指名の理由

任務の簡単な概要と待ち合わせ場所についてを記した黄色い紙に受付印を押す。ぺりっと剥がした二枚綴りの一枚目をゲンマさんに手渡した。

「それでは、明日は午前九時に大門集合で宜しくお願いします」
「おう、了解。ハルちゃん暫く見なかったけど、また戻ってきたんだな。寿かと思ってたわ」

口にくわえた千本を揺らしながらゲンマさんが明るく笑う。彼は、ちょっと怖そうな外見に反してとても話しやすい方で、ただの事務である私の名前をこうして覚えてくださっている忍の一人だ。

「ことぶきって……違いますよー。私、いま火影室で事務官をやっておりまして……」
「……え、って事はアレか。六代目のお気に入りって噂になってたのは……」

ゲンマさんが何か言いかけたとき、後ろから後輩の助けを求める声がした。

「ハルさーん、次こっちもお願いしますー……」

振り向くと彼女は溢れんばかりの書類の山と格闘し、半泣きになっていた。よくもまぁあんなに積んだものである。

「はいはい、今行く。……ゲンマさんすみません。それじゃ、明日は気をつけて行ってきてくださいね!」
「……おう。またな」
「あ。また、と言いたい所なんですけど、私今日は、バイトでここに詰めているだけでして」
「バイト?」
「暇を持て余してですね、ちょっと小遣い稼ぎを……」

不思議そうな顔をしているゲンマさんに私は苦笑いを返す。明日には火影様が帰ってきてしまうから、カカシさんに無断でやっているこのバイトが出来るのも今日までの事なのだ。

六代目火影である私の上司、カカシさんは、十日前から砂隠れの里に外交訪問で出張されている。私はその間、自宅待機を命じられていた。要するに、お休みを言い渡されていたのである。

けれど、祝日でも祭日でも無いこの時期に、まるまる十日もお休みを貰ったところで、遊ぶ友達もいなければ家族だって出払ってしまっている。
……あまりにも暇なので、元職場である任務受付所に暇つぶしがてら顔を出してみた所、何だか騒がしい様子で、――聞いてみたら、インフルエンザで数名欠員が出ており深刻な人手不足に陥っていたのだ。
てんてこ舞いになっていた後輩に泣きつかれるまま、事務の短期バイトを承諾したというわけなのである。

「へぇ。忙しいこったな……」
「いえ、忙しいにこしたことはないっていうか……久しぶりにバリバリ働けて腕が鳴ります!」
「へ、へぇ……まぁ、がんばれよ」

若干顔をひきつらせながらゲンマさんは片手を上げて去って行った。この忙しさとも今日でお別れだと思うと、名残惜しいことこの上ない。

「ハルさ〜ん……」

涙声がして振り向くと書類の山に埋もれている後輩が二人に増えていた。

「もう、こんなに散らかして」
「整理整頓する間もなくどんどん任務依頼がぁ……」
「どこから手を付けたらいいのかわかりません……」
「まったく、仕方ないなぁ」

言いながら私は肩をまわして後輩達が散らばした書類を仕分けにかかる。

「ハルさん何にやにやしてるんですか……?」
「えー?別に?うふ、うふふふ……」

ああ、頼られるって気持ち良い……。漏れてしまう笑いはそのままにテキパキと書類を片付けていく私に、後輩二人はドンビキしつつも倣って整理をしていくのだった。





「はー、疲れたー。労働のあとの炭酸は最高ですなあ……」

自販機の前のベンチに座って一人、紙コップのホワイトソーダを片手に一息ついていると、
「相変わらずそればっか飲んでるのか」
と笑い混じりの声が降ってきた。

「イルカさん!」

振り向くとイルカさんが茶色い小さな紙袋を片手に持って、
「ようハル、受付所の方を手伝ってくれてるんだってな」とにっこり笑った。

私の隣に腰を下ろしたイルカさんは突然、持っていた紙袋を私の膝にのせた。

「ほら食え」
「なんですか?……わ!」

紙袋を開けるとそこには、たっぷり太った薄茶色の鯛焼き二匹が入っていた。まだ温かく、甘い匂いがふわっと鼻をくすぐる。

「そこに売りに来ててな。甘い物好きだっただろう?」
「はい!大好きですっ!」

コーヒーを買うために立ち上がったイルカさんの背中にむかって元気よく返事をすると、こちらを振り向いて「やっぱり相変わらずだな」と笑われた。

「アカデミーの方が試験期間で忙しくて、オレも中々こっちの手伝いに来れなくてな。お前が手伝ってくれて、あいつら大分助かったと思うよ」
「私でよければいつでも手伝いますよ!困ったときは呼んでください」
「頼もしいけど、そういう訳にもいかないだろ。……六代目は明日、お戻りになるんだったか?」
「はい、その予定だと聞いています」

