれない。でも、独りにしたくない。

ひとつ深呼吸をして、思い切って扉を開けた。

跡部は長細い椅子に座ったまま、頭からタオルをかけ、俯くように座っていた。


「……入るなと言っただろうが」

「……わたし、婚約者だし」


「くだらねえこと言ってねえで出て行け」

「…………」


その明らかに不機嫌な声と、だけどどこか震えている声と、ふたつとも包み込んでしまいたかった。

そっと近付く。跡部の反応はない。


「残念……だったね」

「…………」


跡部の隣に、恐る恐る腰をおろした。

手塚……という人との試合で見た跡部は、今までのどんな跡部よりも輝いていた。

だからこそ、この敗北には跡部の悔しさが滲み出ているような気がする。

そういえば中学三年の頃も、酷くピリピリした彼に直面したことがある。

周りの生徒がそれとなく教えてくれた「負けた試合」も、青学との試合じゃなかったか。


「……みんな、跡部のこと心配してるよ」

「…………」


「わたしは初めて見たけど、すごく、いい試合だっておもっ――」

「――出て行け!!」


拳で強く殴りつけられたロッカーの音に、わたしは大袈裟に肩を震わせた。

おぼろげな記憶を思い出すことに意味はない。跡部にそれは伝わらないのだから。

このまま出て行った方がいいのかもしれない。

だけど跡部を独りにはしたくないわたしの勝手な思いが、殺気が吹き荒ぶ異様な空間の中で舞い踊る。


「ごめん……」


跡部はわたしを、慙愧に耐えぬという顔で見ていた。

荒々しく声をあげた自分が許せないのかもしれない。

わたしは構わなかった。

声を荒げられようと、あなたを独りにしたくないだけなのだ。

悲しみを乗り越える痛みを、一緒に分かち合いたいだけなのだ。


「…………悪い」


動かないわたしに諦めたのか、視線を逸らしてまた俯いた跡部は、怒りを静めた声で呟いた。

跡部はわたしを見てもいないのに、思わず首をぶんぶんと振る。

しばらくの沈黙の後、わたしはそっと立ち上がった。跡部の目の前に。

彼は、わたしを見上げもしない。

大きな肩が、まだ息をしていた。

いつも平然な顔をして、何でもこなす跡部がどれだけ本気で勝負に挑んだのか、それだけで伝わる。

練習試合とは言え、彼にとって手塚という選手との試合には千鈞の重みがあるのだ。

だからこそ、こんなに悔しい。

やがて、跡部が口を開いた。


「…………負けちまった」

すかさず言葉を重ねる。

「っ……でも、ちょっとの差だよ」

「負けは負けだ。それまでだ」

「…………」


ぎゅっと口をつぐんだ。

そうだ。何も知らないわたしが何を言っても薄っぺらい。だから怒鳴られたのだ。

あと少しだったなんて慰めにならないのだ。どうすればわたしは、跡部を慰めることが出来るんだろう。

跡部があの時……わたしにしてくれたことはなんだろう。

いじめなんてされたこともないだろう跡部が、いじめられたわたしの心を溶かしてくれた。

わたしにだってそれが出来るはずなんだ。テニスをしたことがなくたって。

彼の孤独な戦いを、支えたいだけなんだ。


「次はぜった――……ッ」


衝動的だった。

次は絶対に勝つ、と言い掛けた跡部の頭を、わたしは思い切り抱きしめた。

分かち合うなんてやっぱりおこがましいけど、わたしも悔しい思いでいっぱいだった。

勝つと思ってたからじゃない。勝っても負けても、跡部が悔しいときは、わたしも悔しい。

