「無事に帰れる保証は無いから、別れてくれてもいい」 そう言ったのは本心からだった。紛争地帯の最前線に行くのだ。彼の地から、生きて帰れなかった忍の数は、決して少なく無いと聞いている。絶対に帰ってくる約束が出来ないのに、カカシを二年も縛る事は出来ない。……もちろん、私は絶対に帰ってくるつもりで、この里を出て行く。カカシの事をちゃんと支えられる忍になる為に、この任務に志願するつもりなのだから。 あの場所で医療忍者が必要とされている事は知っていた。闇雲に日々の任務を熟すよりも、今の自分にとって、必要な経験を積めると直感した。カカシに追いつくまでは行かないかもしれないけれど、せめて、守られるだけじゃ無く、頼られるような忍になりたかった。もっと、強くなりたい。カカシと同じ任務に出ても、守られることが多くて。私は医療忍術にだけは、自信があるけれど、ひとつ「特別」があるだけじゃ、カカシの事を守れるような忍とは言えない。正直なところ、私は焦っていた。いつも仲間を庇って無理をするカカシを見ているのが、自分を犠牲にしても仲間を守り切ってしまうカカシを見ているのが、辛かった。なんの力にもなれない自分が悔しかった。 「別れてやるわけないでしょ」 顔を歪めているカカシを見て、彼を酷く傷つけてしまった事に気がついた。 けれど、口から出た言葉はもう取り消せないし、私の独りよがりな思いをカカシに話したところで、困惑させるだけだ。そう思うと、何と言えばいいのかわからなかった。私がいない二年の間に、カカシは私よりも好きな人を見つけるのかも知れない。それならそれで、仕方の無い事だと、……果たして私は本当に思えているんだろうか。けれど、カカシが本当に困ったときに、彼を支える力も無い役立たずのままで、隣に居続ける方が、もっと苦しい。 「ごめん、カカシ……」 謝っても仕方が無いけれど、今は謝るしか無かった。カカシは傷ついた表情のまま黙っている。その顔を見ていられなくて、私は立ち上がった。本当のことを言えば、カカシは笑って見送ってくれただろうか。それとも、考えすぎだと私を叱っただろうか。結局の所、カカシに本当の事を言えなかったのは、私のくだらないプライドのせいかもしれなかった。経験を積んで、里にもカカシにも認められる忍になって、上忍になるという夢を叶えるために、この里を飛び出そうとしているのに、夢を語るだけ語って、何にもできずにもし死んでしまったら、あまりにも情けないから。 温かい掌に左手を包まれている。 目を覚ますと、見慣れたクリーム色の天井が見えた。長い間眠っていたような気がする。私は何でカカシの部屋にいるんだろう……。不思議に思いながら、ゆっくりと体を起こすと、カカシがベッドの傍らで、布団に突っ伏して寝ているのに気づいた。 何だかいつもと逆の構図だ。見た目よりも柔らかい銀髪を、そっと右手で撫でてみる。ぐっすり眠っているのか、カカシは全く起きる気配が無い。 ゆっくりと記憶を辿る。確か、第七班の任務で、カカシ達と国外まで出ていたんだった。あんな話をした後だったから、カカシとは終始気まずくて、会話らしい会話も出来なかった。何の理由も話さずに、長期任務に出ると言った私に、カカシが怒るのは当たり前だった。やっぱり、この任務が終わったら、本当の事を話すべきだろうか、と悩んでいた帰り道、ナルトを狙った敵に襲撃されたんだった。 痛みが走ったような気がして右肩をふっと見る。幻覚だったらしく、傷らしきものはすっかり塞がっていた。あの時医療忍術が使えたのは私だけだったはずなのに、随分傷の治りが良いみたいだ、と不思議に思った。 またカカシに迷惑掛けちゃったかな。ナルトもサクラも無事かな。私何で、このワンピース着てるんだろ……。何だか喉が渇いた。水でも飲もうと、ベッドから抜け出そうとして、カカシに掴まれていた左手をそっと外しかけたら、ぎゅっと強い力で掴まれた。 「……カカシ?」 カカシは布団に突っ伏したままだ。けれど、私の手をぎゅっと掴んだまま離そうとしない。 