Poker face_04



4.


思春期男子なら誰もが経験しとることやし、異常なわけちゃう。
チュンチュンと鳥が鳴く美しい朝に、濡れた下着を洗濯機に入れながら、自分に言い聞かせた。
1日に使用する下着は普通の人は1枚で済むんやろうけど、ここ5日連続で、2枚を消費しとる。汚れた箇所は洗濯機に入れる前にざっと風呂場で洗うとしても、ひとり暮らしの洗濯はなかなか毎日できへんから、新しいボクサーパンツをユニクロで5枚も買ったくらいや。
寝る前に自分でなんとかしようと抜……んん、お下品やったかな……。
まあつまり、落ち着けるために対策の努力はしとるんやけど、まったく無意味っちゅうくらい、毎日、毎日、毎日、毎日、佐久間さんが夢に出てくる。

『侑士……好き……あ、す、すごいっ』
『はあ……伊織……かわええな。もっと奥、突いてもええ?』
『ン、あっ……侑士、気持ちいっ……突いて、もっと……! もっと侑士で突いてっ』
『はあ……ええよっ。ああ、俺も好きや……伊織っ……あ、はあっ』
『ああんっ、あっ、侑士っ……い、イッちゃう! ああっ!』
『ああ、俺もイきそう……伊織っ……愛しとるっ、あっ……ああ、出るっ!』

ものっそいエロい夢ばっか見て、目が覚めたときには、ホンマに出とる。そこだけ現実、あと幻。
夢で佐久間さんに会えるの、嬉しいんやけど……朝、起きたときの喪失感が半端ない。ああ、夢やったんやと思うと、めっちゃへこむ。
佐久間さんを「伊織」って呼んで、佐久間さんが「侑士」って呼んでくれて。夢んなかで、めっちゃ舞いあがって、しかもあんなエロい佐久間さんもう……たまらん! たまらんやろ!
……せやけど、所詮は夢や。
こんなん5日も連続で見て、俺、変態なんやろうか。と、さすがに3日目あたりで悩みはじめた。
氷帝の変態、忍足侑士……なんや、なんか結構ハマッてるやん! とか言うとる場合ちゃうねん。青学の天才さんは、きっとこんなことにはならんやろう。なんかシュッとしてはるし、モテそうやし。そう思うと、余計に虚しい。
ここ最近の朝は、そうしてはじまるわけなんや。誰か助けてほしい。俺は盛のついたサルか。
それもこれも、まったく進展の起こらん佐久間さんとの関係性に、そろそろ限界がきとるんやろうな、と察する。
1ヶ月前のあの日……跡部と千夏ちゃんの告白劇をひょんなことから見た(詳しいことは別で語られとるから、そっちを見てほしい)。そのあと佐久間さんに、跡部と千夏ちゃんが付き合うようになったと知らせたけど……彼女はそれを聞いてすぐ、涙を流した。
佐久間さんが、跡部のことをホンマにまだ好きなんか確証を得たかった俺の恋心は、その涙に深く傷ついた。自分がたしかめたくてやったくせに、ずいぶん勝手やけど……。
どっかで期待しとったんや、勘違いで済むこと。そしたら、佐久間さんの心に入り込むチャンスがあるってことやし。けど、そんな期待はあっけなく崩れ去った。

――佐久間さん……。
――あっ、す、すみません! あの、千夏、ずっと跡部先輩が好きだったから、親友なんでわたし、嬉しくて!

流れた涙のいいわけをしてから、手のひらで頬を拭っとった。
それがまたホンマ、下手ないいわけで。いつもはまともに見てくれへんのに、このときだけは、まじまじと俺の顔を見あげながら、切なそうな顔しとって。

――うわあ、よかった! あ、お祝いしなきゃ! 
――さよか……ん。

とびきりの笑顔で、そう言うた。

――でも先輩、どうして、そのこと、わたしに……?
――ああ、ちょっと忘れもんしてな。佐久間さん見かけたから、千夏ちゃんより先に言うたろって。サプライズ阻止、みたいなもん。ちょっとした腹いせや。
――腹いせ……。
――やって、なんか腹立つやん。嫉妬やな。
――嫉妬……そ、そうですよね。腹立ちますよね! あははっ。

本音まじりの言いぶんに、佐久間さんは素直に頷いて。笑っとったけど、終始その目は潤んどった。
はあ……何回、思いだしても、めっちゃへこむ……泣くほど跡部が好きやったとはな。
それできっぱり跡部を忘れてくれたらええのに、いまだに好きそうやから、たちが悪い。
佐久間さんはあれからというもの、千夏ちゃんが跡部とのノロケ話を部室でくり広げるたびに、悲しい顔でうつむく。
俺は、それを見逃さん。そういう俺に気づいとるんか、佐久間さんがうつむく前は、絶対に目が合う。ほんでバツが悪そうに、「違います」みたいな顔して、うつむく。
その泣きそうな顔を見るたびに、こっちがどんだけへこんどるか……全然、知らんよね。
ずっとそんなことばっかり考えとるで、授業はまったく耳に入らん。おかげで先月の中間考査はめっちゃヤバかった。成績が落ちたら、大阪からオカンが怒鳴りこんでくるかもしれへんで、なんとか現状維持で保てたけど、佐久間さんへの熱量が落ちつかん限りは、成績が上がることはないやろう。

「よう夢精野郎、今日も見たのかよ!」
「わああああ! アホか! 声がデカいっちゅうねん岳人!」

部室に入る直前やった。うしろからの気配は感じとったんやけど、絶対に聞かれたないことを大声で言われて、急いで辺りを見渡した。佐久間さんは、おらん……せやけど部室におったらどうしてくれんねん!

「なんだよ、ホントのことじゃん」
「お前、ホンマにいてこますぞ……事実ならなんでも大声でしゃべってええわけちゃうやろが!」

俺がアホやった……こんなデリカシーのかけらもない赤ヘルメットに話した俺がアホやった!

「わあった、わあったよ……で? 伊織の夢、今日も見たのかよ?」
「……ほっとけ」

まずな、言いたいことがある。
岳人……俺でさえまだ「佐久間さん」って呼んでんのに、なんでお前、下の名前を呼び捨てやねん! めっさ腹立つ! そういう馴れ馴れしい感じ、キャラで乗り越えられるからええよなお前は!

「うははは! 変態侑士!」
「うっさいわ。俺やって悩んどんねんっ」
「ムキになってるC!」
「なんでいまジローや。笑えへん」

身長低いくせに、俺の肩に手え回して、グリグリグリグリ拳で腕をいたぶりやがって……。

「寝る前オナニー、試してもダメかー」
「全然、あかん……」そんなん夢見る前からしとるし。
「それさあ、お前、おかずを伊織にしてんじゃねえの?」
「は? そら、そうやろ」

素直に答えると、ダイレクトな表現で品のない岳人が、しらけた目を向けてくる。
なんやねん。なんか文句あんのか。
佐久間さん、めっちゃかわいいで。妄想やから好き放題や。恥じらいながらも要求に応えてくれるし、ときどきは大胆になってくれるし、「侑士、好き」って何度も言うてくれるし。ホンマ、愛しい。終わったあと、めっちゃ虚しいから、死にたなるけど。

「バカじゃねーのお前? それじゃ余計に頭にこびりつくじゃん。AVとかにしとけよ」
「アホ言うな。佐久間さん以外の女に勃つわけないやろ」
「え……? お前それ、マジで言ってる?」
「マジや。大マジ。俺は好きな子やないと無理なんや」
「じゃいままでどうしてたんだよ。いままでの女、たいして好きじゃねえだろお前」ヤリチンのくせに。と、余計なことを付け足しよる。
「そん……いままではそら、ヤリたきゃ勃つやんけ」男の生理現象や!
「だから。その気分でAV見りゃいいだろ?」
「せやからっ! わからんやっちゃな。佐久間さん以外、抱きたいって思わんねん、いまの俺は」

うわあ、と、岳人が思いくそ引いとる。なんでや!? 普通やろ!
人生ではじめて、どうしようもないくらい好きな子ができて、男の生理現象なんか俺のなかで崩壊しとるわ! 佐久間さんのこと考えたら、すぐにでも、きれーいに勃起しよるけどもやな。

「侑士ってやっぱ、気持ち悪いな。つうか、重てえ。なんか面倒くせえし」
「待て待て。気持ち悪くて重たくて面倒くさいって最悪な3つやろ。なんで俺の女でもないお前に、そんなこと言われなあかんねん」
「侑士さあ、伊織と付き合えても適度な距離感で接しろよ? なんか独占欲ヤバそうですでに怖えよ」

さらに引きつつ、能天気なことを言いだす。
付き合えても、やと? もし佐久間さんと付き合えたら、そら大切にしまくるわ。せやけどいま、そういう状況ちゃうねん……なんも知らんと、適当なこと言いやがって。

「岳人はホンマに、お気楽でええな」脳みそが。
「あー? ああ、それよりさ。このあいだ、千夏が侑士の前カノのこといろいろ聞いてきたからよ、ぜーんぶ話したんだけどさ、別にいいよな?」

お気楽、の嫌味にたいした反応を見せず、妙なこと言いだすもんやから、首をかしげた。

「別にええけど……千夏ちゃんが? なんでや?」
「そりゃ、友だちにお前のファンがいるからに決まってんだろー!」

ニヤニヤ、突きながら言うてきた。なにがそんなに嬉しいん? めっちゃノリノリやん。

「さよか」

ま、勝手にしたらええわ。前カノの情報なんか聞いて、なにが楽しいんか知らんけど。
岳人のニヤニヤ顔がピタリと止まる。おまけに目を棒にしとる。な、なんや?

「……お前ホントに天才か?」
「なんやねんニヤニヤしたり、しらっとしたり。情緒大丈夫か?」
「お前の頭が大丈夫かって聞いてんだよ、こっちは」
「大丈夫やわ。ちょっと思春期やけど、頭は普通や」毎日のように夢精しとるのも、健康な証拠やろ。生きとる証拠や。イッとる証拠でもあるけども。
「あのさあ侑士……伊織に告れよ」
「え?」

ちょ、待って。話の流れおかしいやろ。ホンマに情緒不安定やん。
なんで急に、佐久間さんに告白する話になっとんねんっ!

「らしくねえぞ侑士。本気で好きな子ができたらぶつかるって言ってたじゃねえかよ」
「やかましいわ。なんでそんなことお前に指図されなあかんねん」そんなん俺かてぶつかりたいわ。せやけどいまは、そのときちゃうねん。
「へえ……振られるのが怖えんだな?」
「なっ……! アホか! 誰がそんなっ」
「図星だろ? 超ビビってやんの。じゃあな侑士。面倒くせえから、オレもう行くわ」
「えっ。ちょ、ちょお待ち岳人! 自分どこ行くねん!」面倒くさいってなんやねんっ。
「どこって、帰るんだよ。あ、そうか。オレ、それ伝えに来たんだった! 今日、部活ねーぜ! じゃなっ!」
「えっ……」

