甘くて温いいつもより早めに出勤した朝。執務室の前の廊下に差し掛かると常にはないざわめきが聞こえてきた。何事だろうと思いながら近づいていくと、扉の前に、ぱっと見ても十人以上は居そうな人だかりが出来ている。若い女性ばかりのようで、彼女たちは互いに、ひそひそ、というよりは、ざわざわ、という音量でお喋りをしているのだった。
女性たちは色とりどりの紙袋を大事そうに手にさげている。私は慌てて自分の持ち物を後ろ手に隠した。同時に彼女たちの用件に思い至り、なぜ扉を開けないのだろうと不思議になった。あそこを通るのはかなり気まずそうだ。
「あっ……!あの人……!」
集団の一人が私に気づいた。
「来たわ……!」 「六代目の事務官さん!」
彼女の声につられて、立ち並んでいた女性達の視線が一気に私に集中する。気圧されて、一歩後ずさりをした。
「……おはようございます」
ひとまず挨拶を口にしてへらりと笑うと、
「おはようございます!」 「待ってました……!」
彼女たちは何かを期待するような眼差しで、私に一歩二歩、にじり寄ってきた。何だ何だ……!?
「これ、お願いします!」 「カカシ様に!」
私に向かって何本も腕が伸びてきて、手にはそれぞれ、ピンクや赤のカラフルな紙袋が握りしめられていた。封を開ける前から、甘い香りが漂ってきそうだ。
「これは、一体なんでしょう……」 「決まってるじゃないですか、バレンタインのチョコレートです!」 それはわかっている。けれど何故、本人に直接渡さないのだろう。 「あの貼り紙読みました」 「私達ずっと待ってたんですよ!」
口々に言う女性達が、執務室の扉を指さす。顔を向けると、目線の高さに白い貼り紙がされており、墨で大きくこんな文言が記されていた。
『本日六代目火影は多忙につき 危急の件を除いて面会お断り 六代目宛てのご進物 その他相談は下記担当窓口迄
担当:火影室事務官 みやま ハル』
な、なんじゃこりゃ……。 私は何にも聞かされていないけれど。
一瞬、カカシさんが書いたのかと思ったけれど、どうやら彼の字では無さそうだった。 あまり頻繁に目にするわけではないけれど、多分、シカマルくんの筆跡だ。
呆然としている私の耳に、女性達のざわざわとした声が重なり合い、ぼうっと響きわたった。
ひとまず女性達の紙袋を受け取り、それぞれのお名前も伺って、紙袋の色と共に手帳にメモをしていった。
「火影様と貴女、何かあるんですか?」
一人の女性からの直裁的な問いかけに、サクラちゃんが言っていた『噂』の件を思い出す。カカシさんがサクラちゃんにどんな風に私の事を話しているのか、はっきりとはわからないけれど、妙な噂になってしまっているのはカカシさんの本意ではないはずだ。もちろん、私だってそんな噂を立てられてしまうのは困る。
「何も無いです!まったく何も!」
力強く否定すると、私に問いかけてきた女性は面食らった顔をしたあと、ちょっと笑った。私の懸命な様子がおかしかったんだろうか。
「……何もって事は無いでしょう。カカシさんが貴女を事務官に指名したって聞きましたけれど」
すかさず隣の女性が口を挟んできた。つり目気味の瞳が印象的な、気の強そうな美人だ。
「いや本当に何にも無いですよ!この平凡な私とカカシさんの間に何かが発生しそうに見えますか?何にもなさそうでしょ……?」
あはは、と笑いながら言うと、女性達は懐疑的な眼差しで私を見つめ、顔を寄せてきた。
「本当に……?」 「本当ですって……そりゃー、ちょっとは、何かあったらいいなー、なんて思いますけどね……」 「……」
暫く一体十で見つめ合った後、女性たちは各々、何かを納得したように頷き始めた。
