Poker face_05


5.


朝起きて、目覚まし見て、びびった、寝坊や、焦った、はよ用意せな! となったのは、深夜23時30分やった。よう考えたら朝ちゃう。めばちこもできてへん。セーフや。
せやけど、びびって焦ったのはホンマで、急いで出かける準備をする。ことの発端は、先週……。

「忍足。来週の土曜、深夜0時に氷帝前に集合だ」
「なんや来週の土曜って。めちゃくちゃ休みやないか。しかも深夜0時って、なにすんねん」
「いいから来い。部長命令だ」

跡部のことや、どうせしょうもないこと考えとるに違いない。なにが悲しいて休日の深夜0時に学校に行かなあかんねん、アホちゃうか。それやなくても土日に部活があったらうんざりすんのに。
まあでも、今年度からは土日の部活があると佐久間さんに会えるで、前よりはうんざりせえへん……っちゅうか、めっちゃウキウキどころかブギウギで「俺様の美技に酔いな!」とか、うっかり言うてしまいそうになるけど。
……それはそれとして、一応、スケジュールの確認をした。俺も人がええなあ。

「あ、あかん跡部。俺その日、めっちゃ見たかった映画が深夜からあんねん。せやからパスな」
「アーン? 配信されてねえのかよ?」
「ちゃうよ、新作や。レイトショー」
「なぜ昼に行かない?」庶民の娯楽を知らん金持ちは、首をかしげた。
「んん、知らんのやな。教えたる。深夜からの映画は安いねん。男にはレディースデーもないやん? せやけどお小遣いは大事に使わなあかんやろ?」
「はっ。さすが関西人だな。セコさに関しては日本一だ」アホほどの金持ちが、鼻で笑った。ちょおそれ、関西の人に失礼やからやめてくれる?
「まあ、お前には一生わからんやろな。ちゅうことでパス」
「ほう? 別にいいぜ? 参加したくないってならな」

「ほな、そういうことで」と背中を向ける直前やった。
跡部がおもむろにスマホを手にしながら、めっちゃさらっと言うたんや。

「せっかく、佐久間も来るってのにな?」
「え?」

いま、なんて言うた? と、問い詰める間もなく、跡部はつづけた。

「Hey Siri! 千夏に電話をかけろ!」

普通にかけろや! そんなことでSiri使うたるなや、かわいそうやろ!
あとなんでそんなバカデカい声で言うねん! こっちの鼓膜がおかしなるわ!

「ああ、千夏か? 忍足は来週の土曜は不参」
「ちょっと待たんかああああああいっ!」
「うっ、うるせえ! 耳もとで叫ぶな!」
「お前よりマシじゃ!」

電話口からも、千夏ちゃんの「うるさい!」という声が聞こえた。けど、そんなんどうでもええ。

「千夏ちゃん? 聞こえるか? 忍足や! 俺、参加や! 千夏ちゃん! 参加するでな!」
「アーン? 貴様、たったいま」
「やまかしい参加する言うたら参加するんじゃ! 千夏ちゃんにもよう言うとけ!」
「ほう……? さては佐久間に、会いたいってか?」

めっちゃニヤニヤと、跡部が見てくる。
そんなん……会いたいに決まっとるやろ! 俺は毎晩、頭のなかで佐久間さんを……!
ああ、あかん、このアホにそんなん言うて、佐久間さんにバラされたら一巻の終わりや。

「そら、お前、そら……ちゅ、ちゅうか、なにをすんねん、そんな夜中から!」
「それは来てからのお楽しみってやつだろ? じゃあな忍足。行くぞSiri!」
『すみません、よくわかりません。なにか、ほかにお手伝いできることはありませんか?』
「アーン? なにもねえよ」

アホが完全にスマホを樺地扱いしとるで、Siriが気の毒になった。
それが先週の話。なう、氷帝の前に向かっとる。
千夏ちゃんと大喧嘩して泣いた佐久間さんを抱きしめてしまってから、早いもんで2週間が過ぎた。
佐久間さんと千夏ちゃんは、翌日にはもう普通にしゃべっとった。女の友情ってもっとねちっこそうやのに、あの二人はめっちゃカラッとしとる。どことなし、「殴り合ったら友だちだよな!」とかいう昭和のヤンキー漫画みたいな男友だち感がただよっとるのは、そういうところかもしれん。
それでまた、佐久間さんに惚れなおした。佐久間さんのギャップはいくつかあるけど、男っぽいところがあるんも、めっちゃたまらん。千夏ちゃんのことは、なんとも思わんけど。不思議なもんやで。
せやけど……そんなふうに二人はすぐにもとに戻ったっちゅうのに、や。俺と佐久間さん間には、いまだ、ものごっつい気まずい空気が流れとる。

――堪忍……佐久間さん、泣き止んだか?
――こ、こちらこそすみません、甘えて、しまって……。
――そんなん、ええんや。謝るのは、こっちのほうや。いきなりこんなん、堪忍な?
――い、いえ。いいんです……似てますしね。
――え?
――体型とか。ほぼ、一緒なので……。
――あ……そう、やんな……。

たしかに俺と跡部って、体型ほぼ一緒。身長も体重も、どっちも1センチと1キロしか変わらん。せやから跡部に抱きしめられとる気分には、なれるんかもしれん。
って、やっぱり俺、どこまでも跡部の代わりにされる男なんやろうか。「代わりとか、そんなつもりちゃうねん」って言うたん俺やし、それで逆にその気にさせたんも俺やけど……あんなに本気で好きになった子にまで、跡部の代わりにされるって、めっちゃ虚しい。
あげく、微妙な会話のまま抱きしめとった体を離して、別々に帰って終わったで、そこから佐久間さんとは、ホンマに必要最低限の話しかせんようになってもうた。
ひょっとしたらまた、「忍足先輩、寂しいんです……また、抱きしめてくれませんか?」とかいう胸アツ展開を期待しとったぶん、それなりにへこんどる。
まあ佐久間さんからしたら、いくら代わりでも跡部やないと意味ないんやろう。わかっとるけど……俺は佐久間さんのぬくもりが、忘れられへんのに。
あの日は感情が昂ぶったから、跡部の代わりになった俺でもよかったっちゅうことなんかな……そんで、我に返ったっちゅうことか。はあ、切な。
考えとるうちに、氷帝学園まであと少しのところやった。じっくり目をこらしたら、そこには佐久間さんが、なんやもうソワソワソワソワしながら正門前で寂しそうに待っとった。
はじめて見る、佐久間さんの私服姿。黒のドルマンニットに、七分丈のスキニーデニム。髪はゆるっとハーフアップで……もう、クラクラする。シンプルでセンスええし、ちょっと大人っぽくてセクシーな感じ。ああ……めっちゃかわいい、いますぐ襲いたい。と、一瞬は思って、はっとした。
こんな真夜中にひとりなんか!? すっかり千夏ちゃんと一緒に来るんやろうと思っとったのに、めちゃめちゃ不安そうな顔しとるやん!
その時点で、もう走りだしとった。俺の情緒も大丈夫か。

「佐久間さん!」
「えっ! あ、忍足先輩……。こ、こんばんは。どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

駆けよると、佐久間さんがぎょっとしてこっちを見た。
おいおい、これ……なんや、デートの待ち合わせみたいんなってへん? あかん、妄想爆発しそう。

「まいど……え、千夏ちゃんは? ほかの連中は?」

正気に戻ろ……思いながら、ごく淡々と聞いた。

「はい。わたしもさっきから、ずっと待ってはいるんですけど……」

スマホを確認したら、0時をちょっと過ぎたところやった。時間どおりに来たっちゅうのに、誰の姿も見えへん。あれ、テニス部の連中も来るはずちゃうの?

