6



キャラメルソースがかかった白いクリームをスプーンで掬って口に含むと、葵はわかりやすく顔をほころばせた。俺は甘い物が嫌いだが、彼女が幸福そうにその飲み物を味わっている様子を見ていると、なぜか美味しそうに見えてくるから不思議だ。欲しがっていると思われたのか「カカシも飲む?」と聞かれたが、それは丁重にお断りした。「甘いの嫌いだもんね」責めるでもなく、機嫌の良い猫のように彼女は冷たい飲み物に夢中だ。黒いストローでからりと氷を一混ぜしながら、満足そうに笑みをこぼす。

葵と過ごす日々は食事の記憶に満ちている。それまでの俺にとって、空腹は煩わしい物でしか無かった。腹が減れば生きるために仕方なく食べる、修行でバテないためにも仕方なく食べる、といった感じで、体に栄養を与える以上の意味を食事に感じていなかった。一人で摂るのが当たり前で、任務で仕方無く誰かと食事を摂る機会があっても、食べながらの歓談というヤツが煩わしくて、いつも早々食べ終えていた。普段から覆面をしていたのが幸いして、『そんなに顔を見られるのが嫌なのか』と周囲は適当に誤解してくれたので楽だった。

それなのに葵と付き合い始めてからは――正確には葵に護衛をされたあの数日間をきっかけに――俺の食べる速さは自然と落ちていった。彼女の手料理を味わって食べたかったからでもあるし、葵と一緒の食事は楽しかった。それこそ、空腹が楽しみになる程に。

付き合う前から、彼女が食べている姿を見ているのは好きだった。誘われるまま甘味処に行ったのも、美味しそうに食べる葵を見て密かに癒やされていたからだ。甘い物が苦手だとばれてしまってから、葵は遠慮して「甘味処に行こう」とは言わなくなった。その代わり、俺の方から彼女を誘うようになった。「いいの?」と遠慮がちに言う彼女に「葵が美味しそうに食べている姿を見るのが好きだから」と素直に言うと、葵は黙って照れていた。

その二文字は自然と頭に浮かぶようになった。付き合ってまだ一年というべきか、もう一年というべきか、葵がどんなふうに考えているかはわからない。だが、俺の中ではもう、彼女の側に居続けるというのは決定事項だった。
「カカシといるともうひとりじゃないんだと思える」
いつか、夜明け前の暗い部屋で、葵がぽつりと呟いた。胸が張り裂けそうに幸せだった。
同じ気持ちでいてくれている事が嬉しかった。

彼女にずっと触れていたいと思う。ずっと守りたいと思う。そして叶うなら、ずっと必要とされていたい。そういう俺でありたい。その声で名前を呼ばれるだけで、いつだって真っ直ぐに帰ってこられる。戦場で真っ赤に焼けた空を見上げて、想うのはいつも葵の事だった。



早く帰ってきたくて左眼を使いすぎた。里の大門をくぐった途端にぶっ倒れて、情けなくも病院に担ぎ込まれ、本末転倒もいいところだ。次に目を覚ましたのは見慣れた病室で、俺の左手は、葵の柔らかな両手に包まれていた。
「葵」
彼女は傍らの椅子に座り、俺の布団に突っ伏したまま、名前を呼んでも目を覚まさない。包み込まれた左手からその温もりが伝わってくる。愛しさに、胸の奥が痛くなる。

東の窓から青みをおびた朝焼けが差し込んでいた。どうやら一晩中眠りこんでいたらしい。葵の手をそっと握り返してみると、その体がぴくりと動いた。起こしてしまったらしい。起きてほしかったくせに、申し訳ないとも思って、矛盾した感情のまま、葵を見つめていた。その声で、いつものように名前を呼んでほしかった。

葵は布団に伏せていた顔をゆっくりあげると、半分寝ているような表情で、ぼんやりとこちらを見た。頬に涙のあとが幾筋も残っている。また心配をかけてしまった、と気づいて心臓を握られたような痛みが走った。それと同時に、自分を思って泣いてくれたという事に対して仄暗い喜びも感じている。……我ながら始末に終えない。

「カカシ……おかえり」
「ただいま、葵」

葵は力なく微笑んで、安堵した表情を見せた。
帰ってきたことを喜んでくれていた事は間違いなかったのだけれど。

俺は葵の表面しか見えていなかった。あの時、泣きだしそうな顔で、それでも懸命に笑ってくれていた事に、気づいていたのに。

葵が何かに悩んでいることを、見抜けずにいた。


















目が覚めて、いつもより天井が高いような気がして、不思議な気持ちになる。少し考えて、自分が床に布団を敷いて寝ていることを思い出した。寝返りを打つと、ベッドの上に布団が丸まっているのが見える。

もぞもぞと体を起こして、ひと思いに立ち上がった。隣のベッドに眠る少女のあどけない寝顔を見つめる。

姿形が若返っていようが、葵は葵だ。初めて目にする十七歳の頃の葵は、彼女らしい芯の強い眼差しと、華奢な体がアンバランスだった。あちらこちらに少女らしい幼さを残している。まだ十七歳で、もう十七歳だ。女としての魅力が全く無いかと言われれば、そんな事は全然無い。せめて、もう少し幼くなってくれていたら、と縁起でもない事を考える。


もちろん、十七歳の彼女に手を出すつもりはさらさらない。


昨日、『カカシ先生が好きなんだと思います』と唐突に言われて、正直驚いた。
葵は俺に惹かれた理由を、あまりにも真っ直ぐに語った。
あんなふうに素直に、眩しいほど正直に言われてしまえば、さすがに顔が熱くなる。

『私も何度でも、先生の事が好きになるんだと思います……』

そう言われて、嬉しくなかったわけがない。

俺だって、彼女が何歳になっても、記憶を無くしても、きっと何度でも好きになる。……たとえ、彼女に愛されなかったとしても。



綱手様は優秀な研究者でもある。葵にかけられた術はすぐに解明され、彼女の体と意識が元の年齢に戻る日は、そう遠からず来るだろう。元に戻った後、十七歳の間の記憶は無くなるわけでは無い。似たような術を一年前にこの身が経験したからわかるのだが、術を受けていた間の記憶は失われるわけでは無く、眠るように意識の底にしまい込まれるだけだった。

元に戻った後、すぐには思い出せなくても、何かをきっかけに思い出される可能性がある。だからこそ、元に戻った葵が少しでも苦しまないように、彼女が傷つく事の無いように。俺は十七歳の葵と向き合わなければならない。


『私は先生になら何されてもいいです』

……そんな言葉にぐらついているようじゃ駄目だ。

眠る葵の髪を撫でようとして、手を引っ込めた。起きてくれさえすれば……葵に先生と呼ばれさえすれば。彼女は子どもで自分は大人だと、そう思う事が出来るから。
葵が俺を「カカシ先生」と呼んでくれたのはラッキーだった。

聞き慣れない呼び方に、チクリと刺すような痛みを感じたのは最初だけで。そんな感傷はすぐに封じ込めた。


しばらく、葵のあどけない寝顔を見つめた後、朝食を用意する為に部屋を出た。

一緒に居られる事が、今となってはプレゼントのように思える貴重な時間だ。少しでも、葵の笑顔をたくさん目に焼き付けたいと思った。

元に戻ればきっともう、こんな風に自然に側に居ることも叶わなくなるのだから。


back///next
top

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -