13


最近のカカシ先生は私よりも早く起きている。目が覚めると隣にはもう居なくて、先生が居たはずの隣を手で探ってみると、すでにシーツから温もりは消え去っていた。私は朝が弱い方では無いので、ごく標準的な時間に目が覚めているはずなのだけれど、カカシ先生は一体いつも何時に起きているんだろう。カーテンの外から漏れている光は、まだ夜が明けたばかりの薄い水色をしている。枕元の時計に目をやって、今日は私も大分早く目が覚めてしまったらしいと気づく。

瞼を擦りながら寝室を出た。居間のカーテンは閉められたままで、部屋は暗く、カカシ先生はいなかった。どこにいるのかな、と不思議に思いつつ、顔を洗おうと洗面所へ行くと、お風呂場から灯りが漏れている。シャワーの水音がしていて、カカシ先生ここにいたんだ……と、すりガラス越しに見える人影にちょっとドキドキしつつも、洗面所の蛇口をひねった。冷たい水で顔を洗っていると、すりガラスの向こうから蛇口を閉める音が鳴る。
「葵?」
浴室の壁に反射して、カカシ先生の声が響いた。
「おはようございます」
「ごめん、音で起こしちゃった?」
「いえ。今日はなんだか早く目が覚めちゃって……」
姿は見えないけれど、このガラスの向こうに裸の先生がいるのかと思うと何とも心臓に悪い。いつまでもここにいるのも失礼だし、手早くタオルで顔を拭いて、部屋に戻ろうとして、ふと疑問がわいて聞いてみた。
「先生朝もシャワーあびるんですね?昨日お風呂入ってから寝たのに」
もしかして、カカシ先生が毎朝早く起きているのは、毎朝シャワーを浴びているからなんだろうか。夜入って朝も入るって、カカシ先生はかなりのきれい好きなんだなぁ。
「……うん。そこはあんまり……大人の事情なんで突っ込まないでちょうだい」
なんかよくわからないけれど、深く突っ込まない方が良さそうだ……という勘が働き、「朝ご飯つくってますね!」とだけ言って、私はその場を退散することにした。






大体、好きな子と毎晩同じベッドで寝ているのに、何も手出しができないなんて、もはや拷問でしかない。毎晩葵にキスをして抱き締めて眠って、この状況でごく普通の健康的な男である自分が、葵を抱きたくならないわけがない。かといって、十七歳の彼女を抱くわけにもいかず、欲求不満は募るばかりだ。
寝るときはショートパンツ派の葵は熟睡すると、むき出しの太ももを俺の足に絡ませてくる。寝言では頻繁に「カカシせんせい……」と甘やかに俺の名を呼び、甘えるように顔を胸に寄せてくることもある。

毎晩欲望を理性で抑えつけて必死に眠っているのに、寝たら寝たで、最近では、とても彼女には言えないような夢を見てしまう事が多くなった。朝起きて、無防備な葵の寝顔を見ると物凄く罪悪感に襲われるし、生理現象とはいえ下半身が熱を持っていたりすると、思春期のガキか俺は……と猛烈な自己嫌悪に苛まれる。

更に手に負えないのは、夢に出てくる葵がいつも二十七歳の姿をしているわけでは無い事だった。時折、夢の中の葵は、今ここにいる十七歳の姿で現れて、
『先生……もっとして……』
などという俺にとって都合の良い言葉を言って、見た事の無いはずの体をさらしている。


そもそも、あの任務の前日まで、葵には何週間も会えていなかった。そして、会えたと思ったら別れ話をされたわけで。……そうだ、俺は葵に不埒な感情を抱いていていい立場では無いのだ。自制をすべき理由は、葵がまだ十七歳だから、という事だけではないのだから。