「もう……時間やよな? 跡部はなにをしてんねん。自分から呼び出しといて遅刻か?」
「跡部先輩は、時間にルーズじゃないはずですけどね」

そうやね……って、そんな、細かいところまで跡部をフォローせんかっても、ええやん。
俺かて、時間にルーズちゃうで? 佐久間さんはそういう男が好きなん? ほんなら俺も候補に入れてえや。
心のなかやとベラベラしゃべる自分が、ちょお怖い。はあ、あかん。佐久間さんのことが好きすぎる……。

「せやけど佐久間さん、こんな時間にひとりは危ないで。ひとりやって気づいた時点で、なんで俺を呼んでくれへんかったんや」
「えっ……」

気持ちが抑えきれんようになって、ついつい、口にだしてもうた。佐久間さんが、めちゃめちゃ驚いた顔して見あげてくる。
そんなに驚かんでも……もう、俺の気持ちなんて知っとるやろ? ちょっと攻めてもええやん。俺かて佐久間さんに、頼りにされたいねん。男として、見てくれへん……?

「忍足先輩……あの」
「ん……?」

な、なんやろ、なんやろと思ってドギマギした。めっちゃ意味深な間を置いて、視線を徐々にさげるから。
「わたし、忍足先輩に甘えていいんですか?」とかやったらどうしよう! たまらん!

「スマホ、光ってます」

……そうやんな。そんなわけないよな。俺も大概にせんとあかんわ。
最近、佐久間さんとまともにしゃべれてないせいで、頭がおかしなっとる。

「ホンマやね。うんうん、跡部や……たぶん、遅刻の連絡やな」

内面をごまかすように、にっこり笑った。
ポーカーフェイス発動のつもりやったけど、佐久間さんは目をそらしながら微笑んだ。はははっ……あー、戻ってるやん、出会いたてのころに。
俺のこと苦手やったの、克服してくれたんかと思ったのに、結局は苦手んなったとかそういうオチやろか。
やっぱりあれか。俺が佐久間さんを抱きしめてからか。あんなふうにいきなり抱きしめたもんやから、警戒しとるんかもしれん。
笑顔を向けられたいのは、俺やなくて跡部なんやろ? はいはい。わかっとるよ、俺かて、そんくらい……。

「忍足、もう来てるだろうな?」
「来とるわ。お前なあ、呼びだしといてなんやねん……」
「なにとはなんだ」
「なんだ、やあらへんがな。佐久間さんも、もう来て待っとんで。ほかの連中はまだ揃っとらんけど……お前はなにをしてんねん。はよ来いや」
「アーン? 俺はもう来てんだよ。なあSiri?」
「跡部……通話中はSiriは起動せえへんと思うで」
「なに、そうなのか」

ちゅうか話しかける必要ないやろいま。Siriはお前の恋人か。ほんでなんで最近そんなにSiriにハマってんねん。

「まあいい。佐久間ももう来ているのなら話は早い。ふたりで本館3階の奥にある美術室に来い」
「はあ?」
「じゃあな」
「ちょ、待っ……!」

……切れてもうた。
なんやこれ。こんな真夜中に呼びだして、いきなり3階の美術室に来いやって?
跡部、お前なにを企んでんねん。
最近、俺の恋心に跡部と千夏ちゃんが気づいて、ふたりしてえっらいおちょくってきよるけど……まさかその延長で、こんな時間に佐久間さんとふたりきりにっちゅう、ベッタベタなこと考えへんよな、あのアホども……。
佐久間さんが好きなんは、お前なんやで跡部……! その気遣いはちょっと嬉しいけどやな!

「忍足先輩?」佐久間さんが、首をかしげて見あげてくる。はあ、かわいい。
「ん。なんやもう、跡部は美術室におるらしいわ。来いって電話やってんけど」
「えっ。こ、こんな真夜中の学校に入れってことですか? でも、美術室には明かりがついてないですよ?」
「ん……せやんな。まあでも、しゃあないね、行くしか」
「でも、怖いです……」

不安そうな顔をして、うつむいとる。
ああ……もう、もうもうもう、めっちゃかわいい……怖いやって!
いくらでも守ったるやん! そんな怯えた表情されたら、もう、たまらんわ!

「佐久間さん、俺がおるから……な? 大丈夫や」

ここはカッコのつけどころや。どさくさにまぎれて、優しく頭に触れてみた。
なあ佐久間さん……二度目に会ったときのこと、覚えとる?
同じことしとる自分が、なんや、今日はこそばゆいわ……。





忍足先輩は最近、ものすごく気を遣ってくれている。
このあいだ千夏の代わりに抱きしめたことへの罪悪感なのか……そんな、「俺がおるから」からの、頭、ぽんぽんって! ふああああ、死んじゃう。
うう、お願いだから優しくしないでください。忍足先輩のこと、あきらめきれなくなっちゃうじゃないですか。
だけど嬉しい……もう、すっごく複雑な気持ちだ。胸が、異常なくらいに高鳴っていく。
だって今日の忍足先輩……私服姿だし! 中1のときから追いかけてきて、はじめて見るお姿に、目がハートになってしまいそうだ。ブルーのシャツに紺色のショートパンツという、爽やかモテ系男子ファッション。そういうのも着るんだっ! 足つるつる! ああもう、カッコよすぎます忍足先輩ー!
おまけに、おまけにですよっ。ただでさえカッコよすぎるのに、とびきりの笑顔を、わたしだけに向けてくれている! まるでデートじゃんっ。こうして毎日でも忍足先輩を独り占めできたら……んん、ああ、エクスタシー!