好きになってしまったら、気持ちは勝手に一心同体化してしまうのだ。

跡部がわたしのことをどう思っているかは関係ない。

あなたが好きだから、あなたが笑えば嬉しいし、あたなが泣けば悲しいんだよ。


「……なにしてる」

「わたしの前だけなら、思い切り泣いてもいいよ」


跡部が支えてくれたあの日の言葉を、なんの捻りも無くそのままぶつけた。

嬉しかったんだ。あんな風に赦してくれて。




「……泣いても、いんだよ跡部……」


自分への怒りに震えた跡部にこんなことをして、わかったような事を言って、彼に突き飛ばされるんじゃないかと内心ビクビクしていた。

おかげで場違いな恐怖心が体を支配する。


「……震えてんじゃねえか」

「……っ」


そんなつもりじゃなかったのに、どうしてか跡部の声に目頭が熱くなる。

ぎゅっと目を瞑ると、瞼すら震えていることに気が付いた。

言いようの無い想いが氾濫しているんだ。

それを伝えることが出来ない悔しさが小さな震えと成している。

やがて、ぐずぐずと、わたしの洟をすする音だけが部室内にこだました。

それを聞いた跡部は、わたしの胸に頭を押し付けられたまま小さな溜息と共に笑った。

頭に巻きついているわたしの手をそっと解き、ゆっくりとこちらを見上げた。


「誰が泣くかよ、バーカ」

「ッ……」


「言った本人が泣いてちゃ世話ねえな?ったく、どけ」

「うっ……」


ようやく吐露してくれるのかと思いきや。

案の定だけど、跡部は涙目にすらなっていなかった。

わたしを軽く押しのけて立ち上がり、ポカリスエットのペットボトルを持って戻ってくる。


「飲め」

「……え」

「落ち着けっつってんだよ。ほら、座れ」


腕を引っ張ってわたしを隣に座らせる。

横目でポカリを見てくるのでおずおずとキャップを空けて口に含むと突然わたしの手からそれを取り上げた。


「あっ」

「アーン?」


何事も無かったかのように、わたしが口付けた残り少ないポカリを飲み干す。

信じられない思いで胸の鼓動を感じていると、今度は「寝かせろ」と吐き捨て膝に頭を乗せてきた。

あまりの展開に胸が容赦なく高鳴る。

じんわりと暖かくなる太ももが震えてしまいそう。

どうしていいかわからなくて、必死に言葉を繰り出そうと試みる。


「……っ……な、泣きそうだったくせに」

「アーン?俺様が泣くわけねえだろ」


馬鹿馬鹿しい……と呟いて目を閉じられてしまった。

人が心配してあれだけ勇気を出したというのに、馬鹿馬鹿しい……?

いつもなら怒ってしまうようなそのセリフも、膝枕をされている状態のせいか怒る気になれない。

次は何を言い出すだろうと構えてみたものの、跡部は本当に寝息を立てはじめて。


「あ……跡部」

「……ん」


「あの……寝るの?」

「少しな」


「そ、あの、……寝心地、悪くない?」

「お前は俺を慰めに来たんじゃねえのか」


「そ、それはそうだけど……」

「なら膝のひとつくらいでガタガタ言うんじゃねえよ」


別に文句が言いたいわけじゃないのだ。

だけどこの状況、跡部がどういうつもりなのかなって、少し探ってみたい気もして。

よくよく考えてみればフリだけで、わたしたちはかなり触れ合ってる。

わたしはもうフリじゃなくて触れ合いたくなっちゃったわけだけど、跡部はどうなんだろうか?

