首輪替わり

カカシさんが昼食に連れてきてくれたお店は、一人で入るのはちょっと勇気が要るような、上品な雰囲気の和食屋さんだった。昼だという事を忘れてしまいそうな、すこし薄暗い店内を橙色の灯りが照らしている。臙脂色の着物をきた店員さんに促され、履物を脱いで奥の座敷に通された。暗い色のテーブルを挟んで、座布団が一枚ずつ敷かれている。テーブルが掘りごたつになっていたので密かに安堵した。慣れない正座で足が痺れて、カカシさんの前で恥をかかずにすむからだ。

店員さんがお品書きを開いて、本日のお魚の定食とお肉の定食について説明してくれた。カカシさんはきっともう、鱈の西京焼きで心が決まっているに違いない。私も今日は西京焼きにすることにした。「決まりましたか?」とカカシさんに問うと、「うん、ハルも決めた?」と問い返されたので頷いた。私達の注文を聞くまで入り口に控えていた店員さんが、すぐに聞いてくれた。お魚の定食を二つ頼んで、店員さんが立ち去ると、急にカカシさんと二人きりで向き合っていることに、落ち着かない気持ちになった。

「ハルと外で食べるのは久しぶりだね」
「そうですね」

カカシさんが出かけずにいる時には執務室で一緒にお弁当を食べるのだけれど、それぞれの机は離れているし、こうして向き合って食事をする事は外食の時だけしか無い。執務室でのいつものお昼休みならば、カカシさんが雑談を持ちかけてくれれば普通に返す事が出来るし、こちらからカカシさんに話しかけてみる事だってあるというのに、こうして場所が変わっただけで、妙に緊張してしまう。もっとも最初の頃は、カカシさんと執務室に一緒にいるだけで、かなり緊張していた。

「ハルがオレを手伝ってくれるようになってから半年以上たつけど、――執務室の勤務には、もう慣れたかな?」
「はい。すっかり慣れました」

返事をしてから、私は喉の渇きを誤魔化すために水を一口飲んだ。カカシさんの視線がじっと私に向けられている。何か言わなければ、と思うのに、何も思いつかなくて、どぎまぎしながらカカシさんの顎の辺りを見ていた。

「……なーんか、緊張してない?」
「あ、いや、そんな事は……」

頬杖をついていたカカシさんが、急にこちらに顔を近づけてきて、私を覗き込むように見た。驚いて身を引いてしまい、グラスの中で水が波打つ。私の様子にカカシさんは少し困った顔をした。

「すみません……やっぱりなんか、緊張しちゃってるみたいです」

慌てて私が言うと、カカシさんはふっと笑った。目尻に小さな皺が出来て、緩やかな雰囲気になる。その優しい笑顔につられて、私も笑ってしまった。

「こうして向かい合ってるのは、確かにちょっと新鮮だよね」
カカシさんが頷きながら言う。
「はい。いつも、同じ部屋にいるんですけどね……」
私の言葉にカカシさんはまた何度か頷いて、
「もっと頻繁にこうして連れ出せたらいいんだけどね。なかなか忙しくて」と言った。
「そんな、気を遣わないでください」

部下が上司に――ただの事務官が火影様に――気を遣わせてしまってどうするんだ。私は反省して、それから自分の仕事ぶりを思ってまた、溜息をついた。毎日本当に忙しいカカシさんの仕事を、私はほんの僅かしか手伝えていない。私に出来る書類仕事は半日もあれば終わってしまう量しかなくて、あとはお茶出しか掃除をしているだけの日々なのである。

「私がもっと、カカシさんのお役に立てたらいいんですけれど……」

できるだけ恨みがましくならないように言ったつもりだけれど、言いながら、やっぱり情けなくなった。いつも、手が空いてしまうと、何か他に仕事は無いですか、とカカシさんに聞いてみるのだけれど、カカシさんの答えは決まって「良いから座ってて」なのだった。そう言われて座り続けているのも切ないので、頼まれずとも定期的にカカシさんにお茶を淹れてみたり、火影室の窓と床を塵ひとつ無く磨いてみたりするだけの日々なのである。
私がもしシカマルくんみたいに忍としての能力を持ち合わせていたならば……もっともっと、カカシさんのお役に立てるんだろうなぁ。

「何言ってるの?ハルはもう充分にオレの役に立ってくれてるよ」
「ええ……どこがですか」
「いいから余計な心配はしないでよ。座ってるだけでいいんだからさ」

――カカシさんはどこまで本気で言っているのだろう。
ちなみに私は、座っているだけで目の保養になるような美人というわけでは、決して決して無いのだった。
本当に、一体ぜんたい、なんで私が火影室事務官に選ばれたのか。そもそも、カカシさんに指名されたというのは真実なんだろうか。がっかりするのが怖いので、未だに真相を確かめてはいない。

