10 春の嵐



 店内放送では、新春を思わせる厳かな琴の音色と共に、DJの軽快な声が新作DVDや今週のヒットチャートを紹介していた。解散を発表したガリューウエーブの曲がほぼ上位を独占している。白抜き文字で『DVDレンタル、旧作全品100円』と書かれたオレンジ色に近い朱色のポスターがあちこちに貼られていた。
 店の前で待ち合わせをして落ち合った王泥喜となまえは、法廷ドラマ特集のコーナーにいた。棚には、王泥喜の身長では踏み台に乗らないと届かないぐらい高くまで、ぎっしりと法廷もののDVDが陳列されている。
 9月に約束した通り、綺麗になった部屋でDVD鑑賞会をすることになった。ようやく遺品整理を終えたなまえを労わる意味も込めて、今日はすべて王泥喜のおごりだ。
「どうせならコメディがいいな。お勉強にもなるだろうし」
「いや、いやいやいや! 嘘っぱちも多いでしょ。きっと突っ込みどころ満載ですよ」
 なまえに反論してみるふりをしつつも、どうにも口元がニヤけそうになってしまう。
(一緒に何を観ようか、女の子とあれこれ言い合うのって楽しいんだな……)
 なまえのパーカーとデニムとスニーカーは、あいかわらずラフな格好のくせに決まっている。遺品整理も終わって、もう仕事の気分で来る必要もないのに、王泥喜はスーツに黒コートだった。周りから見て、自分たちはお家デートをするカップルに見えるんだろうか。
「これが観たいの! 絶対面白いって」
 なまえが差し出すDVDの裏面には、鳥かごに入れられたカラフルなオウムの写真があり、『弁護士が法廷でオウムに尋問する』などといったあらすじが書かれている。
「いやあ、でも、さすがにオウムに尋問する裁判はありえないでしょ」
 そう言いかけて、ふたりして息を呑む。
「あ」
 ふたりの声が重なった。
「してた! 成歩堂さん!」
「オウムに尋問!」
 お互い指さしあって見つめ合った後、共犯者のように声を殺して笑いあった。
 BGMだけの静かな店内に、ふたりのくすくす笑いが目立って響く。王泥喜はにやつきながら、なまえに小声で囁く。
「なまえさん、声大きいって!」
「王泥喜くんには言われたくないなぁ」
 軽く睨み合って、また吹きだした。
「そういえばアメリカでもあったらしいよ、オウムの証言が有罪判決を導いたケースが」
「へえ」
 成歩堂だけかと思っていた。
「被害者の最期の言葉を、ペットのオウムが証言したんだって。被害者の夫と妻の口論の様子まで、低い声と高い声を使い分けて再現してみせたらしいよ」
「すげえ。オウムって賢いんですね」
 結局、オウム裁判のドラマと、裁判官が主人公の映画を一本ずつ借りることにした。レジに向かう途中、なまえが菓子コーナーに駆け寄っていく。
「あ、アイスもあるし、輸入版のポテチもあるよ!」
 これ好きなんだよね〜とグリーンやイエローのカラフルなポテチの大袋を嬉しそうに覗きこんでいる。
「あなたはまたそうやって、ジャンクフードにほいほい釣られる」
「いいじゃない。こういうのは気分だよ」
「じゃあ今度映画館行きましょうよ。どうせポップコーンとか齧りながら映画鑑賞したいんでしょう?」
「あとコーラかスプライトね!」
 これって、デートしてもOKっていう返事なんだろうか。いまだにこういう問いかけをするときは緊張する。
(なまえさんは、気づいちゃいないだろうけど)
 自分たちの関係って何だろう。遺品整理にも片が付いたし、これでなまえが「立ち直った」と言えば、この関係は終わってしまうのだろうか。それとも、友達として今まで通りずるずると会い続けてもいいのだろうか。
 このあいまいな関係に名前を付けたいと思う一方、振られたらすべてを失うと思うと、そうそう簡単に告白なんてできそうもない。
「ねえ、これも欲しい」
 気がつけば、なまえがポテチの大袋を手に取って期待のまなざしで王泥喜を見ていた。
「しょうがないな〜。特別に買ってあげますよ。好きなのかごに入れてください」
「やった! 王泥喜くん、大好き!」
「恥ずかしいから、そういうこと、店内でいちいち言わないでください!」
 王泥喜は頬を熱くしながらも混乱していた。
(これで付き合ってないって嘘だろ。二十四、五のお姉さんが、ポテチ買ってもらってこんなに喜ぶか?)