そういうわけで今朝も、情けなくも風呂場に籠もっていたのだが。




「せんせ?何か考え事ですか」
「あ、いや、何でも無いよ」

トーストを囓る手がいつの間にか止まっていたらしく、気づけば葵が深刻な顔でこちらを見ていた。

「ごめんね心配かけて」
「何でも無いならいいんですけど…」

俺が微笑むと、葵もほっとした様子で笑う。

愛されているな……と思って、胸が温かくなった。
少なくとも今の彼女からは、一生懸命な好意を、ありのままに受け取っている。
こんな時間を与えられていることが、この上なく幸せだと思う。

「今日もナルト達と修行するんだっけ。任務終わったら迎えに行くから、皆で甘栗甘にでも行くか。たまにはあいつらにも奢ってやらないとね」
「えっ、いいんですか!?」

最近はナルトとサクラが葵の修行を見てくれているらしい。あいつらが葵を気に掛けてくれていることに、いつも感謝している。ずっと彼女の側にいてあげたいけれど、そういう訳にもいかないから。

葵の体を元に戻すための研究は、難航しているようだった。
昨日も綱手様に「時間がかかってしまっていてすまない。もう少しなんだが……」と言われたが、そもそも術者を殺してしまった俺のせいで綱手様の手を煩わせているのだ。俺の方こそ、頭を下げるしか無かった。

十七歳の葵の方から、『元に戻る術』について話を振ってくることは無かった。
彼女にしてみれば、元に戻ると言われても、複雑な心境には違いなかった。
葵は決して顔には出さないけれど。

俺自身、十九歳の体と心にされてしまった数日間を経験しているので、葵の気持ちもわからないでは無かった。今となっては「されてしまった」と振り返る事の出来る「自分自身の記憶」として、心に残っているのだが。十九歳になっているあの時は、元に戻ったときの俺の人格は一体どうなってしまうのだろうと、不安のような、諦めのような気持ちを常に持っていたと思う。

例え元に戻っても、今のお前の記憶をきっと、二十七歳の葵は思い出すだろう。俺もお前のことを忘れやしないよ、と、言ったら、葵は不安じゃ無くなるだろうか。……そのように言ってしまうことで、今の彼女を否定する事になってしまわないだろうか。色々と考え込んでしまい、葵にどのように声をかけるのが適切なのか、答えを見つけ出せずにいた。






練り上げたチャクラを、必要な分だけ足の裏に集めて、木の幹に吸着させる。理屈がわかっていても繊細なコントロールは中々難しい。けれど、昔からやってきた医療行為の中で身につけた、チャクラコントロールが役に立ったようで(あれがチャクラと呼ばれる力だと知ったのはつい最近の事なのだけれど)、チャクラを足の裏に集めるのは初めてだったけれど、何度か登るうちに徐々に慣れ、今では、ゆっくり歩いて木を登れるようになった。

「葵ねーちゃんやっぱり、チャクラのコントロール上手いんだな」
木の枝に腰を下ろして一休みしていると、ナルトくんが木の下から私に話しかけた。
サクラちゃんが「ナルトは最初へったくそだったもんね」と言って笑っている。
「そーいやサクラちゃんは最初っから得意だったもんな……」とナルトくんが悔しそうに言う。

「おー、随分高いところまで登れるようになっちゃって」
「カカシ先生!」

あのオレンジの本を片手に、カカシ先生がのんびり歩いてきた。今朝の約束通り、迎えに来てくれたんだ!

嬉しくて立ち上がり、
「先生!おつかれさまで……わっ……!」
喋りながら間抜けな私は足を滑らせた。
「きゃああああああ!!」
悲鳴を上げながら落下する。こんな時、景色がスローモーションに見えるって話は本当だったんだ。木の枝と緑の葉っぱの間を抜けて、地面が迫り来る中、私結構疲れてたんだな…なんてことを今更思って、衝撃に備えて身を固くした。