勝手なことばっかり言うたあと、部室の前でくるくる回転しながら、岳人はそのまま帰りよった。
本題、それやったん? ちゅうのに、えらい余計なことばっか言いよったな。
ま、それやったら佐久間さんも部室内におるわけないから、いまの会話を聞かれとるってこともない。よかった反面、部活がないってことは、今日は佐久間さんには会えへんってことや。はあ……ガッカリや。会いたい。めっちゃ会いたい。
ホンマなら毎日、会えるはずやのに。こないだ中間考査もあったで、3週間もおあずけくらったあげく、先週からようやく会えるようになったのに……。しょげとってもしゃあないけど。
部活がないなら、なんもすることはない。それなら読みかけの雑誌を取ろうと思うて、部室に入った。
すると、誰もおらんはずの部室やのに、となりのロッカールームから、声が聞こえてくる。不思議に思って、そっとロッカールームを覗いた。

「ン……景吾……ちょっと苦しい」
「悪い千夏……止まりそうにねえ」

どわっ……またこいつらか。
なんで毎回毎回、こいつらのイチャイチャタイムを覗き見するハメになるんやろか……。うんざりしながらも、ちゃっかり見つづける自分にも呆れるわ。
覗きが趣味んなったわけちゃうけど……ええなあ、と純粋にうらやましくなる。跡部、……好きな子とあんなたっぷりキスできて、そら、止まらんわ。俺も想像で佐久間さんにキスするときは止まらんもん。現実になったら余計に止まらんやろ。
それはそれとして、やな……ロッカーにある雑誌を取りたいんやけど、そろそろやめてくれへん? と、思ったときやった。
背後から部室の扉が開く音が聞こえた。ドキーッ! っとして、ブンッちゅう音が鳴るくらいの早さで振り返ると、目を見開いた、佐久間さんがおる。
うわ、かわいい……会えた。ってちゃうちゃう! それは嬉しいけど! な、な、なんでこんなタイミングで、部活、休みなのに来るんや!?
佐久間さんはなにか言おうと口を開きかけながら、1歩先にあるロッカールームに向かおうとしとった。
あかんで佐久間さん! いまはあかん!
体が、勝手に動いた。彼女が声を発する前に背後から手を回して、その口をふさぐ。

「んっ!? おっ……おひはひへんはい!?」
「シー! 黙って……!」

耳もとで、そう言うた。言うたはええけど……あかん、心臓がはちきれそうや。どないしよ。めっちゃおいしいねんけど、この状況。
右手が佐久間さんの唇に当たっとる(あとで舐めとこかな。ええよな別にそれくらい)。そんで左手は、佐久間さんの胸の真下に、回しとる。ああ、バックハグしとるやん……。めっちゃ、やわらかい。めっちゃ、女の子のええ匂い。もう、このまま死んでもええ。
ぼわあっと頭が沸騰しそうになる寸前で、はっとした。
あかん、昇天しとる場合ちゃうわ。目の前にある光景、見てしもうたやろか。心配になって、そっと佐久間さんの顔に目をやると、彼女はさっきよりもぐっと目を見開いて、跡部と千夏ちゃんのキスシーンに、硬直しとった。涙目になっとる。
ああ……見てしもうたか。最悪や。

「佐久間さん、大丈夫か?」

もう一度、耳もとで問いかけると、静かにこくん、と頷いた……までは、よかったんやけど。
佐久間さんが少し身をよじったせいやろう、ロッカールームの扉に靴先が当たって、カタンッと音が鳴りひびいた。

「アーン? 誰かいるのか?」

やっば……見つかってまう!
跡部に覗き見なんかバレたら、ふたりでグラウンド20周とか言われかねん。佐久間さんにそんなことさせられるかっちゅうねん!

「ニャ……ニャオーン」

苦肉の策やった……。
猫の声真似した瞬間、佐久間さんが振り返って、ありえへん! みたいな顔を向けてくる。
うんうん、わかる。わかるで。せやけど大丈夫や、佐久間さん。跡部な、ああ見えて、ホンマにアホやねん。

「猫か……」

ほらな?





えええええええ……納得したの!?
よくあんな、イントネーションもピッチもおかしい猫の声真似を、本物と間違えられますね跡部先輩!?
っていうか、部室に猫が入ってきてる時点で、おかしいとか思わないですかね普通!

「千夏……お前の唇、やわらかいな」
「恥ずかしいよ景吾……」

聞いてるこっちが恥ずかしいんですけど。
ツッコみたいところだったけど、できない。だっていま、わたし、思いっきり忍足先輩に抱きしめられている。うああ、溶けちゃいそう。役得も役得だ。マネージャーってこんな特典つきだと思わなかった。
それでも、なんとか興奮しないように、自分の足の付け根あたりを、思いきりつねる。痛みでごまかそう作戦だ。
恋しているのが苦しい今日このごろ。忍足先輩のことを懸命に忘れようと努力している毎日に、この時間は悪魔の誘惑っ。

「なあ千夏、昨日、お前が夢に出てきたぜ」
「本当? あたし、景吾が出てきたことないんだよねー」

なにこのイチャイチャした会話。ちなみにわたしは、あるけどね。
跡部先輩は、このところ忍足先輩の夢ばかり見てしまっているわたしの夢に、友情出演的に登場する。
ああ、どうして忘れたいって思えば思うほど、夢に出てくるんだろう。夢でも会いたいと思っていたときは、全然、出てきてくれなかったのに。
しかも、夢のなかの忍足先輩とは、手をつないで、ときどき優しく抱きしめあう。夢の調子がものすごくいいときは、き、き、き、キスとか……ひゃあああもう、死んじゃう! たいてい、ああん、もっとキスしたい! ってときに目が覚めるから、なんとかもう一度寝ようとするのに、そういうときに限って寝れない。なんなのアレ? どういうからくりなの。千夏や親戚のおじさんが出てきたときは、二度寝も超余裕なのに。神様って本当にいじわるだ。

「佐久間さん、もうちょっと、この体勢のままでも、ええ?」

なんとか、こくこくと頷いた。
ああ、こんなことが起きるなんて。忍足先輩のバックハグ……!
部活、休みなのに来てよかった。掃除くらいしておこうと思っただけなのに、忍足先輩がいるなんて。しかも声をかけようとしたら、こんなことに。
忍足先輩に全身を包まれているだけで失神しそうなのに、あげく、くくく唇に、先輩のとっても綺麗な手がぴったりと当たってて。
な、舐めたい……。
しかも、耳もとでささやかれる低音ボイス。もう、それは反則すぎます! 黙ります! いくらでも黙りますよそんなの! そうでしょう!?

