雪と鹿と桜

真っ白な雪山にさっくりとスコップを突き立てる。
『腕の力だけでなく、足や腰の力もつかうように』
さっきイルカさんが言っていた言葉を思い出しながら、なるべく全身の力を使ってスコップにのせた雪を持ち上げる。
「よいしょっ!」
かけ声と共に雪を放り、ふー、と息をついた。
ものすごく寒かったので、かなり重ね着をしたのだけれど、こうして動いていると身体がぽかぽか熱くなってくる。

「こんな事もしてんのか」

背後から声を掛けられて振り向くと、忍専用の防寒具を羽織ったシカマルくんが立っていた。

「シカマルくんおつかれー」
「おう。……アカデミー生に混じってやってんの?」
「うん。イルカさんに声かけられて、毎年やってるんだよねー」

毎年恒例アカデミーの建物まわりの雪かきは、アカデミーの教員と忍のたまご達、そしてアカデミーで働く職員達が総出で行う事になっていた。木ノ葉隠れの里は一年通して、比較的、他の国よりも温暖な気候らしいのだけれど、冬になれば、雪は毎年必ず積もる。
雪国というわけでもないので、年間でも数日の事なのだけれど。
だからこそ、この雪かきは、非日常的な気分が味わえるので、私は結構好きなのだ。

「カカシ先生の許可とってるのかよ?」
シカマルくんがぼりぼりと頬をかきながら、ちょっと面倒くさそうに聞いてくる。
「えっ……とってますとも……」
答える声が小さくなるのは……私がここにいることを、カカシさんがすんなり許可してくださった訳ではないからなのだ。






『カカシさん、雪ですね』
『そうだね』
午前中はまだ窓の外を粉雪が舞っていた。私は恐る恐る執務机に向かうカカシさんの横にたち、話しかけた。
『実はですね、今朝、イルカさんに……』
『雪かき?』
『あっ……カカシさんにもお話いってましたか?』
『いや。オレに直接話は来てないけど』
カカシさんの声が急に不機嫌な色を帯びる。
『う……そうなんですか』
『……何。ハルも雪かきしろって?』
『いや、しろって言われたわけじゃあ……』
『じゃあやらなくて良いよ。疲れるでしょ、雪かき。寒いし』
カカシさんは私の淹れたコーヒーを一口啜った。
『でも……午後とか暇になるかなって……お昼ご飯はちゃんとつくりますから』
『……やりたいの?』
『……はい。ダメですか?』

カカシさんは少し黙ったあと、渋々、と言った表情で、
『……ダメって事はないけど。ちゃんと暖かくして外行くんだよ』と言った。
私は嬉しくなって、つい顔が笑ってしまった。
『腰とか気をつけなよ』
いきなりカカシさんの手が私の腰をぽんと叩く。
『ひゃっ……』
『ハルはちょっと抜けてるんだからさ』
『えっ!?』
カカシさんの前で大きな仕事上のミスはしていないはず。真っ青になっていると、カカシさんはふっと笑った。
『仕事は真面目だけどね』
『……仕事以外で私、何かやらかしましたっけ?』
『やらかしちゃいないけど、オレからしたら……』
カカシさんはにこっと目を細めたかと思うと、急に私の腰を両側からぎゅっと掴んだ。
『ぎゃー!!』
『ホント隙だらけだねー』
『な、な、なにしてるんですか!!』
『んー、サイズチェック?』
『やめてください!!』
『変化無しみたいで安心したよ』
『なっ……カカシさんの馬鹿!!!!変態!!!デリカシーゼロ!!!』
私がカカシさんの胸をぼかぼか叩くと、カカシさんは楽しそうに笑った。


カカシさんは火影様で、男らしくて、知的で、柔らかな物腰で、……彼に魅力を感じるなと言う方が無理だ。無理だけれど。

唯一惜しい点は、カカシさんは全く紳士的では無い!





