薄い黄色にフォークを差し込んで、一口大に切り取る。口に含んだ途端に、ハーブの香りとほのかな甘みが口の中に広がった。なにこれ、美味しすぎる……! 「このオムレツ、どうやって作るんですか?」 興奮気味に聞くと、カカシ先生は優しく笑いながら、作り方を説明してくれた。生のハーブを刻んで、リコッタチーズというのをまぜて作るらしい。……正直そんなチーズ食べたことも無かった。ハーブといい、何やらおしゃれな食材を冷蔵庫に常備しているカカシ先生にただ者じゃなさを感じる。 「いや、そんな難しいもんでもないから。昔よく先生が作ってくれたんだよね」 黒パンを囓りながらカカシ先生が言う。カカシ先生が言う『先生』が誰を指すのか、私は知らない。多分、昨日見つけた写真に写っていた、金髪の方かな。 「これをつくると葵はいつも喜んでくれるから、朝食と言えばこればっかりつくってた」 顔をほころばせるカカシ先生に、写真繋がりで、気になっていたことを聞いてみようと思い立った。 「寝室に置いてある写真立ての中で、カカシ先生が女の人と二人で写っている写真がありましたけれど……」 「あぁ、あれに写っているのはお前だよ」 やっぱりそうか。年をとっていても自分は自分だから、ほとんど確信はしていたのだけれど。 「葵が特別上忍に昇格した時の写真」 「へぇ……」 それ以上聞いて良いのかな、と悩みながら、フォークでトマトを突き刺す。 「葵はチャクラコントロールが上手くて、教えれば教えるだけどんどん吸収して伸びてった。あっという間に特上に昇格して、嬉しいやら寂しいやら複雑な気持ちだったな」 カカシ先生は懐かしそうに微笑む。 「あの写真の頃は……その……先生と私は付き合ってたんですか?」 ドキドキしながら、勇気を出して聞いてみた。カカシ先生は「いや……まだ付き合ってなかったよ」と答える。 まだ、って事はやっぱり。 「先生と未来の私は、付き合ってたんですね」 「……うん」 「それで……別れたんですか」 我ながら思い切った質問をしてしまったが、ずっと気になっていたことだ。緊張しながら答えを待った。握ったままのフォークを持つ手に力がはいってしまう。 「別れてないよ」 そう言って、カカシ先生はまた、寂しそうに微笑んだ。別れてはいないんだ……。どっと肩の力が抜ける。じゃあなんで、先生はこんな顔をするんだろう。 「……私が十七歳になっちゃう直前まで、私たちって付き合ってたんですか」 「うん」 「何で目が覚めた時、私に言わなかったんですか。俺はお前の恋人だよって」 「そりゃ……いきなり十歳も上のオッサンに、俺たち付き合ってるんだよねなんて言われたら葵が可哀相かなーと思って」 寝癖の残る頭をかきながら、カカシ先生は困り笑いをした。 「カカシ先生はオッサンなんかじゃありません!」 「そう?……ありがと」 目を細めて嬉しそうに言われる。むしろ最初っから『俺はお前の恋人です』って言ってくれていたとして、私はこの人と付き合ってたんだ!って、良い意味で驚きこそすれ、嫌だとは絶対に思わなかっただろう。カカシ先生って何だか自己評価が低いんじゃないだろうか。 「食べ終えたらまず、葵の家に行こうか。着替えも取りに行かないとね」 「……ぜひ行きたいです!先生今日はお休みなんですか?」 「いや、午後からちょっとした任務が。でも、ナルト達は一日非番のはずだから、昨日あいつと約束してたとおり、里を案内してもらうといいよ」 私の家は、昨日入ってきた里の大門寄りに位置していた。一人暮らし用の集合住宅が多い、人通りのまばらなエリアの一角にその建物はあった。当たり前だが十七歳の私には全く記憶に無い家だ。鍵はポーチの中かな、と私が探し出すより早く、カカシ先生が鍵を取り出して、ドアに差し込んだ。……どうやら合鍵を渡していたらしい。 玄関を入ってすぐ短い廊下があって、キッチンと洗面所らしきドアの前を通り抜けると部屋は一つしか無かった。未来の自分の部屋は想像していたよりも大分殺風景だった。