a moleface_Poker face_04


≠Poker face 04


地獄の3週間が終わり、ようやく部活も再開しはじめた6月初旬。あんなに念願だったテニス部のマネージャーになれて、あんなに恋い焦がれていた忍足先輩とも普通にしゃべれる間柄になったっていうのに、伊織のテンションは低かった。
なんなら、マネージャーになる前のほうが断然、高かった気がする。

「千夏ってさあ……モテる、よね」
「え? いや……うーん、ちょっとモテた時期もまあ、あったけど」

この手の問いかけはよくされるのだけど、伊織に言われたのは、はじめてだ。
あまり自分の顔がどうとか言いたくないけど、悪くないのはわかってる。だからこの顔に産んでくれた母親には感謝してるし、母親の遺伝子とうまくガッチャンコしてくれた父の遺伝子にも感謝してる。
けど、絶世の美女ってわけじゃない。東京に住んでいれば美人やかわいい子なんてゴマンといるし、あたしだけ特別ななにかが備わってるわけでもない。
だからこの問いかけに関して、褒め言葉と受け止めるのは最初のころだけだった。いまでは、妙な気分になる。モテるときもあるかもしれないけど、そんなことは人間にとってさして重要ではない気がする。でも伊織のトーンは、ほかの人たちとのそれとは違った。忍足先輩が彼女と別れたって最高のニュースがあったはずなのに、なにが気になるのか知らないけど、ひたすら落ち込んでいる。

「いいなあって……」

ちょっとちょっと、なにそれ。なにその、普通の返し。すっごいつまんないんだけど。
正直、伊織だってかわいくってモテてるじゃん。本人が知らないだけで、あたしの耳には入ってきまくってるのだ。「佐久間って、いいよな」みたいな男子たちの声が。

「あのさ、どうしたの?」結局、言ってしまった。
「うらやましいってことだよ、そんなの」
「いや、そうだとして、モテたってなんの意味もないよ? モテなくたって、好きな人に好きって言ってもらえなきゃさ」

すると伊織さん、どういうわけか、「はっ……」と、呆れたような空笑いをしてきた。
え? なんでいま笑ったの?

「ちょっと、なに?」
「モテてるうえに、好きな人に好きって言ってもらってるじゃーん、千夏は。跡部先輩と、ラブラブだし」
「それはまあ、えへへ、そうだけど」

照れてみたものの、やさぐれてる伊織を見ながら、複雑な気持ちになっていく。
忍足先輩とうまくいきたいのにうまくいかないから、落ちてるってことなのかしら? それとあたしがモテるのと、なんの関係性があるのか、さっぱりわからないけれど。

「あ、ねえ伊織。そういえばちょっと相談があってさ」
「え?」

跡部先輩……もとい、すでに景吾と呼んでいる彼と付き合いはじめて、そろそろ1ヶ月が過ぎようとしている。
1ヶ月前、景吾に告白された。中1から大好きだった景吾と想いあえるなんて夢みたいだったけど、当時はどうしても割り切れない問題があった(詳しいことは、このタイトルのひとつ前の話を読んでみてほしい)。
でも、それを自ら打ち消そうとしてくれた景吾に、あたしは完全に、惚れなおした。
とはいえ、いまでもちょっと気にはなるんだけど。まあでも、だいぶ、慣れてきたし。
あの日のことは、思いだすといまでも胸が、きゅん、とうずく。
なんだかんだと言いながらも、結局は景吾が大好きなんだ。その最高の報告は、いちばんに伊織にしたいと思った。だから景吾と付き合うことになった直後、教室にいる伊織のもとへ急いで向かったのだけど。

――跡部先輩と付き合うことになったんだってね。おめでと、千夏!

なんで知っていたのかは、全然わからない。それでも目に涙をためて祝福してくれた伊織に、あたしは抱きついた。
長年の片思いが叶った喜びと、親友が祝福してくれたことが、本当に嬉しかったから。
だけど……その歓喜に満ちた伊織との会話は、翌日にはもう、消えていたのだ。

――千夏、あんまりさ……みんながいる前で、ノロケ話とかしないほうがいいと思う。
――え、なんで?
――なんでって……その、そういうの、聞きたくない人だっているからだよ。
――伊織も聞きたくないってこと?
――違うよ、わたしはいいの。でも、わたしだけにしてほしいっていうか……TPOだよ。

複雑そうな顔をして、そんなこと言いだした。
おかしくない? 中1から好きだった人で、しかも相手は景吾なんだから、ノロけたいに決まってる。
最初は景吾のファンの人たちに聞こえたら、あたしがいじめられるからとか、そういう心配をしているのかと思ったけど、なんか違う気がした。
現に、付き合って1週間後には思いつく限りのいじめ被害を受けたけど、ぜーんぶ犯人を見つけて、その担任教師とその親と警察にテキパキと連絡したら終わったし、伊織もあたしがそういうのキッパリやる人間だってわかってる(犯人探しには協力もしてくれたし)。
けど、いじめが終わってからのほうが、しつこいくらいに言いだした。
最近はやたら説教くさいババアみたいになってきて、生理前なのか、イライラもすごい。

「景吾のことなんだけど」
「どうかした?」

気づいたら、伊織の顔がぶすーっとしはじめていた。景吾の名前を出した途端、これだ。
だけど伊織は親友だから、相談だってしたい。あたしは、思いきって口を開こうとした。

「ん……あのね」
「あ、ごめん千夏。そろそろ行かなきゃ。移動教室なんだよ、これから」
「え……あ、そ、そっか」

時計をみたら、授業開始まで残り5分だった。たしかに、そろそろだけど、さ。
思いきったのに……やっぱりなんか、おかしい。
景吾関連の相談を、このところ、伊織に避けられている?