「あ、堪忍。苦しいよな。しゃべったあかんで? シー、シー、な?」

シーのポージングにめまいがしそうになったところで、すっと、手が解かれていった。抱きしめられていた体が、残念の極みとばかりに名残惜しんでいる。はあ、すごく熱い……。
限界まで息を止めて、静かに吐いてをくり返していたから楽にはなったけど……。

「は、はい」
「ん……しかし、えらいもん、見てもうたな」

そうだった。
うっかり忘れそうになっていたけど、ロッカールームで、千夏と跡部先輩がキスしてる最中だ。もしかして……忍足先輩、ふたりのことが気になって、覗いていた? ぐぬう……胸が、苦しい。
先輩、どんな気持ちで見てたんだろう。
だって忍足先輩は、千夏が好きだもんね? あの日の忍足先輩の潤んだ目、忘れられないもの。千夏と跡部先輩が付き合うことになって、忍足先輩は泣いたわけだから。そのあとの会話だって、「腹いせ」とか「嫉妬」とかおっしゃってたし。こっちはなんとか気づかないですよーって振りして笑ったけど、内申、大号泣の大洪水でしたよ……。
あの日に9割は悟って、残りの1割は、先週の千夏からの情報で確信した。

――伊織! 忍足先輩情報! 先輩の前カノさ、景吾狙いだったみたいよ。
――は……なにそれ?

なにも気づいてない千夏はのん気なもんで。
跡部先輩と付き合ってから1ヶ月は経ったから理解はできるけど、いつのまにか「景吾」とか呼びだしちゃってるし、部室でも、忍足先輩がそこにいるってのにイチャイチャ話をくり広げてる。
あげく、試験期間はいつも一緒に勉強してたのに、ちゃっかり跡部先輩に勉強を教えてもらってて、あの女、成績を上げやがった! 絶妙にムカつく。いいけど別にっ。

――忍足先輩と付き合えば、景吾とお近づきになれるじゃん? それが狙いで付き合ったんだって。だから、忍足先輩も別れたかったらしいよ。とくにそこまで好きでもなかったんだって。

つまり?
忍足先輩は、そんな赤裸々なことを話すくらい、千夏のことを想っている、ということだ。だってわたしとは、絶対にそんな話をしない。でも、千夏には話している。千夏が忍足先輩から聞いた前カノの話は、先輩からの、千夏へのメッセージにほかならない。じゃなきゃわざわざ、「とくにそこまで好きでもなかった」なんて言うはずがない。
これは決定だ……忍足先輩は、千夏のことが、好きなんだ。

――へえ。そうだったんだ。

そうとしか、応えようがなかった。
どうして忍足先輩の想い人は、いつも跡部先輩が好きなんだろう。
本当だったらわたしだって、千夏の恋愛を祝福して、いっぱい話を聞いてあげたいし、情報をくれる千夏に、感謝だってしたい。
だけど、どうしてもそんな気分になれずにいる。醜い……そんなの自分でもわかってるけど、まったく制御できなかった。

――え、なにその反応。嬉しくないの?
――それは……別れてたって時点で、嬉しかったし。

だから、ごまかした。
仕方のないことだけど、忍足先輩の気持ちを思うと、つらい。忍足先輩に幸せでいてほしいから。
忍足先輩は千夏が好きだけど、千夏は跡部先輩と付き合っている……わたしはお呼びでないのだけど、主観的に見れば四角関係。これはもう、あきらめるしかない。
とはいえ、だ。
親友の幸せと忍足先輩の幸せを天秤にかけると、ものすごく複雑な気分になるのも事実。
もし、千夏と忍足先輩がうまくいったら……と、考えたことだってある。そうなったら親友と忍足先輩が両方幸せだってことだから、自分の心を殺してでも、祝福できるように努力したいと思う。すぐには無理かもしれないけど、きっといつか、心から祝福できる日がくるはずだ。
でも、現状、千夏は跡部先輩にお熱だし……。わたしもまだまだ、忍足先輩が好きだ。
だから千夏への態度がきつくなっていることは、自覚していた。こうなると、自分がどんどん嫌いになってくる。
まずはわたしから、変わっていかなきゃいけないんだろう。さしあたって、忍足先輩のことを、いさぎよくあきらめる。前カノさんを見たときは全然あきらめられる気がしなかったけど、千夏なら……あきらめなくちゃと思う。そして、どうなるかはわからないけど、千夏の恋も、忍足先輩の恋も、もっと余裕のある心で見守りたい。

「ねえ景吾、校長に呼ばれてるんじゃなかった?」
「ああ、もう行かねえとな……すぐ戻るぜ、千夏」

いつのまにか、跡部先輩がこっちに向かってきていた。
やばいッ……! こっち来る……! と緊張したのは、忍足先輩も同じなんだろう。まだそれなりに密着している体が、お互いにビクンッと反応した。