「は、はい! 大丈夫です、よね……!」
「ん。大丈夫や。ほな行こか」

優しい忍足先輩は、長い足を校舎に踏み入れて、歩きだした。少し早足でついていく。こうしてふたりきりになるのは、あの日以来だ。

「あ、堪忍。ペース、落とすな?」
「あ……す、すみません。とろくて」
「くくっ。ええんよ。女の子なんやから、当然や」

どこまでも、優しい……も、大好きすぎる。
とはいえ「抱擁事件」から、忍足先輩とのあいだに気まずい雰囲気が流れているのは自覚している。先輩だって、わかっているはずだ。
だから今日だって、沈黙のなか、靴が砂利を踏む音しか聞こえない。
そろそろ限界だな、と思う。忍足先輩のことは、いずれあきらめるつもりだけど……気まずいままなのは、やっぱり嫌だった。
ここは勇気をだして、あの日のことを語るべきなんじゃないだろうか。忍足先輩は優しいから、きっとわたしに「悪いことをしたなあ」と、思ってらっしゃるに違いない。
その優しさからくる胸のつかえを取り除けるのは、わたししかいないんだから。

「なあ、佐久間さん」「忍足先輩あのっ」

お互いが同時に声をあげてしまって、立ち止まって顔を見合わせた。
先輩も、気まずさに耐えかねたのかな……こういう間の悪いところだけは、相性ぴったりですね! なんて、部室で見たキスシーンを思いださせるようなことを、言えるはずがない。

「あ、お、忍足先輩から……」
「あいや、佐久間さんから言うて?」
「でも、あの、先輩のほうがさきに」
「いやいや、ええねん、たいしたことちゃうし」

ゆずりあっているうちに、また沈黙が訪れてしまった。
ダメダメ、これじゃ話なんて前には進まない。先に言おう。先輩、優しいから絶対に言いださないだろうし……。

「あの、じゃあ、あの、失礼して」
「ん。なに?」
「その……このあいだのこと、なんですけど」
「……こないだ、ちゅうのは、アレやんな。俺が、その、急に」ああっ、言わなくていいです!
「そ! き、きき気にしないでください!」
「え?」
「あの、もう、大丈夫なので……わたし」
「……さ、さよか」

はあ。やっと言えた、思いきった……。たったそれだけのことなのに、こんなに思いきったことはない。と、たかだか15年しか生きていないのに思ってしまう。それでも、あれからものすごく気を遣ってくれている忍足先輩に、絶対に言いたかったことだ。
忍足先輩……心配しなくても、わたし、抱きしめられたからって、「責任取ってください!」なんて言いませんからっ。
だって忍足先輩は、跡部先輩と千夏のキスシーンを見たあげく、千夏の口から跡部先輩とのエッチな話を聞かされて、落胆していたんですもんね。それで、体型がほぼ一緒のわたしを千夏だと思って、抱きしめたんですよね。わかってます。
「代わりとか、そんなつもりちゃうねん」って先輩の言葉、すごく切ない声だったもの……。

「……あ、先輩は?」
「あ、いや。その、なんや、佐久間さん、最近めっちゃ暗いからな……好きな人とうまくいかんからって、そんな落ち込むことあらへんで?」
「え……?」
「佐久間さんな、代わりならいくらでもおるよ。たとえばその、俺が」
「せ、先輩いいです! そんな無理して、前のこと話さないでください!」

忍足先輩って……すっごく鋭そうな顔しておいて、ものすごく鈍いらしい。だっていまの感じからいって、わたしの気持ちに気がついてないってことだ。
じゃあ別に、あれですか。抱擁事件に関しては、わたしが先輩のこと好きだから気にしてたってわけじゃなくて、ただ単に気を遣ってただけ? でもなんで、わたしの恋がうまくいってないのは、わかっちゃうの?
あげく、たとえ話で前の彼女さんとのことまで言おうとするなんて……そういう手段があるって、言いたいわけですか?
そんな、話題がないからって、苦い過去を話さなくたっていいのに。
忍足先輩……優しすぎますよ。ますます先輩のこと、好きになっちゃうじゃないですか。





ちょ……めっちゃかわされてるやんか。
「俺が代わりやあかんか?」って言おうとしたのに、この有様。佐久間さんは、俺の気持ちには、絶対に気づいとるよな。こないだの会話からして、気づいとるに決まっとんねん。

――堪忍……。代わりとか、そんなつもりちゃうねん。やで……もう、俺も限界や……少しだけ、こうさせてとって。
――なんで、俺やないんや……。

あんなふうに抱きしめて、あそこまで言うたんや。そんなん、告白したようなもんやろ。
無理して前のこと話すなっちゅうのは、そのときのことを言うとるんやんな?
そんな全否定するほど、そ……そんなに嫌やったんか?

「わかった。もう、せえへんよ」
「はい、お願いします」

ちょ……本気でへこむわ。佐久間さんさあ、跡部のなにがそんなにええんや? 俺ら、抱きしめあった仲やんか。
めっちゃブルーんなる。それでも、佐久間さんとふたりで歩いとることは、結局、嬉しいんやけどさ。

「よっしゃ、ほな入ろか」
「はい」

ようやく、本館にたどり着いた。跡部が先に来とるからやろうで、入口の扉はすんなりと開いた。
ちゅうかこの学校、どうなっとんねん。セキュリティ大丈夫か? 跡部が開けたんやろうけど、休日の深夜に生徒の遊び場にすること許すって。そら財閥からの出資額が半端やないやろうから、跡部には逆らえんやろうけどもやな。教育上、どうやねん。

「うわ……真っ暗ですね」
「ホンマやね。ああでも、あそこは、あかるいで?」

おっしゃるとおり、なかは真っ暗やった。せやけど、奥にある非常口の明かりが、めっちゃ緑に光っとる。

「うわあ……ああいうのが、余計に怖いです」
「ははっ。まあ、言われてみればそうか」

怯えとる佐久間さん、かわいい……。いますぐ抱きしめて、めっちゃめっちゃに乱したい。
ああ、あかん……また変態みたいなこと考えてもうた。今度そのシチュエーションで妄想しよかな。熱い夜んなるな……終わったあと死にたなるやろけど。

「佐久間さん、怖がりなんやな?」
「普通です……怖くない先輩がすごいんですよ」

怖がりな佐久間さんに、ずくずくした体のうずきを感じはじめたときやった。
彼女は突然、ピタッと固まった。同時に、俺の後方に向かって目を見開いとる。

「え……」
「ん? 佐久間さん? どないした?」

その目が、さらに見開かれていく。ただでさえ大きい目をしとるのに、それはこぼれ落ちそうなほどに開かれとった。驚愕の顔が、奥にある非常口の明かりのせいか青ざめて見える。
具合でも悪いんかと思って心配になったとったら、口をパクパクしはじめた。

「せせんぱ……」
「どないしたん? 大丈夫か?」
「う、うし……うし、うしろ」
「うしろ?」

佐久間さんがゆっくりと手をあげて、指をさす。指先のさらに先を振り返った瞬間、同じく固まった。俺の目もそこそこ大きいほうやけど、目ン玉3倍くらいになった気いする。
視線の先、廊下の奥のほうで、人影がゆらゆらと揺れとった。
白いワンピース。真っ黒なぼさぼさの髪の毛が、床につくほど伸びとる。いかにもすぎて、現実味がない。骨格からして、たぶん、女。せやけど、その揺れかた……EXILEが『Choo Choo TRAIN』のときにやる、ぐるぐるダンスみたいやった。

「せ、先輩……」
「……大丈夫や。あれ絶対、跡部のとこの使用人やろ。見てみ? ダンスめっちゃキレキレやん」

実は結構、怖かったし、もちろん気味が悪かったんやけど、EXILEはこっちから30メートルは離れとるし、佐久間さんにカッコ悪いとこなんか見せられへん。
跡部のたくらみも理解して、全力で心を閉ざした。

「で、でも……こ、ここ、怖すぎます」
「大丈夫や佐久間さん。絶対に跡部の悪ふざけや。俺がついとるから」

と、ここぞとばかりに、めちゃめちゃカッコつけたときやった。

『くきゃ……』

変な声が聞こえて、体がビクッと反応する。
EXILEは相変わらず踊っとる。せやけど、さっきとは様子があきらかに違った。

『くきゃきゃきゃ……』

顔が、めっちゃ笑っとるのが、離れとるのに、暗がりやのに、なんでやか、わかる。
しかも、聞こえてくる気色の悪い女の笑い声が、人間の声じゃありえんほどに、廊下に響きわたっとった。
それと同時に、窓ガラスが一斉に、ガタガタと揺れはじめた。

『くきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ……!』

おいおいおいおいおいおいおい!
偽モンやってわかってても……これはキツいで跡部……!
め、めちゃめちゃ怖いっちゅうねん!