「ねえ伊織さ、なんか最近ヘンじゃない?」
「え……いや、そんなことないでしょ」

ヘンなのはわかってたけど、伊織から言ってこない限り、あたしはあまり根掘り葉掘り聞かないようにしている。
どのみち伊織は、根掘り葉掘り聞いたって、言いたくないことは言わないし。
とはいえ、そろそろ、この意味不明な憂鬱感とか、相談を避けられている感とか、近くにいるあたしとしては、限界が近づいている。
ハッピー全開オーラが邪魔くさい? でも親友なんだから、相談くらい……。

「ずっと、鬱だよね?」
「わたしが……? いあ、鬱じゃないよ」
「じゃ、新型うつ?」
「ああ、あの、『わたし、鬱なんです』とか周りにアピールしまくって、朝は起きれないけど夜になったら調子よくなって、仕事はしたくないけど趣味には全力で元気いっぱいで、いやいや、それみんなそうだから! って言いたくなるようなヤツのこと? あつかましい人間が診断書ほしくて精神科に行って、『やれやれ』って先生が診断をくだす、あの仕方なくつけられた病名のこと? あの人たち逆にメンタル鋼だよね? わたしはそういう人間じゃないから!」

引くほど、イライラしてる。
授業はじまるとか言っていたわりに、言わなくていいことすっごい言って尺とってるし、なにより、新型うつへの怒りのぶつけかたが、半端じゃない。

「ごめんごめん、そういう意味で言ったんじゃないけど、いや、なんか落ちてるじゃん? 忍足先輩のことでなんかあるの? あ、ひょっとして、全然、相手にしてもらってないとか? ケケケ」
「千夏……」
「え」
「東京湾と地中海、どっちがいい?」
「伊織それ、ヤクザが言うやつ」

冗談じゃん……!
怖すぎる。目が死んでるのに、殺人鬼みたいな顔だ。図星、だったんだろうか。というか、そうに違いない。やっぱり、伊織のこの落ちまくっている原因は、忍足先輩にあるらしい。
そこにはうすうす気づいていたから、あたしも伊織に協力したい一心で、忍足先輩の女性関係やなにやらを、向日先輩に手伝ってもらいながらも、情報収集していたのだ。
ここは気を取り直して、伊織に有益な情報を与えよう。そしたらきっと、東京湾と地中海は回避できて、相談にものってもらえるはずだ。

「伊織! 忍足先輩情報! 先輩の前カノさ、景吾狙いだったみたいよ」
「は……なにそれ?」

向日先輩から教えてもらった情報なんだけど、このさきは伊織にとっても嬉しいことのはずだ。
だから待ちきれなくて、つづけた。

「忍足先輩と付き合えば、景吾とお近づきになれるじゃん? それが狙いで付き合ったんだって。だから、忍足先輩も別れたかったらしいよ。とくにそこまで好きでもなかったんだって」

こんなの、最高に嬉しいに決まってる。伊織はあの彼女の姿を見てから、「完全に、負けてる……」と、主に容姿についてへこんでいた。あたしは全然、伊織のほうがかわいいと思うんだけど、とにかく伊織にとっては、忍足先輩の彼女、というだけで敗北だったのだ。
でも、そんな彼女を忍足先輩が「とくにそこまで好きでもなかった」なんて、嬉しいでしょう。
ニヤニヤしながら、伊織の反応を待った。久々に、伊織の笑顔が見れるんじゃないかって!

「へえ。そうだったんだ」

だというのに、伊織のテンションはまったく変わらなかった。固まる、というのはこういうときだ。
なんなら新型うつで怒ったときのほうが、テンションが高かった。
どうしちゃったんだろう……マジで全然、伊織の心のなかが、読めなくなってる。

「え、なにその反応。嬉しくないの?」

そんなの、勝手に反応を期待したあたしが悪いわけで、伊織が悪いんじゃないけど。
さすがに、ちょっとピリッとしてしまった。あたしが、こんなに伊織を大切に思って元気づけようとしてるのに、そんなことにも気づかないのかなって。
一生懸命選んでわたした誕生日プレゼントを、「ああ、ありがとね」とすぐに横に置かれたような蔑ろ感を、あたしはたしかに感じていた。

「それは……別れてたって時点で、嬉しかったし」

絶対に、嘘だ。
バカにしないでほしい。それでも伊織が話さないっていうのなら、仕方ない。
このときはそう思って、いろんなことをあきらめた。相談もしたかったけど、それも、あきらめた。
だけど、伊織へのわずかな憤りは、数日経っても、心のなかから消えなかった。





部活は休みだというのに、この日あたしは、景吾と一緒に部室にいた。
景吾が校長から呼びだされて、校長の話が長くなる可能性もあるからということで、部活を休みにしたらしい。
なのに校長が直前になって「時間をずらしてほしい」と言ってきたので、景吾は待ちぼうけのあたしを気遣ったんだろう、「部室に来ないか?」と、呼びだしたのだ。

「千夏、待ってたぜ……ほら、こっちに来い」

ロッカールームにあるソファに座って、片手を広げた景吾のとなりに、ちょこんと座った。
なんでロッカールームにソファを置く必要があるのかわからないけど、みんながここでたむろできるようにしている景吾の配慮なんだと思うと、やっぱり景吾が愛しくなる。
根が優しいんだよね、景吾って。

「部活休みにしたのに、部室に来るっていうのも、ヘンだよね」
「ふ……だが生徒会室では、いろいろな連中が行き来するからな。ふたりきりになりたかったんだよ、俺は。お前は違うのか?」

肩をそっと抱かれた。ストレートな想いをぶつけてくる景吾に、いつも、メロメロになってしまう。

「ううん。あたしも、一緒」
「ん……俺に会いたかったか?」
「うん。会いたかった。毎日会ってるけど」
「余計なことを言うんじゃねえよ」

優しく笑いながら、落とされる頬へのキス。はあ……甘い。
このところ伊織のことでムカムカはしてたけど、景吾に会うと、そういうのを一瞬で忘れさせてくれる。

「それより、千夏」
「うん?」
「お前は、俺にレモンの蜂蜜漬けをつくる気はねえのか?」
「はっ……?」

急な質問に、目をまるくして景吾を見た。
一方の景吾は、大真面目な顔をしている。ということは、冗談ではないらしい。
レモンの蜂蜜漬けは、テニス部レギュラー陣のなかでは、伊織の十八番だ。なぜそれをわざわざ、あたしがつくらなくちゃいけないのか。
伊織は料理が得意だからああしてる。あたしは全然、料理はダメだ。

