ダイヤモンド・エモーション_01


1.


神経質でうるさい女に、気が散ってしょうがない。

「あと、どのくらいかかりますか」

また聞いてきた。
さっき10分で終わると言ったばかりだと思うが、すでに10分が経ったか……?

「さっき10分って言うたじゃろ」
「10分と言っていたのにすでに15分も経っているからお聞きしているんです。もうすぐ花嫁登場なんです、急いでください」
「わかっちょるって……」
「あと何分ですか」
「あと2分!」

苛立ってそう言うと、無言で扉が閉められた。
与えられた20分という短時間でメイクもヘアも変えるのは、一苦労する。
この仕事、大石たっての希望だから引き受けたようなものの、やっぱり引き受けるべきじゃなかったか。
こんなうるさい進行役がいるとは聞いてなかった。

「ゴメンナサイ……ニオさん」

大石の結婚相手であるアンジェラさんが、申し訳なさそうに眉を八の字にした。
外国の人は表情のパフォーマンスがあからさまでわかりやすい。

「気にせんで。花嫁さんは主役やから、舞台以外で気を使わんことだ」
「まだですか! あと2分で終わると言っていたのに3分も経ちましたが!?」
「いま終わった! アンジェラさん、行って」
「サンキューニオさん!」

チュッと、頬にキスされた。あまりの自然さに胸の高鳴る隙もない。それよりも、どっと疲れた。
というか……誰だ、あの女。





大石の結婚式の二次会会場で、俺の席はすでに用意されていた。

「仁王、お疲れ様」

不二だけが、俺の帰りを歓迎するように気づき、声をかけてくれる。

「越前こないだコテンパンやったやん」
「ほっといてくださいよ」
「あんな調子じゃグランドスラムは夢のまた夢だな」
「どうぞなんとでも」
「な、やっぱあいつらめっちゃ強いねんな?」
「怪物ッス。筋肉量とかバカだし」
「俺も何度か付き合いで対面したことあるが、ありゃバケモンだ」

同じスペースに座っている忍足と跡部は、『越前選手』とテニスの話題に夢中になっているようだ。

「アンジェラさんとっても綺麗だったよ。さすが仁王だね」
「不二の料理も芸術品みたいに綺麗だ。贅沢を言えば、出来たてを食べたかったが」

少し冷めたラザニアを口に運ぶと、冷めたラザニアもなかなかだった。

「ふふ。仁王知ってた?」
「なん?」
「お店に来てもらえれば、いつでも出来たてを食べれるんだよ?」

チクりと嫌味を言われて、苦笑いするしかなくなる。
独立のために情報交換で連絡だけは取っていたものの、お互いの店を行き来したことはない。

「不二こそ、店に来たことないじゃろ?」
「仁王にイタズラされたら困るからね。ベリーショートが似合うとか言い出されたときは、どうしようかと思ったよ」
「不二は顔が綺麗じゃから、似合うって」
「冗談よしてよ……それじゃ裕太になっちゃうでしょ?」

吹き出すように笑ってしまう。言われてみれば確かにそうだ。

「お前ら、店は繁盛してんのか?」

突然、跡部が話に割り込んできて、俺と不二は顔を向けた。

「ぼちぼちでんなー」

不二が冗談めいて棒読みすると、忍足が「関西弁バカにしとるよな?」とツッコむ。ようやく全員の話がひとつになった。

「二次会の料理って何人分くらい作らなあかんかったん?」
「多めに見積もって150人分は作ったよ」
「150人分……」越前がぞっとした顔で目の前のカルパッチョをじっと見ながら口に運ぶ。
「まぁ、お店を出すまではそれくらい作ってた時期もあったしね」
「もうそれ炊き出しやん」
「ふふ。すごく大変だったけど、大石が幸せそうで本当によかった。越前どう? 日本食は久々なんじゃない?」
「これ、日本食じゃないッスよね……」

越前は相変わらず生意気に言い返しながら、結局、「うまいッス」と小声で答えていた。適当に会話に加わりながら、めずらしく苛立っている自分をなんとかしようと考える。不二も大変だったと思うが、今日は俺もなかなか骨が折れた。
特にさっきの、あの女……二次会の幹事か? 二度と一緒に仕事はしたくない。いつもは冷静な方だが、初対面の女にあんなふうに急かされると、さすがにムッとする。
これまで相手してきたそうそうたる先輩スタイリストたちのことを思い出せば、なんとか我慢できるっちゅうたって、あの女は素人だ……。
そこまで考えて、ダメだ……と思った。自分を落ち着かせようとしているのに、さっきの20分のやりとりを思い出して、また苛立ちがつのっている。

「それで? 忍足はどうなの?」

さっきから急に結婚の話ばかりしているこの連中にも、面倒臭さを感じてしまう。
正直、お前らの結婚話には全く興味ないんだが。

「もう5年くらい、誰とも付き合ってへん」
「えっ」

忍足がそう言ったことで、越前が目を見開いて忍足を見ていた。同時に、俺も忍足を見た。5年という言葉に反応したからだ。

「……ちょっと意外っていうか、すごく意外っていうか」
「シケた顔しちょるのう忍足」

と、ちょっかいかけつつ、頭にはひとりの顔が浮かんでいた。忍足のおかげで、こういうときに必要な人を思い出した。5年前に出会った人のことを。感情が乱れた時に、元に沈めてくれるあの人を。

「お前はどうせ遊びまくっとるんやろなあ仁王」
「人聞きの悪いことを言いなさんな」

適当に返しつつ、俺はスマホを取り出した。トークアプリの履歴から千夏さんを見つけて、メッセージを打ち込む。たしかに、遊んだことがないかと言われれば、そういう時期もあった。
でも、いまは。

「仁王、人と喋っとんのにお前スマホて……」
「ちとヤボ用」

忍足が咎めるのも無視して、俺はメッセージを送信した。

『千夏さん、今日空いとらんか? 何時でもええから、会いたい』

数人のお客さんや女友達からメッセージが届いているようだが、それは後回しでいい。
しばらくして、やっと返事が届いた。焦らされた分、喜びが増したのは一瞬だった。

『ごめん、今日は仕事がつまってる。何時でもいいなんてカワイイこと言うんだね、雅治も』

軽くあしらうような返事に、ふっと笑ってしまう。仕事なら仕方ないと思いつつも、つれない返事がくると無性に会いたくなるから嫌になる。
さて、なんて返そうか。断われるのも断るのも体力を使う。仕事で忙しいのに、そういう体力を使わせたあげく、俺の返事で嫌な思いをさせたくはない……と、考えはじめたときだった。

「きゃああああああっ」
「うわあああ!」

どこからか、女の悲鳴声と越前の声が聞こえて、俺は立ち上がった。

「なにごとや?」
「さあ? ちと、見てくる」

声のする方向へ、俺は走った。あれで越前はかなりの有名人だから、こういう酒の席で変な輩に絡まれたりでもしていたらと不安になる。越前は日本スポーツ会の宝だ。なにかあったら……。
なるべく最悪の事態は考えないようにしていると、トイレ付近がざわついていた。

「越前!」
「えっあっ、仁王さん……」

悲鳴をあげたんだろう女は、越前の手前で硬直していた。俺は越前の全身を確かめるように見た。グラスかなんかで手を切ったりしていないだろうかと心配したが、杞憂だったようだ。だというのに、越前は真っ青な顔をして俺を振り返った。
不穏な空気を察してさらに越前の奥を見ると、頭からドレスにかけて、薄い赤色に染まっている女がぼうっと突っ立っていた。
状況はよくわからんが……たぶん、あの薄い赤色は赤ワインで、悲鳴女のグラスを見る限り、おそらく悲鳴女が放ったもので、越前に全く被害がないのは目に見えてわかる……ちゅうことは。
そこまで考えていると、赤ワインまみれの女が声を発した。

「おかまいなく」

その声に俺がはっとするのと同時に、女はポシェットの中からハンカチを取り出した。
顔を拭きまくっているものの、頭からかかっている髪の毛から頬に赤ワインが滴り落ち、しつこく何度もそれを拭う。
冷静を装ってはいるが、冷静なわけがない。俺は越前を通り越して赤ワイン女の手を取った。

「こっちに来い」
「なんですか」
「ええから、来いって」
「ちょっと、おかまいなくと言って……!」

赤ワイン女の声を無視して、俺は奥にある控え室に向かった。





「ちょっと、なにするんですか!」

わめく赤ワイン女の頭にタオルを巻いて、俺は持参していた衣装バッグの中からブルーの衣装を取り出した。

「あんた、名前は?」
「え」
「名前」
「……佐久間伊織です」
「じゃ伊織さん、奥の試着室でこれに着替えて。終わったらそこの洗面所でメイクを落として。それも終わったらこの鏡の前に座る、ええの?」
「おかまいなくと言っていますが」
「そんな赤ワインまみれで二次会うろちょろされたら、臭くてこっちが迷惑なんよ。だいたいあんた、二次会の幹事なんじゃろ? あんたのせいで空気が白けてもいいのか?」