貞子がいる……!
あまりの恐怖に足がすくむ一方で、目が離せなかった。
忍足先輩が一度は安心させてくれようとしたのだけど、次の瞬間、貞子のおぞましい笑い声が廊下中に響きわたり、窓ガラスがビリビリと音を立てて揺れはじめた。

「ぎゃああああああっ!」
「あかんあかんあかんあかんあかんてアレは! 佐久間さん逃げるで!」

忍足先輩が即座に向き直り、わたしの手首を痛いくらいにつかんで、ものすごいスピードで階段を駆けあがりはじめた。

「あかん、あかん、あんなんあかん! はよ跡部を見つけな!」
「せ、先輩、は、早いですっ! コケちゃいます……!」

わたしは、自慢じゃないが、どん臭い。だからこそ、テニス部レギュラーである忍足先輩のスピードについていけるわけもない。
あげく、うしろからもすさまじい音が聞こえてきていて、恐怖でどうにかなりそうだし!

「堪忍! あと少しやから佐久間さん!」
「ううううああああ、はいっ!」

せめて、足手まといにはなりたくない!
背後でなにが起こっているのか確認しようと決意を固めて振り返った。
すると、四つん這いになってカニのようにカサカサと、しかし怒濤の勢いでこちらに向かってくる貞子の姿!

『くきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃあああああああ!』
「ぎゃあああああああああああ!」
「佐久間さん!? どな……ああああああああああ!」

あと数メートルのところまで来ている貞子に叫び倒し、驚いた忍足先輩が振り返ってまた叫ぶ。
先輩は、とっさにわたしを抱きかかえた。直後、またしてもすごいスピードで階段を駆けあがりはじめる。だけど貞子もまるで呪怨の如く、逆階段状態でズンズンとあがってくる!
あんたは貞子なの!? それとも伽椰子なの!? どっちでもいいけど怖すぎる!

「跡部ええええええええ! 絶対に殺したる! 絶対お前を亡き者にしたるぞボケええええええ!」
『くきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ……うあーあーあーうあーあーあーうあー!』
「なんなの!? なんなのあんた! なんなのいやああああ! 怖い怖い怖い怖い!」
「あああああああああかん、あかん、あかんてあかんんんんん!」

お互いが大きな声で叫びながら、ついに3階までたどり着いた。
わたしを抱えた忍足先輩は美術室前に到着すると、片足でドカッ! と扉を蹴って(カッコいい!)、教室に入りこむのと同時に、なかからまた扉を蹴って閉めた。

「佐久間さん、大丈夫か!?」
「だだだだだだだだ大丈夫じゃないです!」先輩に必死でしがみつく。どさくさに紛れたっわけじゃない。怖すぎるからだ!
「跡部ええええええ! どこに隠れとんのやお前えええええええ!」

先輩が叫んだ瞬間、今度は、ガタガタガタガタ! と扉が激しく揺れ動く。

「いやああああっ! 怖い!」
「アホか! 絶対に開けんからなあああああ!」

わたしを抱えたまま、先輩は扉を強く押すように背中を押しつけた。
やがて数秒すると、ピタリとその揺れがおさまった。
シン、と静まり返る美術室……激しい息遣いだけが、取り残されたようにさまよっていく。

「はあ、はあ。佐久間さん、大丈夫か?」
「はあ、はあ。先輩、怖い。先輩いいい」
「大丈夫や、大丈夫……もう少し、こんままでええから」

忍足先輩の肩に顔を埋めて、しがみつきまくった。
頭ではわかってる……いま、先輩にお姫さま抱っこされてる。先輩の腕に抱きしめられて、その首筋からすごくいい香りがして、超オイシイ状況だってことも。
だけど、それに発狂もできないほどの恐怖なんだ! だってわたし、泣いてる!

「先輩……ど、ど、どうしよう、怖い……怖すぎます、うううう」
「大丈夫や、大丈夫……な? もう、音もせんようになったで……立てる? 立てそう?」
「う、う、はい……」
「ゆっくりおろすな? ええ? おろすで?」
「ううう、はい……」

宣言どおり、忍足先輩はわたしをゆっくりと床におろし、頭を優しく優しくなでながら、顔を覗きこんできた。
うわあ、なんて綺麗な顔……と、考えて思う。
ちょっと余裕がでてきたらしい。先輩の顔にうっとりしてるもの。きっと、音がしなくなったせいだ。まだ、怖いけど。

「大丈夫か? 怖がることあらへん。全部、跡部の仕業やから」
「いいいいい……ささ、さっきの全部、ですか?」
「せやせや。ああ、そんな泣いたあかん。俺がおるやろ? 大丈夫や。かわいそうにな」
「ううう、はい、はい、大丈夫です。先輩が、いますもんね」
「ん、ええこやな。えらいな佐久間さん」

何度もうなずくと、先輩は優しく微笑んでくれた。またも美しい顔に興奮しつつ、ほっとする。
そのまま「ここにおってな?」と、先輩は教室をキョロキョロと見渡し、前方に向かって歩いて行った。

「くそ。電気もつかへん。あのボケ跡部、なに考えとんねんっ」

美術室のドアをガンッと蹴ってから、悔しそうに悪態をつくと、今度はドアノブに手を伸ばしていた。まさか先輩……外の様子を見るつもり? ちょっと待って!