「それはだって……伊織がいっつも、つくってきてるじゃん?」

素直に答えた。暗黙に、「やだよ、面倒くさい」という気持ちも伝えたつもりだ。だけど景吾は、わざとなのか天然なのか、いつもスルーしてしまう。

「俺は、お前のが食べたいんだ。佐久間のつくったレモンの蜂蜜漬けも、まあ悪くはねえが」
「なんで、あたしが……」わざわざ、と言いたいところを、ぐっとがまんした。
「実はな、忍足が言ってたんだよ」
「忍足先輩が? なんて?」
「ああ、このあいだな」

――なあ跡部、お前、千夏ちゃんの手料理、食べたことある?
――アーン? ねえよ。なぜだ?
――まあ千夏ちゃん、料理とかできなさそうやもんなあ。せやけどな、好きな子がつくってくれたもんっちゅうのは、どんなんでも、めっちゃうまいで?
――ほう? そういうもんかよ。
――そらそうやん。お前、千夏ちゃんやなくても、いままで彼女の手料理、食べたことないやろ?
――ないな。とくに興味ねえ。
――俺もなかったから、ようわかる。せやけど、やっぱホンマに好きな子やったら、うまいんやなってわかってん、俺。
――なんだよ忍足。もう新しい女ができやがったのか?
――ちゃうわ……俺は、レモンの蜂蜜漬け食べてから、すっかり虜やねん。たまらんで。甘酸っぱいねん。恋の味やわ。
――レモンの……蜂蜜漬け、ねえ。

「っていうか、誰が料理はできなさそうですって!? 失礼しちゃう!」できないけどさ!
「ともかく、偶然、佐久間がレモンの蜂蜜漬けをつくってきているだろう? だから、ああ、あれか、とわかったわけだ」
「え」

ふっと笑いながら、今度は耳にキスが落とされる。うっとりする暇もなく、あたしは心のなかでひとりごちた。
待って、景吾。いまの忍足先輩との会話で、景吾はなにも気づかないの? 
「偶然、佐久間がレモンの蜂蜜漬けをつくってきているだろう?」じゃねえわ! バカかっ! 偶然じゃねえし! 忍足先輩はまさに、そのことを言ってるんでしょ!?
てことは、てことは、てことは、だよ!? 忍足先輩と伊織って、両想いってやーつじゃん!

「だから、いいだろ? 千夏」
「あ、うん……じゃあ、今度、伊織に教えてもらうよ」

適当に返事をしておく。もう1回おねだりされたら、仕方なくつくろう。
そんなことよりも。
忍足先輩の気持ちを、いますぐ伊織に教えてあげたい。だけど、あたしから伊織に言うのって、ちょっと違う気がする。
だって、やっぱり本人から告白されるのが、いいに決まってる。部外者から「あの人、あんたのこと好きらしいよ」なんて聞いたって、絶対に面白くない。好きという言葉は、いちばん最初に本人から聞きたいんだ。現に、景吾の気持ちをさらっと伊織に言われたとき、ちょっと残念な気持ちになったもん。
まあでも、景吾とあたしの場合は、あたしが悪かった部分もあるし、気づいてたから、いいっちゃ、いいんだけど。
でも、伊織は違う。忍足先輩が自分のこと好きなんて、絶対に思ってない。だからこそ、伊織がそれを知るのは、忍足先輩自身からじゃないと、意味がない。というか、信じそうにない。
考えていると、いつのまにか景吾が唇を指でなぞってきていた。あ、くる、と思った直後、すでに、触れられていた。

「ン……」
「千夏……好きだ」

もれていく吐息に、ふっと微笑む景吾。
触れるたびに角度を変えて、あたしがまだ慣れないキスを楽しんでいるかのように。
そのまま、親指であたしの唇を開いた。景吾の舌が、口のなかで優しく暴れていくこの時間が、たまらない。

「景吾……ン」
「かわいいな、お前は」

これが合図だってことは、わかってる。
少し前から、景吾はあたしを誘っていた。「来週末、俺の家に泊まりに来いよ」って。
だからこの深いキスは、来週末に訪れる、景吾とのはじめての夜に向けた、愛撫だ。
実はあたしが伊織に相談したかったのは、そのことなのだ。

「ン……景吾……ちょっと苦しい」
「悪い千夏……止まりそうにねえ」

あたしがはじめてだから、景吾はじっくり時間をかけて、慣れさせようとしてくれてる。そのたびに、胸がいっぱいになっていく。初体験が、跡部景吾なんて……どんな宝くじが当たるよりも、強運だって思っちゃう。
だけど想像すると、胸の高鳴りが抑えきれなくなってきていた。どんなふうにしたら景吾に嫌われずに済むか。余計なことばかり考えて不安になっている心を、伊織になだめてほしかったのに。
と、景吾のキスに酔いしれながらも、また伊織のことを考えた、そのときだった。
カコン、とロッカールームの扉のほうから音がして、ふたりでピクッと体を震わせた。うわ、誰かに見られてたかな……羞恥はありつつも、少し興奮してしまう自分がいる。あたし、変態だろうか?
一方の景吾は唇を離して、音のしたほうへ振り返った。

「アーン? 誰かいるのか?」

声は、低かった。いい時間を邪魔されたからなのか、こんなとこでキスしてるのがどう考えても悪いのに、不機嫌全開だった。
でも、その声に反応して戻ってきたのは、なんと……。

