本物の輝き――19時に木ノ葉ビルの前に来て。
出勤すると机の上に、カカシさんの字で書かれたメモが置かれていた。
昨日までの様子から想像はしていたけれど、今日もカカシさんとシカマルくんは一日中、例の件にかかりきりのようだ。メモによると、同じアカデミーの敷地内には居るらしい。何か緊急の用件があれば、尋問部隊が所有している別棟まで来るようにと記されていた。
以前、私は用事を言いつかってあの近くを通った事があるけれど、棟の中から、何が起きているか考えたくもないような凄まじい悲鳴と呻き声を聞いた。思い出しただけでも身が凍るので、できる限り近寄りたくないな、と思いながら、私はカカシさんが残した綺麗な筆跡をそっと指でなぞった。
最後の一文だけは、仕事とは関係が無いメッセージだった。
木ノ葉ビル……。
いつかテレビで見た高層ビルの名前だ。
大戦が終結してから、里にはいくつも高層ビルと呼ばれる巨大な建築物がたてられた。その多くは宿泊施設で、最上階には高級レストランが入っているらしい。私はこれまで行った事が無かったけれど。
『明日はオシャレして来てね』
昨日のカカシさんの声が耳の奥でこだまする。私は自分の着てきた服を見下ろした。
オシャレしてと言われても、どんな服装をするのが正解なのか解らなかった。日中は仕事があるので、散々迷った末、仕事中でもフォーマルな場面でも一応問題がなさそうな、ネイビーのワンピースを着てくることにした。
アクセサリーの類は勤務時間が終わったら着けようと思って、一応持ってきてある。 けれど、靴はこれじゃあ地味だっただろうか。
期待しすぎるのも変だと思って――カカシさんと朝からどんな風に顔を合わせたらいいのかわからなくて、中途半端なオシャレをしてきてしまった。
けれど、どうやら今夜、約束の時間になるまでカカシさんと顔を合わせることは無さそうだった。 ほっとしたような、残念なような――。
昨日カカシさんに、突然キスをされた。 昨夜も何度も思い出して、ドキドキして、何だかあまり眠れなかった。
机の上には本日の仕事である書類の束が積み重なっている。 一人きりで良かった、と思いながら、弛んだ頬を両手でぱんと挟んで気合いを入れた。
昼に一度家に帰って、結局、別の靴を持ってきた。 友人の結婚式に呼ばれた時にしか履かないシルバーのハイヒールだ。
今日は一日中、退勤の時間まで、カカシさんはおろかシカマルくんにも会わなかった。
書類整理をもくもくとやりながら、執務室に訪れる人々から書類や伝言を受け取ったりしていると、あっという間に一日が終わった。唯一訪れたよく知っている人物であるシズネさんは、先代からの書類を届けに来て、「ハルさん、今日は随分オシャレをしてますね。何か予定があるの?」と聞いてきて、特にからかうような口調でも無かったのに、私は、取り繕う事もできずに赤面してしまった。
履き慣れない高いヒールで、転ばないよう、ゆっくり慎重に歩いた。
高層ビルの建ち並ぶその一角は、着飾った男女ばかりが颯爽と歩いている。自分の姿はこの場から浮いているんじゃ無いかと、私は何度も不安になった。
待ち合わせの場所についた時、約束の時間まではあと十五分もあった。辺りを見回すけれど、カカシさんはまだ着いていないようだ。
心細い気持ちになりながら、道行く人を眺めていると、キレイに髪をセットした女性が、男性と腕を組んでビルに吸い込まれていくのを見た。落ち着かない気持ちになって、小さく溜息をつく。こんな格好で本当に大丈夫だろうか。出がけになんとなく整えた髪を、鏡で確かめたくなった。
――カカシさんは一体どういうつもりなのだろう。
昨日、家に帰宅してから、もう何度も思い返したカカシさんとのやりとりを、私はまた頭の中で反芻した。昨夜、私は勇気を出して、何とかカカシさんにチョコレートを渡す事が出来た。 いつもお世話になっているから、と言い訳をして買ったチョコレートには、義理では片付けられない気持ちが乗っていた。何度もブレーキをかけようとして失敗した、手の届かない人に憧れる気持ちが……。
カカシさんは甘い物が嫌いなのに、チョコレートを受け取ってくれた。 そればかりか、私の目の前で食べてくれて、そして――。
思い出して顔が熱くなっていると、