「先輩ストップ!」
「ん?」
「こ、怖いです……! い、いきなり襲われちゃったら!」
「ああ……大丈夫や、俺だけが見るから。どうせ人間やし。な? 離れたとこにおり?」
「で、でも……」
「安心して。佐久間さんは、俺が絶対に守る」

ドキューン! である。
そんな、絶句必須なことを言うなんて、ずるい……好き!
ああもう、胸のドキドキと恐怖のドキドキがわけわかんなくなって、頭がおかしくなりそう。

「ええ? 開けるで?」
「ははは、はい……」

忍足先輩が、ガチャ、とドアノブを回した。しかし、ガタガタと扉を揺らすだけに終わった。それって、つまり……。

「く……閉めよったな」
「嘘でしょ……」そこまでやるのか、ボンボンは。
「扉、開かへんねん。あのアホ、ホンマ……!」
「そ、外から閉めることなんて、できるんですかっ」
「わからん。せやけど跡部ならやりそうっちゅうか、できそうや」

ホンマにあいつ殺す……つぶやきながら、忍足先輩があきらめてこちらに向かってくる。もうすっかり恐怖は取れたのか、穏やかな足取りだ。おかげで、わたしの恐怖心もだんだんと薄れていく。はあ……怖いのに、たまらない。なんなのこの複雑な感情は。ていうかなんなの、この状況。

「しゃあないから、ちょっと座ろか。こっちおいで佐久間さん」
「は、はい」

教室の壁を背もたれに、先輩は腰をおろした。手招きに胸キュンしてとなりに腰をおろすと、頭に手を置かれた。そしてまた、優しくなでられる。ひゃあうっ。

「泣き止んだか……?」
「はい……もう、大丈夫です」

ああ、すごく優しい。忍足先輩に、こんなになでなでしてもらえるなんて……信じられない。
貞子は死ぬほど怖かったけど、先輩にあんなに抱きしめられて、ずっと頭をなでられるなんて。ちょっと跡部先輩に感謝したくなる。いや、許さないけど。
でも、待って。ホントに跡部先輩の仕業なんだとしたら、どう考えてもこれ、千夏も共犯だよね?
あの女、こないだケンカして仲直りしたばっかだってのに、またわたしとやり合いたいわけ!? ホントに……とっちめないと気が済まない!

「あの、忍足先輩」
「ん? どないした?」
「跡部先輩の仕業、ということですけど。なんのために、こんなことをしてるんですか?」
「ああ、それなあ」

跡部先輩が千夏を誘発したのか、千夏が跡部先輩を誘発したのかで、千夏にする処刑は変わってくる。
忍足先輩なら、なにか知っているかもしれない。

「俺もさっぱり、わからん。にしても、アレはあかんな」
「そっか。先輩にもわからないんだ」

先輩の言う「アレ」に、身震いしてしまう。
思いだしただけなのに。貞子のトラウマが、しっかりと体に刻まれてしまっているじゃないか。
跡部先輩の仕業とわかったいまでさえ、怖くて怖くてしょうがない。だって、最初からそうだとわかっていた忍足先輩でさえ、あんなに叫んだほどなんだ……!
千夏はこの様子を跡部先輩と見ながら笑っているんだろうか。マジであいつ……跡部先輩と付き合いはじめてから、抜群に調子にのってない?
そりゃ、あれほどのケンカをした翌日には、

――おはよー千夏。
――あ、おはよ伊織。
――昨日ごめんね。やらかしすぎた。
――ううん。こっちもごめん。テンション激高になっちゃって。
――たしかにたしかに。でも笑えたよ? 千夏が泣いてるの。
――伊織も大概、笑えたっつうの。

って、言い合える仲だけどさ! さすが親友ですよ!
だからってこんな恐怖体験ドッキリ大作戦的なものをやっていいと思っているんだろうか。
おのれ、許すまじ。覚えておけよ……ぎぎぎ。

「ううううう……怖すぎます」とはいえ、忍足先輩の前で、千夏への悪態をつくことは控えたい。必殺、猫かぶりの術だ。
「大丈夫や。ここでこうしといたら、そのうち開くと思うし」

先輩が、心配して距離を縮めてきてくれた。なだめるように、また、頭に触れてくる。はわあ……許せないけど、怒る気力も失せてきちゃう。これはこれで、最&高……。

「忍足先輩……」
「ん。無事に帰れるで。一緒に帰ろうな? 俺が家まで送るから」
「え……」い、一緒に帰る? 家まで、送る? う、嘘でしょ。「そんな、悪いです。大丈夫です、ひとりで……」
「あかんって。それに佐久間さん、こんな怖い思いして、夜道ひとりで帰れるんか?」
「それは……」でででも、先輩にご迷惑では……嬉しいけど!
「こんな時間に高校生が外出しとるだけでも、あかんのに。跡部もホンマ、むちゃくちゃやで。親御さんにはなんて言うてきたんや?」

はっとした。
忍足先輩が、健気にも保護者っぷりを発揮しはじめたからだ。少し、寂しい……つまりこれは夏の恋的な展開じゃなくて、年長者なりの気遣いなんだ。だって言葉の節々が、なんならわたしの両親よりも、よほど保護者っぽい。

「それとも、家を抜けだしてきたんか? 大丈夫なん? 心配してはるんちゃう?」
「えっと、それは……」
「あかんで。女の子なんやから。こんなん、断ったらよかったのに」

だって。
忍足先輩が参加するって、千夏から聞いたんだもん。それに、先輩が心配するようなことは、なにもない。
うちの家庭は、ちょっと変わっているのだ。父も母も、基本的に超自由主義。それは、放任とはちょっと違う。母いわく、

――うちのルールは3つ。人様に身体的、金銭的、物質的な迷惑をかけないこと。あとは誰がなにを言おうと、あなたたちの好きにしなさい。たくさん、いろんな経験をしなさい。それが大人になるということ。母さんも昔は中学のときから家出をくり返してさあー!

と、真面目に言っていたのかと思いきや、いつのまにか昔のやんちゃ自慢になるのだけど。
つまり、人様に実態的な迷惑をかけることは許さないが、人様の心理的な迷惑は気にするな、ということである。
誰かのものを盗んだり、暴力をふるって傷つけたりはNGだけど、個人で髪を染めたり、勉強もせずに遊び呆けるのはOK。父と母は小学校からの同級生なので、父も同じ感覚なのだろう。あるいは無口だからなのか、母の教育方針には口をださない。

「ホンマは、門限とかあるやろ?」
「そ、そういうのは、ないので」
「やったとしても、あとで怒られるんちゃう?」

普通はそうなんだろう。しかし我が家にはなんの制限もない。
これが不思議なもので、好きにしていいと言われると、なにもしない。うちには兄と弟がいるけど、わたしだけでなく、彼らもなにもしない。ただ学校に行って勉強をして帰ってくる。
一方で、それぞれ趣味がある。兄は麻雀、わたしは音楽、弟はビリヤードだ。深夜にそれらが体験できる場所に行くと盛りあがってしまうから、週末になると夜中に出ていって朝帰ってくる、なんてことはしょっちゅうだった。だからって、タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、盗んだバイクで走りだしたり、夜中の校舎の窓ガラスを壊して回ったりしているわけじゃない。タバコとお酒なら個人の勝手であり、人様の不快は心理的な迷惑になるものなので、うちの親ならいいよと言ってしまいそうだが……。後半の尾崎豊のくだりは実態的な迷惑なので、許されないだろう(時代についていけない人は……以下略)。
なんにせよ、これまで両親が注意してきたことは一度もない。家を出るときも、とくに報告はしない。定期的に顔を見れていればOKで、両親は「それだけ、あなたたちを信頼しているから」と言うのだけど。