 みぬきに缶ジュースを買ってやってるのと変わらない。
「早く帰って、一緒に食べながら観よ!」
 なまえはすっかりご機嫌だ。
(ああ、もやもやする……)
 レジで貸出手続きを済ませて、ポテチも買って、店を出て――手も繋がずに歩いている中途半端なこの状況に。もやもやしながらスーパーに寄って、一緒に夕飯の買い出しもすることになった。
「え? なまえさん、紅白の会場にいたんですか!?」
 買い物カートを押しながら、年末どうしてたかを何気なく聞いてみれば、思わぬ事実が発覚した。
「マネージャーが急病でね、人手が足りないからって呼び出されたの」
「だって、あんた、事務官だろ!? どうしてそんなことまで……」
「『しゅわしゅわ〜んの飴がないと歌えないんだ。みょうじくん、助けて』って泣きつかれちゃったんだよ。全国のファンが待ってるのに無碍にできないじゃない」
(そんなの自分で買いに行かせろよ)
 内心のイラ立ちを隠せない。子供じみているとはわかっていても、つい唇を尖らせてしまう。
「せっかく、一緒に年越ししようと思ってたのに」
「そうだったの?」
「茜さんから連絡いきませんでした? 事務所で年越しと新年会をやったんですよ」
 茜が「なまえにも声をかけてみる」なんて期待させるようなことを言うもんだから、和牛ローストビーフまで仕込んで待っていたのだ。「ずいぶん張り切ってるね」などと成歩堂に突っ込まれながらも、鴨鍋や肉じゃが、ポテサラや焼き魚まで、なまえに食べさせたくて腕を振るったのに。
(牙琉検事のせいだったのかよ!)
 準備をすべて終えて、そわそわと待っていたところに「なまえ、急用で来られなくなったみたい」という茜の報せを受け、膝から崩れ落ちそうになるぐらい愕然としてしまった。
「宝月刑事からは、予定が空いてるか聞かれただけだったから」
「紅白の後からでも、顔を出してくれればよかったのに……もしかして、牙琉検事と二人で年越ししたんですか?」
「バンドメンバーとスタッフも勢ぞろいだったよ。クラブ貸し切りで、盛大に年越しカウントダウンパーティをやったの」
 いかにも牙琉検事がやりそうだ。しかもバンドメンバーって、顔面偏差値が高い奴らばっかりじゃないか。嫌でも嫉妬してしまう。
「そっか、王泥喜くんのご馳走があったんなら、途中からそっち行けばよかったな」
「そうですよ。せっかく作ったのに……こっちは茜さんに絡まれて大変だったんですから」
 酒に弱いのか、成歩堂は早々にソファで寝落ちしてしまうし、一人でみぬきと茜の世話をする羽目になった。

『へえ、これあんたが全部用意したの。なかなかやるじゃない!』
 料理を絶賛してもらえたのは嬉しかったが、茜とみぬきの組み合わせなんて、王泥喜がいいように弄られるに決まっている。
『愛の力の成せるわざですよねぇ、オドロキさん。大好きな彼女さんのために頑張っちゃって』
『だからみぬきちゃんっ まだ彼女じゃないって』
『なに、この子……好きな子いんの?』 
『年上のお姉さんにメロメロなんですよね〜? オドロキさん!』
『ちょっとなにそれ、面白そうじゃない。くわしく聞かせなさいよ!』 
 みぬきが着物に着替えている間に、怖ろしいほど酒豪の茜に付き合わされて大変な目に遭った。
『で? 何才年上に惚れてんの、あんた』
『……茜さんよりは、若いですよ?』
『はあ〜!? あんたほんと、くそ生意気なガキね。もっと年上を敬いなさいよ!』
『年下の検事にいいように使われてる茜さんには言われたくないですね』
『ほんっと可愛くないわね、あんた!』
『茜さんには、もっと可愛げがあった方がいいと思います。いつも不機嫌全開で、まともな男は怖がって寄ってきませんよ』
『よけいなお世話よっ 科学があたしの恋人なんだから!』
 その後は色々と説教されて、みぬきが戻ってくるまで散々ビールの酌をさせられた。
『あ〜、むかつく。なんで年末にまでじゃらじゃらの顔を拝まなけりゃいけないのよ!』