床に畳まれた布団と、小さなローテーブルがある他は、ほとんど家具らしい家具が無い。部屋の隅にいくつかの段ボール箱が封をされたまま置いてあった。まるで引っ越してきたばかりみたいな部屋だ。 ふとカカシ先生を見ると、……先生は一瞬目を見開いて、驚いたような顔をしていた。数秒して、切りつけられでもしたみたいに、痛みを堪える表情をした。 「カカシ先生……?」 心配になって声をかけると、先生ははっとして、取り繕うように「何でもないよ」と言った。けれど、覆面をしていてもその動揺が伝わってくるほど、カカシ先生の様子は変だった。……何かに傷ついていることが、ありありと伝わってきた。不安になって、先生の左手を握ってみる。大きな手はひんやりと冷えていた。 「ありがとう」 先生はそう言って、かすかに笑った。わずかな力で握り返された手を、もう一度ぎゅっと握る。この部屋の様子は、カカシ先生にとっては予想外だったらしい。引っ越してきたばかりみたいな部屋だ、と思ったけれど、先生の様子を見る限り、逆なのかもしれない。未来の私はどこかに引っ越そうとしていたようだった。恋人である先生に何も言わずに……? 物という物が無い、生活感のかけらも無い部屋だ。残された小さなテーブルの上には、写真立てと本が一冊だけ置いてある。先生の手をひいたまま、テーブルの前にかがんで、写真立てをのぞき込んでみた。白いシンプルなフレームの中に、笑顔の私と先生が顔を寄せ合って、大きく写りこんでいる。二人のうちのどちらかが腕を伸ばして、自分たちにカメラを向けたんだろう。先生の部屋にあった写真とはまた違う、恋人同士の距離感だった。 知らないタイトルの文庫本は、読みかけらしく真ん中を少し過ぎたところに栞が挟まっていた。栞のところを開いて見ていると、隣の先生に手元をのぞきこまれる。 「……お揃いだったんだね」 「……?」 言葉の意味がわからずにいると、「その栞」と指をさされた。 乳白色の和紙に、銀色の車文様が描かれている。光の加減で見えなくなってしまうような、繊細な柄だ。 「色違いで持ってたなんて、知らなかった」 カカシ先生は小さな声で言った。私では無い『私』に向かって。 眉根を寄せる先生に、何て言葉をかければいいのか、私にはわからなかった。それがもどかしくて、痛くて、悔しくて。二人で居るのに一人で居るみたいに、寂しげな表情を浮かべる先生を見ているのが、苦しくて。 だから、こんこんと扉を叩く音がしたときには、何だろうと思うより、ほっとする気持ちが強かった。 「葵ねーちゃん、やっぱりこっちにいたってばよ!」 「おはようございます葵さん、カカシ先生!」 玄関ドアを開けると、ナルトくんとサクラちゃんが立っていた。昨日の約束通り、里のあちらこちらを案内してくれるという。まずはカカシ先生の家に行ってみたけれど不在だったので、私の家に来てくれたそうだ。 「昨日は二人でここに泊まったんですか?」 ニヤニヤしながら聞いてくるサクラちゃんに困りつつ、 「いや、カカシ先生の家だけど」と答えると、「キャーー!」とテンション高く返される。 「じゃ、サクラ、ナルト。葵の事は頼んだよ」 午後にはまだ早いけれど、カカシ先生は一緒にお昼を食べずに行ってしまうんだな、と思うと、胸の奥がずーんと重たくなった。さっきの先生の様子も気になるし。暗い気分が顔に出てしまったのか、先生は私の様子にすぐに気づいて、「夕方には迎えに来るから」と優しく笑って、頭を撫でてくれた。それで、何だか少しだけほっとした。けれど、相変わらずの子ども扱いに複雑な気持ちになる。 「これで甘栗甘でも一楽でも、連れてってやってよ」 カカシ先生がお金をナルトくんに渡した。 「ドケチなカカシ先生が小遣いくれるなんて珍しいってばよ」 「お前ね……そんな事いってるともう二度とラーメン奢ってやんないよ」 「……!!カカシ先生ってばやっぱり太っ腹ぁ!しかも男前だってばよ!!」 ナルトくんが大慌てでガマガエルのお財布にお金を入れるのを、サクラちゃんと私は笑ってみていた。 |