並んで鯛焼きをかじりながら、イルカさんと他愛もない話をする。火影室の事務官に異動してからは、こうしてゆっくりお話をする機会も少なくなってしまった。
イルカさんはコーヒーをゆっくり飲んで、鼻の傷を指で軽く擦りながら、私の話に相槌を打ったり、笑って肯いてくれたりした。

「カカシさんとは上手くやれてるか?」

唐突にイルカさんに問われて、私はコップに口をつけたまま固まった。もう十日、顔を合わせていないカカシさんの顔が頭に浮かぶ。

「カカシさんは……火影様は、すごく優しいです」
「そうか」
「ちょっと優しすぎるくらいで」

ふう、と息をついた私を、イルカさんが不思議そうな顔で見る。

「その……仕事の量が……」
「仕事の量が?」

首を傾げるイルカさんに、どこまで本当の事を話そうか一瞬躊躇った。仕事の量が、全然無いんです。いや、全く無いってわけじゃないんですけど、少なすぎるんです。そんな愚痴を言われても、イルカさんはきっと困るだけなんじゃないだろうか。

「私じゃなくても……出来るような仕事ばかりで」

迷ったあげく、なんとなく曖昧な返答になってしまった。こんな発言をしたら、仕事をなめていると思われるだろうか。そもそも、事務の仕事というのは得てしてそういうものだ。私がいなくなっても、他の誰でも代わりが務まるような仕事でしかなくて、任務受付所の業務にしたって、私のいた場所をもう他の誰かが埋めている。――今回はたまたまインフルエンザで欠員が出て困っていたけれど、普段はちゃんと、滞りなく回っているのだから。

それでも私はきちんと、自分の仕事に誇りを持ってやっていたと思う。
短くはない年数を、アカデミーの事務方として勤めてきた。火影室の異動を言い渡された時には、驚きはしたけれど、自分の能力が少しでも生かせるならば――火影様のお役に立てるならばと、前向きな気持ちでいたはずなのに。

「はぁ……」

溜息をつく私を、イルカさんは思った通り、眉間に皺を寄せて困惑した様子で見ている。

「なんでそんな風に思うんだ?」
「うーん……なんででしょう……」

煮え切らない返事をしていると、イルカさんは考えるように黙り込んだ。私も冷めた鯛焼きの尻尾をみながら、ぼうっとしてしまった。

「カカシさんは、ハルにしか出来ない仕事があるから、ハルを指名したんだと思う」

暫くしてイルカさんははっきりとした口調でそう言った。私ははっと顔をあげて、イルカさんの顔を見た。

「……カカシさんが私を指名したっていうのは、本当だったんですか」

一息に尋ねてしまってから、心臓がどきどきと音をたてはじめた。
イルカさんは私の質問に、ちょっと面食らったような顔をして、それから口を開きかけて、
「そんなところで何やってんの?」
ふいに背後から聞こえた声に、びくりと身体を震わせる。
イルカさんは私の後ろに目を向け「カカシさん。もう戻られたんですね」と声を出した。

「え、カカシさん……!?」

慌てて振り向くと、そこには赤い火影の帽子を被り、外套を羽織ったカカシさんが立っていた。
すぐに立ち上がり「おかえりなさい」とお辞儀をする。

「ただいま。……ハルには自宅待機を命じてなかった?仕事着のように見えるけど」

カカシさんにじとっと睨まれて、うっと身を引く。

「インフルエンザの流行で、任務受付所に欠員が出まして……。ハルが手伝ってくれたので、助かりました」

イルカさんが頭をかきながら苦笑いをする。カカシさんは「成る程」と言って肯くと、
「それはご苦労様。ま、もうオレが戻ってきたから、ハルにも執務室勤務に戻って貰わないとね」と言う。