「ニャ……ニャオーン」

景吾の声よりもさらに低い、しかもイントネーションがおかしい猫の声真似をした人間の声だった。
これはあきらかに忍足先輩だと、すぐにわかる。
さすがにバカすぎない? なんて、ちょっと失礼だけど……あたしが笑いだしそうになる寸前で、しかし、景吾は言った。

「猫か……」

ええええええええええっ!?
いやいやいやいや、ありえないって! 「猫か……」で済ませる!? 普通!?
どう考えてもおかしいのに、それで済ませた景吾はすぐに向き直って、キスを再開。正気なの? 絶対にあそこに忍足先輩がいるのに。でも忍足先輩がずっとこんなの覗き見しているというのもなんだか、腑に落ちない。
とりあえず、目を閉じてキスに夢中になっている景吾の顔から視線をそらしながら、声がしたほうの扉に、うっすらとまぶたを開いて、目をこらした。
扉のわずかな隙間から、ひらひらとしたスカートが見え隠れする。ってことは、絶対に伊織だ。この部室に入れる女子生徒は、あたしと伊織しかいないんだから。

「千夏……お前の唇、やわらかいな」
「恥ずかしいよ景吾……」

ってことは、忍足先輩と伊織が、ここにふたりきり!? うわあ、すっごい胸キュン展開だ。景吾とのキスよりも、ヘンに高揚していく自分がいる。
このキス見て、ふたりが燃えあがっちゃってる可能性だってある。だとしたら、もっと燃えさせちゃえばいいんだよね!?

「なあ千夏、昨日、お前が夢に出てきたぜ」
「本当? あたし、景吾が出てきたことないんだよねー」

かわいい会話をしながら、あたしも積極的にキスをした。こういうのたまんないでしょ!?
忍足先輩と伊織もしちゃえばいいのにー! うきゃうきゃうきゃっ!
だけど、ずっとこのままってわけにもいかない。うん、あたしがひと肌、脱ごうじゃないですか!
だとしたら、とりあえず、このド天然な景吾には、一旦、出てもらったほうがいいよね。

「ねえ景吾、校長に呼ばれてるんじゃなかった?」これが合図だ。そこで覗いているふたりには、わかるはず。
「ああ、もう行かねえとな……すぐ戻るぜ、千夏」

残念そうな顔をした景吾が、部室をでていった。直後、そっと近づくと、案の定、扉の向こうには誰もいない。
きっと、となりのトレーニングルームに隠れたな。まあ、どれだけ盛り上がったとしても、さすがにまだキスはしてないだろう。

――なあ佐久間さん、俺らもしてみる?
――そ、そんな忍足先輩……だ、ダメです、だ……ン。

いやいや、ないな、絶対にない。あの伊織だもん、じれったいのはわかってる。だとしたら……。
妄想を打ち消して、ガチャ! と、容赦なく扉を開け放つと、予想どおり、忍足先輩と伊織は、壁に背中をくっつけて体育座りしていた。ビンゴ! はいいけど、小学生かっ!

「あ、やっぱりいた。猫なんているはずないと思ったのよ」

ニヤニヤとふたりを見つめたのだけど、もう少し盛りあがっていると思っていたのに、ふたりとも、暗い。なんでよ……なんなのこのネガティブカップルは。いや、待って、照れてるだけかも。

「千夏さ。今日、部活は休みなのに、なんで跡部先輩と?」またまたそんな、しらじらしい、不機嫌な顔しちゃって。
「呼びだされたの、景吾に。伊織と忍足先輩は? ふたりでどうしたの?」
「ああ、俺はロッカーにある雑誌を取りにやな」またまたまたあ、お得意のポーカーフェイスってやつですかあ? 忍足先輩っ。
「ふうん。そうなんですね。それで、伊織とふたりでなにしてたんですか?」
「いや、佐久間さんとは、偶然に会うただけやで?」佐久間さん、なんて、初々しいんだから!
「へえ、偶然ねえ」
「ちょ、千夏ちゃん、その顔やめ」

なんせふたりは両想いなんだ。考えただけでニヤニヤしちゃうのはしょうがないでしょう! と、テンションアゲアゲ、これからMAXになるときだった。
「ふたりとも、並んでるところ見るとお似合いだよ!」とか、「今度、ダブルデートしない!?」とか、いろんなこと言ってくっつけさせようと思ってのに、だんだんと伊織の表情が、マジのイライラモードに変化していた。

「千夏、ちょっと、不謹慎なんじゃないかな」
「え?」

あげく、あたしはあたしで、伊織の態度に触発された。まさに、「なにコイツ?」という気分だった。
伊織の幸せを願ってるだけなのに、すごく人のことバカにした目で見てきて。
ていうか、その態度はなに? あたしなんかした? ここんとこずっと、あたしの話もまともに聞いてくれないで。祝福してくれたのだって、最初だけで。
こうなったらもう、いろいろ溜まってた鬱憤みたいなものが、じくじくと出ていく感じのが止められない。

「なにその、ババくさい説教。ねえ伊織さ、最近、不機嫌すぎるよ? あたし、もっと伊織に相談したいこといっぱいあるのに」
「え?」
「全然、あたしと景吾の話、聞いてくれようとしないじゃん」
「あ、それは……ご、ごめん」

おまけに、相談を避けてることを認めたことが、イライラを増幅させた。
しかも、だ。そこにいた忍足先輩にはまったく関係のないあたしと伊織のことなのに、なんか知らないけど急に、忍足先輩が伊織をかばいはじめたもんだから。

「なあ千夏ちゃん、佐久間さんにやって、いろんな事情があるんちゃうかな?」
「事情ってなんですか」
「そら……人のノロケ話なんて、聞いとってもおもろないで」
「ノロけてるつもりなくて、結構、真剣に悩んでるのに……」

ノロけてることだって、たしかにあったとは思う。
だけど真剣に悩んでるんだ。結構デリケートな問題だし、だから親友に聞いてほしいって思ってるのに、伊織は相談を避けてることを認めたうえに、忍足先輩にかばってもらったからなのか、あたしの目も見ないで、こくこくとうなずいて。
ていうか忍足先輩に関係なくない!? なに伊織の前だからってカッコつけてんの!?