運ばれてきた定食は、鱈の西京焼きのほかに小鉢が三つもついていて、お味噌汁ですらも普段私が食べているものとは違うように感じた。一口啜って、柔らかく抜けていくお出汁の風味にうっとりする。

「このお店、いいですね」
「いいよね。夜しか来たことが無かったんだけど、そういえば昼もやってたなと思って」
「夜はもっと、入りづらそうです」
「え?入りづらそうって?」

カカシさんが不思議そうな顔をする。ちょっと失言だったかな、と焦って、私は一旦箸を置いた。

「その……私にとってはちょっと高級な感じがしまして」

実際さっきのお品書きに書かれていた値段は、普段のランチの二倍以上した。まず一人でふらりとは、入らないと思う。夜はもしかして、お品書きに値段の書かれない店になるのでは……。そういえば、座敷に通されるとき、お酒のボトルが沢山並んでいるのも見えた。銘柄にはまるで詳しくないけれど、種類が豊富みたいだった。カカシさんも接待できたのかな。それとも……。

「それじゃ今度は夜に…「あの、カカシさんは」」
カカシさんが何かを言いかけた途端に自分の言葉がかぶってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。……何?」
「あの……えっと……このお店は、デートとかにも良さそうですね」
しどろもどろに言うと、カカシさんはちょっと目を大きくしてから、
「……まぁ、そうだね」と微笑んだ。
「カカシさんは……やっぱり恋人は、いらっしゃるんですか?」

聞いてしまってから、ああ、ついに聞いてしまったと思って、私は自分の前のお皿に目を落とした。品の良い深緑のお皿の上に鱈の西京焼きがのっている。

「……やっと聞いてくれた」
「はい?」
「ここまで長かったなぁ……」
私がまたカカシさんの顔をみると、カカシさんは何故か少し、嬉しそうな顔をしていた。
「恋人はね、いないよ」
「……そうなんですね」

言いながら私は、カカシさん恋人いないんだ……!と嬉しさに顔が笑ってしまいそうになるのを必死に堪えた。
いや、カカシさんに恋人がいないからって私に何らかのチャンスがあるってわけではないんだけれども。

「ハルは?恋人いるの?」
「私ですか?いないです、残念なことに」
「うん。まあ、知ってたけどね」
「え?」

カカシさんは何だか上機嫌な様子でお茶を飲んでいる。カカシさんにもっと色々聞いてみたいような気もしたけれど、とりあえず恋人がいないとわかっただけでも大収穫なので、私はまた食事にとりかかった。それからは二人でのんびりと、美味しい食事を楽しんだ。

当たり前のようにカカシさんは昼食を奢ってくれて、申し訳無くなった。これまでに何回かあった昼食の時も、いつもいつもそうなのだ。お店を出ようとすると、なぜかもう支払いがすんでいて、いつのまにカカシさんが会計を済ませているのか全く気づかず、鈍すぎる自分のあほ!!と毎回思うのだけれど……ずっと一緒に座ってたはずなのに、一体ほんとに、どうなってるんだろう。

「いつもすみません……!ごめんなさい!」
「……こういう時はごちそうさま、でしょ」
「……ありがとうございます。ごちそうさまです……!」

カカシさんは黙って笑って、先を歩いて行ってしまう。私は小走りでついて行く。
少し歩いてからカカシさんは、はっと思い出した様子で立ち止まった。

「で、シカマルと行った店は何処なんだっけ?」





六代目火影が街を歩けば、里の皆の注目は当然あつまってしまう。皆に挨拶され、カカシ様と手を振られればそれに応え、ちいさな子どもが走り寄ってくれば頭を優しく撫でてあげる、そんなカカシさんの後ろをいそいそとついて行く。改めて、私はすごい人の下で日々働いているのだなぁ、と実感してしまう。チャクラもろくに練れない、ただの事務の私が、こうして忍の中の忍であるカカシさんの近くで働けるなんて。身に余る光栄だ。

昨日シカマルくんと入ったばかりの店につくと、店主のお姉さんも突然入ってきた六代目火影をみて、口に手をあてて驚いていた。

「火影様……!私の店にいらっしゃるなんて……!ありがとうございます!」

目がハートになってるお姉さんに、カカシさんが優しく笑いかけた。お姉さんはあとから着いてきた私を見て、一瞬不思議そうな顔をした。「いらっしゃいませ」と微笑まれて、曖昧に会釈を返す。私は昨日シカマルくんときたばかりだし、ここで選んで貰ったマフラーを今も身につけているのだから、店主さんが不思議に思うのも当然だ。