「ハル、お待たせ」
待ちわびていた人の声がして、私はどきどきしながら顔を上げた。
カカシさんがいつもの覆面をしていない事にまずは驚いた。 次に、その見慣れない服装にみとれて、胸がどきりと音をたてた。
カカシさんは見るからに上質な、丈の長いコートを羽織っている。身長が高くないと着こなせないだろうそれが、とても似合っていた。 襟元から覗くシャツと、かっちり締められたネクタイを見て、やはり今夜はフォーマルな装いにするべきだったのだと思い、私はまた、心臓がどきどきしてきた。
「じゃ、行こうか」
カカシさんは優美に微笑んだ。当たり前のように手を差し出されて、どぎまぎしながらその手を取った。大きな手に優しく包まれて、自分の手のひらが汗ばんでいないか心配になった。
ハイヒールを履いている自分を気遣ってか、カカシさんはゆっくりと歩いてくれた。八センチもあるヒールなんて、仕事以外でも滅多に履かないから、私の歩き方から、慣れていないのがばればれだったのかもしれない。カカシさんにとって、自分が滑稽に見えていないか不安になった。
エレベーターで最上階まであがると、フロアの床からしてもうふかふかした絨毯に変わっていて気圧された。特に気にした様子の無いカカシさんの横顔を見て、当然、このような場所の食事にも慣れているんだろうな、と思った。そりゃそうだよね、火影様だもの……。何だか今夜のカカシさんは、服装も立ち居振る舞いも、いつにもまして自分とは別格の人のように感じてしまう。 毎日顔を合わせていても、やはり自分などが釣り合いのとれる相手ではない。住む世界が違うんだ、と思ってしまい、自分の心が少しずつ下向いていくのを感じた。
レストランの入り口でカカシさんが名前を告げると、男性スタッフがコートを預かりにきた。コートを脱ぐとき、本当にこんな服装で良かったんだろうかと改めて自分の着ているワンピースを見下ろした。こんな事ならもっと、パーティードレスにふりきったような服を着てくるべきだっただろうか。
席に通されながら、改めてカカシさんの服装を上から下まで一瞥した。一目見ただけでもわかる、上質な感じのスーツだ。こういった服を着ている人はそれこそ、結婚式などの正式な場でしか見ないけれど、カカシさんは難なく着こなしていた。
そしてこの煌びやかなレストランでは、スーツやドレスを着ている人が多いようだった。ここにいてもカカシさんはまったく見劣りしない。それどころか、長身の恵まれた体躯に、目を引く銀色の髪、いつもは隠している冴え冴えとした美貌は、周囲の人の目を集めてしまっている。
『火影様……?』 『六代目だ……!女性と一緒だね』
潜み切れていない囁きが聞こえて、私は俯いた。 カカシさんの後ろをついてあるいている私は、どう思われているんだろう。
執務室を出る前に慌ててイヤリングとネックレスをつけてきたものの、アクセサリーもワンピースも決して高価なものではない。この場にちゃんと相応しく見えているかと不安になる。それに、どんなに着飾ろうとも、私は平凡な顔面に平凡な体型を兼ね備えている。とても、整った容貌の持ち主であるカカシさんと釣り合うはずがない。
窓際の席に通されて、大きな窓から外を見下ろすと、素晴らしい夜景が広がっていた。こうしてみると、この数年で、この里はなんと変わってしまったことだろう。
アカデミーはどちらの方角だろうと視線をさまよわせていると、カカシさんが心を読んだように、「ほら、あそこだよ」と指さして教えてくれた。見慣れた建物をこんなに高くから見下ろしているなんて、何とも不思議な気持ちだ。
「すごく綺麗ですね」
つい笑顔になってカカシさんの顔をみると、はっとするほど優しく微笑んでいた。息を飲んでいると、店員さんがワインリストを持ってきた。
「お酒は飲める?」 「……はい。沢山は飲めませんが」 「そう。じゃあ、無理しない程度に楽しもうか」
カカシさんがワインを頼んでいる間、私の気持ちは少しずつ落ち着いていった。
テーブルが照らされている他は夜景を楽しむためにやや暗めの照明だという事と、一つ一つのテーブルの距離が離れているために、座ってしまえばもう、周囲の視線は気にならなかった。 天井から吊された豪奢なシャンデリアも、ごく控えめな光量だ。みとれているうちに、いつの間にか店員さんは去っていた。
