春を招いて

寒さが緩み始めた三月。昼食の買い出しに行く途中、商店街の掲示板に『梅まつり』のチラシが貼られているのを見つけて、写真に暫く見とれてしまった。青空を背景に、ふっくらした白い花弁がいくつも花開いている。この土日が見頃なのだという。

昼食を食べながらカカシさんに話を振ってみた。今日も執務室の隣にある、台所兼ちょっとした食卓で、私はカカシさんと向かい合って座っている。

「今週末が見頃だそうですよ」

何気なさを装ってそう言ってみた。カカシさんはレンゲを口元から離し、もぐもぐと小さく口を動かして、私の作ったチャーハンを飲み込んだ。

「週末かー……」

それから少し困ったような顔をした。カカシさんが口を開く前から答えはわかりきっていたので、私は沈んだ気持ちが顔に出ないように、「やっぱり忙しいですよね」と先手を打って、口を微笑みの形にした。

「ごめんね……今週はちょっと厳しいな」

申し訳なさそうにするカカシさんに、チクリと胸が痛む。断られることがわかりきっていたのに、誘った私は意地悪だっただろうか。

今日のお昼ご飯はカカシさんリクエストの野菜炒めとチャーハンと玉子スープである。こんな簡単なメニューでいいのかと思うけれど、カカシさんいわく家庭的な味が何より嬉しいらしい。

「四月になったらもう少し、きちんと時間もとれると思うんだけど」

カカシさんがじっと私の顔を見つめる。その真剣な表情に、カカシさんは私の恋人なんだなぁと思って、頬がにやけてしまいそうになる。

「……四月になったら、お花見行きましょうね」
「もちろん。今から楽しみだ」

カカシさんの表情が自然に綻ぶ。男の人なのに、『綺麗』という形容詞がこんなに似合う笑顔の持ち主も中々いないと思う。だからこそ普段は、覆面で隠してくださっていて良かった。こうして私の前では素顔を見せて、食事をしてくださるのは……火影室事務官の特権なのだろうか。

火影様のお仕事は年中忙しいに違いないのだけれど、年度末のこの時期は特に忙しいようだった。頼まれる事務仕事の量も普段の三倍ぐらいはあって、私としては『丁度良い』労働量なのだけれど、普段は暇を持て余してる私がこうなのだから、カカシさんの忙しさたるや推して知るべしだ。

最近では帰る前に夕飯もつくって差し上げたりしている。カカシさんは最初はひどく遠慮していたけれど、『恋人なんだから、甘えてください!』と思いきって言ってみたら、ものすごく嬉しそうにしていた。時々はシカマルくんも一緒になって三人で夕飯を食べることもある。私が帰った後も、二人は夜遅くまで働いているのだと思うと、夕飯をつくる事ぐらい訳ないし、……少しでもカカシさんのお役に立てていると思うと、事務官としても、恋人としても、嬉しいのだった。

けれど恋人らしき事は、あの一連の……バレンタインの後、カカシさんにプロポーズをされてからのジェットコースターのような出来事以来、何も起きていなかった。前述の通り、カカシさんは職務の繁忙期に入ってしまって忙しすぎて、帰りも遅いし休日もまともにとれない有様なのである。といっても、この二週間ちょっとの間、まったくカカシさんが休めなかったという訳でも無かった。やっと一日休めそうだという時に、カカシさんが「どこか行こうか」と誘ってくださった時は、すごく嬉しかった。けれど、目の下に大きなクマをつくって、明らかに睡眠不足が続いている状態で言われたら、とても頷けなかった。せっかくの貴重な休日なのだから、出歩かずにしっかり体を休めて欲しい。いいから休みの日はちゃんと寝て休んでください、と突き放すと、『じゃあオレの家……』とカカシさんが言いかけたので私は慌てて『実はその日予定がありまして……』と断ってしまった。

冷たいかな、と思うけれど、私がカカシさんの家に行ったら、カカシさんの体は休まるどころか、むしろ……。色々と破廉恥な考えが浮かんでしまい、赤くなっていると、カカシさんは
『そう……じゃあまたの休みにね』
と、あっさり引き下がった。怒っていないかな、とドキドキしながら表情を伺ったけれど、その表情は至って普段通りだった。大人の余裕なんだろうか。断ったのは自分のくせに矛盾しているけれど、少しだけ寂しくなった。

そんな事があってからの、先ほどの『梅まつり』のお誘いだったのである。
結果はやっぱりNGで、先週は休みがとれたけれど、今週はまたハードスケジュールらしい。
寂しいとかより何より、カカシさんの体が心配だ。