このストールを買ってくれた頃は、カカシさんのこと紳士的な人だと思ってたんだけどな。私はピンクラベンダーのストールを僅かに緩めた。シカマルくんがちょっと半目になりながら、「オレに選ばせた方は全然してきてねーな……」と呟く。

「あっちはね、お休みの日とかに着けてるよ」
「へー……」
「色が華やかだからお出かけの時にぴったりなんだよね。友達にもセンス良いって、結構褒められるんだ。さすがシカマルくんのチョイスだよ!」
「あーそう……」

面倒くさそうにいいつつも、シカマルくんは頬をかきながら、ちょっと照れている様子だった。あぁ、二十歳男子は可愛いなあ。

「シカマルくんは今から報告?」
「いや、もう行ってきた。カカシ先生不機嫌だったぞ」
「えっ、何かあったのかな?」
「……はぁ、めんどくせー」

シカマルくんは頭を掻きながら、「つーかお前、もう何時間やってんの?」と急に話を変えた。

「え?……二時間ぐらいかな」
腕時計を見ながら答えると、シカマルくんはぎょっとした顔をする。
「体力ありすぎじゃねー?」
「集中すると一気にやりたくなるタイプなんだよね」
さすがに足腰痛くなってきたけど。
「もう雪も大分片付いてきてるみたいだし、休憩しねえ?」
シカマルくんはそう言うと、自販機のある方を指さした。
「あ、なんか飲み物奢って欲しいの?……仕方ないなあ、たまにはお姉さんが奢ってあげよう」
「は?ンな事言ってねーだろ」
奢ると言ってるのに可愛くないなあ、と思いながら、私はシカマルくんの誘いに乗ることにして、スコップを雪山にたてかけた。


空は穏やかに晴れている。昨日の夕方に降り始めた雪は、今朝通勤する時も少しだけ降っていた。予報通り、午前中にはすっかり止んで、昼頃には晴れてしまった。絶好の雪かき日和である。

結局、なぜかシカマルくんが私にココアを奢ってくれた。

「え、いいのに!七つも下の子に奢ってもらうなんて……!」
「七歳差ってそんな変わんねーだろ。ハルってちょっと幼いし」
「幼い!?どこが?」
「……鈍いとことか?」

鈍い事と幼い事は何か関連性があるんだろうか。ていうか鈍いって……何で?
色々な思いが渦巻きながらも、シカマルくんが手渡してくれたココアの缶を両手で受け取る。手袋ごしにも温かい。

「女に奢らせる趣味はねぇ」

……あらやだこの子、将来有望だよ。

おばさんの如き感想を抱きつつ、素直に礼を言う。
シカマルくんは温かい焙じ茶を選んでいた。飲み物の好みが渋いなあ。

「座ろうぜ」
「うん」

二人でベンチに腰を下ろす。遠くでアカデミーの子達がはしゃぎながら雪かきをしている声が聞こえてくる。
手袋をはずしてプルタブを引き上げた。一口啜るとココアの甘さが口に広がり、その温かさにほっとした気持ちになる。

「ダイエット順調かよ」
「うっ……」

突然のシカマルくんの攻撃に俯くと、彼が横で吹き出すのが聞こえた。

「でもね、コーヒーの砂糖を抜いてみたり、野菜を多めに食べてみたりはしてるの!」
「昼飯も最近、手料理作ってるらしいしな」
「あ、うん……。カカシさんに聞いたの?」
「自慢された」

自慢って。……カカシさん本当に喜んでくれてたんだな。頬がほんのり熱くなる。

「お昼は、カカシさんの好きそうな物を作りたいなと思ってて……あんまりカロリーとかは考えてないかも」
「なんだっけ、作ってあげたい彼ごは「わー!!」」

何でそれを!?驚いてシカマルくんの顔を穴があくほど見つめる。シカマルくんは少年のように笑いながら、「この前本屋で立ち読みしてただろ。で、買ってったから」と衝撃的な事を言った。

「見てたの!?声かけてよ!」
「あんまり真剣だったからよ……」

まだくすくす笑っているシカマルくんに、私は何も言えず、恥ずかしくて身体がかぁっと熱くなるのを感じていた。

「カカシ先生と何かあったのか」

だから突然そう聞かれて、私はココアを吹き出しそうになった。

「何かって……?」
「お前を一楽に誘ったら断られたって、あの人凹んでたから」

カカシさんに一楽に誘われたのは一昨日の事だ。
仕事を終えて帰ろうとしたら、カカシさんが立ち上がって大きく伸びをして、
『オレもたまには一楽にでも行こうかな。ハルも行く?』と突然誘ってくださったのだ。

『えっ……行きた……あっ……!』
『あ……?』
『行きたいんですけど……すいません、今日は用事が……』
『……そう』

残念そうにしているカカシさんに、胸がちくりと痛んだ。
けれど、何でカカシさんは落ち込んでいたんだろう。
私の嘘、ばればれだったって事?