「あかん、佐久間さん、こっち」
「えっ」

忍足先輩はわたしの腕を引っ張って、トレーニングルームに駆けこんだ。抱きしめられていたときもドキドキしたけど、腕に触れられてもドキドキする。
嘘発見器にかけられたら、あのカニ足みたいなのが振り切って壊れちゃうんじゃないだろうかってくらい、ドキドキした。
息を整えるために、トレーニングルームに座り込んですぐ、はあっと深いため息をつく。
同時に忍足先輩も、ため息をついていた。

「……好きな人のあんなん見たら、ショックやんな」

唸り声を、なんとか堪えた。早くあきらめなきゃと思うのに、わたしもなかなか往生際が悪い。ああ、忍足先輩……わたしは、その言葉がショックです。
そうですよね……忍足先輩からすれば、千夏と、跡部先輩のキスシーンなんて、ショックに決まってる。
個人的には「へえ」って思うだけだけど……忍足先輩は、いまのわたしみたいに、胸がぎゅうって、締めつけられたのかな。
だから、ただ、うつむいた。それから、わずか30秒程度のことだった。
黙り込んだままでじっとしていると、ガチャ、と容赦のない音が聞こえてきたのだ。

「あ、やっぱりいた。猫なんているはずないと思ったのよ」

トレーニングルームを開け放った千夏が、こちらを見おろしてニヤリとしている。
ああ、無性に腹が立つ。いけないと思うのに、いましがた忍足先輩の傷ついた発言を聞いてしまったせいで、怒りの矛先が千夏(と跡部先輩)になっていく。
だいたい、である。
部活が休みの日に、バカップルが部室でハレンチなことをしまくって! なに考えてるのさ!

「千夏さ。今日、部活は休みなのに、なんで跡部先輩と?」
「呼びだされたの、景吾に。伊織と忍足先輩は? ふたりでどうしたの?」ニヤニヤしまくっている。そりゃ、千夏は幸せの絶頂だろうけど! 自重してほしい。
「ああ、俺はロッカーにある雑誌を取りにやな」

忍足先輩が、苦しまぎれの言葉を吐いた。
本当はきっと、違うでしょう? ふたりが気になって、ついてきちゃったんですよね? それで、傷ついてる。傷つく結果が待ってるってわかってたのに、来たんだ。そういう先輩のもどかしい気持ち、わからなくはない。

「ふうん。そうなんですね。それで、伊織とふたりでなにしてたんですか?」
「いや、佐久間さんとは、偶然に会うただけやで?」
「へえ、偶然、ねえ?」
「ちょ、千夏ちゃん、その顔やめ」

だというのに、忍足先輩の気持ちも知らないで、千夏は相変わらずニヤニヤしていた。気づかなくていいんだけど、跡部先輩とぶちゅぶちゅしてたからって、ニヤニヤしないでいただけます!?

「千夏、ちょっと、不謹慎なんじゃないかな」
「え?」

うっかり心の声がそのまま出て、自分でぎょっとした。千夏も忍足先輩も、ぎょっとした顔を向けてきている。
言ってしまった……。
だってさ! 本当は忍足先輩、すっごく傷ついているのに、ポーカーフェイスでいま普通にしてくれてるだけなんだよ。だからって千夏にあたるのは違うってわかってる。わかってるけど、せめてもう少し、いろんなことに配慮してくれたら……。

「……佐久間さん? どないした?」

忍足先輩が、不安そうにこちらを見た。
綺麗な顔……ああ、それでも、先輩は千夏が好き。普段からあんなに優しい先輩が、想い人に強く言うことなんて、できるはずもない。
一方、わたしは千夏の親友だ。やつあたりはいけない。でも常識の範囲内の注意なら、してもいいはずだ。ていうか、ここぞとばかりにしてやる!

「だから、不謹慎だって、言ってるの。ここ、部室だよ? もうちょっと、場所とか、わきまえてさ」
「なにその、ババくさい説教。ねえ伊織さ、最近、不機嫌すぎるよ? あたし、もっと伊織に相談したいこといっぱいあるのに」
「え?」
「全然、あたしと景吾の話、聞いてくれようとしないじゃん」
「あ、それは……ご、ごめん」

バレてた……。いや、そりゃそうか。このところ、態度悪かったもんね。
でも、この本音を、千夏には言えないよ。だから落ち着くまでは、聞かないようにしてるだけ。仮に、千夏が忍足先輩の気持ちに気づいたら、絶対、わたしに申し訳なく思うし……。

「認めるの? ってことは、マジで避けてたんだ?」千夏が、お決まりの腕組みをした。
「……それは」
「なあ千夏ちゃん、佐久間さんにやって、いろんな事情があるんちゃうかな?」

うまくしゃべれなくなったわたしを見かねたのか、忍足先輩が仲裁に入ってきた。
わああ……すごく優しい。そういうところが、好きって思っちゃう。キュンキュンのキュンだ。

「事情ってなんですか」先輩が優しく聞いてくれてるのに、この、つっけんどんな態度。あんたって女は……!
「そら……人のノロケ話なんて、聞いとってもおもろないで」そう、そうですよね! 先輩だって聞きたいわけない。とくに、千夏と跡部先輩のは。
「ノロけてるつもりなくて、結構、真剣に悩んでるのに……」

ぶすっと、口を尖らせている。千夏が真剣に悩んでいたことなんて、この3年で数える程度しかなかったのだけど……そういうときに、わたしが話を聞いてあげていない、というのは、たしかに不甲斐ない気もしてくる。でも、幸せの絶頂で真剣に悩んでることって、なによ?