そうは言うけれど、私は午後の休憩として抜けてきただけだから、このまま戻らないわけにもいかない。時計をみて少し困っていると、イルカさんは笑って、
「後はオレが引き継ごう。アカデミーの試験期間は丁度今日までだったんだ」と言った。

「ありがとうございます……!」
「こちらこそありがとう、ハル。カカシさん、留守の間にハルを借りてしまいましたが、本当に助かりました。ありがとうございます」
「……いえいえ。じゃ、後はよろしく。ハル、行くよ」

外套を翻して行ってしまうカカシさんを慌てて追いかける。
私はイルカさんをふり返って何度も手を振りながら、先を歩くカカシさんについて行った。



執務室にはいるとカカシさんは、手に持っていた風呂敷包みを長椅子に置き、帽子と外套を脱いでハンガーにかけた。ふう、と溜息をつく横顔には長旅の疲れが滲んでいる。
そういえば一緒に行ったはずのシカマルくんはどこに居るんだろう。まだ顔を見かけていない。

「お帰りになるの、予定より大分早かったですね。本当にお疲れ様です」
「帰りは飛ばしたからね。あ、それお土産」

カカシさんが紫色の風呂敷包みを指でしめす。開けろという事なのだと思い、私はそれに近寄って、結び目をほどいた。

「ばうむくーへん、ですか?」
「そう、それが今砂隠れの里では流行ってるんだってさ」
「へぇ……。さっそく召し上がりますか?お茶でいいですかね」
「オレはいい。飲み物は貰うけど。……ハルも、さっきおやつ食べてたみたいだし今は要らないでしょ」
「そうですね……明日にしましょうか」

カカシさんはじっと私の事を見つめる。

「なんですか……?」

つかつかと歩み寄ってくると、いきなり私のほっぺを摘まんだ。

「ひゃっ!?なんれすか急に!?」
「ハルは最近ちょっと、おやつ食べ過ぎなんじゃない?」

痛いところをつかれたと思いつつ、カカシさんの腕をつかんで外させる。カカシさんは意地悪な笑みをうかべながら、急に両手で私の腰を掴んだ。

「わ!……どこさわってんですか!」
「ここもここも、こんなにふよふよしちゃって……」

お腹まで摘ままれて大暴れすると、カカシさんはククク……と声を出して笑った。

「あの、カカシさんがいつも甘い物食べさせるからですよね!?いや、私がいつも受け取るのが悪いんですけど!」
「抱き心地が良くなるのはイイと思うんだけどね?不純物が混ざるのはいただけないなぁ。オレがあげたものだけ食べてればいいでしょ?」

何を言ってるんだろうこの人は。わけがわからず、カカシさんを睨み上げると、とんと眉間を軽く押された。

「しわ寄ってるよ」
「……カカシさんが良くわからないことを言うから」
「こんなにわかりやすくしてるのに、何でわからないかなぁ……」

あぁそれにしてもくたびれた、とカカシさんは机に向かって歩いて行ってしまう。

「お茶ですか、コーヒーですか」
「コーヒーがいいなぁ」
「わかりました」
「あと肩もみもお願いしていい?」
「もちろんです」
「優しいねぇ」
「……?仕事ですから」

カカシさんはまた大きな溜息をついた。よほど疲れているらしい。

「カカシさんが無事に戻ってきてくださって良かったです」

心からそう思って、笑顔になる。
カカシさんは少しだけ目を丸くした。何だろう、と思っていると、
「そうそれ。その顔だよ」と呟いた。
「……?」
「それが見たかったんだ」

カカシさんは片手で頬杖をついて、ゆるりと微笑む。

「独占していると思うと、なかなか気分がいいね」

にこにこしているカカシさんの言っていることはイマイチよくわからないけれど、疲れている火影様のために、とびきり美味しいコーヒーを淹れよう。その後はマッサージも念入りにしてさしあげよう。
久しぶりに主に仕えることができると思うと、私の腕はやはり鳴るのだった。

イルカさんに少しだけ愚痴ってしまった今日の自分を反省した。
私は今の仕事にも、ちゃんとやりがいを感じているのに。
今度イルカさんにあったらもう少し楽しい話をしよう。そう思いながら私は仕事に取りかかった。

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