「何で断ったんだ?」
「何でって……用事があったからだよ」
「お前、嘘つくとき目が泳ぐよな」
「え!?」
「カカシ先生傷ついてたぜ」
「うそ……!」

青ざめる私を、シカマルくんが呆れたように見つめている。それから、彼はゆっくりと焙じ茶を一口飲んだ。

「で、何でなんだよ。先生の事さけてんのか?最近態度おかしくね?」
「そんな……おかしいなんて事は……」

シカマルくんは黙って、切れ長の瞳で私の事をじっと見つめてくる。
……彼を前に、嘘はつけなそうだ。

「だって……麺類を啜るなんて」
「……は?」
「カカシさんの前でラーメンを啜るなんて……!無理……!!」
「はあ?」

呆けているシカマルくん。聡明なはずの彼にも、この繊細な女心は理解不能なのだろうか。

「恥ずかしいんだもん……」
「……そういうもん?」

シカマルくんはちょっと溜息をついて、「オレの前ではがんがん啜ってんじゃねーか」と呟いた。

「シカマルくんはいいの。弟みたいなもんだし」
「オレはアンタを姉だと思ったことは無いけどな」
「……」

むっとしていると、シカマルくんはまた焙じ茶を一口飲んだ。突き出た喉仏が上下するのを何となく見てしまう。それから、カカシさんがコーヒーを飲む横顔を思い出して、私ははぁと溜息をついた。

「憧れの人の前でラーメンなんて食べらんないよ」
「……憧れなのか?」
「え?」
「好きなのかと思ってたけど」
「はっ……!?」

自分の顔が一気に熱くなるのがわかった。シカマルくんは私をみて、くすくすと笑っている。

「あんたってほんとわかりやすいな」
「ちがっ……違うよ!?」
「……違ぇの?」

急にシカマルくんが笑みを消したから、つられて私も真顔になった。
細い眉がキリッと上がっている。やはり彼はなかなかの男前だな、なんて事を考えてしまう。
私が二十歳の時、まわりにこんな男の子はいただろうか。
ナルトと話して笑っている姿はまだ、少年みたいだと思うこともあるのに、こうして向かい合って見つめられると、やっぱり彼はもう青年真っ只中だし、男らしい顔立ちをしている事に気づく。

「……違うよ。カカシさんには憧れてるし、尊敬もしてるけど……好きとか、そういうのじゃ」
「……ふーん」

シカマルくんは何か考えるような目をしている。私はそっと視線を外した。

「だいたいさ、カカシさんって七歳も上だし……」
「七歳上は対象外なんだ?」
「いや、私にとってじゃなくて……カカシさんからしたら、私なんて年下すぎるって意味」
「……さっきも言ったけどさ。七歳差ってそんな変わんなくねえ?」

また顔を上げると、シカマルくんはじっと私の事を見つめていた。

……あれ、なんか、顔が近い。

近くであらためてシカマルくんの顔を見ると、彼の知的な目元は結構、セクシーかもしれない、と気づいてしまう。……女の子に、もてるんだろうな。

急にシカマルくんの両手が、私のほっぺを摘まんだ。

「ひゃっ!?いひゃい……」
「あんたマジでぼーっとしてるよな」
「ひゃめてよっ」
「くくく……」

シカマルくんの腕を掴んで離させる。

「隙ありすぎじゃねー?」
「……あ、なんかそれ、さっきカカシさんにも同じようなことを言われた」
「……あの人も苦労してんな」

何なんだろう。もう。
ぬるくなったココアを飲み干して、空き缶をカゴに投げ入れた。



シカマルくんと別れてから、雪かきを再開して、一時間もしないうちに自分の持ち場は綺麗に片付いてしまった。
ああつかれた。けど、やりきった感があって気持ちが良い。
雪かきとか、書類の整理とか、目に見えて成果がわかるものは好きなのだ。労働したって感じがするし。