「そうなん? ああ、それやったら、俺が聞いたるわ」
「あ、じゃ、じゃあ先輩、お願いしてもいいですか? わたしの代わりに」
「そら、まあ、千夏ちゃんがよければやけど」
「え、ちょっと伊織、嘘でしょ?」待ってよ。あたしは伊織に相談したいのに!
「だって、人生経験だって、跡部先輩のことだって、忍足先輩のほうがいいじゃん」
「いや、そうかもしれないけどさ」なんでそんな、冷たいの……?
「ほな一旦、聞こか?」
「お願いします、先輩。じゃあわたし、これで」

トントン拍子もここまでくると、超不愉快だ。
完全に、相談にのりたくなさそうな伊織に、伊織のためならなんでもやろうとする忍足先輩。
じゃあ、あたしって、伊織のなんなわけ? 言っておくけど、この1ヶ月、あたしは景吾と付き合えてそりゃハッピーだったけど、伊織の恋愛にだって真剣に向き合ってきた。
だから忍足先輩の情報を向日先輩からわざわざ聞きだしたし、伊織を元気づけてるつもりだったのに、この女、本当にそんなこと全然、気にもしてなかったんだ?

「ちょ、待って伊織! まずは試させて!」
「へ?」「へ?」なんなの、仲よくハモっちゃってさ!
「た、試す?」
「そう。まずは、忍足先輩が相談相手にふさわしいかどうか。ふたりで一緒に聞いて。内容的にも先輩に聞いてもらうの、いい気がしてきたし。それで伊織の答えと、忍足先輩の答えを比べるから」

本当にあたしが、こんなこと忍足先輩に話していいんだ? って、思い知らせたくて。伊織にも聞いてもらう形で、あたしは相談をはじめた。

「来週、景吾に泊まりに来いって誘われたの。それって、たぶんそうなるよね? あたし景吾に抱かれるよね? きっと」

要するに、景吾とのエッチ事情。伊織はすぐに「やめて」と言いだしたけど、あたしは止めなかった。
後悔させてやる。困惑させてやる。だってあんたが忍足先輩に相談の代理お願いしたよね!? 
怒りMAXで、何度も止めようとする伊織の言葉を無視して、ちょっと卑猥な内容も含めて、忍足先輩に、これみよがしにずけずけ聞いてやった。
そしたら数分もしないうちに、伊織はキレた。

「もう千夏、いい加減にして!」
「ちょ、痛い! なにっ!?」

滅多に見ることのない、伊織のブチギレモードだった。あたしの両肩を力強くつかんで、揺さぶって。でも、そうさせたのは伊織だから!

「さっきからなんなの? 人の気も知らないで! 聞いてるこっちの身にもなって!」
「佐久間さん、やめときっ」
「いいんです忍足先輩、言わせてください! いい? そういう話を、おし……惜しげもなく、人前で、堂々としないで! さっきからやめてって言ってるの、聞こえない!?」
「は? だってあんたが、相談にのりたくないから、忍足先輩にしてもらえって言ったんじゃん! やめたくないって言ったよね!?」

ていうか、あんたがはじめたことじゃん! あたしをこうさせたの、あんたじゃん! あんたがあたしのこと、無視してんじゃん!
あたしって、伊織のなに!? 伊織にとってあたしは、簡単に捨てられる友だちってこと!? あたしたちの友情ってその程度!? あんたにとって親友ってなんなの!?

「じゃ、じゃあもう、つづきは後日にでも、落ち着いたらわたしだけで聞くから! 今日はやめて!」
「いやいや、待って待って。佐久間さん、混乱しとるよ。無理したあかん」忍足先輩も、その感じ、なんなのっ。
「だけど、先輩っ……」さっきから、ずっとアイコンタクトばっかりしちゃってさ!
「なんなの? どっち? あたしと景吾のエッチの相談にのってくれるの?」
「も、だからいい加減にしてよ! あのねえ!」
「なに!? なんなのあんた! なにキレてんのさっきから!」
「千夏にデリカシーが無さすぎるからだよ!」デリカシー!? それを気にしてあんたに話そうとしてたのに、放棄して忍足先輩におまかせしたのはそっちでしょ!?
「佐久間さんって、ちょ、落ち着きっ」お前は黙ってろ!
「先輩っ! 千夏には、ハッキリ言わないと、ずっと傷つく一方です! だからハッキリ言わせてもらうけど!」

そのとき、ピン、と頭をもたげた疑問。
ここにきてようやく、会話の中身が不自然なことに気づいたのだ。
忍足先輩に心のなかで暴言を吐くほどヒートアップしていたというのに、伊織の発言に目が覚めたと言っていい。憤りを混ぜた興奮が、一時停止した。
傷つく……? なんの話?

「佐久間さ……」

忍足先輩の困惑した声が流れていくなかで、考えた。
あたしが景吾とのことでノロケて、誰が傷つくの? 景吾のことを好きな女子、とかならわかる。でもそんな女、ここにはいない。だって女子は伊織だけだし、伊織は忍足先輩が大好き。
とすると、傷つける対象は忍足先輩になる。しかしガッチガチの女好きだしゲイじゃない。景吾の話からしても、いまは伊織に夢中になっているはず。てことは……? 

「傷つくって……」誤解、してないだろうか。「ちょっと、伊織なんか勘違」
「なにが抱かれるよ! やめてって言ってるじゃない!」

伊織は忍足先輩の気持ちを知らない……それは全然、理解できる。
でももし、伊織が忍足先輩の気持ちをヘンな方向で決めつけて、勘違いしていたら……?

――千夏ってさあ……モテる、よね。

はっとした。十分、ありえる。

「はあ!?」

思わず、叫んでいた。
とんでもない誤解を伊織がしているんじゃないかって。だとしたら、彼女の最近のイライラとか、なにも相談してこない感じとか、そしてこっちの相談も聞きたくなくなっている感じとか、全部、つじつまが合う。

「そうでしょ!? さっきから黙って聞いてりゃエッチな話ばっかりして! そんなの、聞きたくない人だっているんだよ!」つまり忍足先輩が、聞きたくないと思ってる!?
「なんでよ! いつもしてたじゃん! それに男子高校生だって、こんな話、毎日してるよ!」

待って伊織、違うんだよ、と、心のなかで叫んでも届きはしない。だけど忍足先輩がいるところで、堂々と宣言もできない。だってあたしが発表しちゃうのって、やっぱり違う!
あと、この状況を受け入れてる忍足先輩も、もしかして……!? なんか誤解してない!?

「決めつけないで! そういう話を毎日してるからって、言う人が違うと嫌なものなの! だからやめてって言ってるの!」
「別に忍足先輩、嫌がってないじゃん! ですよね先輩!?」
「あ、ああ、いや、そうやけど……ちょ、二人とも落ち着」

ほら、この全然、嫌がってない感じがヒントなんだってば伊織!

「バカ!」

でも、伊織に投げかけられたその罵倒に、ひどく落胆してしまう。
やっぱり伊織は誤解をしているし、なのにそれが真実だと思いこんでる。それは、忍足先輩もたぶん同じだ。
なによりこの感じは、あたしが知っている伊織、そのものだ。伊織って、そういう女。友情に熱いところがあって、愛する人の幸せを願ってて、だけど、すっとぼけてる!
けど今回ばっかりは、あたしの気づくタイミングが、完全に遅かった。

「この無神経女! なにも知らないでいい気になって! このわからずや!」

おまけにさらなる暴言を吐かれて、もうあたしも、抑えきれなくなってしまったのだ。

「はい!? な……なにもわかってないのは、あんたでしょ!? この大馬鹿女!」あとそこの大馬鹿男もな!
「はあ!? 誰が大馬鹿!? そのまんまあんたに返すわよ!」お前と、お前だー!
「じゃあ、伊織はあたしの気持ちわかるの!? なにもわかってないのは伊織じゃん!」

理解が追いついたときには、頭のなかの高速回転とは別に、売り言葉に買い言葉で、あたしと伊織のケンカは大変なことになっていた。
あたしとしては伊織のことを理解しはじめた思考だったから、「大馬鹿」とか「わからずや」に頭にきて、自分で自分を煽って、泣きだしてしまったのだ。

「ちょ、もうやめやっ二人とも! ケンカしたあかん!」
「だって先輩!」忍足先輩がつらい思いしてるの、見てられないとか思ってんでしょ!
「伊織、ひどいよ!」その勘違い! バカ!
「泣くなんて卑怯だよ! やめてって何度も言ったのに、ひどいのは千夏でしょ!?」
「おい! なんだこの騒ぎは!」

そのとき、あたしと伊織の怒鳴り合う声をどこから聞いていたのか、景吾が部室に飛びこんできて、あたしを抱きしめた。
そのぬくもりにほっとして、少し、冷静さを取り戻しつつあった。でもそれも、遅かったんだ。

「貴様、佐久間! よくも俺の千夏を泣かせやがったな!」ええっ!? ちょっと待った、怒りの矛先が……!
「景吾、やめてっ」
「おい、跡部っ!」
「貴様、俺と千夏が付き合いだして、千夏が取られたような気がしてんじゃねえのか? 最近、千夏に冷たいらしいじゃねえか。女特有のヤツだろ? アーン? 俺に嫉妬でもしてやがんのか!」

つまり、いちばんのすっとぼけが登場してしまったのだ。さすがに、慌てた。
もうある程度のことは理解したし、泣きだしたのもたしかに卑怯だと思って、落ち着いて話さなきゃって思ってた、矢先だったから。

「景吾、もういいからっ」
「よくねえだろ。いいか佐久間、この際だから言っておく。千夏はお前の親友かもしれねえが、俺の女だ。親友なら親友らしく、友だちの恋愛を祝福したらどうだ! お前の不安定なメンタルでお前が勝手に傷つこうが、俺には知ったこっちゃねえんだよ。だが千夏を傷つけたらタダじゃおかねえぞ。わかったか!」

乱暴な景吾の言葉を止めようとしたけれど、景吾はおかまいなしに言い放って。
違うよ景吾! 伊織は忍足先輩があたしのこと好きだって勘違いしてるんだよ! あと忍足先輩も、伊織が景吾を好きだって勘違いしてる! 
本当なら、洗いざらい言ってしまいたかった。でもそれを言ってしまったら、伊織の想いを勝手に忍足先輩に告白しちゃうことになる。逆もしかり。
ここは個人的ポリシーとして、すんでのところで、勢いを止めるしかない。

「跡部先輩も……千夏も、ひどいよ! 無神経すぎる! 目の前でこんなの……ひどい! もういい!」

結局、伊織が泣きながらそのまま走り去っちゃって……。ああ、やっちゃったって後悔と一緒に、また、確信する。

「跡部、お前ホンマに……ちょっと無神経やで!」

直後に忍足先輩が、景吾にそう言い放って、伊織を追いかけて行ったからだ。
間違いない。忍足先輩も、伊織が景吾のこと、好きだとか思ってる。信じられない。なんてことなの。

「な……なんなんだあいつらは! 千夏、もうバカどもは放って」
「バカ!」

すべての謎が解けたせいか、景吾に罵声を浴びせてしまった。
景吾からしてみれば、ただ単に泣いているあたしをかばっただけだ。
でもやってしまったことへの憤りをぶつける相手が、いまのあたしには景吾しかいない。

「なっ!? バカとはなんだ! 俺はお前が泣いているから、お前を泣かせた佐久間を!」
「だから違うの!」

そもそも、あたしが泣いたのは伊織のせいじゃない。困惑して、勝手に傷ついて、自分の感情が高まって泣いただけだ。
それに、である。
忍足先輩からレモンの蜂蜜漬けの話を聞いて、この人はどうしてなにも気がつかないわけ!? もういいって言ったのに、あんな暴言を伊織に吐いて!
ものすごい大発見をしたからこそ、ふたりをより勘違いさせてしまった景吾に、理不尽な怒りを抱えはじめていた。