……なんて、そんな、聞けるはずもない。

こんなモテる男からしたら膝枕なんておままごとのようなモノかもしれないし。

そう思うと少し悲しくもあったけれど、やっぱりどう考えて嬉しい。


寝顔は驚くほどに美しかった。

肌はスポーツマンらしからぬ白さと滑らかさを保っている。

しばらくして人差し指の背でそっと頬に触れても、跡部はぴくりともしなかった。

綺麗な肌だと心の中で独りごちる。

調子に乗って二本の指で頬を触って、すーっと線を描くように滑らせてみた。

すると、ぱしっとすばやい動きで指を掴まれた。

声をあげそうになって、ビクンと肩を震わせる。

そんなわたしを知っていたかのように、跡部の目がゆっくりと開いた。

心臓が破裂してしまいそうにがなり立てる。気持ち悪いと思われている可能性大だ。


「……佐久間」

「はい、ごめんなさい。もうしませ――」


「――弁当、また作って来いよ」

「!」


跡部はそう言ってすぐに目を閉じたというのに。

思わず、天井を見上げて首を何度か縦に振った。

そのまま跡部を見ていたら、きっと真っ赤になってしまって、体に熱が伝わって、そのまま太ももがすごく熱くなって、跡部に暑苦しいとか言われたら嫌だと思った。

だけどやっぱり跡部ってどうしょうもなく優しいなと思ったら、ふいに涙が溢れてきそうで。

ぐっと堪えて、また洟をすする。結局泣いてるじゃないか、情けない。


「まだ泣いてんのかよ」

「ない、泣いてないよ。ていうかさ、跡部……」


「ん?」

「時計、すっごく嬉しかった。ありがとう」


込みあげるような想いを抑えて、跡部をちゃんと見てお礼をした。

跡部も閉じていた目をまた開けて、わたしをしっかりと見てくれた。

絡み合う視線に胸が張り裂けそうで、結局熱があがっていく。

こんなに見詰め合ったことなんかないってくらい、その時間は長かった。

跡部が時計をしているわたしの腕を掴むまで、わたし達ふたりは目だけで会話しているようで。


「なら、大事にしろよ」

「うん……」


掴まれた手首が、跡部の掌が、思いのほか熱くて。

このときわたしは確かに感じた。

跡部とわたしは、案外通じ合ってるんじゃないかって……直感を。

確かに、感じていたのだ。





*





「ああ、ちょうど良かったわ跡部……」

「なんだ忍足」


跡部とその教室を出たのはそれから十分後のことだった。

ちょうどこちらに向かってきていた忍足がわたしを無視して跡部に話しかける。

あんなにわたしに跡部の場所を教えたがらなかったというのに、そんなことは覚えてないような素振りだ。

それどころか、どこか呆然としている忍足は目の焦点が合っていないように見えた。何かあったのだろうか。


「俺、具合悪いで帰るわ……それと、あの人来とる」

「アーン?なに言っ……ッ……」


帰ると言った忍足に説教をしかけた跡部だったけど、彼が指差した先を見た途端に言葉を詰まらせた。

わたしもつられてその指先をたどる。

そこには、ふんわりとした髪の、優しそうな大学生風の女の人がいた。

彼女は跡部の視線に気付くと、嬉しそうに跡部に手を振ってきた。

それに拍車をかけられたように、跡部が駆け寄る。

やがては彼女も駆け寄って、わたしと忍足から離れた場所で、二人は久々なのか再会を懐かしむように。


……見たこともないような、跡部の笑顔だった。

安心しきっていて、嫌なことなんか全て忘れたと言わんばかりの笑顔がそこに。

それだけで、わたしの眼に陰々とした影が差した。


帰ろうとしている忍足と無遠慮に引き止めて、わたしは聞いた。


「忍足」

「……なに?」

「なんであの人は、ここに連れて来たの?」


だってそうじゃないか。

わたしにはあんなに渋っていた跡部の場所を、あの人には二つ返事で教えたのか?


「ああ……あの人は特別や……跡部はあの人には、心めっちゃ開いとるから」

「どういうこと?」


わたしには心を開いてないというのか。だから教えなかったというのか。

醜い嫉妬心が体中を支配して、今にも忍足に食ってかかりそうだった。

そんなわたしを忍足はどうでも良さそうに見て、真っ青な唇を動かした。


「あの人は、跡部の初恋の人やから」

「……っ」


昔からそうだ。

期待すればするほど、わたしの直感は当たらない――――。





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