5


タオルで髪を拭きながら、カカシ先生が部屋に戻ってきた。
「寝てて良いよって言ったのに」
風呂上がりで上気した頬で、先生がふわりと微笑む。

眠れるわけがなくて、私は食卓の椅子に座って忍術書の続きを読んでいた。
お風呂に入る前に読んでいた時とは違って、文字列が全然頭に入ってこない。
さっき、カカシ先生に言われた言葉、抱き締められた事、先生の寂しそうな笑顔、その全てに心の中がかき乱されて、わからないことだらけでもやもやする。

ソファに座って髪を乾かし始めたカカシ先生をちらりと横目で盗み見る。半袖から伸びた白い腕には所々傷跡が見えた。忍だから、体中にもっと沢山の傷があるんだろうな、と想像させる。左目を走る大きな傷はいつ頃ついたものなんだろう。

カカシ先生の事がもっと知りたかった。その反面、私たちの関係を知るのは怖かった。先生の態度から察するに、恋人だったとしても、もしかしたらもう別れている、とかだろうか。付き合っている人がいる、と言っていたのは私の事では無いのかも。あるいは、付き合っているけれどもう別れそうになっていたとか?どちらにせよ、幸せいっぱいの状態では無かったらしい。でも、先生は私を抱き締めた。……きっと私は大切に想われていたのだと、先生の態度からは伝わってきた。それが過去のことなのか、今もそうなのかはわからない。


「怪我もしているし葵はベッド使って」と言いながら、カカシ先生は寝室の床に布団を一組敷いた。
「客用布団に先生が寝るのはおかしいですよ……」と反論すると、「時々干してるから黴びちゃいないし大丈夫」という、返事ともつかない言葉でうやむやにされてしまう。


夕飯前に少し寝てしまったのと、いろいろな事が頭を巡って全然眠たくなかった。けれど、もう良い時間だし、私がいつまでも起きていたら先生に迷惑がかかる。結局言われるままにカカシ先生のベッドに潜り込むと、先生は安心したように笑って、寝室の電気を消した。月明かりが差し込んでいるのか、部屋の中は真っ暗にはならない。静かな音をたてて、先生が布団に入る気配がする。

しばらくは目を瞑っていたけれど、どうしても寝られずに目を開けた。天井を見つめながら、とりとめなく今日のことを思い返した。森の中で目を覚まして、カカシ先生、ナルトくん、サクラちゃんと出会って、自分が記憶を失っているらしいという事を聞かされて始まった、一日の事を。祖母の墓、誰も住まなくなった私の村、初めて来た木ノ葉の里。そして綱手さん。

ごろんと寝返りを打つ。こちら向きに寝ているカカシ先生を見つめる。はたけカカシ、上忍、二十七歳。この世界の私と同い年で、私の忍の先生でもあった人。目覚めてから今まで、終始穏やかで優しい印象で。けれど、たまに感情が読めなくなる。出会って一日なのだから当たり前かもしれないけれど。

おんぶしてくれたり、ご飯をつくってくれたり、頭を洗ってくれたり。面倒見の良さは先生という職業だからなのかと思っていたら、一人暮らしだといっていたカカシ先生の部屋に、なぜかあった私の着替え。
『俺はお前が大切だったよ。葵。……何よりも』
先生にとって私は……何だったの?

「眠れないの?」

急に声を掛けられて、心臓が止まるかと思った。
カカシ先生がそっと目を開ける。
じーっと見つめていたことに気づかれていたんだ。顔から火が出そうになる。

「……あまり眠くなくて、色々考えちゃって」
「そっか……」

カカシ先生は少し、考えるような顔をした。素直に言ってしまったせいで、気を遣わせてしまったかも。いたたまれない気持ちになってぎゅっと目を瞑る。

「じゃ、ちょっと夜風にでもあたる?」
「え……?」

もぞもぞと先生が布団から体を起こす音がして、再び瞼を開ける。立ち上がったカカシ先生につられて、私も体を起こした。

部屋の隅のクローゼットから、先生が服を持ってきた。ふわりと私の肩にかけられたのは厚手のパーカーだった。これも未来の私のものなんだろうか。

「狭いけど屋上があるんだ」

にっと笑ってカカシ先生が手を差し出してきた。おずおずとその手を握り、ベッドから立ち上がる。この手は、子ども扱い?それとも。そのまま手を引かれて部屋を出る。

風の無い夜だけれど、外は少し肌寒かった。先生がかけてくれたパーカーの前を両手であわせて夜気を防ぐ。

見上げた空には、沢山の星が瞬いていた。
「星月夜だね」
カカシ先生が静かな声で言う。
「ほしづくよ……」
いつかおばあちゃんに教えて貰った言葉だ。星の光が瞬いて月のように明るい夜。言葉の響きと文字の美しさ、その意味も全てが気に入って、私の大好きな言葉になった。
「こんな夜をそう呼ぶんだと、葵が教えてくれた」

カカシ先生にこの言葉を教えたのは、いつの私なんだろう。

いつか、こんな星の夜に。大好きな人と一緒に夜空を眺めてみたいと思っていた。
まだ恋もしたことが無かったけれど。


「おばあちゃんも死んでしまって。この世界の私はひとりぼっちなんですね」

何となく言ってしまった言葉が、存外ネガティブに響いてしまい内心後悔した。
こんな事を言われたらカカシ先生はどう返して良いか困るだろう。

「……ひとりになんかしないよ」

「え……」

「いや。ひとりになりたくないのは俺の方か」


その言葉には自嘲するような響きがあった。カカシ先生を見ると、昏い色の瞳と目があう。……未来の私と先生の間に何があったのかはわからない。けれどきっと、私はカカシ先生を傷つけたんだ。何故かその時はっきりと、そう直感した。