今日は部活が休みだってのに、部室からでけえ声で言い争いしてるのが聞こえてきた。驚いて、一緒にいた長太郎と顔を見合わせたくらいだ。
しかもその直後、佐久間が泣きながら部室を飛びだして、それを忍足が追いかけていた。

「宍戸さん、これって……」
「なにがあったんだ?」

部室では、まだ怒鳴り声が聞こえてきていた。深刻なことが起きたのかと、俺らは部室の扉に耳を当てた。
あんまりこういうのは好きじゃねえけど、心配は心配だ。でもそこに割りこんでいいものなのかは、知る必要があるからな。

「宍戸さんも、好きですね」
「ちげえよ! 気になるだろ……」
「気になります。オレもこういうの、全然、嫌いじゃないです!」

長太郎のよこしまな好奇心と、俺の心配ごとを一緒にされんのは癪だったが、なにも言わずに、そっと部室に入っていった。
ずっと思ってることだが、長太郎にいちいちツッコむのは、正直もう面倒だ。こいつは天然だから……。
トレーニングルームのなかから聞こえてきたのは、跡部と吉井の声だった。いつもベタベタイチャイチャしてるあのふたりが、ケンカをしてるなんてな。

「な……なにが違う!?」
「もうううう、理不尽かもしれないけど、なんなら景吾にいちばん腹が立ってきたよ!」
「なんだと!?」
「景吾がいちばん頭がいいはずだから、景吾がなにもかもわかってたら、こんなことにならなかったのに! 『スケスケだぜ!』とか『ツルスケだぜ!』とか言ってたくせに、普段は全然、役に立たないじゃん! 死角だらけじゃん! もう最悪だよ!」

ちょ、ちょっと待て吉井っ!
跡部が何日もかけて考えたあの名ゼリフを、そんなふうに言うもんじゃねえ!
跡部だってあのころは必死だったんだぜ!? しかも、結構すげえ技なんだぞアレは!

「たしかに、アレはすごく笑えましたよね」

お前もやめろ長太郎! 跡部に聞かれたら殺されるぞ!

「な……なんだと!? おい千夏、やつあたりもいい加減にしやがれ! 黙って聞いていれば、勝手なことを!」
「ええ、やつあたりですよ! だけど景吾のどこが黙ってたのよ! あんな暴言を吐いて! この、動く泣きぼくろ!」

なっ……! お……おいおいおいおい!
なにがあったかは全然知らねえが、吉井、それはいくらなんでも、まずいだろうが!
相手はお前の彼氏だっつったって、跡部景吾だぞ!?

「傷つきますね……いまの。跡部さん最近、ほくろのこと気にしてるのに」

そうだ。長太郎の言うとおりだ。たまにまともなことを言うじゃねえか。
跡部はなぜか知らねえが、最近、やたらとチャームポイントのほくろを気にするようになった。あれだけ自慢していたほくろだというのに、急に「取りたい」とか言いだしたときは、肝を冷やしたぜ。
全力でそれを止めたのは、つい、このあいだの話だ。泣きぼくろが無い跡部なんて、跡部じゃねえからな。そういや忍足はあのとき、めちゃくちゃ冷静で、ひとりで笑いを堪えていた。跡部だってお年頃だ。いろいろ気になってるんだろうに、それを笑うなんて、ああいうところ最低だよな、あいつ。
だがまあ、忍足はまだいい。問題はその相談をいちばん受けているだろうし、理解しているはずの吉井があんなこと言うなんて、最悪だろ!

「なっ……なんだと!? う、動く泣きぼくろだと!? なんてこと言いやがる! 歩くならまだしも!」
「はっ! 歩く泣きぼくろならいいのかよ! 跡部キングダムのなか歩くんですかねそれは!?」

おいおいおいおいおいおい! やめとけよ吉井! 勝ち気にもほどがあるぞ!?
お前いま、鼻で笑って返したよな!? なににキレてんのかわかんねえけど、大丈夫かこれ!? 止めに入んねえと、最悪、別れることにならねえか!? せっかく跡部が女に本気になって上機嫌だってのに、かわいそすぎるだろ!

「吉井さん、強いッスね……宍戸さん。カッコいいです」

いや長太郎、そういう問題じゃねえだろうが!

「なんだそのツッコミは! 千夏、お前まさか! 忍足とデキてんじゃねえだろうな!」
「はあ!? なんでそうなるわけ!? まったく、伊織にしたって景吾に忍足先輩にしたって! バカじゃないの!? 言っとくけど、歩くならまだしもってボケだって、忍足先輩みたいよ! 自分こそデキてんじゃないの!?」

たしかに……なんでそういう解釈になるのか 俺にも教えて欲しいもんだぜ、跡部。
跡部さ……俺、前々から思ってたんだけどよ。お前って、ちょっと変わってるよな。
あと吉井……お前も変わってるよな。だからお似合いだって思うんだよ、俺……。

「跡部さんって、忍足さんとデキてないですよね!? 宍戸さん!」

デキてるわけねえだろ気持ち悪りい!
お前もなんでそんな解釈してんだよ長太郎! あとちょっと、声おさえろ!

「な……! お前、俺と忍足をそんなふうに思ってたんだな!? まさか……だから泣いていたのか!? 俺と忍足のことを勘違いして!」
「なんでそうなるのよ! このバカぼくろ!」

バ……バカぼくろ……! おい跡部、激ダサだぜ!
お前がここまで言われるなんてよ……しかも、相手は後輩! いくら惚れてるからって、そんなの許せるお前じゃねえだろ!?