「綺麗だね」 「本当ですね。夜景もお店の中も、すごく……」 「そうじゃなくて、ハルが」 「……え」 「今日の格好も髪型も、すごく綺麗だよ」
すっと目を細めて、カカシさんが言う。どぎまぎして、私は俯いた。 イミテーションのダイヤが耳元で重たく揺れる。じっと見つめられている気がして、落ち着かない。
「緊張しているの?」 「……はい」 「オレもだよ」 「えっ?」
驚いて顔を見上げると、カカシさんはまた優しく笑っている。 緊張しているなんて絶対に嘘だ。
「……こんな素敵な場所に、連れてきてくださってありがとうございます」 「ハルが喜んでくれて良かった。ずっと一緒に来たいと思ってたんだ」
それは、どういう意味だろう。 にこにこと微笑んでいるカカシさんに何と聞こうか迷っているうちに、シャンパンが運ばれてきた。
料理はどれもとても素晴らしかった。 特にメインの肉料理は、シェフが目の前で焼き目をつけて仕上げてくれて、「わあすごい!」と子供のように喜んでしまった。 終始カカシさんはご機嫌な様子で、微笑んでいてくれた。目が合う度にどきどきして、私は少し、お酒を飲むペースがあがってしまっていた。
少しくらくらしてきたな、と思っていると、ついに最後のデザートが運ばれてきた。 フランボワーズのムースに銀色の飴細工が載っている。
「最後まで素敵です……」 「美味しかったね。久しぶりにゆっくり食事ができたよ」
コーヒーを飲みながらカカシさんが言う。 このデザートを食べ終えてしまったら、この夢のような時間も終わってしまうのかと思うと、寂しくなった。
そもそも今夜、カカシさんはどうして私をここへ連れてきてくれたんだろう。 ――昨日のキスの真相を、聞けるものだとばかり思っていたから、私は終始ドキドキしていたのに、一向に話が切り出される気配は無かった。
そのうち、あまりにも美味しい料理に夢中になって、緊張もほぐれていき、本当にただ食事を楽しんでしまっていた。
じっとカカシさんの顔を見ると、彼は「ん……?」と首を傾げている。
もしかして……しらばっくれる気なのでは。
いつも、ことあるごとに、私の追求をやんわり躱してきたカカシさん。 昨日のキスも、もしかして、なんら深い意味は無くって……。
いつもの職権濫用の延長だったの……!?
この夜景とディナーはもしや……口封じの為……!?
あり得なくも無い可能性に、頭が冷えていく。
そりゃそうだ。 六代目火影である、はたけカカシ様が、私のような庶民的女と、すきゃんだるになる訳にはいかないだろう。
ましてや、本気の恋であるはずがない。
ちょっとした冗談のキスを、重く捉えられて、騒がれては困るから、 今夜のディナーでどうか水に流してくれと……そう、お願いされてしまうのでは。
そのように思ったら、もう、そうとしか思えなくなってきた。……絶対そうだ。
私は、もやもやとした気持ちで紅茶に口をつけた。 少し温いお茶を飲み込むとき、喉の奥が痛くなって、涙が出そうになった。
――泣いてたまるものか。
「カカシさん」 「うん……?」 「私に、話があるんじゃないですか」 「……あ、ああ」
私の目は多分、坐っていると思う。
心の準備は出来てるからさっさと言ってくださいよ、と、カカシさんの目をじっと睨みつけた。 彼は戸惑ったように目を揺らし、頬を掻いた。
やがて、意を決したように口を開く。
「実は、受け取ってほしいものがあるんだ」 「……受け取ってほしいもの?」
あれ、想像していた言葉と違うぞ。 ぽかんとしてから、少しして、
ああ、慰謝料か……!!と思い当たる。
しかし、カカシさんがごそごそと取り出したのは、正方形の、布張りの箱だった。
「何ですかそ……」
言いかけた私は、口を開けたまま固まった。
ぱかーんと開かれた、その箱の中には、 大粒のダイヤモンドをのせた銀色の指輪が入っている。
私の耳にぶら下がっている物とは違う、 偽物とは思えない輝きだ。
「オレと、結婚してください」
「……え!?」
真剣な表情で言うカカシさんから、目が離せなかった。
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