蜂蜜のよう里内を出歩くときは六代目火影の刺繍が入った外套を纏う、カカシさんの後ろをついて歩いて行く。以前話していた本音によると、本当は外套なんて着ないで身軽な格好で出歩きたいらしい。けど、火影たるもの常にその自覚を持つべしとか何とか相談役達の声が煩いんだそうな。『あまり目立ちたくない性分なんだけどね』といつか困り顔で話していたけれど、私としては、カカシさんがこのザ・火影という感じの外套をヒラリと翻して歩く背中を見るのが好きだった。だって格好良いのだ。
今日も今日とてカカシさんが歩けば道行く里人は振り返るし声もかけてくる。そのどれもにきっちりと、爽やか火影スマイルで応えるカカシさん。私は感心しながら、付き人よろしく後をついて行くのだった。
「カカシさまー!ヒショのおねーちゃん!こんにちは!」
アカデミー帰りらしい男の子に元気よく声をかけられた。カカシさんが笑顔で挨拶を返す横で、私も男の子に微笑み返す。ヒショのおねーちゃん……。そうか、私は秘書に見えるのか。事務官という肩書きよりも、秘書の方がなんか格好良い気がしてきた。
「カカシさん、私の仕事って火影室秘書と言うこともできるんですかね」
おずおずと聞いてみると、カカシさんはふっと微笑んだ。
「どうしたの目を輝かせちゃって。いいんじゃない、秘書って言っても」 「……そうですか!」 「オレの専属秘書か……扇情的な響きだね」 「せんじょ……何言ってるんですか?」
またいつものセクハラ発言が始まったのだろうか。眉を顰めてカカシさんを見上げる。目しか見えなくても、からかうように笑っているのが解るから不思議だ。
「やっぱり事務官で良いです」 「それは残念」
ちっとも残念じゃ無さそうに、カカシさんは口元を抑えて笑っている。私がむすっとしていると、ますます愉しそうに笑うから人が悪い。
「そんな顔しないでよ。食べたいんでしょ、パンケーキ」 「……食べたいです」
そのようなやりとりをしている内に、いよいよ、出来たばかりのパンケーキ屋さんの前に着いた。すごい人だかりだ。
「カカシ様!!」 「きゃー!うそ!カカシ様がいる!」
パンケーキ屋さんに列をなしていた女の子達の視線と声がカカシさんへと集まる。カカシさんが「どうも……」と手を上げると、女の子達は、群がりたい、でも並んでいて動けない、という謎の熱気に包まれた。
「すごい行列だね……結構並ぶかな」
頬を掻きながらカカシさんが私の顔を見る。
「困りましたね……」
返事をしつつ、突き刺さる女の子達の視線が痛い。 私はただの事務官ですから……カカシさんの特別な存在というわけでも専属秘書というわけでもないので、嫉妬しないでおくれよ、と思いつつ、怖くて皆さんの顔は見られない。
「どうぞどうぞ、先に入ってください!」 「カカシ様は忙しいでしょうから!」
何と女の子達はみんな、示し合わせたかのようにカカシさんに順番を譲った。
「いいの?……すまないけど、ありがたいねぇ」
カカシさんが頭を掻きながら微笑む。この場合私も一緒に譲られちゃって良いのだろうか。否、そんな恐ろしいことは……と思っていると、カカシさんにぐいと腕を引っ張られた。
「ラッキーだったね。さ、行くよ」 「は、はい……」
カカシさんに引き摺られ、相変わらず痛いほどささる視線に怯えながら、私は店の中へと足を踏み入れた。
パンケーキ屋さんは店構えもオシャレだったけど、店内もやはりオシャレだった。オシャレ以外に語彙が無いのかって感じだけどオシャレとしか言い様がないのだ。カカシさんが火影様になった頃から、大戦が終結したこともあり、里内にはどんどん新しいお店や文化が入り込んできた。ちょっと前には見られなかったような建築方式の建物も増えたので、新しいお店なんかに行くといつも、新鮮な驚きを感じる事が出来る。 天井からいくつも下がったプランターからは緑がこぼれ、お店の中はとても広々としていた。四人がけの席に通されて、私はゆったりとしたソファの方に座らされた。まわりを見渡すと本棚がいくつも並び、雑貨や美術の本が並んでいる。 「お決まりの頃お伺いします」 メニューを置いて去って行く店員さんの服装ですらオシャレだ。ぴんと伸びた背筋にみとれていると、カカシさんに「どれにする?」と言われて、慌ててメニューに向き直った。
「はー……メニューまでオシャレ、文字しか無い」 「くくく……確かに、写真とか無いね」
長方形のシンプルなメニューに黒字で書かれた料理の名前を一つ一つ追っていく。
「よくわかりませんが、多分これがオススメなんだと思います」