暗い顔をしてしまっていたのか、
「……梅まつり行けなくてごめんね」とカカシさんはまた謝った。
私は慌てて顔の前で手をふり、
「気にしないでください!それより、カカシさんの体が心配で……」と言った。

「そうだね、オレもうダメかも……」
「えっ……!?」
「倒れそう」
「そんな、今すぐ医務室に行きましょう!いや、サクラちゃんを呼んできます」
慌てて立ち上がると、カカシさんは椅子に座ったまま私の事を見上げた。
「深刻なハル不足で……」
「ハル不足……!?何ですかそれ!?」

カカシさんが手招きをする。……何をされるのかわかってはいたけれど、抗えず、ドキドキしながら近づくと、顔を引き寄せられてキスをされた。

「んっ……んくっ」

声が漏れて恥ずかしい。顎を掴まれて頭はしっかり固定されてしまって、逃れられなかった。
息が苦しくなるような口づけのあと、ゆっくりとカカシさんの唇が離れていった。

「まだ足りないんだけど……そこにベッドあるんだよね。知ってた?」
カカシさんはぺろりと唇を舐めながら、カーテンで仕切られた奥を目で示した。
「……何言ってるんですか……ダメですよ!」
「やっぱりダメか……」
「ダメに決まってるでしょ!」

慌てて距離をとると、カカシさんはくくく、と体を傾けて笑う。里の皆の憧れである火影様が、執務室の横で破廉恥なことをしていいはずがあるわけない。

「でもホント、そろそろ限界なんだけど……」
「……」
「ハルはオレの事が恋しくならないの?」

そんなの、恋しくないわけがない。
黙って俯いていると、耳元に低く囁かれた。

「今夜部屋に呼びたいな」
「……へ、部屋」
「そ、オレの部屋。おいでよ」

カカシさんはにっこりと、けれど少し意地悪そうな顔をして笑った。





さすが火影様というべきか、カカシさんのお住まいは警備専門の忍がエントランスに常駐していて、床はぴかぴかの大理石、エレベーターが何基もあるような高級住宅だった。
入り口が既に厳重なのに、カカシさんは自分の部屋の前で、素早くいくつかの印を結んで結界をといたようだった。素人なのでどのくらい複雑な印なのかはさっぱりなのだけれど、とにかく、指の動く速さが目で追えないぐらい一瞬だった。

「すごい……ホントに一人暮らしですか?」

広い玄関に通されて縮み上がっていると、カカシさんは薄く笑って、
「一人暮らしだよ。家にはほとんど帰らないのに、持て余してる」と言った。

「ここの前はボロアパートに住んでて、オレとしちゃあそっちのほうが住み慣れてて居心地も良かったんだけどね。ま、火影に就任するときに色々外野がうるさくてな……」

やはり上層部の面々に色々言われたのだろうか。カカシさんが本当は質素な暮らしを好んでいるらしい事は、通された部屋を見れば明らかだった。
物が全然ないのだ。

「生活感が……ゼロですね……」
「ははは、そうかな?家具とか、どう選んだらいいかわからなくて」

だだっぴろいリビングには一応ソファーとテーブルが揃っていたけれど、それだけだった。
物が無いにも程が有る。豪奢なエントランスを通ってきたせいか、部屋が広すぎるせいなのか、余計に寂しく見えた。

「……あの、この部屋に誰か呼んだりした事って」
「そういえばハルが初めてだな」

それは元彼女とか元彼女とか元彼女の存在を隠すための優しい嘘、には思えなかった。
カカシさんの家に今まで誰か、元彼女でも友達でも誰でもいいけれど、誰かが来ていたならば、この家具の無さに絶対つっこんでいたと思う。カカシさんは私の反応をみて、しきりに頭を掻いて困り果てている。こんな反応をされるのが予想外だったという事は、自分の部屋を人に見せるのは、本当に私が初めてという事なんだろう。

それは何だか……かなり嬉しいかも。

「部屋は他にもあるんですよね」

みたところこの部屋にはオープンキッチンとソファーとテーブルしか無い。

「ああ、あと部屋が三つあって……一つは寝室にしてるけど、もう二つは全然使ってないんだよね」
「4LDKにお一人で……」

それは寂しいだろうなぁ、とカカシさんをじっと見つめる。
カカシさんは照れ笑いをしながら「寝室がみたいの?どうぞどうぞ」と何かを激しく勘違いしているみたいだった。それはそれとして、カカシさんの寝室には興味があるので、私は大人しく後をついて行った。

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