「確かに……想像していたよりも平凡な人ね」 「ええ。傾国の美人って噂だったはずだけど……」 「なんていうか……良い人そうではあるわ……」 「カカシ様を誑かしている訳でも……なさそうね……」
口々に遠慮の無い言葉を漏らしている。 ちょっとばかり失礼じゃないですか……傷ついちゃうなあ……と思いつつも、私は情けなく笑うしかなかった。
火影室に直接押しかけるくらいだ。女性たちは皆さん、揃いも揃って美人な方が多かった。華やかな服を着こなしている方も居るし、忍服を着ている方も、身体のラインが私なんかと全然違う。カカシさんはやっぱり、こういうナイスバディーな人が好きなのかなぁと、18禁小説をたまに読んでニヤニヤしている彼のことを頭に思い浮かべた。
ひとまず彼女たちは、平凡な顔立ちの私に対して、警戒する必要無しの判断を下したらしい。 凡庸たる自覚はあるもののほんのりと傷つく。けれど、それ以上にほっとしてしまうのが、小心者の悲しい性である。
「えっと……皆さんから頂戴した品は、しっかりカカシさんにお渡ししておきますね」
受付所で鍛えられた事務スマイルをむけると、女性達はもう信用しきった様子で、
「宜しくお願いしますね」 「頼んだわよ、ハルさん」
と口々に言い、その場を去って行った。その背中を見送って、一安心しつつも、微妙に釈然としない気持ちが胸にわだかまる。
昔から私は、若い男性にナンパをされる率よりも、おじいちゃんおばあちゃんに道を聞かれる率の方が、圧倒的に高いのだ。恐らく、人々の警戒心をとくようなお人好し的顔立ちをしているのだと思う。受付所事務としてはある意味天性のスキルだと思うので、このような顔立ちに生んでくれた父母には感謝していたけれど、……まさか火影室事務官に異動になるとは。
異動になってからもうすぐ一年がたつのだなあ、としみじみしながら、私は執務室のドアに手を掛けた。両腕に沢山の紙袋の紐が食い込んでいる。
「おはようございま……」
挨拶する声が途切れたのは、カカシさんが机に突っ伏していたからだ。
「カカシさん!?」
声をかけつつ、執務机にかけよると、私の声に反応してカカシさんはびくりと身体を揺らし、ぼさぼさの銀髪頭をかきあげながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……寝てたんですか?」 「……あー、完全に落ちてた……ヤバイ」
大きく欠伸を漏らすカカシさんの目には青黒いくまが出来ている。覆面は引き下げられていて、剥き出しになった形の良い顎に銀色の髭がうっすら生えていた。
「あ……おはようハル」 「おはようございます。お疲れですね……もしかして昨晩もここに?」
ここ数日、カカシさんは執務室に泊まり込みの忙しさだった。昨日私が退勤する頃には、今夜は久しぶりに自宅に帰れそうだと話していたのに、あのあと状況が変わったんだろうか。
「あー、夜中に色々と動きがあってね……来て貰って早速で悪いんだけど、この書類をこっちに移しといて貰える?分類にちょっと手間がかかるんだけど」 「あ、はい……!」
カカシさんはファイルの束を手渡そうとして、私の両腕にいくつもさげられている紙袋に気づき、目をとめた。
「あ、これは、バレンタインの……」 「あー……もうそんな時期か」
カカシさんは気怠そうに言いながら、首をこきこきと慣らす。
「去年はシカマルに全部頼んだんだけど、お返しが面倒で面倒で。まったく、甘い物嫌いだっつってんのに……」
疎ましげに顔を歪めながら、彼は頬杖をついた。そして視線はもう、机の上に置かれた何かの書類に移されている。
「……溶けないように、あちらへ置いておきますね」 「んー。食べたかったら食べていいよ」 「えっ……」 「……あー、これか……」