カカシさんが女性物のマフラーとストールの置いてある辺りを見はじめて、私は所在なくその近くに立っていた。店主のお姉さんは気を遣ってか、少し離れたところで私達のことを見ている。目が合うとお姉さんは微笑みながらも(まさか……カカシ様はあなたに選んでくれているの……?)と言いたげな視線をよこしてきて、私はきゅっと胃が縮む思いがした。どうやらそうみたいなんですけど、一体なんでなのか私にもわかりません……と心の中からお姉さんに呼びかける。

「こっち来て」

カカシさんに呼ばれてはっとして振り向くと、右手に淡い水色の、左手にはやっぱり淡いピンク色のストールを持っていた。近寄ると、首もとにかわるがわるそれを押し当てられた。

「やっぱり、こっちだな」
「……」

カカシさんはうんうんと、納得したように一人で頷いている。カカシさんが選んでくれたからには、私はそれを買うほかない。昨日マフラーかったばかりなのに、と思ったけれど、まぁ、二つあっても困る物じゃないし、気分によって使い分ければいいや。それにカカシさんが選んでくれたのはどちらも大判のストールだった。

「どっちが似合いますか?……ってカカシさん!」

カカシさんはもう店主のお姉さんにストールを手渡しているところだった。水色の方をもどして、ピンクの方にしたらしい。財布を出しながら駆け寄ったけれど、すでにカカシさんは会計をしているところだった。

「は、はやい……じゃなくて、え、カカシさん!そんな買ってもらうわけにはいきません」
「え、なんで?」
「なんでって……だって……買って貰う理由が無いですし」
「……かわいくない事言うねぇ」
カカシさんがむっとした顔をする。私はぐっと言葉につまる。
「いつも一生懸命働いてくれてるから、そのお礼」
「……えっ」
「って理由なら受け取ってくれる?」
「……ありがとうございます」

顔が熱くなるのがわかり、私はうつむいた。店主のお姉さんが「羨ましいなあ」と小さく笑う声が聞こえた。

「ラッピングしましょうか?」
「いや、すぐに巻いて行きたいな」
「わかりました。タグとっちゃいますね」
「ありがとう」

カカシさんと店主さんのやりとりを、私はまだふわふわした気持ちで眺めていた。
というか、はっきり値札をみなかったけれど、もしかしなくても、結構いい値段のするストールのような気がする。自分ではなかなか買えない感じの……。

「それ外しちゃって」
「へ?」
「……」

きょとんとしていると、カカシさんの腕がのびてきて、私の首元のマフラーを外しにかかった。突然のことにどぎまぎして突っ立っていると、あっという間に外されてしまった。シカマルくんの選んでくれた鮮やかなタータンチェックのマフラーがカカシさんの手の中で折りたたまれていく。首元がひんやりした。
店主さんが紙袋をわたしてくれて、カカシさんが私から外したマフラーをそこにしまった。そして買ったばかりのピンクのストールを手に、「さぁ行くよ」とお店を出て行こうとする。私はあわててカカシさんについていった。
「ありがとうございましたー!」
お姉さんの声に見送られて、二人で店の外に出た。

きんと冷たい北風がふきつけた。

「こっち向いて」
カカシさんの方を向くと、ストールを両手で伸ばして持っていた。
「え、自分で巻きますよ」
「いいから」

カカシさんが私に近づいて、ふわっとストールを首にまわされた。暖かくて柔らかな感触に包まれる。やっぱり、絶対これ、良いやつだ……。頬に触れる質感にぼんやりしていると、カカシさんは私の前でストールをふわりと交差させた。鼻から下が全部埋もれてしまう。

それだけでは終わらず、カカシさんは私の頭を抱き寄せるみたいにして、頭の後ろでストールをきゅっと結んだ。

まるでハグをされているみたいで、カカシさんの胸板が目の前に近づいて、ふわりと良い匂いがして、私の心臓はばくばくと壊れそうなほど高鳴った。

「これでよし、と」

カカシさんが目を細めて笑いながら言う。

「かわいい。思った通り、よく似合ってる」
「……」

私は何も言えず、ただ呆然としていた。
ストールに半分埋もれているけれど、私の顔が今、真っ赤になっていることはカカシさんにばればれだと思う。

「さ、行こうか」

にこにこと微笑むカカシさんに、頷き返して、私はもう一度「ありがとうございます」と何とか言った。

34歳独身。職業、火影……。
この人を好きになってしまったら、私の毎日は一体、どうなってしまうのだろう。

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