11


何だかすごく温かくて、心地よくて、安心する。幸福なまどろみの中にいると、トクトクという規則正しい音が聞こえてきた。ひなたぼっこしている時みたいな優しい匂いがする温かい何かに、鼻をくっつける。……温もりの奥から、鼓動が聞こえる。

えっ!?

ばちりと音がしそうな勢いで目を見開いた。最初に目に入ったのは黒っぽい服に覆われた胸板。次に感じたのは、私を包み込む太い腕と、絡まる足。全身が温いのに、足の先だけがひんやりしている。恐る恐る、顔をずらそうと試みるけれど、少し身じろいだらその途端、まわされた腕の力がぎゅっと強くなって、抜け出す事ができない。……カカシ先生に抱きしめられている。


ど、どうしよう……。はっきりと覚醒した頭が昨夜の記憶を辿る。真夜中に目が覚めたこと、手を繋いで隣で寝てくれた事を思い出した。それがどうしてこんなことに。

朝起きたら好きな人に抱きしめられている、という状況を、いつか本で読んだことはあった。実際にこうなってみるのは当然初めての事で、あちこちに触れているカカシ先生の体の温かさと冷たさ、ごつごつと骨ばっていながら、しなやかな筋肉のついた体の感触に、どうしようもなく、男の人だと感じる。

このままこうしていたいような、ふわふわとした幸福感に包まれかけて、同時に、カカシ先生は私を私と思っていないから、こうして抱きしめてしまっているんじゃないかな、という気持ちもわいてきて、胸の奥が少しだけ、冷たくなった。

「せんせい……」

結局、私は先生を起こすことにした。小さな声でよびかけてみるけれど、反応が無い。

「朝ですよー。先生ってば。……もう、カカシ」せんせい、と言うよりも早く、体が反転する。

「……!!」

カカシ先生とベッドに挟まれて、驚きすぎて声もでない。私を見下ろすカカシ先生は、両目を開けていた。ぼうっとした熱っぽい目に見つめられて、動けなくなる。

「カカ……」

唇を塞がれた、と気づいて頭が真っ白になった。


柔らかくて熱い感触が、私の唇を食むように動く。キスをすると本当に、ちゅって音がするんだな、と他人事みたいに思いながら、先生の顔を呆然と見つめる。カカシ先生は目を閉じていて、何度も何度も、私に啄むようなキスをした。キスをしながら、ぎゅっと抱き締められて。心臓が飛び出しそう。

「葵……」

唇を離した先生が、私の名前を切なげに呼ぶ。そしてまた、先生はゆっくりと目を開けた。


「……!」

がばっ、とカカシ先生が体を起こした。……ものすごく、驚いた顔をしている。

私のほうは、体に力が入らず起きあがれない。
それに、驚いた表情をしているカカシ先生に対して、純粋に傷ついている。

「ごめ……」

謝りかけた先生の唇に、咄嗟に右手をのばした。肩の傷がぎりぎりと痛んだ。
初めてキスをした人から、謝られるなんて。いくらなんでも、悲しすぎる。

……心臓が壊れそうに痛い。

目に涙が張って、ぼやけた視界の向こうで、カカシ先生が困った顔をしているのが嫌でも見えた。諦めて、右手を下ろす。ふわふわした幸せは、跡形も無く消えてしまった。

「葵……」
「……はじめてだったのに」

声が震える。心の底から弱り切ったような顔をするカカシ先生なんて、見たくなかったのに、目が離せない。

先生は眉尻を下げて、暗い藍と赤の瞳を揺らしている。言葉を探して戸惑うその表情を、見れば見るほど、カカシ先生がキスをしたかった『葵』は私じゃ無いんだって事を、痛いくらい、感じずにはいられなかった。

「せんせー……私をみて」

涙が頬を伝っていく。後から後から溢れて止まらない。自分は何て子どもなんだろうと思う。これじゃあ、駄々をこねるのと同じだ。泣いても手に入らないのに、それがわからずに癇癪を起こす子ども。

カカシ先生は相変わらず言葉を探すような表情のまま、けれどきっと、謝る言葉しか浮かんでこないのだろう。謝っても私の号泣が酷くなるだけだとわかっているからか、先生は黙って、溢れ続ける涙を拭ってくれた。優しい手つきで触れられると、結局もっと泣けてきてしまう。肩が震えて、嗚咽を堪えようとすればするほど、ひどくなって。

見てられなかったのか、先生は私の体を起こして、ぎゅっと抱き締める。

「泣かないで」

困りきった声色を隠しもせずに、カカシ先生がそういうから、私は閉じていた瞼をこじあけて、その顔を見た。

先生は叱られた犬みたいに項垂れている。なんだかちょっと情けなくて、少しだけ可笑しい。

「せ、責任とってください……」

そんな風に言ってみたら、先生は目を丸くした。

「私の初めてを奪った責任、とってください!」

もう一度そう言って、何言ってんだ私と思って、堪えきれず笑ってしまう。

泣きながら笑いだした私に、カカシ先生は一瞬呆気にとられた顔をして、ふいに私を抱き締めた。
先生が耳元で囁くように「……責任とらせてくれるの?」なんて言うから、私はまた少し笑って、涙がようやく止まる。


「カカシ先生は未来の私の事が好きだったんですね……」

言いながら、胸がちくちくと痛む。

「今のお前のことも好きだよ……同じように大切に思ってる」

そう言って私をみつめる先生の瞳は真っ直ぐで、嘘をついているようには見えない。

「大体いくつになったって葵は葵だ」
「だったら私にキスしてください。……今の私に」
「……していいの?」

先生に低い声で問われる。頷くのと同時に、口づけられた。


それはきっと、ほんの数秒のことだった。
さっきとは違う、ふわりと軽いキスだった。

それでも、私にとっては、永遠にも感じられるひとときで。

これから先、今日のことを忘れることなんて、絶対に出来ないと思った。
私の未来に、何が待っているとしても。


カカシ先生はまた、苦しそうな顔をした。どうしてそんな顔をするんですか、と聞いても、きっと教えてはくれないだろう。



けれど。


「愛してるよ、葵」

まるで懺悔するように、カカシ先生はそう言った。

先生がまた、両目を閉じる。その表情は、祈る姿に似ていた。

カカシ先生の言葉は今、私に向けられているって、嘘じゃ無いって、信じたい。

だから、私はカカシ先生の事を抱き締めた。
先生が本当は何を考えているのか、私にはわからない。
先生がもし何かに傷ついているのなら、その痛みを私も分かち合いたいのに。

私にだって、それが出来るかも知れないのに。


カカシ先生の手が、おずおずと私の背中にまわされる。
そして、ぎゅっと抱き締められた。

その時やっと思えた。

今の私でも、先生に少しは必要とされているんじゃないかって。

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