スコップを片付けるべく、用具入れの方へ歩いて行った。日陰に入るとやっぱり、日なたに居るときよりも寒く感じる。ぞくりと寒気が背筋を走った。
執務室に戻ったら、熱いコーヒーを淹れて飲もう。カカシさんの分ももちろん淹れるつもりだ。
『コーヒーならいつも、ハルに美味しいの淹れて貰ってるからいいよ』
パンケーキ屋さんでカカシさんに言って貰った言葉を思い出す。
あの時の笑顔を思い出すだけで、胸がきゅんとしてしまう。

……だめだめ、ブレーキかけるんだってば。

ああもう、意志が弱いな私って。そんな事を考えながら早足に歩いていた結果、足下に凍った箇所があることに気づかなかったらしい。ずるっとかかとが滑ったかと思うと、あっと思う間もなく私は地面に尻餅をついていた。
「うっ……!」
じーんと腰まで痺れるような痛みが走る。痛すぎて声も出ない。涙がじわっとにじんで、それでもひとけの無いところで転んで良かった、こんな間抜けな姿ぜったい誰にも見られたくない、と思っていると、

「ハルっ!」

今一番聞きたくない人の声がした。

「え、カカシさん……」

恥ずかしくて身体中が熱くなる。地面に座り込んだまま、声がしたほうに顔を向けると、カカシさんが険しい顔でこちらへ向かって歩いてくる。シカマルくんも着ていた忍用の防寒具を身に纏うその姿は、額あてこそしていないものの、彼が上忍だった頃の姿を思い出させた。

それにしても、すてーんと転んだ間抜けな姿を、どうして一番見られたくない人に見られてしまうんだろう。神様を恨まずにはいられない。

「大丈夫か……?」
「あ、あはは……大丈夫です」
「まったく、気をつけなさいよ」

カカシさんは呆れたように溜息を付くと、しゃがみこんで私の手首をとった。

「ひねったりしてない?」
「はい、多分……」

カカシさんの大きな手が、私の腕や足に、点検するみたいに触れていく。分厚い洋服越しとはいえ、こうあちこち触られてしまうと、どきどきしてしまう。

「カカシさん……大丈夫ですって」
「立てるか?」

そう言ってカカシさんは、私の手をとったまま立ち上がった。上から見下ろされて、私は呆然とカカシさんの顔を見つめた。

「……ハル?」
「あ、はい……!」

固まってしまったのは、その角度にあまりにも覚えがあったからだ。
あの日、地面にしゃがみこんでいた私に向かって、安心させるように微笑んでくれたカカシさんの事を思い出す。

カカシさんの瞳が心配げに曇ったので、私はあわてて腰を浮かした。
……びきっと鋭い痛みが走って、またしゃがみこんでしまう。

「いったー……」
「あー、腰やっちゃったか」
「……そうみたいです」

涙目になりながら、すみません寄りかかっていいですか、と言いかけたら、カカシさんがふいにしゃがんで、私の腰と膝の裏に腕を回した。

「え、え……!」

そのままふわりと持ち上げられてしまう。
これはもしかして、もしかしなくても、お姫様抱っこというやつでは……!?

「わ、あ、あの、カカシさん……!」
「医務室で診て貰おう」
「あの、自分で歩きますから!」
「何強がってんの。立てもしないのに」
「……」

私の言葉を無視して、カカシさんはスタスタと歩き始めてしまう。
私の事なんて持ち上げてないみたいに軽々と。

自分の手をどうしたらいいのかわからず、お腹の前で組んでいると、カカシさんが「よっと……」と声を出しながら私の事を抱え直した。

「わっ……」
「オレの首に手を回しなよ」
「え……でも……」
「安定しないでしょ」

ちょっと不機嫌そうな声で言われて、私はおずおずとカカシさんの首の後ろに右手を回した。身体が密着して、ものすごく恥ずかしい。

「そう。……いい子」

とんでもなく優しい声が頭のすぐ横で聞こえる。けれど、恥ずかしくてとても、カカシさんの顔を見られない。

「あの……何で外に?」
「なかなか帰ってこないから、様子見に来たんだよ」
「え、私の様子をですか?」
「お前以外に誰がいるっていうの?」

心臓がどきどきして、息をするのも苦しい。
カカシさんは、こんな近い距離でもなんとも無いんだろうか。

もちろん、なんとも無いにきまっているけれど。
だってカカシさんは親切でこうしてくれているだけで、相手が私じゃなくたって……誰が転んでも、こんな風に、運んでくれるに違いないのだから。