カカシさんはもう私に見向きもせず、眉間に皺を寄せながら、書類と書類を見比べている。 それが何の書類かは解らないけれど、カカシさんが物凄く忙しい事は明白だった。私は邪魔をしないよう静かに机を離れた。少しだけ、しょんぼりしてしまう自分の心に情けなくなりながら。
重さを増した気がする紙袋たちの中でも、私が購入した物はとりわけ重たく感じてしまう。そして、その茶色の紙袋は、他のカラフルな袋の中では殊に地味に感じてしまうのだった。 これを選んだ時はそんな風に思わなかったのに。
火影の職務は常に多忙だ。カカシさんが忙しいのも、いつもの事ではあるのだけれど、こうして泊まり込みになるほど忙しい時は、大抵、何か大きな問題が発生している時だった。こういう時は、シカマルくんも出たり入ったり、何日も顔を見せなかったりと忙しそうにしている。
私はただの事務官なので、その大きな問題の内容をはっきりと知っている事の方が少なかった。ただ火影室での、カカシさんと忍の方達の会話から、ぼんやり何が起きているのか、推察する事はできた。
戦争が終わって平和になりつつある世の中だけれど、他里と協力して行こうという風潮を良く思わない人達もいる。たまに我が家に飲みに来る私の叔父も、いつか酒をあおりながら「いがみあっていた他里の連中が木ノ葉に出入りしているのを見ると、微妙な気持ちにもなるよな」なんて言っていたっけ。父は叔父をたしなめながらも、「昔死んでいった仲間のことを思うとそう単純には割り切れないものがあるかもな」と口にしていた。
どうも、今カカシさんが頭を悩ませている件は、そういった、他里との親交を良く思わない層の中でも、特に過激な思想を持つ反乱分子によって引き起こされているらしい。どのような思想であれ、同じ里の仲間だから、そう単純に解決する問題でも無いのだろう。
疲れ切っているカカシさんの役にもっとたちたいと思うけれど、忍ではない私にできる事と言えば、所詮熱いコーヒーを淹れる事と書類の整理ぐらいなものである。 一般人としての領分はわきまえつつも、少しでもカカシさんのお役に立ちたい。そんな事を思いながら、空になって居るであろうカカシさんのカップを下げようと思っていると、執務室のドアが勢いよく開かれた。
「六代目!『クロヅメ』派と『シブキ』派の間で暴動がっ!」
シカマルくんが息を切らして立っている。彼がカカシさんを六代目、と呼ぶときは、緊急事態が起きている時だ。
「何だと……?すぐ行く!」
カカシさんは立ち上がり、外套をひっつかんで出て行った。
「いってらっしゃい……」
私の見送る声が届いたかどうかわからないけれど、二人の無事を祈った。
書類の整理は結構な分量があって、昼過ぎになってもまだ終わりが見えなかった。カカシさんは出て行ったきり戻ってきていないので、昼食は一人で簡単にすませた。経費で買っていただいている材料を使うことに若干の罪悪感を覚えながら、野菜炒めとご飯をもそもそと食べる。
カカシさん、ケガしていないといいけれど……。
上忍時代のカカシさんはチャクラ切れで病院に運ばれたり、大けがをする事も何度もあったみたいだけれど、火影様に就任されてからはさすがに、病院に運ばれるほどのケガをする事は無くなったみたいだ。火影という立場になられたという事も大きいだろうけれど、この世界全体が、やはり平和になりつつあるのだと思う。カカシさんをはじめ多くの忍が、その血をもって戦乱の世を変えてくれたのだ。
それでも時々カカシさんは、ちょっとしたケガをして執務室に戻ってくる事がある。医務室に寄らずに私に手当を任せることもあって、救急箱を取り出しながら私はそれに応じるのだけれど 「医務室で医療忍術をつかっていただかないんですか?」と聞くと 「大した傷じゃないし、こっちのほうが早く治る気がするから」と笑うのだった。 そんなはず、あるわけがないのに……。