「私はカカシ先生の事が好きじゃ無かったんですか」

先生ははっと目を見開いた。それから、少し悩むような表情をした。

「いや、好きだと言ってくれていた……」

何かを思い出すように、カカシ先生が遠い眼をする。
今目の前の私じゃ無い『私』を考えているのかな、と思ったら、なぜだか無性に腹が立った。

「先生っ!!」
「ん?」

つい大きな声が出てしまう。カカシ先生は私の剣幕にちょっと焦っている。

「私カカシ先生が好きなんだと思います」
「え!?」
「今日一日で何を言ってるんだと思うかもしれませんが」

ぽかーんとしているカカシ先生が何だかおかしくて、声に出してしまったことにより勢いづいた私はさらに言葉を続ける。

「目が覚めてからずっと私に優しくしてくれるし、軽々おんぶしてくれるし、美味しい料理つくってくれるし、頭洗ってくれるだけじゃなくて優しく乾かしてくれるし。先生の低い声も素敵だし、掴み所が無くてもっと知りたいって思っちゃうし。大体見た目もタイプだし!」

捲し立てるように言い切って、ふー、とため息をつく。満足してからカカシ先生の様子を恐る恐るうかがうと、先生は真っ赤な顔をしていた。そんなに照れられるとは予想外で、遅れてこっちも恥ずかしくなる。

「ストレートすぎでしょ……」
「……だって。カカシ先生に私の事を見てほしくて」

パーカーの裾を握って俯く。誰かに告白するなんて初めての経験だ。……大体人を好きになるのも初めてだ。
それなのに無鉄砲に口に出してしまった自分の勢いに、自分でもびっくりしている。

「若いって恐ろしいねぇ……」
「……」

呆れたように笑いながらカカシ先生が頭をかく。胸がズキズキ痛くなって、睨むように先生を見上げた。
受け入れて貰えないのかな、と思ったら、途端に怖くなる。けれど今更後には引けず、意地になって先生を真っ直ぐ睨んだまま、答えを待った。

「あんまり大人を驚かせるんじゃないよ」
「やっぱり私は子どもですか」
「子どもだね。真っ直ぐで……俺には眩しすぎる」

カカシ先生は私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「ご、ごまかさないでください!!」
「……やれやれ。末恐ろしい子だ」

くすくすとカカシ先生が笑うけれど、こっちは頬の熱がひかなくて、切なくて、泣きそうになる。

「俺も、お前のことが好きだよ。いくつになっても、記憶を無くしても。……何度だって好きになる」

言われた言葉の意味をゆっくりと理解して、胸がいっぱいになった。先生がとても優しい顔で笑うから、頭がぼーっとしてしまう。

「私も何度でも、先生の事が好きになるんだと思います……」

未来の自分もカカシ先生を好きだと言ったらしい。
その後、私たちは付き合ったんだろうか。付き合ったとしたら、二十七歳の私はどうしてカカシ先生に悲しい顔をさせてしまったんだろう。


「せんせー……」
「んー?」
「私たち両思いって事ですか?」
「……そーなるね」

穏やかに笑う先生は、さっきの赤面など嘘のように落ち着きを取り戻している。何だか、悔しい。

「先生の記憶がたった一日しか無い私の告白なんて、薄っぺらいですか」
「……俺はお前がくれる言葉なら、なんだって嬉しいよ」

先生がまた私の頭を撫でるけれど、子ども扱いが悔しくて、体当たりするようにその胸に抱きついた。

「……積極的」

ぽんぽん、とカカシ先生が私の背中を叩いてくれる。
さっきみたいに抱き締め返してほしいのに。

「子ども扱いしないでください」
「……子ども扱いでもしないと、色々持たないんだよ」
「……?」

どういう意味ですか、と聞こうとして見上げたカカシ先生は、とても優しい表情をしていた。

「お前が大切だから」

微笑まれて胸がいっぱいになる。

「……そろそろ寝ようか」
「はい!!」

元気よく返事をしてしまってから、ふと考えた。

あれ、両思いになって、これから寝るって事は……。

一気にまた顔が赤くなって、ぎこちない動きになる私に気づいて、カカシ先生が堪えきれないと言った様子で吹き出した。

「子どもには手ー出さないから大丈夫」
「なっ……!私子どもじゃありません!」
「子どもでしょ」
「先生私の事好きじゃ無いんですか」
「好きだよ」
「私は先生になら何されてもいいです」

勢い余っていったら、先生はちょっと怒った顔をした。胸がざわつく。

「大人をからかうんじゃないよ」
「……からかってなんか」

悔しさと悲しさと、引っ込みがつかなくなった勢いで、頭がぐちゃぐちゃになる。先生を怒らせたいわけでも、困らせたいわけでも無いのに。

「あーあ、泣かないの」

先生の指にやさしく目尻を拭われる。ますます子どもっぽい自分が嫌になる。

「もっと自分を大事にしなさい」
「……」

そういう問題だろうか。

「心配しなくてもちゃんとお前に欲情できるけど」
「え……」
「怪我もしてるんだから今日はもう寝なさい」

先生はそういうと、先に歩き出してしまった。

「ま、待って」

慌てて後を追いかける。

部屋に戻るとカカシ先生はさっさと布団に入ってしまい、嘘か本当かわからないけれどすーすー寝息を立て始めてしまった。驚きの寝付きの良さに、なすすべもなく、私もベッドに戻る。悶々としながらも瞼を閉じていると、今度はやっと眠気がやってきた。

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