新しい仕事

今日も今日とて仕事が無い。カカシ様と呼ぶと嫌そうな顔をする上司にお茶を出しながら、私は小さく息を吐き出した。

「溜息なんかついちゃってどうしたの」

ほんの僅かな空気の震えも聞き漏らさない私の上司、六代目火影はたけカカシ様は、いつものゆるりとした口調で問いながら私の事をじっと見上げた。眠たげな瞼を縁取る睫毛は銀色。三白眼ぎみの瞳は漆黒。すっとした高い鼻梁。顔半分を覆面で隠していても、彼の顔立ちが整っている事は容易に窺い知れる。もっとも、毎日昼食を共にしているので、私はその素顔をとっくに知っている。想像通りというか想像以上というか、やはりかなりの美青年だ。

「青年って何歳までを言うんでしょう?」
「また不思議なことを質問するね」

カカシさん――私は彼をそう呼ぶように言われている――は可笑しそうに微笑み、「そこに辞書があるから調べてみたら」と本棚を指さした。火影室には先代やその前の代から使われているらしい古めかしい本棚が置いてある。本棚の一角には、およそ火影室にはそぐわないタイトルの小説シリーズも並んでいて、一体いつの代の火影の置き土産だろうと思っていたら、カカシさんが休憩時にそれを慣れた様子で読んでいたので、初めて目撃したときには衝撃を受けたものだった。

「じゃあ調べてみます……」

カカシさんの机から離れて本棚を見上げる。どこにあるのだろうと、目線より上、一番上の段から背表紙を見ていくと、よりによって最上段の右端に、辞書らしき分厚さの本があり、それらしき書名が金糸で刺繍されていた。
届くかな、と手を伸ばすけれど、高い上に奥に押し込まれているので出すのが難しそうだ。つま先立ちになって何とか、背表紙に手がかかるかと思った瞬間、後ろから伸びてきた手がすっとそれを引き抜いた。

「あっ……」
「ハルじゃ届かないか」

首の後ろに低い声が落ち、背中に体が触れている。どきどきしながら振り向くと、叫びだしそうなほど近くでカカシさんが私を見下ろしていた。

「はい、どうぞ」
「……あ、ありがとうございます」

どもりながら受け取った辞書はずしりと重く、危うく取り落としてしまいそうになる。どぎまぎしながら索引を開く私を、カカシさんがじっと見ている気配がした。

「えっと、青年……あった!」
「何だって?」
「……えーと、多くは二十四、五歳ぐらいまで、のようです。団体によっては四十代も含むとか」
「……なんとも曖昧だね」

カカシさんも私の手元の辞書を覗き込んだ。どきりとして身を引いてしまいそうになるけれど、後ろの本棚にすぐ背中があたってしまい距離をとることは出来なかった。

「何で調べたの?」
「えっと……カカシさんが」
「オレが?」

じっと見つめられて、顔が熱くなる。先日の、ストールを巻いて貰った時の事を思い出すぐらいの近さだ。

「青年かどうか気になりまして」
「……なんだそりゃ」

がくりと項垂れるカカシさんに
「あ、いえ、違うんです!!」と慌てて言う。
「何が違うんだって?」
「だから、三十四歳は充分お若いと思います!」
「……まぁ、誰からも若いと言われる年齢ではなくなったけれど」

カカシさんが頭をかきながら苦笑する。私はますます焦って、よく考えもせずに言いつのった。

「あの、そういうんじゃなくて!カカシさんは美青年だなぁと思って、でも、青年という表現であってるのかが気になったと言うだけで、その……!」
「……天然でオレの事褒めてくれてるの?」
「……はっ」