カカシさんの笑顔を思い出すと、今目の前に彼がいないことが寂しくなった。 カカシさんは今も里のために頑張ってくださっているのに、私は何を落ち込んでいるのだろう。
ここ数日は、ゆっくりと昼食も取れなかったカカシさんの為に、おにぎりとお味噌汁のようなさっと食べられる料理しかつくっていなかった。カカシさんはいつも必ず「ありがとう」と言ってくれるけれど、その横顔は日毎に険しくなるばかりで。
カカシさんが今物凄く忙しい事も、……甘い物が嫌いなことも、知っていたのに。 何で私はチョコなんて用意してしまったんだろう。
深い溜息をついて、べちゃっとしてしまった野菜炒めを食べきった。
シカマルくんが執務室に戻ってきたのは、夕方になってからだった。戦闘があったのか、少し忍服が汚れて顔にかすり傷が出来ている。
「おかえりシカマルくん」 「おう。……つっても、オレは書類を取りに来ただけで――」 「またすぐに行かないとなんだね」 「ま、もう反乱勢力は捕まえて尋問部隊に引き渡したから、――カカシ先生も夜には戻ってくるだろ」
シカマルくんにそう言われて、どんな顔をしていいかわからなくなった。 聞かなくてもカカシさんの様子を教えてくれる気の利きよう。本当に七つも年下なんだろうか。
必要な書類をそろえたらしいシカマルくんは、部屋を出て行こうとして入り口脇のテーブルに並べられた色とりどりの紙袋に気づいた。 あれからまた何人も人が来て、今朝よりも倍以上に増えている。
「相変わらずすごい人気だな」 「そうだね。去年もこんな感じだったの?」 「ああ。……相手にされないのによく贈るよな」 「そんな言い方って……」
ついむっとなって言い返すと、シカマルくんはちょっと驚いた顔をした。 そして頭をかきながら「あー……悪い」と困ったように言う。 私は情けない気持ちになって、彼から目をそらした。
「ハルも渡したのか?」
黙って首を振る。
「用意は?」 「……」
沈黙を肯定と受け取ったのか、シカマルくんは、ふっと笑って、 「あんたが渡したら、あの人は喜ぶだろ」と何の根拠も無い事を言った。
「何でよ。……カカシさん、甘い物嫌いだし、喜ばないでしょ」 「いや喜ぶよ。賭けたっていい」
シカマルくんはふう、と小さく溜息をついた。
「つーかオレには?義理でも無いわけ?」
急に彼がそういうので、私ははっと思い出して、机の引き出しに入れて置いた包みを取り出した。
「シカマルくんは甘いの嫌いじゃ無いもんね」
近づいていって、彼の手に包みを渡す。 透明なラッピングの中に銀紙に包まれたハート型のチョコをどっさり入れた。
「わかりやすく義理なんだろーけど……ハートかよ」
シカマルくんがくすくす笑う。
「やっぱバレンタインのチョコはハートでしょ!」 「……カカシ先生のは?」 「えっ?」 「先生にはこういうのじゃねーんだろ?」 「……そうだね」
カカシさんにハート型のチョコなんてとてもとても、渡せない。 けれど、いつもお世話になっているカカシさんに、何も用意しないわけがなかった。
先日も、ドジって腰を痛めた私を自宅までおぶって送り届けてくださったのである。 玄関口で母は大口を開けて驚き、誤解を大いに深めたものだった。母はあれから大層機嫌が良いので、私はもう何も言えずに居る。
そのお礼も兼ねて、と言い訳をして、用意してしまったチョコレート。 けれど今朝のカカシさんの様子を見て、……やっぱり渡しても迷惑になってしまうだけだと気づいた。
それにこのチョコレートには、先日のお礼以外の不純な気持ちも乗っている。 手に届くはずの無い人の事を、どうして想ってしまうんだろう。