「そうなん? ああ、それやったら、俺が聞いたるわ」
「え?」「え?」千夏とハモってしまう。
「ん、俺で、ええならやけど」

はっとした。
そっか。忍足先輩は、千夏と跡部先輩のノロケ話は聞きたくないけど、千夏の相談者にはなりたいとか、そういう?
だって、相談しているうちに恋愛関係にって、すごくよく聞く話だ。忍足先輩はラブロマンス大好きだし、そういうベタベタな展開を狙っていても、おかしくはない。
それなら……応援、すべきなんだよね。忍足先輩の幸せを、願うなら。

「あ、じゃ、じゃあ先輩、お願いしてもいいですか? わたしの代わりに」
「そら、まあ、千夏ちゃんがよければやけど」
「え、ちょっと伊織、嘘でしょ?」
「だって、人生経験だって、跡部先輩のことだって、忍足先輩のほうがいいじゃん」
「いや、そうかもしれないけどさ」
「ほな一旦、聞こか?」
「お願いします、先輩。じゃあわたし、これで」

跡部先輩、ごめんなさい。千夏と忍足先輩をくっつけようとしてるっていうか、忍足先輩の幸せを考えているだけなんです、わたし!
ちょっとだけでいいから、忍足先輩が幸せを感じられる時間を、あげてください。

「ちょ、待って伊織! まずは試させて!」
「へ?」「へ?」今度は忍足先輩とハモってしまう。
「た、試す?」忍足先輩が、困惑している。
「そう。まずは、忍足先輩が相談相手にふさわしいかどうか。ふたりで一緒に聞いて。内容的にも先輩に聞いてもらうの、いい気がしてきたし。それで伊織の答えと、忍足先輩の答えを比べるから」

この女は、いったい何様なのだ。ああ、そんなところまで跡部先輩に感化されたのかと思うと、また無性に腹が立ってくる!

「おお……相変わらずやな千夏ちゃんは。ま、俺はええけど。佐久間さん、どない? 無理はあかんで?」

これは……やんわりと、「出ていけ」と言われている気がする。そう、ですよね。ふたりきりになりたいですよね。うう、胸が、痛い。でも、忍足先輩の幸せがそこにあるなら、つらくても、乗り越えなきゃ。
しかし、その心の声が、千夏に届くはずもなく。

「無理なわけないですよ。はい、じゃあ相談しまーす」
「うわ、はじめるんかい」

出ていくタイミングを逃してしまった。千夏は昔から、強引なところがある。ここで無理くり帰っても、きっとまた引き戻されるだけになる。おとなしく、さっきいた位置に戻った。
ああ、忍足先輩、ごめんなさい。わたしがどんくさいばっかりに……せっかく、千夏とふたりきりになれるチャンスだったのに。はあ、胸がチクチクする。

「来週、景吾に泊まりに来いって誘われたの」

ぎょっとして、固まってしまった。そ、それはつまり、そ……その相談というのはつまり!? 忍足先輩をそっと見ると、思いっきり目が合ってしまった。
これは、まずい。忍足先輩は千夏の相談者になりたいのかもしれないけど、これは、想像以上にまずい気がする。

「それって、たぶんそうなるよね? あたし景吾に抱かれるよね? きっと」
「……千夏ごめん、やっぱやめて」
「やめないよ。やめたくない。これがいまいちばんの悩みごとなんだから。それで景吾って、これまで何人も付き合ってるでしょ? ねえ忍足先輩?」
「まあ、せやなあ……」うう、先輩の声色、テンションガタ落ちになってる。
「ですよね。でもあたしは、はじめてなんで」
「はあ、さいですか……」先輩の目が、横一直線になってる! ぱっちり大きなおめめなのに!
「景吾に抱かれるの、ちょっと怖いっていうか」
「千夏、ちょっと、ホントにやめて」

あああああああ抱かれるとか言わないで。お願いっ。しかも、はじめてとか! わたしは知ってるけど!
ただのガールズトークなら、ぎゃーぎゃー言いながら聞けたのにっ。ここに忍足先輩がいるから、全然そんな気分になれないっ!
先輩、絶対に傷ついてるよね。はじめてを跡部先輩に捧げるなんて、聞いてられないですよね!?
もう一度、先輩をこっそり見た。今度は、頭を抱えている。ああ、やっぱり。泣きそうになってる。かわいそう……先輩がかわいそう!

「いや、日本の性教育ってめっちゃ遅れてるじゃん。だからあたし、こういうの恥ずかしいとか言って、ひとりで悩むのよくないと思ってさ。客観的な意見が聞きたくて」
「わかる、わかるけど、それは」忍足先輩の前ではやめて!
「景吾だから素敵な夜にはしてくれると思うし、当然、避妊もしてくれると思うけど」
「千夏、ねえ、やめて」
「幻滅もされたくないから、どういうふうに景吾を受け入れるのがいいんだろって。最初はたぶん、キスでしょ?」
「千夏ってば、やめてよ」
「ああいうのってやっぱり、女子も積極的に動いたほうがいいのかなとか。忍足先輩は、男としてどう思います?」
「もう千夏、いい加減にして!」

わたしの大声で、トレーニングルームがシンと静まり返る。
だけど、この凍りついた空気にかまっている余裕なんて、全然なかった。
千夏の目の前に立って、彼女の両肩をグッとつかんだ。あのねえ千夏、もうちょっと自重してよ! そんな話、忍足先輩が聞いて耐えれるわけないのに、意見を求めるなんて!