 紅白にはドヤ顔でラブラブギルティを歌う牙琉検事の姿があり、わざわざそのために着物に着替えたみぬきを発狂させた。「なまえも災難よね……」という茜のつぶやきは、今思えば紅白に借り出されたなまえのことを指していたのだ。

 スーパーの買い出しを終えた後も、王泥喜は不機嫌を隠せなかった。
「みぬきちゃんと宝月刑事なんて、両手に花じゃない」
「そっちだって、牙琉検事とバンドメンバーでしょ。ホストクラブみたいなもんじゃないですか!」
「なんでそんなに怒ってるの?」
「そりゃ……」
 本当は今すぐ関係をはっきりさせたい。ここで好きだって言ってしまおうか。寒風が吹き荒れる中、大量に食材の詰められたスーパーのレジ袋を持つ手を、王泥喜はぐっと握り締めた。

 結局告白をする勇気も持てず、王泥喜は大人しくなまえの部屋に入る。
(なんか、いい匂いがする)
 玄関に花が飾られていた。あたたかみのあるオレンジや淡いピンクが優しい空気を醸し出している。この間までは大学生のような部屋だったのに、大人の女のそれに変わっていた。遺品整理を終えて、内面に余裕が出てきたのだろうか。
(やば……)
 女の子の部屋はこうあって欲しいというような、落ち着きのある甘い雰囲気に、少しくらっときそうになった。
「王泥喜くん?」
「あッ、はい! その……大丈夫です!」
「テンパってるし、顔赤いけど……ほんとに大丈夫? 体調悪かったら無理しないで。私のベッド使ってくれてもいいからね?」
(お姉さんのベッドなんて、そんなの……寝られるわけないだろ!)
 なまえの匂いに興奮してギンギンになりそうだ。やばい。お姉さんのすべての言葉が誘惑に聞こえてきそうになるのは、色々なものをふんわりと受け容れてくれそうな、柔らかい雰囲気のせいなのかもしれない。
 買ってきた食材を一緒に仕舞いながらも、なまえのことを意識しっぱなしだった。
「さっそく映画観ようよ!」
 さっき買った海外のポテトチップスとジュースを抱えたなまえが、嬉しそうにリビングの扉を開ける。そこにも花が飾られており、癒されるような空間になっていた。
「え。座椅子なくなったんですか!?」
「大学の時から使ってて古かったからね。思い切って買い替えちゃった」
 あの2台の座椅子がなくなって、いかにも女の子が好きそうなデザインの二人掛けのソファが置かれていた。
(え……え?)
 王泥喜は混乱しながら、どう見てもカップル用に見えるソファとお姉さんとを交互に見つめる。
(オレが部屋に来るってわかってて、こういうのにしたのかよ……)
 熱のこもった眼差しを向ける王泥喜に、なまえは少し得意げだ。 
「可愛いでしょ。輸入家具店で見て一目惚れだったんだよね〜」
「はあ……」
 思わず生返事をしてしまう。
(ぜったい何も考えてねえだろ、このオネーサン)
 王泥喜は死んだ目をしながらポテチをパーティ開きにしてローテーブルの真ん中に置き、グラスにジュースを注ぐ。その間になまえはDVDを再生していた。
 隣に座って予告編を観ていると、ソファの右側に座ったなまえが王泥喜に顔を向ける。
「ちょっと遠くない? それじゃテレビ観にくいでしょ」
「いや、でも……」
 恋人同士が座るようなソファに密着するのはまずいだろうと、一番左端に座ったら文句を言われた。
「ねえ……もっとこっち来ない?」
 まったくその気もないくせに、やっぱり誘惑しているように聞こえる。
(どうしろっていうんだよ! オレは試されてるのか? くそお)
 なまえにぴったりとくっついて肩に腕でも回してやったら、少しは王泥喜のことを男として意識してくれるだろうか。
「じゃあ、失礼します」
 頭の中ではやらしいことを考えつつも、ねこが一匹ぐらいあいだに丸まって眠れるぐらいのスペースを開けて座った。
「王泥喜くんチョイスの映画、楽しみだね」
「そう……ですね」
 王泥喜が勝手にドキドキしているだけで、なまえは平気そうなのが悔しい。
(今日もスーツを着てきてよかった)