「おい、何暗い顔してんだよ」 「あっ……ごめん」 「わかんねーけどさ、あんまりめんどくせェ事ごちゃごちゃ考えなくていいんじゃねえ?」 「え?」 「チョコレート、お前からなら貰って嬉しくないわけねーんだし」
シカマルくんは急に私の頭をぐしゃりと撫でた。
「……!」 「オレは嬉しかったぜ」
目を細めて無邪気に笑い、それからすぐに、彼は出て行ってしまった。
「……生意気」
ひとりごちて、乱された髪を元に戻す。 やっぱりカカシさんが戻ってきたら渡してみようか。 沢山の紙袋の中から、自分が用意したものを引き抜いて、私はまた机に戻った。
定時を一時間以上過ぎても、カカシさんは戻ってこなかった。 頼まれた書類整理は既に終わってしまっていて、やることも無いというのに、私はまだカカシさんの帰りを待ち続けていた。
迷惑に思われるかもしれない、と思うのに。 というか、今朝カカシさんが言っていたじゃないか。
『まったく、甘い物嫌いだっつってんのに……』
疎ましそうにチョコレートの紙袋から目をそらしたカカシさんを思い出す。 ……感謝の気持ちを伝えたいなら、もっと別の物を用意すれば良かった。
やっぱり帰ろう。身支度をして立ち上がったとき、ドアがゆっくりと開いた。
「……ハル」
入ってきたカカシさんは私を見つけて、目を見開いて驚いている。見たところ、何処にもケガはされていないようで安心した。
「カカシさん!おつかれさまです」 「……ああ、ありがとう。どうしたの、遅くまで残って」
近づいてきたカカシさんは、私の隣に立つと、私の事務机の上に目をやった。そこに分厚い書類のファイルがあるからだ。もちろん、帰る前に引き出しに閉まって鍵をかけるつもりだった。
「書類整理終わらなかったら、明日でも良いって言ったのに……」 「ええ、私が勝手に残ってたんです。頼まれてた分は全部終わりました。……でも、残ってたのは、これの為じゃ無くて……」
言いよどむと、カカシさんが不思議そうに私の顔をのぞきこんでくる。どきどきと、自分の心音が高鳴るのを感じた。
「あ、あの……」 「……うん?」 「私……お渡ししたいものが……」
カカシさんの顔を見られなくなって俯く。服の裾をぎゅっと掴む、自分の両手が見える。
「……渡したいものって?」
蕩けるような甘い声に驚いて、顔を上げた。 カカシさんの黒目は濡れているように見え、そこに小さな光が浮かんでいた。 覆面をしていても、カカシさんが静かに微笑んでいるのがわかった。
カカシさんから目をそらせないまま、自分の胸がしめつけられるのを感じていた。
――私は、カカシさんの事が好きだ。
頭の中ではっきりとそう思った途端に、苦しくてたまらなくなった。詰めていた息をふうと吐き出して、それから、なんとか笑顔をつくった。
「いつも、お世話になっているので……お礼に……」
私は左手に持っていた茶色い紙袋を右手に持ちかえて、カカシさんに差し出した。
「甘い物が苦手だって知っているのに、ごめんなさい。……でも、あんまり甘くない物を選んだので……もし、ご迷惑じゃなかったら、」
カカシさんは私の手を急に掴むと、ぐいと私の身体を片腕で引き寄せた。
抱き締められているのだ、と気づいて、息がとまりそうになった。
掴まれている右手の指先から、カカシさんの体温が伝わってくる。
「……嬉しい」
カカシさんがしずかな声で言った。その息づかいを耳のすぐ側に感じて、頭がぼうっと熱くなった。紙袋ががさりと音をたてて、私は自分の指先から力が抜けたことを知った。カカシさんが私の手ごと、袋の紐を握り直した。
暫くそうして、胸の内に抱き締められていた。自分の心臓の音がうるさくて、耳のすぐ側で鳴っているように感じられた。
ゆっくりと身体が離れて、私はカカシさんの顔を見上げた。 カカシさんの両目には温かな光が宿っている。 「開けてみてもいい?」と彼は言った。