「ちょ、痛い! なにっ!?」
「さっきからなんなの? 人の気も知らないで! 聞いてるこっちの身にもなって!」
「佐久間さん、やめときっ」先輩が、あいだに入ろうとする。ダメです先輩、優しすぎます!
「いいんです忍足先輩、言わせてください! いい? そういう話を、おし……惜しげもなく、人前で、堂々としないで! さっきからやめてって言ってるの、聞こえない!?」忍足先輩って言っちゃうとこだった。危ない、危ない。
「は? だってあんたが、相談にのりたくないから、忍足先輩にしてもらえって言ったんじゃん! やめたくないって言ったよね!?」
「じゃ、じゃあもう、つづきは後日にでも、落ち着いたらわたしだけで聞くから! 今日はやめて!」
「いやいや、待って待って。佐久間さん、混乱しとるよ。無理したあかん」そんな、こんな話を聞いてまで、千夏の傍にいたいですか!?
「だけど、先輩っ……」
「なんなの? どっち? あたしと景吾のエッチの相談にのってくれるの?」また言った! この女……!
「も、だからいい加減にしてよ! あのねえ!」
「なに!? なんなのあんた! なにキレてんのさっきから!」
「千夏にデリカシーが無さすぎるからだよ!」
「佐久間さんって、ちょ、落ち着きっ」
「先輩っ! 千夏にはハッキリ言わないと、ずっと傷つく一方です! だからハッキリ言わせてもらうけど!」
「佐久間さ……」
「傷つくって……ちょっと、伊織なんか勘違」
「なにが抱かれるよ! やめてって言ってるじゃない!」
「はあ!?」
「そうでしょ!? さっきから黙って聞いてりゃエッチな話ばっかりして! そんなの、聞きたくない人だっているんだよ!」
「なんでよ! いつもしてたじゃん! それに男子高校生だって、こんな話、毎日してるよ!」
「決めつけないで! そういう話を毎日してるからって、言う人が違うと嫌なものなの! だからやめてって言ってるの!」
「別に忍足先輩、嫌がってないじゃん! ですよね先輩!?」
「あ、ああ、いや、そうやけど……ちょ、二人とも落ち着」
「バカ!」なんてこと聞くのよ! 先輩が嫌なんて、千夏に言うわけないでしょっ。「この無神経女! なにも知らないでいい気になって! このわからずや!」
「はい!? な……なにもわかってないのは、あんたでしょ!? この大馬鹿女!」
「はあ!? 誰が大馬鹿!? そのまんまあんたに返すわよ!」
「じゃあ、伊織はあたしの気持ちわかるの!? なにもわかってないのは伊織じゃん!」

怒鳴った直後、感情が高ぶったせいか、千夏は泣きだした。
な……なんであんたが泣くの!? 泣きたいのは忍足先輩なのに……!

「ちょ、もうやめやっ二人とも! ケンカしたあかん!」
「だって先輩!」忍足先輩がつらいの、見てられません!
「伊織、ひどいよ!」
「泣くなんて卑怯だよ! やめてって何度も言ったのに、ひどいのは千夏でしょ!?」
「おい! なんだこの騒ぎは!」

そのときだった。飛び交う大声のせいだろう。跡部先輩がトレーニングルームに入ってきた。
くっそお……なんでこんなときに登場するかな!?
あんな赤裸々な、抱くとか避妊とか忍足先輩が聞いちゃったあとに、ふたりが一緒にいる姿を、どんな気持ちで見ろっていうんです、ええっ!?

「千夏……っ! 泣いているのか?」

跡部先輩は千夏に駆け寄ると、忍足先輩の目の前で、千夏を抱きしめた。
千夏と跡部先輩が抱き合う姿を見て、忍足先輩が、あからさまに顔を歪めている。
ああ、もう……最悪!

「泣くな……俺がいる。な?」
「だって……ごめん、も、大丈夫」

忍足先輩のつらそうな表情に、わたしの胸が、たしかに締めつけられていく。
もうこれ以上は、本当に息が詰まりそうなのに……千夏よりもなにも知らない跡部先輩は、わたしに向かって言い放った。

「貴様、佐久間! よくも俺の千夏を泣かせやがったな!」
「景吾、やめてっ」
「おい、跡部っ!」
「貴様、俺と千夏が付き合いだして、千夏が取られたような気がしてんじゃねえのか? 最近、千夏に冷たいらしいじゃねえか。女特有のやつだろ? アーン? 俺に嫉妬でもしてやがんのか!」

このボンボン……千夏を抱きしめながら、そんなこと言うなんて……。あげく、女特有のやつだって? わたしがそんなチャチな女に見える? 妬いてるのは忍足先輩です! わたしじゃない! 忍足先輩が、跡部先輩に、妬いてるの!

「景吾、もういいからっ」
「よくねえだろ。いいか佐久間、この際だから言っておく。千夏はお前の親友かもしれねえが、俺の女だ。親友なら親友らしく、友だちの恋愛を祝福したらどうだ! お前の不安定なメンタルでお前が勝手に傷つこうが、俺には知ったこっちゃねえんだよ。だが千夏を傷つけたらタダじゃおかねえぞ。わかったか!」
「景吾ってば!」
「跡部! 言い過ぎや!」

限界だった。
わたしだって祝福したい、でも祝福しきれない恋心が、いま、ここにあるのに! 忍足先輩を見てて気づかないですか? いつもスケスケとかツルスケとか言ってるくせに、そこはツルスケにならないわけ!? 
不安定なメンタルで、勝手に傷つこうが、関係ないって……? じゃあ、あなたの大事なチームメイトの忍足先輩が傷ついても、知ったこっちゃないってこと!? 自分さえ幸せなら、それで満足!? なんなのこの俺様野郎は……!