暫く無言で運ばれていき、やがて医務室の扉が見えた。

「このまま入るんですか?」
「このまま入るしか無いでしょ」

何言ってるの?とでも言わんばかりの声色だ。

カカシさんは私を抱えたまま、器用にドアをノックして開けた。一瞬、身体がカカシさんの胸に凭れるような形になって、また恥ずかしさの波がきて、私はきゅっと目を瞑った。

「カカシ先生……ハルさん!どうしたんですか?」

サクラちゃんの声がする。自分の顔が真っ赤になっている事はわかっていたけれど、なんとか視線をむけると、サクラちゃんはエメラルドグリーンの瞳を大きく開けて驚いた表情をしていた。

「あはは……転んで腰をやっちゃいまして……」
「大変!すぐに冷やさないと」

カカシさんが私をベッドに横たえてくれた。下ろされるときにも腰に痛みが走った。サクラちゃんが走り戻ってくる。上着を脱がされて、氷嚢を腰に当てられた。きんと冷たくて眉間に皺がよる。ふわりと上から毛布がかけられた。

「……じゃ、サクラ、頼んだよ」
「はい。……って、カカシ先生もう行っちゃうの?」
「仕事ほっぽってきちゃったからね。……でも、後で迎えに来るよ」
「そうしてもらった方が良さそうですね。ハルさんこの分じゃ歩けないだろうから、お家まで連れてってあげてください」

そんな、火影様に送って貰うなんて、とんでもない!

「カカシさん、私は大丈夫ですから」

「「大丈夫じゃないでしょ!」ですよ!」」

カカシさんとサクラちゃんの声がぴったりハモる。流石、元上司と教え子だ。

「……とりあえず、ちょっとやりかけの仕事だけ片付けてくるから、休んでて」
「……」
「ハルさん、甘えた方が良いですよ。無理したら治りが悪くなります」
「……ごめんなさい」

項垂れていると、カカシさんがぽんぽんと私の頭を撫でた。

「じゃ、後でね」

泣きそうになりながらカカシさんの顔を見たら、すごく優しい顔をしていた。
一瞬言葉が出なくなる。


カーテンの向こうで、サクラちゃんとカカシさんが二言三言、何か話している声が聞こえたけれど、やがてドアが開く音がして、カカシさんの出て行く気配がした。

少しして、サクラちゃんがカーテンの隙間から顔を覗かせた。

「ハルさん、何だか久しぶりですね」
「そうだね。……久しぶりなのに情けないよ」
「外、あちこち凍ってましたもんね。今日だけで転んでケガした人を診るのは十一人目ですよ」
「ええ、そんなに……!?」

サクラちゃんは笑いながら、私の腰に手をあてる。
手のひらから、なんとも形容しがたい不思議な力が身体に入ってくるのがわかった。激しい痛みが少しずつ和らいでいく。

「すごい……さすが医療忍者だね」
「これでも綱手様の弟子ですからね」



暫くそうして治療をしてもらった。
「はい、これでさっきより大分楽になったはずですよ」
本当に、痛みがかなり和らいだような気がする。寝返りを打って仰向けになると、私を見下ろして微笑むサクラちゃんは、すっかり大人の女性の表情をしていた。私は彼女が少女らしい少女だった頃の事も知っているので、何だか感慨深い気持ちになった。

「そりゃあ、年もとるよね……」
「何言ってるんですか。ハルさんまだまだ若いじゃないですか!」
「七つ下の女の子に言われてもなぁ……」
サクラちゃんは目を丸くして、それから急ににやりと微笑んだ。
「だって二十七歳って女盛りでしょう?」
「女盛りって……何言ってるのかねこの子は……」
最近の若い子は、という口調で言ってしまう自分が嫌になっていると、サクラちゃんは
「カカシ先生とどうなんですか?付き合ってるんですよね?」と、とんでもない爆弾をぶっこんできた。
「え、ええ!?」
「もう、里中噂で持ちきりですよ。カカシ先生がぞっこんになってる女性を事務官として側に置いているって」