「こんな時間にひとりで夜道を歩くだけでもあかんよ。佐久間さん、まだ高校1年生やで?」
「はい……」だよね。それが常識なんだ、きっと。
「まあそんなん、俺も参加するってわかった時点で言うべきやったから、ちょお責任も感じてまうし」
「はい……」
「夜遊びはせめて大学入るまではあかんやろ? それやなくても佐久間さん、毎日部活でも遅くなってんのに」

これは……まずいな。
どうやら、保護者感全開の忍足先輩だ。この話をしたらドン引きしそうな気がして、口をつぐんでしまった。
「不良娘やんか! ズベ公やんか! そんな女は嫌いや!」とか言われてしまったらどうしよう。っていうかズベ公ってどういう意味だろう。福島出身の音楽仲間に聞いたことがある方言だからときどき使っちゃうけど、なんとなくヤバそうってだけで詳細はわからない。

「佐久間さん? やっぱり黙って出てきたんちゃう? あかんで、そんなん。親御さんにバレたら、どんだけ心配するか」おまけに、ものすごく説教くさくなってきたではないか。
「い、いえあの、先輩……」
「俺が一緒に帰って、親御さんに説明したるよ。跡部に無理やり付き合わされたんやからな。佐久間さんはなんも悪くないから」まるで生活指導の先生状態である。
「ち、違うんです、先輩あの……」
「なんならいまから親御さんに電話する? ほんでいまから送りますって言おか? ついでに跡部とっ捕まえて、電話口で謝罪させたらええねん」
「先輩あの、もういいですから! わたしのことは放っておいていただいて!」
「え……」

うっかり、口走っていた。これ以上に詰められたら、我が家の、世間からすれば非常識だと言われそうな家庭環境を暴露するハメになると思ったからなのだけど。
忍足先輩を見て、はっとしてしまう。だって、あからさまにショックを受けた顔だった。
うう、心配してくれただけなのに。ああ……もう、なにやってんのわたし! 





思いっきり、拒絶されてしもうた……。
あかん、めっちゃショック。そんなに、俺にかまわんでほしいってこと?

「あ、す、すいませんあの、うちの親なら大丈夫で、その……!」
「いやいや、ええんや、ええんよ。ん、俺もちょっと、人の家庭に立ち入りすぎやんな」
「そんな、そんなことないです!」
「ええんよ佐久間さん、俺が悪かった。ああ、せや、なんか違う話しようや、な?」

めちゃくちゃ怯えとったから。
佐久間さん、めっちゃかわいいし、その怯えた顔もめっちゃそそるやんって思って、一緒におりたすぎて家まで送るとか言うたのが、気色悪かったんやろか。せやけど心配は心配やったし。ああ、もう、制御きかせろや俺も!
それもこれも、全部、跡部のせいや。あいつ絶対に殺す……。まあ、とにかくいまは、佐久間さんにこれ以上は嫌われんように努めつつ、ここから出る手段を考えなあかんな。

「そ、そうですね。怖いの、紛らわしたいです」
「うんうん、せやね。なんか楽しい話しよか」

佐久間さん、まだ怖がっとる。無理ないわ。
やって、あのEXILEはありえへんやろ! 俺かてごっつう怖かった……なに? あの追いかけかた。誰やあれ。役者でも雇ったんやろけど、あのボケ、絶対にいてこましたるからな。

「そうですね、楽しい、話……」
「ん、なんにしよか」

気を取り直したんか、佐久間さんもわずかに微笑んで、両手を合わせながら考えとった。
違う話、楽しい話、とは言うたものの、俺らの共通点なんか、テニス部くらいしかない。せっかくやから、いろいろプライベートなこと聞きたいとこやけど、たったいま家庭の話に首突っ込みすぎて拒絶されたで、急にこんな感じになると、なんも思いつかん。
知りたいこと、いっぱいあんのに……と、考えたときやった。

『くきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃっ……』
「なっ」

また、や。
あの女の笑い声が、今度は美術室中に響きわたった。せやけど声は聞こえても、このなかにEXILEはおらへん。
おかげで、そこまで怖くなかった。どうせ音響操作で跡部が流しとるに決まっとるし。

「ぎゃああああああっ! 先輩!」

せやけど佐久間さんはめっちゃ怖かったんやろう。大声で叫んで、抱きついてきたんや。

「お、おお……だ、大丈夫か?」

は、は、はわああああ。めっちゃ幸せ……。そら、全然、怖くないって言うたら嘘になるけど、どうせ跡部やん。ちょお、感謝してまうくらいや。
ここぞとばかりに、ぎゅううううっと佐久間さんを抱きしめる。めっちゃ柔らかい。こないだ抱きしめたときの比やないくらい、強く抱き合っとる。おっぱいもめっちゃ、胸板に押しつけられとる。あかん、勃つ……。はあああああ、たまらん!

「先輩……こここ、これも跡部先輩の仕業なんですかっ!?」
「せやで。せやから、そんな怖がらんでも大丈夫やで? ほら、もう声もせえへんやろ?」
「う……あ、ホントだ。静か……」
「やろ? せやから大丈夫。な?」

佐久間さんが胸に顔を埋めて怯えとる。
あああああああああああああ、かわいい! かわいすぎる! 死にたい!

「で、でも、怖いですよう……」かっわ……め、めっちゃキスしたい。
「佐久間さん……安心して。俺がずっとこうしとくから。な?」

少しゆるまった佐久間さんの体を離したくなくて、さらに、ぎゅうっと抱きしめた。
せやけど、そのあからさまな下心が、あかんかったらしい。

「え……あ、す、すみません! わたし!」

我に返ったんか、体を引き剥がした佐久間さんに、また、へこむハメになる。
なあ……そんなに嫌がることないやん? ラッキーやったのに。泣けるわ。

「すみません、もう、音もしてないのに……」
「いやいや、ええんや」音してへんでも、抱きついとってほしかったで……。
「そ、そうだ! 違う話、でしたよね!」
「ん……そやったな」

もう、そんなこと気づかんでええのに。ずっと俺の胸のなかにおったらええのに……。
おいEXILE! もう一回、笑い声を流さんかいっ!

「ど、どうしましょうかね。ええっと……」
「ん……なあ、佐久間さんは、どない男がタイプ?」
「えっ……」

ああ、佐久間さんを抱きしめたことで、制御がきかんようになってもうた。こんなかわいい子、やっぱり跡部になんか、わたしたない。いや千夏ちゃんおる限りわたらんやろうけど、その心も、わたしたないねん。
それやったら、俺が佐久間さんのタイプになるしかない。俺のなにがあかんのか、はっきり聞かせてもらわんと。少しでも近づけたら、脈もでてくるかもしれへんし。
まだ可能性あるって信じたいねん。

「タイプ……ですか」

心なしか、なんや照れてるように見える。そういやこんな質問、前にもされとらんかったっけ?
たしか面接……そうや、あのとき鳳が質問して、佐久間さん、なんて答えたんやっけ。
思いだそうとしとったら、佐久間さんは自分の顔に手をあてて、めっちゃ小声で言った。

「いま好きな人が、タイプです」

……ああ、そやったな。俺もいま、ちょうど思いだしたとこやったわ。
聞かんかったらよかってんな……なんで俺も聞いてしもたんやろ。はあ、へこむ。
いま好きな人っちゅうことは、つまり跡部ってことやろ? あんなタイプ世界中のどこ探してもそうそうおらんわ!