一番上に書かれたメニューを人差し指でさすと、カカシさんが「リコッタパンケーキ、ウィズフレッシュバナナ……ハニーバター」とそれを読み上げた。
「まるで呪文のようですね」 「……ほんとハルって面白いね。じゃあ、これを一つ頼もう。後は……」 「え、カカシさんはパンケーキ食べないんですか?」 「……そっか、丸々一個食べたいのか。じゃ、これ二つと、後は飲み物でいいかな」
カカシさんが優しく笑う。あ、もしかして、一皿を半分個するつもりだったのか……! そうだよね、カカシさん甘い物苦手なんだし……。思い至らなかった事と、火影様と半分個という何ともときめくイベントを逃したショックで呆然としている内に、カカシさんはメニューをめくり、「ドリンクメニューはここみたいだよ」と長い指で示してくれた。
「ハーブティーいいですね……ああでも、自家製レモネードもそそられる」 「どっちも頼めば?」 「お腹がちゃぷちゃぷになっちゃいますよ」 「オレがハーブティー頼もうか?一緒に飲んで良いよ」 「一緒に……!」
あくまで優しく微笑んでいるカカシさんに顔が熱くなる。
「でもカカシさんコーヒー好きですよね、気にせずコーヒー頼んでください!」 「コーヒーならいつも、ハルに美味しいの淹れて貰ってるからいいよ」
そんな甘いマスクでそんな言葉を言われたら、勘違いしてしまいそうになる。私は思わず固まって、カカシさんの事を見つめた。「ん?」と首を傾げる三十四歳火影の魅力に、ぐうの音もでない。
やがて運ばれてきたパンケーキは、でろんと三枚重ねでかなりボリューミーだった。バナナが添えられて、丸いバターが乗っている。はちみつをかける前から甘い匂いがふわりと香った。
「はぁ美味しそう」 「思ってたより大きいね。こんなに食べられる?」 「え、私はぺろりといけちゃいます」 「そっか……」
苦笑しているカカシさん。さっきまでダイエットするしないと言っていたことを思い出し、自分の意志の弱さが今更恥ずかしくなった。
「やっぱり二人で一皿にすればよかったですね……」 「ちょっと早めの夕飯だと思えばいいんじゃない。オレはいっぱい食べるハルが好きだよ」 「え……!!」
衝撃の発言にカカシさんから目が離せなくなる。 カカシさんは何も気にした風なく、はちみつのツボをとりあげ、ちょっとだけパンケーキにたらしていた。
「カカシさん今なんと……」 「ん?……だから早めの夕飯だと思えばいいんじゃないのって」 「その、その後です」 「何か言ったっけ?」 「言いましたよ……!」
カカシさんはあくまでとぼけるつもりのようで、マイペースに覆面を引き下ろし、黙ってナイフとフォークをパンケーキに差し入れている。
「ほら、はやく食べないと冷めちゃうよ」 「は、はい……」
空耳だったのか。自分の耳がもう信用できない。私もカカシさんにならって、はちみつをパンケーキにたらした。
自分の家では作れないようなふわふわでもたっとしたパンケーキは、本当にほっぺが落ちるような美味しさだった。
「はぁー……生きてて良かったです」 「良かったね」
カカシさんがくすくす笑っている。
「甘い物は苦手だけど、これは美味しい」
もぐもぐ食べているカカシさん、かわいい……。じっと見つめると、目があってしまい、あわてて逸らした。
「シカマルくんに顔向けできない……」 「どうして?」 「昨日5キロ痩せると言い放ったばかりなんです」 「痩せる必要も無いし、痩せちゃダメ」 「何でですか……」 「ふわっとしてる方がかわいいから」
一瞬、時が止まったかと思った。 フォークに刺したパンケーキを、カカシさんが私の顔の前に突き出す。
「はい、あーん」 「なっ……!?」 「火影命令」 「何ですかその命れ…んっ」
唇に押しあてられて、仕方なくぱくりと食べると、カカシさんは満足そうに笑った。
「何でこんな……バカップルみたいな事を」 「見せつけてんの」 「誰にですか!?」
慌ててまわりを見渡す。とりあえず知り合いはいないようで良かった。……けど、店内の女性の何人かと目が合って逸らされたような気がする。
「すきゃんだるになりますよ……」 「そーなったら面白いね」 「何にも面白くないです!!」
くすくす笑うカカシさんの真意がわからない。わからないけれど、カカシさんとこうしている時間は、はっきり言って幸せなのだった。ただの事務官なのに、こんなに良い目にあっていいんだろうか。私は明日にでも死ぬんじゃなかろうか。
はちみつのように甘い時間はゆっくりと過ぎていく。
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