 左襟の弁護士バッジがある限り、なんとか衝動を抑えられそうだ。王泥喜は気持ちを切り替えて、裁判官が主人公の映画に意識を集中させた。

「え……泣いてる?」
 気がつけば、なまえが驚いたようにこちらを覗きこんでいた。
「だって、生き別れの兄弟の再会ですよ……こんなの泣くでしょう」
 声が震えてしまう。王泥喜はこういった話に弱い。依頼人の苦労話を聞いていても、ついうっかりと感情移入してしまうきらいがある。
「涙もろいなあ、王泥喜くんは」
 はい、と渡されたティッシュで涙をぬぐう。目の前のローテーブルにそっとティッシュの箱が置かれた。王泥喜が涙をぬぐう間もなまえは静かに映画を観ていた。
 映画が終わるとちょうど夕方だった。なまえを風呂に入らせている間に、皮をパリパリになるまで焼いたチキンソテーと付け合わせの温野菜、簡単なつまみを用意した。
 ジャージに着替えてきたなまえは、気持ちいいぐらいの食べっぷりでチキンソテーを平らげた後、例のオウムを尋問する法廷もののコメディを観て涙を流すほど笑っていた。軽く白ワインも飲んでいるせいで、いつも以上に笑い上戸になっている。あんまりにも笑い狂うせいで、王泥喜にまで笑いの渦がうつってしまい、たいしたことない場面でも大声で笑う羽目になってしまった。
「あ〜、楽しかった」
 3話分を観終わって画面を一時停止させると、なまえは空いた皿を持ってキッチンへ向かう。
「小腹がすいてきたし、シメでも作るね」
「へ?」
 なまえが微笑んでキッチンへ消えていく。しばらくしても戻ってこないので気になって覗いてみれば、なまえは寸胴鍋に湯を沸かしていた。大胆に塩を入れ、レードルで小皿に湯をすくって濃度の味見をしている。その姿が妙にさまになっていて、王泥喜は見入ってしまった。
「パスタ、作るんですか?」
「そ。ひっさしぶりだから美味しくできるかな〜、実は緊張してるんだ」
「大学以来……ですか」
「あの事件以来」
 短く答えて、もくもくと湯気を立てる銀色の寸胴鍋にパスタを放つ。やがてキッチンには、エクストラ・ヴァージン・オリーブオイルで炒められたにんにくのいい香りが漂い始めた。
 しばらくして、出されたパスタに度肝を抜かれた。
「めちゃくちゃ、旨いじゃないですか」
(なんだこれ)
 少し辛みが強いけれど、あとを引くような旨さがある。にんにくとオリーブオイルがふんだんに使われたペペロンチーノは王泥喜好みの味だった。
「あ〜、よかった……ちゃんと作れた」
 安堵したように胸を撫で下ろしているところを見ると、事件以来の料理にかなりの勇気が要ったようだった。
「料理中、あいつの顔も浮かばなかったし、もう大丈夫かも。私……王泥喜くん」
 震える唇でそうつぶやいたなまえの声には実感がこもっていた。その目が少し潤んでいる。
 なまえはきっと、正しく立ち直ったのだ。
「良かったですね」
 なまえに笑いかけながらも、王泥喜の胸には淋しさのようなものが過っていた。もしかして、この関係ももう、終わってしまうのだろうか。

 ペペロンチーノを食べている間に雨が降り始めた。おかわりもしてすべて平らげた頃には雨音が激しくなり、皿を洗ったりして一緒に片づけ終わる頃には、窓の外は嵐が吹き荒れていた。
「ねえ、泊まってかない?」
「え」
 カーテンを閉めながら、なまえが心配そうに外を覗き込んでいる。
「外、すっごい嵐だよ。今出てったら、ずぶ濡れになっちゃう」
「でも家、近いですし」
「この暴風雨じゃ、傘さしてもスーツが台無しになっちゃう。それに、風邪ひいちゃったら良くないよ」
(……いいのかよ。男なんか泊めて)
 今までは不可抗力と寝落ちだった。なまえからこんなふうに誘われるなんて初めてのことだ。本音を言えば泊まりたい。けれど、万が一いい雰囲気になったとしたら、自分を制御できる自信がない。
「ね、お風呂入ってきなよ。布団出しとくから」