彼女はなにか言いたそうに黙っていたが、「わかりました」とつんけんした様子で俺の手から衣装を奪い取るようにして、試着室に入っていった。あの調子じゃ言い負かされることもあまり無いんだろう。さっきの様子からして、完璧主義者だ。
やがて、ブルーのドレスを身にまとった彼女が試着室から出てきた。頭にはタオルが巻かれたままで、その滑稽さが実は面白かったものの、なんとか堪える。

「お名前を教えていただけますか」メイクを落としながら、彼女は聞いてきた。
「仁王雅治」
「仁王さん……そういえばアンジェラさんが、そうおっしゃってましたね」
「顔を洗ったらこの化粧水と乳液をつけて、ここに座って」

無言で座る彼女に、俺はお湯で濡らしたタオルでその頭をゆっくり拭った。
赤ワインがタオルに染みていく。応急処置だが、仕方ない。

「先輩なのか?」
「え?」
「いま、おっしゃってたって言うたから。アンジェラさんとは先輩と後輩の仲なんかなと思ってな」
「……話すと長くなるのですが」
「どうせ話すことないんやから、話したらどうだ? 顔にドライヤー当てるけど、ちと我慢しろ」
「えっ……わっぷ……」

ファンデーションを塗るまでの時間短縮に冷風を当てると、彼女は眉間にシワを寄せながらも口を開いた。
メイクを取っても、まったく変わらないくらいの薄化粧だったようだ。

「姉の代理なんです」
「なんて?」ドライヤーの音でよく聞こえない。
「姉の! 代理! なんです!」
「ほう……意味がわからん」
「要するに、アンジェラさんは姉の同級生なんです。ですが今日、姉が高熱を出しまして。姉に頼まれて来たんです。義理の兄と。二次会の簡単な仕切りだけは任されてるから、それはやってあげてって言われて……だからわたしはきっちりやろうと、仁王さんを急かしたというわけです」

ドライヤーを止めて、俺は笑った。この女の感じからして、そういうことはバッサリ断りそうだが、意外とかわいいところがある。

「頼まれたから急かしたわけじゃなくて、あれはあんたの性格じゃろ」
「時間にルーズなのは仁王さんの性格というわけですね」
「はいはい。それにしても、それでこんな目に遭うって、ケッサクじゃの、あんた」
「あんたって言うのやめていただけませんか。わたしには佐久間という名前が……」
「伊織さん、目を閉じてもらえるか」
「えっ」
「アイシャドウ、つけたいんよ」
「ああ……はい」

静かに目を閉じた彼女の顔に、なぜか懐かしい気持ちになる。なんとなくこの瞬間を、一度は経験したことがある気がした。

「まだですか」
「せっかちやのう」
「せっかちなのではなく、無駄な時間が嫌いなだけです」

チップにとったアイシャドウをまぶたの上に流した後、細い線でアイラインを引いていった。さっきと違って時間に余裕があるせいか、俺の気分的にも余裕がある。彼女の減らず口を、自然と受け流すことができる。

「肌、綺麗やの、伊織さん」
「口が達者ですね。お世辞は結構です」
「ははっ……らしい返事だ。伊織さん、いくつだ?」
「29ですけど」
「ほう。なら俺と同い年か。結婚の予定があるなら、これもなにかの縁だ。ヘアメイクなら引き受ける」
「予定はありませんのでご遠慮します。あったとしても、時間にルーズな方にはお任せしたくありません」
「口が達者なのはどっちだ……」

皮肉なことに、あと10分で終わる……と言いかけた。言ってしまうと負けた気分になりそうで、俺はその言葉をすんでのところで止めた。

「伊織さんは仕事、なにしちょるんだ?」
「さっきから気になっていたんですが、どうして下の名前で呼ばれるんですか」
「ああ……伊織さんみたいな人には不快だろうな。これは職業柄。女性のお客さんはそっちの方が喜ぶんよ」
「そういう人のほうが、モテるんでしょうね」
「別にそういう理由で下の名前で呼ぶわけじゃない」人聞きの悪い……。
「そうではなくて……下の名前で呼ばれることを喜べる女性のほうが、モテるんだろうなと言ったんです」