「ねぇ、私ずいぶん寝てたみたいだけど……」 「どこにも行くなよ」 顔をあげたカカシは、真剣な目をしていた。藍色と赤色の目が、私を映している。 「どこにもって……」 水を取りに行くだけだよ、と言うより先に、体を起こしたカカシに抱き締められていた。 「どうして行くんだ。俺には話せないの?」 任務のことを言われているのだと気づいて、体が強張る。 「……葵が何考えてるのか、ちゃんと話してよ。言わないなら、この部屋から出さないから」 そう言って、カカシは私を静かに見つめた。紋様が浮かぶ赤い瞳を使えば、私が何を考えているのか洗いざらい吐かせることなんて容易いのだろうけれど、カカシはちゃんと、私の言葉で聞きたかったんだと思う。もう、黙ってはいられないと思った。 「……こんなことを今更言っても、怒るかも知れないけど、私はカカシとずっと一緒に居たい。だからこそ、カカシを支えられるくらい、強くなりたいんだよ」 カカシは私の話を、最後まで黙って聞いてくれた。 話している間中、私の左手はカカシの右手に包まれたままで。 その温もりが心地よくて、私は素直に、全部を話してしまった。 「呆れた?」 「……なんで?」 「私、ダメだった時の事考えて、カカシに本当の事を言わなかった。……無事に帰れるかわからないのに、カカシを二年も縛りたくないって気持ちも、本当だったけど。でも、結局私は、くだらないプライドを守る為に、カカシの事を傷つけたんだよ」 「……」 「本当にごめんなさい」 「……プライドが邪魔して、言いたいことを言わなかったのは俺も同じだよ」 カカシが今日初めて、ふっと微笑んだ。 「お前に行くなって言えなかった。……縋り付いてでも、止める勇気が出なかった」 「カカシ……」 カカシに行くなって言われても。それでも私は……やっぱり、行きたいと思う。 「葵の気持ちはよーくわかった」 「え?」 カカシはにっこり笑った。 「葵は俺とずっと一緒に居たいから……この先の未来もずっと共にいたいから、今回の任務に行くってことなんだよね」 「うん……」 「葵の気持ちは嬉しいよ。……そんな風に思ってくれている葵を、俺が待たない理由が無いでしょ」 カカシは微笑んで、私の頭を優しく撫でた。 「カカシ……!」 「ただし三つ条件がある」 「えっ?」 「ひとつめは、必ず帰ってこい。無事に帰れるかわからないなんて弱気なことは二度と言うな。 ふたつめは、二年じゃなくて一年で結果を出してこい。葵の実力なら一年でも、周囲に認めさせるだけの結果を出せるはずだ。俺の最初の弟子なんだから、自分を信じて頑張れ。 みっつめは……」 カカシはゆっくりと深呼吸をした。つられて私も、大きく息を吸い込む。 「三つ目は。……俺と結婚してほしい」 「……!!」 絶句している私の目の前で、カカシは顔を赤くしている。 小さな声で「はー……二回目でも緊張するもんは緊張するな」とカカシが言った。二回目って……!? 「……私なんかで良いの?」 「お前が良いの。真面目で頑固で一生懸命で、こうと決めたら俺が何を言っても聞かなくて、可愛くて危なっかしくて、俺の前じゃほとんど泣かなくて素直じゃ無くて……そんなお前が大好きだ」 カカシが笑う顔が、涙でにじんで見えない。 「返事は?」 「……はい」 「お前って本当は泣き虫なんだね」 カカシは頬を緩めて、泣き出した私に、優しいキスをくれた。 銀色の指輪をカカシが薬指に填めてくれる。 「良かった、ぴったりだ……」 「すごくきれい……いつの間にサイズを計ってたの?」 「秘密。それにしても、人って成長すると指も太くなるんだね」 何のこと?と首をかしげる私に構わず、カカシはくすくすと笑っている。 「葵。愛してる……」 「うん……」 「もう二度と、別れるなんて言わないで」 「別れるとは……言ってないもん」 「はいはい。しょうがないねお前は……」 小さな石が光る、銀色の指輪をながめる。 「カカシ先生、大好きだよ」 「え……?」 カカシの胸に顔を寄せて、目を閉じた。 必ずこの腕の中に戻ってくる。 だから私は迷わずに、行ってくるよ。 |