 王泥喜が遠慮してるとでも思ったのか、なまえの声が優しい。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「せっかくだから、夜通しお話しちゃったりなんかする?」
「……それもまあ、悪くないですね」
 腕輪を外してローテーブルの上に置く。下心なんて微塵もありませんといった素知らぬ顔つきで、バスルームへ向かうために廊下へ出た。胸が微かに騒めきだす。洗面所へ続く扉を開けて、王泥喜は固まった。
 洗濯機の上の物干しに、綺麗なレースの、いわゆる、ランジェリーというやつが干されていたのだ。
「うわあああぁ!」
 王泥喜の悲鳴を聞きつけたなまえが駆け寄ってくる。
「ごめんね! 干したのすっかり忘れてた!」
 急いで極薄の布のランジェリーを回収して出ていった。「私ので悪いけど、あとで着替えおいとくね!」という言葉を残して。
 びっくりした。
『お姉さん、お前を誘ってんじゃねえの?』
 前に通話した時の葵の言葉がふいに蘇る。
 だめだ。エロい。一瞬ちらっと見ただけだけど、えろすぎる。あの人、あんな高校生が着るようなジャージ着といて、中身あんなのつけてんのかよ。鼻血を噴きそうだ。
「やば。どうしよう、葵。オレ、どうにかなっちまいそうだ……」
 王泥喜の熱っぽいつぶやきがバスルームに響く。興奮した身体をどうにかするために、冷水シャワーを頭からぶっかけて無理やり体温を下げた。
「ぶへっくしょん!」
「ちょっと、大丈夫? 王泥喜くん」
 廊下でくしゃみをすると、部屋の中から心配そうな声が聞こえてくる。
「だ、大丈夫です」
 ちょっと冷水シャワー浴びすぎただけで。そう答えて扉を開けた途端、なまえがびっくりしたように瞳を瞬かせた。
「え……」
 その視線が、王泥喜の髪や胸元に向けられる。
(……なんだ?) 
「え……と、早かったね。お布団、敷いといたから」
 なまえの様子がおかしい。
「ありがとうございます」
 そう答える王泥喜の喉元を凝視している。
(いったい、なんなんだ?)
「あ。ドライヤー借ります」
 声をかけるだけで、なまえがびくんと肩をはねさせた。
「はい! 洗面所のシンク下にあるからっ」
 あきらかに挙動不審だ。さっきから、やたらとチラチラ見られてる気がする。王泥喜は首をかしげながら洗面所に戻った。
「茶でも飲みます?」
 髪を乾かし終わってキッチンから顔を出せば、室内はしんとしていた。
「……なまえ、さん?」
 部屋の奥のベットに、なまえが横たわっている。規則的に上下する胸元。外された眼鏡が枕元に置かれていた。掛け布団をはだけさせているところを見ると、本気で寝てしまったらしい。  
 なんだよ、さっきまであんなに盛り上がってたくせに。てっきり夜更かしでもして、朝まで一緒に過ごせるかと思ったのに。期待を裏切られた。
「くそっ なんでへそ出して寝てんだよ……」 
 なまめかしい腹部の曲線の先に、先程のようなランジェリーがあるのだろうか。一瞬、ジャージを捲ってなまえをめちゃくちゃに抱いてしまいたい衝動に駆られた。
 ベッドの上に体重をかけると、スプリングが強く軋んだ音がした。王泥喜はなまえの耳元に口を寄せる。
「そんなエロい格好して。わざとですか。オネーサン、もしかしてオレを誘ってます?」
 腹立ちまぎれに、ふざけて囁いてみた。
「……喰っちゃっていいのかな」
 自分でも驚くほど低い声が出た。これ以上はヤバい。うっかり唇を奪いそうになる。目に毒だ。
「……まったく。人の気も知らないで」
 王泥喜はそっと、はだけた布団を掛け直してやった。
「早く好きになってよ、オレのこと……待ってるから」
 起きてるときにこんなことを言う度胸はもちろんない。こんなに強気に出られるのは、なまえが寝ているからだ。
「ちょっと、聞いてますか? なまえさん」
 その晩、シャワーの前に腕輪を外していなかったら、王泥喜はなまえに襲い掛かっていたかもしれない。



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