自分の言った言葉をふり返って顔面に熱が集まる。カカシさんは目の前でくつくつと笑っている。

「美青年の対義語は何かな」
「……何でしょう」
「美人とか、美女でいいんだろうか」

カカシさんはまたじっと私の瞳を覗き込んだ。恥ずかしくなって私は俯く。対義語というか女性に使う場合は何というのか、という質問らしい。何だってそんなことを聞きながら私の顔を見つめるんだろう。まさか嫌がらせ?
カカシさんと違って私は平々凡々たる顔立ちだ。本当に……もし私が絶世の美女だったなら、今の状況にも説明がつくというものなのに。何故私は火影室事務官という名の閑職に任命されたのだろう。イルカさんの話が本当ならば、火影様の――カカシさんの指名らしいのだけれど。

「俯いてないでこっち見て」

カカシさんの柔らかい声が頭上からふってくる。なぜか素直に顔を上げることができずにいると、急に顎に手が添えられた。……え!?

そのまま上向かされて、カカシさんと目が合う。何を考えているのか解らない切れ長の瞳が私を映している。

「あ、あの……」
「うん?」
「なにを……」
「よく見てみようかと思って」
「はい?」
「こんなに近くで見たことなかったからね」

それは、部下の顎を掴んで至近距離で見つめることの理由になるんだろうか。

「……やめてください」
「うん」

カカシさんは意外なほどあっさりと私の顎から手を離した。まだ放心状態の私ににこりと微笑んで
「危ない危ない。セクハラするところだった」と軽口を叩く。

「いや、もう、セクハラです」
「えー?……ごめんね。許してちょうだい」
「あの、謝ればいいってわけじゃ」
「どうすれば許してくれる?」

にこにこ笑うカカシさんに、もう何も言う気になれなくて、私は大きく溜息をついた。

「もう……こんなコトしてていいんですか。仕事してください、仕事……」
「たまには息抜きしてもいいでしょ。休憩って大事だよ」
「そうですね……そうでしょうけれど……」

仕事してください、と火影様に言いながら、さっきの自分の溜息の理由を思い出して、私はまた深い息をつく。

「ハルちゃん疲れてるの?仕事しすぎた?」

カカシさんは冗談を言うときわざと私をちゃん付けで呼ぶ。

「その冗談笑えません。私の仕事が疲れるほど量があるように見えますか?ねぇ!この仕事量決めてるのカカシさんですよね!?少なすぎなんです!!仕事!!無いんです!!暇なんです!!!」

もう何度文句をいったかわからない。その度に暖簾に腕押しで取り合って貰えないのだけれど、今日という今日は堪忍袋の緒が切れた。カカシさんの事を睨み上げて一歩詰め寄ると、カカシさんはちょっと身を引きながら、
「怒った顔も可愛いから困るなぁ」と小声で言った。またいつもの冗談だ。

「カカシさんにお茶をいれたらしばらくは……その湯呑みが空になるまでなーんもやること無いんですよぉ……」

これが働き盛りの二十七歳女の言うセリフだろうか。悲しい。情けなさ過ぎる。
どんより落ち込んでいると、カカシさんは
「んー。そろそろハルに新しい仕事を頼む時かね?」と言った。

「……え」
「……ん?」

信じられずカカシさんの顔を見つめる。まじまじと。

「見すぎじゃない?照れ…「本当ですか!?」」

私の勢いにカカシさんはちょっと引いている。
でも、だって、新しく仕事を増やしてくれるだなんて!!!信じられない!!信じられないくらい嬉しい!!

「うん。……気に入るかどうかわからないけどね」
「何だってやります!やらせてください!カカシさんのお役に立ちたいんです!」
「……ありがとう。それじゃちょっと、こっちきて」



そうして私はいま、カカシさんの肩を揉んでいる。

「あー気持ち良い」
「……それは良かったです」
「もっと強くてもいいよ?ま、ハルが疲れちゃうか……」
「いえ、お望みのままに」

カカシさんの肩はなるほどものすごく凝っていた。たまに家で揉む母の肩を思い起こさせる硬さだ。ごりごりとツボを刺激していくと、「くっ……はぁ」とカカシさんが声を漏らす。何だか色っぽいのが癪にさわ……いや、せっかく生まれた私の新しい仕事だ。手を抜くわけにはいかない。