いつの間にか、カカシさんの手にわたっていた紙袋を見て、はい、と私は頷いた。まだ動悸がおさまらず、沸騰しそうに顔が熱かった。
カカシさんは紙袋の中から、ダークブラウンの貼箱をとりだした。光沢のある深紅のリボンがかけられている。 机の上に箱を置いて、カカシさんがリボンを引くのを隣で見ていた。
「あの、お酒をよく飲まれるって前におっしゃってたので、それで……」 「へー……大吟醸のチョコレートなんてあるんだ」
箱の内側の説明書きを見て、カカシさんが言う。 一風変わったチョコレートの詰め合わせで、お酒を使った物の他に、ゆずの酸味がきいたガナッシュや、山椒をきかせた抹茶のトリュフ、焙じ茶の茶葉を使ったものなど、自分でも食べたくなってしまうようなものばかりが入っている。
紙蓋をとりのぞき、中に並ぶショコラを見たカカシさんは、「綺麗だね」と目を細めて笑った。 その横顔がとても嬉しそうだったので、私はほっとして、喜んで貰えて良かった、と胸の中が温かくなった。
「オレのには、ハート型のは無いの?」 「えっ……」 「何てね……。ま、形は重要じゃないからいいよ」
カカシさんはにやりと微笑んで、私を見た。
「どうみてもこれって本命「ああああの、早速食べてみてください」」
私が慌てて遮ると、カカシさんはふっと笑ってから、「ハルが食べさせて」ととんでもないことを言い出した。
「えっ、な、何で……」 「ほら、あーん」
覆面を下げたカカシさんが、小さく口を開けている。 私が固まっていると、焦れたように私の手を掴み、「お酒のヤツで」と私の指にチョコレートを握らせた。
「ん……」
ん、じゃないですよ!と思いつつも、促されるまま、カカシさんの唇にチョコを近づける。 ぱくり、と形の良い唇が私の指からチョコを奪い取った。 少しだけ指先に唇が触れて、濡れた感触に、どうしようもなく胸がときめいた。
「甘い……」 「やっぱり甘かったですか?」 「ハルも食べてみる?」
え、と思っているうちにカカシさんの顔が近づいてきて、私の唇を塞いでしまった。 ぴったりと隙間無く合わさったと思うと、ぺろりと唇の表面を舌でなぞられる。
「……んっ」
舌が唇を割って奥に侵入してきて、信じられず目を見開く私と対照的に、カカシさんは両目を瞑っている。
長い銀色の睫毛と左目の傷にみとれながら、私はただ呆然と彼の舌を受け入れていた。 口の中にチョコレートの甘さとアルコールの香りがひろがり、くらくらして、夢か現かわからなくなる。
やがてそっとカカシさんの顔が離れていった。
「甘かった?」 「……」
何も答えられずにいる私を見て、彼はふっと微笑んだ。
「ついに手ー出しちゃったな……」
弓なりに細められた目。 薄い唇の端の小さな黒子。
「もっとしてもいい?」
カカシさんの唇が動くのを、夢のような気持ちで見ていた。
私が言葉を発しようとした時、廊下の外で、『六代目!』とカカシさんを呼ぶ声がした。
カカシさんは不機嫌そうに眉をしかめて、 「……ごめんね、続きはまた明日」と言うと、私から身体を離した。
『カカシさん!いないんですか!』 「あーはいはい、いますよ。全くあいつは本当に間が悪い……」
扉の外にいるのは誰だろう。私はなんとか自分の荷物を拾って、カカシさんに頭を下げ、部屋を出て行こうとした。ら、後ろからまた体を引っ張られ、抱き寄せられていた。
「チョコレートのお返し、早めにあげてもいい?」 「……え」 「明日の夜、暇かな?」 「……はい」
耳元を擽る声に陶然としたまま応える。カカシさんは満足そうな声で「明日はオシャレして来てね」と囁いた。
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