次の瞬間、私はカカシ先生に抱きとめられていた。カカシ先生は私を抱えたまま、なんなく隣の木の枝に着地する。

「……危ないでしょうよ」
「あ、ありがとうございます……」

まだ心臓がドキドキしたまま、私を見下ろす先生と目が合う。さすがにカカシ先生にお姫様だっこされてる!とはしゃぐ余裕は無かった。
「はー……寿命が縮む」
先生が溜息交じりにそう言った。
「ごめんなさい……」
ナルトくんとサクラちゃんが「びっくりした……!」と言っている声が、下の方から聞こえてきた。



甘栗甘を出て、ナルトくんとサクラちゃんと別れると、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
「あ……アスマに忍具を返すの忘れてた」
隣を歩くカカシ先生が呟く。アスマさんって会った事は無いけれど、カカシ先生の話に出てきたことがある気がする。確か先生の同僚だったはず。私にとっても同僚なんだろうけれど。
「悪い葵。先帰ってて。雨が激しくならないうちに」
「あ、わかりました」
「すぐ帰るから」
カカシ先生の背中をみおくって、さぁ帰るか……と思ってから、そういえば最近急に暑くなってきたし、もう少し夏っぽい服が無いか自分の部屋を見に行きたかったんだよな、と急に思い立った。ここから私の家は、カカシ先生の家にいくよりも近い。家に行けば、たぶん傘もあるだろう。カカシ先生の家に帰る前に寄り道していこうと思って、次第に大粒になってきた雨を体に受けながら、私は自宅に向かって走り出した。


何個かのダンボールを開けた結果、めぼしい夏服が見つかった。運ぶのに丁度良い袋はないかな、と思って部屋を見渡すと、黒い背嚢が目についた。丁度よさそう、と思ってそれを開けてみると、中には既に、衣服や携帯食料が詰まっていた。任務に行くときに使っていたものなんだろうか。

とりあえず中身を出してしまってこれを使おう、と思い、取り出してみていると、四つに畳まれた紙が出てきた。
何だろう、と考えながらそれを開いてみる。


これって……。

そこに書かれていたのは、ある任務の募集要項だった。こういったものを目にするのは初めてだったのだけれど、書かれている文字を目で追っていくと、それがどんな任務なのか、何となく理解する事が出来た。

書かれている任務地は、火の国の国境近くの場所だった。私の村がある場所とはまたちょっと違っているのだけれど、地名ぐらいは私でも知っていた。……数年前の、大きな戦争が終わってからもずっと、その地では争いが絶えないと聞いている。十年後であるはずのこの世界でも、まだ紛争は解決していないらしい。

任務の内容は、紛争地帯の監視と鎮圧。任期は約二年と書かれている。

そう思って見てみれば、背嚢の中身はどこか遠くへ行くための荷物に見えた。妙にすっきりとした家具の無い部屋と、段ボール詰めにされた衣類たち。……カカシ先生の寂しそうな表情。

頭の中で点と点が繋がる。
未来の私は、木ノ葉の里を離れて、任期二年の長期任務に出ようとしていたんだ。
募集要項を持っていたところを見ると、任命をされたという訳では無くて、自分から志願するつもりだったのかもしれない。

一体、どうしてだろう。

四つ折りの跡がのこる募集要項を穴が開くほど見つめるけれど、未来の自分の真意が見えてこない。
故郷に似た、国境で暮らす人々を守りたかった……?

それも理由のうちなのかもしれないけれど、そのために、私はこの里を離れるだろうか。
カカシ先生という恋人と離ればなれになってまで。


ざあざあと窓を叩く雨の音が強くなり、はっと我に返る。
カカシ先生よりも先に、家に帰らなければ。戻って私が居なかったら、先生に心配をかけてしまう。


……今の私にとっての『家』は、この部屋ではなかった。

背嚢に夏服を詰めて、少し迷って、四つ折りに戻したその紙も一緒に詰め込んだ。
二十七歳の私が何を考えて、何をカカシ先生に言ったのか。知りたいし、私には知る必要があるんじゃないかと、そう思ったんだ。

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