「さよかー……」へこんだことを悟られんようにしたいけど、しれっとした返事になってまう。
「はい。あっ、あの、先輩のタイプも聞いていいですか?」
「え、俺? いやそんなん、聞かんでもわかっとるやろ?」

うっかり、冷たい口調になってもうた。気づいとるくせに、俺の気持ち。
佐久間さんは、しゅん、として顔を伏せた。

「あ……」

あげく、なぜか落ち込んどる。
それは……曖昧にしときたいってことか? せやけど気づいとるやろ?
そうや、佐久間さん。悪かったなあ、こんな男に惚れられて。やからって、落ち込まんでもええやん。そら佐久間さんは、跡部に想われたかったやろけど。君のこと想っとるのは、俺なんや。タイプっちゅうかもう、俺は、佐久間さんしかほしくない。
残酷なこと聞いてきてんの、そっちやんか……。

「あの、忍足先輩……」
「ん、なに?」堪忍……ちょっと、拗ねすぎよな。佐久間さんが悪いんちゃうのに。
「せ……先輩は、告白したことって、ありますか?」

ぎょっとした。なんで……そんな展開の話になんの?

「え、な、なんで?」
「いやその……わたし、告白してみようかなって、思って」
「えっ、ほ、本気なん!?」

マジで!? 跡部に!? 

「ほん、本気です。その、絶対振られるの、わかってるんですけど。でも全然、その人は、わたしの気持ちに気がついてくれないので。だから」
「……え、気づいて、ほしいん?」
「はい。だって伝えなきゃ、いつまでも伝わらないのかなって」

伝えて、せやけど傷つくの、わかっとるのに? 言わずにはおれんってこと?
そん……そんなに、跡部が好きなん? 千夏ちゃん親友やのに、その友情も崩れるかもしれんやん。やって、そんなんしたら宣戦布告にならへん? そうまでしても、跡部に、一瞬でも自分のこと、頭に刻んでほしいんか?

「……よっぽど、好きなんやな」
「はい……」

佐久間さんって、強いとこある。
俺は佐久間さんにぶつかる勇気、全然ないわ。なんとなし気づいとるってわかっとっても、直接は言えへん。やって言ったら、振られるやん。その事実ができたら、佐久間さんが俺を避ける理由が、また増えるやん。こないだ抱きしめただけで、距離、おかれとるし。そのうえ告白したら、もう明確になるで、「しつこい」とか思われて、余計に嫌われたら……考えただけで、とても言えへん。

「ほな、練習する?」
「え……」
「その人に告白する練習。俺、使ってええよ?」

アホなこと言うとるのは、わかっとった。せやけど佐久間さんが跡部にどんな告白するんか、傷つくのわかっとっても、知りたかった。
もうこんな相談されただけでも残酷なんや、そんなんいまさらやし……練習でも、佐久間さんに「好き」って言われたいよこしまな思いが先走った。

「練習、ですか……」
「ん。佐久間さん、告白するんはじめてなんちゃう?」
「え、ど、どうしてわかるんですか?」
「もうすでにめっちゃ顔が緊張しとるから」
「そ、それは……」

赤くなって、うつむいてはる。
はああああああ……俺、なにをしてんねん。すでに、めっちゃ切ないやん。なにが練習やっちゅうねん。なんでこんなこと、ほいほい言うてしまうんやろか。
跡部にどんな告白するのか見たいのもあれば、「好き」って言わせたいのもあるけど、そこに加えて、「忍足先輩、頼りになる!」って思われたいんや、たぶん。カッコつけや、ホンマに。
これが氷帝の天才やって……呆れるわ。青学の天才さんは、こんなまどろっこしいこと、絶対にせんやろうな。

「じゃあ、練習します」
「あ、はい……。ほなら、俺をあいつやと思ってな」

あかん……自分で言いだしたくせに、もう泣きそうになっとる。

「わたし……忍足先輩のことが好きです」
「え……?」





言ってしまった……怖くて顔が見れない。
こんなに思いきったことはない。と、たかだか15年しか生きていないのに思ってしまうやーつパート2である。
だけど、「俺をあいつやと思ってな」って、誰と勘違いしているんだろうかと思ったら、なんだか腹も立ってきたから。
あと、タイプを聞き返したときの「聞かんでもわかっとるやろ?」にも腹が立っていた。わたしの気持ちに気づいてないからって、いけしゃあしゃあと……知ってますよ! 千夏でしょ!

「え、じゃなくて……忍足先輩のこと、ずっと、好きで……」
「ちょ、佐久間さん」

ほら、まったく気づいてなかったでしょう? 結構イライラしてたんですよ、実は。
でもやっと、これで、告白できた……やっとわかってもらえた!
先輩が「練習」とか言いだしたから、チャンスと思って、超超超、勇気を振りしぼったけど。やればできるじゃん、わたしも!
母さんも言ってたもん。「たくさん、いろんなことを経験しなさい」って。だからこれで振られたって……大人になれるんだ、きっと。
じんわりと、目に涙が浮かんできた。胸が、キリキリと傷んでる。それでも複雑な気持ちは、いくぶんかスッキリとしていた。
よし、顔をあげよう。先輩を困らせちゃいけないよね。笑顔を見せるんだ! と、無理やり前向きになった、刹那。

「ははっ。いやいや、名前は変えてええよ、俺の名前にしたら練習になれへんやん」
「は?」

……マジか、この野郎。
なんて、これほど下品な言葉を、心のなかとはいえ忍足先輩にぼやく日がくるとは。それくらい、ドン引きしている。
よくもそんな、救いようないほどの鈍感っぷりを発揮してくれますよね……!
ダメだ、なにも言えない。頭のなかで小田和正が流れていく。
『ことお、ばにい、できなあい……』って、バカにしてんのか!

「練習でもな、名前は当人にしたほうがええ。せやないと本番のときに、うっかり練習の名前でたら、誤解されてまうで? せっかく想いを伝えるのに、変な誤解されるん嫌やろ?」
「いやあの、先輩……」

はっはっは。
ああ、どうしてやろうかこの丸メガネ。なるほどね、そうですかそうですか。忍足先輩の頭には、わたしなんてまったく気にもならない存在だってことですよね。わかってましたよ、ええ、わかってました。
わたしのこと少しでも気にかけてたら、こんな鈍感なはずないですもんね!
んんんんんんんん……っ! それでも、ひとこと言ってやらなきゃ気が済まなくなってくる。
先輩ってそういうとこありますよね。一大事なのにスマホで動画撮ったままポカンとしてるときから思ってました! なんて言ったらいいの!? すっとぼけっていうのかな!
ああ、ダメだ。怒りがおかしな方向に……。大好きな忍足先輩に、なんて言いぐさっ!