ぞっこんって……。言葉のセンスがいちいち古めかしいのが気にかかる。
っていうかそれよりも。

「何その恐ろしい噂……出所はどこなの?」
「出所も何も、カカシ先生自身がよくのろけてきますもん」
「のろけ……えっ!?」
「……ハルさんのその反応……もしかして……」

サクラちゃんはすっと息を吸い込み、真剣な表情をした。

「カカシ先生の片想いなんですか……!?」
「……あの、サクラちゃん?とんでもない勘違いをしてると思うよ」

どこからどう誤解を解いたらいいんだろう。
パニックになっている私の前で、サクラちゃんは考え込むように黙っている。

「んー……カカシ先生って昔から何考えてるのかわからないところあったけど」
「……?」
「やっぱりかなり、拗らせてるのかしら」

何とかしてあげないと……まったくカカシ先生ったら……と、サクラちゃんがぶつぶつ言っている。

「ハルさんっ……!」
「はい……!」

勢いに驚いて身体を起こしたら、また腰に小さく痛みが走った。

「ああ、無理しないで寝ててください」
「うん。ごめんね」
「……で、ハルさん」
「何?」
「カカシ先生の事どう思ってるんです?」
「えっ……」

今日は一体どうして、こんなに問い詰められているんだろう。
シカマルくんといいサクラちゃんといい。

何と答えようか、まごついていると、サクラちゃんがその綺麗なお顔をぐいっと近づけてきた。
なぜみんなそんなに私に顔を近づけるの!?

「好きなんですか?」
「な、なんでそう思うの?」
「好きじゃないの?」
「いや、好きじゃないってわけじゃ……」
「……脈ありかしら」
「サクラちゃん、さっきから何を言って……」
「カカシ先生ってちょっと何考えてるのかわからないし、ヘタレっぽいところもありますけど、優しい人だし、なんたって火影だし、顔も隠してるけど多分良いほうなんじゃないかと思います。優良物件ですよ、ハルさん」
「あ、あの、先生の事をそんな風に言っちゃ……」

言いながらも、サクラちゃんはカカシさんの素顔を知らないんだなぁ、と意外な気持ちになった。顔は良いどころでは無くて、かなりのイケメンなんだけど……教え子には秘密なんだろうか。

「私達七班はカカシ先生の事、先生としての一面しか知らないんですけどね……」

サクラちゃんは不意に懐かしそうな表情をした。

「でも、先生はとても優しい人だし……自分を犠牲にしてでも仲間を守ってくれるような人だから。教え子の一意見としては、同じように優しくて、暖かい人に、カカシ先生の側にいてあげてほしいなあって思うんですよね」
「……サクラちゃんは、カカシさんの事を慕ってるんだね」
「私も、ナルトも。……サスケくんだって。カカシ先生には感謝してるんですよ。私達のこと、ずっと見守ってくれてたし。幸せになってほしいんです」
「そうなんだ……」

教え子に慕われているカカシさんの事を思うと、顔がほころんだ。

「あ、その笑顔」
「……え?」
「ハルさんの、その顔に癒やされるんだって、カカシ先生言ってました」
「……ええ!?」

サクラちゃんはにこっと微笑むと、「先生来るまで、寝て休んでください」とだけ言い残して、カーテンの向こうに去って行ってしまった。
ふわりと桜の花の匂いが香ったような気がした。

私は彼女みたいにもう若くもないし、美人でも可愛くもないから、……カカシさんの事を好きになんてなれないのに。

『七歳差ってそんな変わんなくねえ?』

シカマルくんの言葉を思い出しながら、私は目を瞑った。
……気になるのは、年齢だけじゃなくて……。

カカシさんに抱きあげられたさっきの事を思ってまた、胸の奥がかすかに痛んで、
あの逞しい腕の強さと、優しい声を思い出して、私はうとうとと意識を手放した。

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