「なかなかうまいこと言いますね! 吉井さん」

いや長太郎! お前もなんか、さっきから、いやずいぶん前からだが、おかしいぜ!?
さすがの俺も、声をだしてツッコみたくなってくる……でもここは、黙って聞いておかねえとな。

「なっ……お、お前、俺のことが嫌いなのか!?」まあ、それを聞きたくなる気持ちはわかる。
「嫌いなわけないじゃない! 大好きよ!」ホントかよ!?
「忍足がか!?」いや、ちげえだろ!
「なんでそうなるの! 違うよ!」

混乱してる跡部の返答に、吉井がすかさず返していく。
話の展開、おかしいと思わねえのか跡部?
「俺のことが嫌いなのか?」って自分から聞いておいて、「大好きよ!」って返されて、なんで「忍足がか!?」ってなるんだよ。跡部……バカだろお前。

「もう……忍足先輩のことを好きなのは、伊織でしょうが!」

ああ、ここにきて、ようやく会話が普通になりそうな予感がする。
少しずつ、心の平穏が取り戻されていくぜ。

「あ。やっぱり佐久間さんて、忍足さんのこと好きなんですね」

ああ。なんだ、長太郎もそれくらいはわかってたんだな。
長太郎もいよいよ普通に戻ってくれるなら、俺はもうそれで十分だ……。

「アーン? ……なんの話だ?」

ヒートアップしていた跡部も、心の平穏を取り戻しているようだった。
つうか、長太郎でもわかっていたことを、跡部はまったく気づいてないってことか。部員のことをくまなく見ていると思っていたが、案外そうでもねえらしい。

「まったく、部長のくせになにもわかってないんだから。あのね、ふたりは想いあってると思うの! だから、あたしはふたりをくっつけてあげたい! 伊織はずっと忍足先輩のこと、好きだったし!」

佐久間が忍足のことを好きなのは百も承知だが、忍足も佐久間が好きなのか。
ふっ……青春してんな、あいつら。いいじゃねえか。

「千夏、お前それで……佐久間のことで、泣いていたのか?」
「ちょっといろいろ、思考が渋滞してたの……でもそういうこと! 泣き虫でごめんなさいね!」

うーん。全然、話が見えねえ……。とにかく、吉井が泣いてたことはわかった。
要するに、うまく交通整理ができてなくて、いろんな誤解が生まれてたってことか?

「友情っていいッスね……宍戸さん」

えっ! い、いや……長太郎、お前、なに涙ぐんでんだよ! よくこの話の筋で泣けるな!?
こいつの感情の振れ幅、おかしくなってねえか? 跡部の頭も心配だが、長太郎の頭も心配だ……。

「ははははははははっ! そうか。そういうことか……いいぜ千夏。お前がそこまで言うなら、俺も協力してやる」
「えっ……本当!?」
「ああ。だが……ふたりの気持ちは、ふたりには黙っておこう」
「うん。あたしもそれがいいと思う。本人たちでわかり合うべきだよね」

ようやく、軌道修正がうまくいったらしい。跡部、なかなかいいこと言うじゃねえか。
笑いのツボはどこかおかしいと思うが、お前のそういうところ、俺は嫌いじゃねえよ。
しかし、この話を聞いちまったからには……俺らも黙っててやらねえといけねえよな。

「いや……ただ、面白いと思っただけだ」
「えっ……」

えええええっ! お前、人としてどうなんだよ跡部!
忍足と佐久間をおもちゃにして遊びたいだけなのかよ!

「ふふふ……たしかに、面白そうですよね、宍戸さん」

いやいやいやいや! ちょ……長太郎、お前まで!
人の恋路を面白がってんじゃねえよ! くそ、感動してたのに、なんなんだこいつらは!

「よし! そうと決まれば、情動二要因理論で気持ちを高めればいい」
「じょ、情動二要因理論? なにそれ」

跡部が、急に難しいことを言いだした。俺も長太郎もよくわからず、跡部の説明に耳をかたむける。
学年トップの頭脳を持つ跡部だ、このときの俺は少なからず、跡部に期待をしていた。

「ふ、知らないのか千夏。カナダの心理学者であるダットンとアロンが行った、つり橋の実験で証明された理論だ。人というのは『恐怖』からくる胸の高鳴りと『恋愛』の胸の高鳴りを区別できない。つまり、そういう恐怖を感じる場所にふたりきりにさせりゃ、恋愛の胸の高鳴りと勘違いして、ふたりが想いあうのは、簡単なことだっつうわけだ」

え……おい、ちょっと待てよ、跡部。

「え……ちょ、ちょっと待って景吾、話、聞いてた!?」そうだ吉井! いまこそナイスツッコミだぜ! 「だから、伊織と忍足先輩はもう!」
「完璧だ。やはり俺に死角はない」
「ねえ景吾、聞いてよ!」
「そうと決まれば、すぐにでも決行だ。俺もこの実験の効果がどれほどのものなのか、実際にたしかめてみたいと思っていた」
「景吾ってば!」

ダメだ、あいつバカだ……頭はいいくせに、やっぱお前はバカなんだな跡部!
俺たちでさえ、ちゃんと吉井の話を聞いてたぞ! 忍足と佐久間は、想いあってんだ! わざわざ実験する必要はねえんだよ!

「さすが跡部さんだな……なにをするんですかね? 宍戸さん!」

お前もわかってないのかよ長太郎! 怖すぎるだろ!

「はははははははっ! 面白くなりそうだな!」
「だ、だから違うって景吾っ!」

跡部のあの調子じゃ、吉井の言葉なんか耳には入ってねえな。
そしておそらく入ったところで、あいつは絶対に決行する。跡部は、そういう男だ。
いつのまにか俺は、部活をしたときよりも、ヘトヘトに疲れていた。

「帰るぞ長太郎……やってらんねえよ」
「あっ……待ってくださいよ、宍戸さん!」

こうして、忍足と佐久間は、なにもわかっちゃいない歩く泣きぼくろの提案で、とんでもねえ恐怖体験をすることになるんだが……それは、まだ先の話だ。





fin.

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