「強くないですか?」
「ん……丁度良い……よ」
「ホントに良くこんな肩で日々仕事されてますねぇ」
「デスクワークは向かないみたいで…ね…っ…あー……上手だねえ」
「良く母の肩を揉まされてますんで」
「孝行娘だなぁ」

カカシさんが深い息をつく。その肩から背中にいたるまでをしっかり揉みほぐしていく。

「そこ……すごく気持ちいいよ」
「……」

カカシさんの声って何でこんなに色っぽいんだろう。何だか変な気分になってしまう。

「ね、もう疲れたでしょ……」
「いいえ。遠慮なさらないでください」
「……はぁ……癒やしだ」
「ふふっ」

思わず笑ってしまうと、カカシさんは首だけで半分振り向いて、
「そろそろ交代」と言った。

「え?交代って……?」
「今度はハルの番。オレが揉んでやるよ」
「は……?な、何を言ってるんですか」

カカシさんは椅子から立ち上がると、私の肩を掴んでそこへ無理矢理座らせた。

「ちょ、ちょっとカカシさん」
「やってもらったらお返ししないとね」
「それじゃ私の、仕事なのに……っ……あ!」

カカシさんの手が私の肩をぐ、ぐ、と押しほぐしていく。

「いっ……いたい」
「ごめんごめん、強かった?」

後ろでカカシさんが笑う声がする。カカシさんの手が私の体に触れていると思うだけで、ものすごく照れてしまい、頭がぼーっとしてしまう。

「ハルの肩は柔らかいなあ」
「……んっ……凝って無いですよ……ね……」
「凝ってないって事は無いけど」
「ふっ……あ……」

カカシさんの指先が優しく私の肩、首の付け根を移動する。意外なほど温かい指がじんわりと肩をあたためる。すごく気持ちが良い。器用そうだとは思っていたけれど、こんなにマッサージが上手だなんて。

「はー……気持ち良いです……」
「そう、良かった……」

耳元を擽る声がやけに甘く響いて、びくりと体に震えが走った。

「ん?どうしたの?」
「あっ……耳の側で喋ら……ぁん!」
「くくく……そんな声出しちゃって……」
「だって……きもちよくて……」

自分でも変な声が出てしまって滅茶苦茶恥ずかしいのだけれど、カカシさんによって肩を揉みほぐされているのがあまりも気持ちよくて仕方が無いのだ。頭がぼんやりして、目に涙が浮かんでくる。

「も、もう……いいです……」
「遠慮するなって」
「や、ダメ……やめてください……!」
「そう、ここが良いんだ?」
「あ、あぁ……」

突如、がちゃんと大きな音を立ててドアが開け放たれた。

「あんたら何やってんスか……」

シカマルくんが心底めんどくさそうな表情で部屋に入ってきた。

「あ、シカマルくんおかえり……」
「やっと入ってきたんだ?」

カカシさんがくすくす笑う。え?シカマルくん廊下で待ってたのかな?

「聞き耳立てて、これは大丈夫だな、と思って入ってきたってところか」
「カカシ先生、あんたほんといい加減に……はぁ」

溜息をついて項垂れるシカマルくんはかなり疲れた表情をしている。
よほど大変な任務についていたんだろうか。

「今お茶淹れるね!」

私はカカシさんの手から逃れて立ち上がった。

「カカシさんありがとうございました!……カカシさんの分も、お茶また淹れなおしましょうか?」

冷めちゃいましたよね、とカカシさんを見ると、ふっと優しく微笑まれる。

「うん。貰おうかな。ハルの分も淹れてきなよ」

上機嫌な様子でカカシさんは言う。何はともあれ、カカシさんの肩を揉むという新たな仕事が与えられて良かった。明日からの日課が増える事は素直に嬉しい。まだげっそりした様子のシカマルくんが気になりつつ、私は給湯室へと向かった。

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