「あの忍足先輩、そうじゃなくてですね……」
「ん? なにが?」

ニコニコ微笑む先輩に、しらっとした顔を向けた、そのときだった。
また突然、美術室の扉が、破れてしまうほどの大きな音で叩かれはじめた。

「ぎゃああああああっ!」
「なんななななんやっ!」

めちゃくちゃ驚いて叫び声をあげた。
またうっかり忍足先輩に抱きついてしまう始末だ! が、先輩も恐怖のせいか、強く抱きしめてくれる。だというのに、さっきもそうだったけど、そんなことかまってられないくらい怖いのだ……! しかし、である。

「忍足!」
「佐久間さん!」

美術室の扉が開け放たれたのと同時に、お互いの名前を大声で叫ばれた。
はっとして顔をあげると、そこにはなぜか、宍戸先輩と鳳先輩が、息を切らして立っていた。

「なっ……なんやお前ら!」
「大丈夫なのか! ふたりとも!」
「えっ、え? せせ、先輩たち……え? どうして」
「ああ、無事みたいだな! ったく、心配したぜ……!」
「宍戸さん、急ぎましょう!」
「だな! 行くぜ長太郎!」
「はい! おふたりも付いてきてください!」
「な……おっしゃ、ようわからんけど、行くで佐久間さん!」
「は、はい!」

宍戸先輩と鳳先輩の掛け声で、忍足先輩が、抱きしめる手にきゅっと力を入れてくる。
ドキーン! とする。ちゃんと走ろうと思っていたけど、よく考えてみれば、氷帝レギュラー陣の足の速さに、追いつけるはずもない。

「大丈夫や、俺につかまり」
「わ、ひゃ!」
「びっくりさせたな? 堪忍。ちょっとのあいだやから」

忍足先輩はそれを察していたのか、またしてもお姫さま抱っこをしてきた。
「ひゃあああああ」と叫び倒したくなる。今度こそ、その状況にめちゃくちゃうっとりしながら、ここぞとばかりに身を委ねた。
だってもう、なんだかんだすっごい、幸せ……! あの鈍感っぷりには引いたけど!
それでも忍足先輩に、抱きしめられっぱなしだし! もう、こうなると千夏のことも許してあげたくなる! ああもう……このまま死んでもいいとさえ思っちゃう! だって、だって、先輩の首筋、なんで? すっごい、いい香り! 信じられない!

「忍足先輩……お、重く、ないですか?」
「ん? 佐久間さん、重いって意味、辞書で調べたほうがええな?」

ズッキューン! 絶対、軽くはないのに、先輩、優しい……ずるい、好き!
かくして、校舎前までは、あっというまだった。
先輩がゆっくりとおろしてくれる。そりゃそうなんだけど、ものすごく名残惜しい。でも、そんなことは口が裂けても言えないので、わたしたちは4人で、夜道をとぼとぼと歩きながら帰ることになった。

「そんで、これはどういうことやねん」
「だから、お前と佐久間しか呼ばれてなかったんだよ」
「オレと宍戸さんはおふたりが心配で、様子を見に来ました」
「はー……せやけど、跡部はなにがしたかってんな。なにが狙い?」

忍足先輩が宍戸先輩に尋ねると、なぜか宍戸先輩はあからさまに慌てはじめた。
どういうわけか、鳳先輩も慌てている。

「それは、あの! いろいろですよね宍戸さん!」
「おう、おう、そうだ。アレだよ、夏だし! ただ美術室に閉じ込めて、心霊ドッキリさせようとしただけだろ。とにかく色々またアホなことしてたぞ、あいつら」
「ドッキリで収まるかい! なんや、あのEXILEみたいなんは! 佐久間さん、泣いたんやで?」
「EXILE?」
「宍戸さん、ついていけますか? オレ、説明しましょうか!」
「そういう意味で聞き返したんじゃねえよ! わかるに決まってんだろ!」

宍戸先輩と鳳先輩のやりとりはともかく、忍足先輩もしかして……あの貞子を、EXILEと名づけていたんだろうか……。
たしかに貞子の最初の動きは、『Choo Choo TRAIN』っぽかった気もする。

「わたしは、貞子みたいだなって思ってました。あ、伽椰子でもいいです」
「え? さ、貞子はともかく、伽椰子はなんだよ?」宍戸先輩が怪訝な顔をしている。
「呪怨です、映画の……」結構、流行ったと思うんですけど。
「宍戸さん、オレ、説明しま」
「わかる! 呪怨な……あれか」至極、納得してらっしゃった。
「ん。佐久間さん、めっちゃ的を射とるわ」
「ところで忍足先輩のEXILEは、どういう由来なんですか……オレにもわかるように」
「もういいだろ長太郎、そんなのはどうでも!」
「でも宍戸さんっ、気になりますよ!」最初のダンスです、とは、なんとなく言えない空気だ。
「とにかくや。めちゃめちゃ髪の長い女が、めちゃめちゃすごい勢いで追いかけてきて、階段までのぼってきて、誰やねんあいつは! 跡部はなにを雇ったんや!」

ネーミングセンスのおかしい忍足先輩が憤慨をぶちまけていると、そこでピタリと、宍戸先輩と鳳先輩の足が止まった。自然と、こちらの足も止まる。
……なんですか? その感じ。

「……宍戸さん、お伝えしましょう」
「いや、だがな長太郎」
「黙っているのは酷です!」
「ちょ、なんの話やお前ら」
「おふたりが見たのは、ジェシーです……ですよね宍戸さん? オレらが見たのと違いますもんね」
「ああ、だな……」
「オレらが見たのって? ジェシーってなんですか、鳳先輩」

宍戸先輩と鳳先輩が、顔を見合わせて黙りこむ。その様子に、わたしと忍足先輩も、顔を見合わせて黙りこんだ。
ひゅるる、と生ぬるい夏の風が、足もとを通り過ぎていく。なんだか気持ち悪い風だな、と思っていると、宍戸先輩が、ぽつりとつぶやいた。

「あのな……それ、本物なんだ」
「えっ」「えっ」
「たぶん……な」
「また……またまた、宍戸、やめや。なあ佐久間さん? ひどいやんなあ?」
「そ、そうですよ、冗談キツいですよ、ねえ?」
「おふたりとも……足……!」

鳳先輩が、わたしと忍足先輩の足もとを指さした。
先輩はショートパンツ、わたしも中途半端な丈のデニムだったから、それは、よく見えた。

「なんや……こ」

足首に、くっきりと……。
手のあとのような、赤黒い痣が、逃さないと言わんばかりに、ついていたのだ!

「せ……せんぱ……わたし、もう無理」
「あああああっ、佐久間さん!」

わたしと忍足先輩は、この日から3日間、原因不明の熱に侵された。
そしてこの片思いは、結局まだつづくんだなと、気絶寸前のなかで、ぼんやりと思っていた。





to be continued...

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recommend>>a moleface(spin off of ≠Poker face_05)



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