無表情でそう言った彼女の顔は、鏡の前でまっすぐ自分を見つめていた。自信が無いんだな、とすぐにわかる。自分は間違っていないとわかるのに、世間との乖離に不安を感じている……そんなとこだろう。

「余計なことを言いました。仕事は公務員です」
「俺とは真逆だな。じゃ、唇を開いてくれるか」
「えっ」
「口紅、塗りたいんだが……」
「結構です。口紅は嫌いです」
「髪の毛がくっついたり、自分の顔には派手すぎたりするからか?」
「そうです……どうしてわかるんですか?」

はじめて、彼女の目が見開かれた。最小限のメイクしかしてない彼女を見る限り、そんなことだろうと思った。

「髪はアップにするから問題ない。あと、顔のパーツがでかい人にはでかい人なりに似合うメイクがあるから安心しんさい。はい、口開けて」

彼女は黙って唇を開いた。紅筆でゆっくりとなぞっていく。派手すぎない、コーラルベージュ。やっぱり、肌が綺麗だと思った。
ヘアセットを済ませ、衣装バッグに入っていたアクセサリーをつけて完了する。時計を見ると、あと10分と宣言しようと思った時間から5分が経過していた。
余計なことを言わんでよかった……。

「完了だ」
「……ありがとうございました。あの、二次会の終了後はこちらにおられますか」
「ん? まあ、この荷物を持って帰らんといかんからの」

メイクケース、衣装バッグで散らばった部屋を見渡すと、彼女は小さなため息をついて言った。

「不本意ですが、あなたがおっしゃってることはもっともでした。わたしが赤ワインまみれで会場にいるのは、不愉快になられる方もいると思います。ですので、あとでお礼を言いにきます」

律儀に頭を下げる。ひとことどころか、1小節分くらい多い。ここまで際立った人間だと、さすがの俺も笑ってしまう。

「おかまいなく」

もちろん嫌味で言ってやった。せっかく綺麗な顔をしとるのに……。
そんなことを思いながら、彼女を控室から送り出した。





二次会終了後、帰る準備のために控え室に向かうと、当然のように彼女がいた。

「お待ちしてました。今日はありがとうございました」

丁寧に下げた頭は、俺がセットしたままの状態で綺麗に保たれている。あの性格なら当然だとは思うが、アクセサリーの位置も1ミリもずれていないように感じるから怖い。

「気にせんでいい」
「今さらなんですが……」
「……どうした?」
「ドレス……よかったのでしょうか」
「ああ、明日のショーの衣装やから、気にせんでいい」
「ショー……どおりで」
「どおりで?」
「これ、相当きついです」

考えてなかった。用意してあったモデル用の衣装は、5号だ。たしかに普通の女にはきつかっただろう。入るだけでもすごいが。
少しだけ愚痴った彼女は無言で試着室に入り、赤ワインで濡れた衣装を着て戻ってきた。

「ありがとうございました」
「着て帰ってよかったんやぞ。衣装なら別のもので対応できる。評価されるのはヘアメイクじゃから……」
「ヘアメイクのことはよくわかりませんが、衣装が決まっている以上、ヘアメイクもそれに合わせたものを想定されているかと思います。そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「言っとることはわかるが、それ着て帰るのも気持ち悪くないか?」
「大丈夫です。それとこれ、お礼です」
「え?」

手渡された封筒に嫌な予感がする。

「それでは失礼します」
「ちょ、待ち! 俺はそういうつもりじゃ」
「おかまいなく。スピードクリーニングが必要ですし、レンタル料です」
「聞きんさいって!」
「足りないときは同封の名刺にご連絡ください。では」

言いたいことだけ言って、彼女はバタン、と強くドアを閉めて帰っていった。
変なところは想像力が働く……しかも、過剰に人に気を使わせる想像力だ……やっぱりもう、二度と一緒に仕事をしたくはない。

「はぁ……疲れた」

思わず独り言を吐き出しながら、封筒の中身を見ると、2万円入っていた。

「もらえんて……」

だが返すと言っても、あの調子じゃ受け取らんだろうな……と思いながら、彼女の置いていったブルーの衣装をバッグにしまいながら気づいた。
アクセサリー類を、返してもらっていない。

「……しっかりしちょるんか、しちょらんのか」

同封されていた名刺を眺めながら、彼女の会社の直通電話をスマホに登録した。

「佐久間伊織……か」

妙な出会いに、心が密かに笑っていた。





to be continued...

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