「跡部先輩も……千夏も、ひどいよ! 無神経すぎる! 目の前でこんなの……ひどい! もういい!」

支離滅裂に言い放って、泣きながら走り去った。





「佐久間さん!」

佐久間さんが泣きながら、部室を飛びだして行きよった。
佐久間さん、跡部が好きやで、千夏ちゃんの相談を避けとるって事実を知って、俺はまた、地味に傷ついた。それでも俺がそのぶん、千夏ちゃんの相談にのれば、佐久間さんが楽んなるかなと思ったし、佐久間さんもホッとした感じやったで、うまくいきそうやったのに……。
わかっとったけど、千夏ちゃんって跡部にそっくりで、全然、空気読めへんから……おおごとになってしもた。相談がはじまったときは、「ああ、これ佐久間さんにとっては最悪の相談や」と、頭を抱えたくらいや。
しまいには目の前で佐久間さんと千夏ちゃんがいきなりケンカしはじめた。無理もないけど……佐久間さん、千夏ちゃんが跡部に抱かれるってわかって、大きなショックを受けたはずやから。
そら、付き合ってんねんから、いずれそういうことにもなるやろうけど。佐久間さんはまだまだ跡部が好きやし、あんなキスシーン見たあとやで、傷を深いとこまで抉られて、受け入れられんかったんやろう。
今日のところは、どうでも聞きたなかったんや。その気持ち、めっちゃわかる。何度も「やめて」って言うたのに、千夏ちゃん、持ち前の勝ち気さで「やめたくない」って言うしやな。
苦肉の策で、佐久間さんは、俺が品のない話を聞きたくないってことにしたっちゅうのに……心臓に毛が生えとる千夏ちゃんに、落ち着いたら自分が聞くとか言いだしたで、めっちゃ混乱しとったし。
あげく、毎日そういう話してたとか千夏ちゃんが言いだしたで、「え、毎日そんな話してんの? 佐久間さんも?」とか興奮しかけつつ(男子高校生はおっしゃるとおり、毎日そんな話ばっかしとる。今日の岳人と俺や)、おろおろしとった俺も、跡部が出てきてから、なんやめっさイライラしてきた。
佐久間さんがつらい思いしとんのに、なんも知らん跡部は、目の前でしっかり千夏ちゃんを抱きしめて、しかも、佐久間さんにめっちゃきっついこと言うて……その姿、その暴言、彼女がどんだけ傷ついたか!

「跡部、お前ホンマに……ちょっと無神経やで!」

言い放ってから、佐久間さんを追いかけた。佐久間さんは、すぐにつかまって。
その腕を強くつかんだときには、さっきよりも、ぼろぼろ、涙をこぼしとった。
ああ、めっちゃ傷ついてる……かわいそうや。見てられへん。

「すみません、忍足先輩。ごめんなさい、わたしのせいで……」
「なんで? なんで謝るん? 佐久間さん……」

わたしのせいって、なんのこと? あんな修羅場になったから? それは佐久間さんのせいちゃう。俺が佐久間さんを守りたくて、相談聞くとか言いだしたから……。
何度も、「やめて」ってくり返しとったのにな。あんな話、無理やり聞かされて、ホンマ、つらいよな。堪忍や……俺があかんかった。

「だって、あのふたりが悪いわけじゃないの、わかってます。わたしの自分勝手な感情で……わたしが、めちゃくちゃにしちゃった。もう、見てられなくて……」
「ん……」

めっちゃ泣いとる……俺はその顔を見るんが、ホンマにつらかった。
なあ、佐久間さん……泣かんで? 俺、好きな子が泣いてんの、めっちゃ弱いねん。

「もう、限界なんです。先輩のこと……もう、見てられないんです」

千夏ちゃんを想っとる跡部を見るん、限界ってこと?
そんなに……そんなに跡部が好きなんか? なんで? なんで俺やない?
千夏ちゃんにやつあたりするほど、佐久間さんには跡部やなきゃ、あかんの……?
そんなんもう、俺かて限界や!

「ひゃ……!」

目の前で泣き崩れる好きな子を、なにもせんで見てられるほど、強くない。
気がついたら、めちゃめちゃ強い力で、佐久間さんを抱きしめとった。

「お、忍足……先輩?」
「堪忍……。代わりとか、そんなつもりちゃうねん。やで……もう、俺も限界や……少しだけ、こうさせてとって」

こんなん、前と一緒や。せやけど、状況が一緒ってだけで、あいつとは決定的に違う。
俺、こんなに誰かが好きなん、はじめてやのに……そんな子の気持ちすら、跡部に取られとる。めっちゃ悔しい……受け入れるしかないってわかっとる。やけど俺、あきらめきれへん。
佐久間さん……俺じゃ、あかん?

「なんで、俺やないんや……」
「……忍足先輩」

なあ、佐久間さん。俺、いつのまに、こんなに君を好きになってたんやろか。
君が好きなヤツが俺やったら、こんな思いさせずに済んだのに。俺、佐久間さんに好きんなってもらうまで、あきらめきれそうにない。
佐久間さん……めっちゃ好きや。たとえ君の心が、跡部のもんでも。





忍足先輩の前カノさんは、いまの先輩と、同じ気持ちだったんだろうか。
代わりとか、そんなつもりじゃない、なんて、嘘でしょ? 忍足先輩……。
いま、千夏を抱きしめてるつもりなんですよね?

「なんで、俺やないんや……」
「……忍足先輩」

ねえ、忍足先輩……どうして、わたしじゃないんですか。その言葉、そのまま返したい。
わたし、代わりでも、いいです……。わたし、こんな気持ちで……やっぱり先輩のこと、あきらめきれないのかも。
忍足先輩……こうしてくれてることに幻想を抱いても、いまだけ、許してください。





to be continued...

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