あれからまた季節は一回りして、今年も夏が近づいている。無くなってしまった青いグラスの代わりに、カカシは新しく緑色のグラスを買った。あたしは相変わらずオレンジのやつを使っている。二つともに、よく冷えた麦茶を注いで、並んで座って休日の昼下がりを過ごしていた。

葬式まで行われた行方不明のあたしが五体満足に帰ってきたことで、綱手様をはじめ里の皆には、驚きと喜びで迎えて貰ったけれど、同時に、皆から滅茶苦茶に怒られた。あたしは何にも悪いことしてないのにな。でも、方々に多大なる心配とご迷惑をおかけしたのは事実なので、とにかく謝ってまわった。

行方不明の間、あたしがどうしてたかって事は、もちろん正直に全部話した。けれど、なにぶん前例が無い事だし、あたし自身、なんであんなことになってたのか良くわかっていないので、皆が信じてくれているかどうかはわからない。ただ、あたしが元に戻る瞬間を目撃したカカシだけは、あたしの話を全部信じてくれているみたいだ。

カカシと再会したばかりの時、(あたしにしてみれば毎日カカシの事を一方的に見ていたのだけれど)カカシはすっかりやつれてしまっていた。任務も長い間休んでいたらしい。けれど、あたしが戻ってきてから、カカシの体調はそう時間がかからずに良くなった。今ではすっかり元通り、上忍として任務を熟す日々である。あたしは、カカシよりも早く任務に復帰した。けれど、あれから単独任務は受けていない。一度行方不明になったあたしにはもう、単独任務は任せられないという上の判断もあるんだろうけれど、カカシからも一人で任務に出るなときつく言われていた。というか、単独じゃ無かろうが、里外の任務に出ることを、カカシはあまりよく思っていないみたいだ。けれど、あたしだって生活のためには働かないとなので、任務に出る時はその内容と場所を可能な限り全部、カカシに報告するという条件で、あたしは忍の仕事を続けている。

口げんかは大分減ったし、もし喧嘩になっても、その日のうちに必ず仲直りをするようになった。お互いに、あの時の事は深く反省しているのである。忍の世界は常に死と隣り合わせで、昨日まで笑い合っていた仲間と、いつ二度と会えなくなるかもわからない。その事をあたしはわかっていたようで、全然わかっていなかったみたいだ。特に、昔からずっと家族みたいに側に居るカカシには、何を言ってもまた仲直りできるって、甘えてしまっていたんだと思う。

麦茶を飲みつつ、文庫本に目を落としているカカシの横で、あたしも雑誌を読んでいる。窓を開けっぱなしにしているけれど、部屋はうだるように暑い。強い日差しの中、出かける気にもなれないけれど、お腹がすいた。用意するの、めんどいな…。

「カカシー…お腹空いたね」
「んー…そうだね」
「……」
「……」
「あー、お腹空いたー」
「……」
「だるいなー動きたくないなー」
「はー……わかったよ」

文庫本を閉じて立ち上がったカカシに、期待を込めた眼差しを向ける。

「チャーハンでいい?」
「うん!カカシ大好き!」
「はいはい……」

カカシは面倒くさそうに言いながらも、台所へ向かった。時々カカシが作ってくれるチャーハンは、パラパラしていてものすごく美味しいのである。考えただけで涎がでそう…。
夕飯はあたしが作ろう。でも、その前に一緒に買い物に行かないと、もう材料がほとんど無いな。

カカシは相変わらず言葉少なで、「大好き」も「愛してる」も滅多に言わないけれど、あのグラス事件があってから、あたしはカカシの気持ちを一切疑わなくなった。あたしが居なくなって、あんなにやつれて泣いてたカカシの事は、忘れたくても忘れられない。もう二度と、カカシの事を傷つけたくないし、一人にするようなことはしたくない。それに今はもう、甘い言葉が無くたってカカシの態度から十分、あたしは愛されてるって事を実感できている毎日だ。

例えば。

「ね、カカシ、あたしの事見過ぎじゃ無い?」
「そう?」

カカシはとぼけているけれど、良くあたしの事をじっと見つめている事がある。例えばご飯を食べているとき、例えば朝目が覚めたとき。今も、チャーハンを食べるあたしのことを、カカシはじっと凝視していた。

「そんなにあたしって、じっと見ていたくなる顔してるの?」
自分がそんなに美人じゃ無い事は十分承知しているけどね。でも、あたしって愛されてるなぁ、と、ふふんと笑うと。
「だって面白いんだもん」
カカシにくすくす笑われた。
「面白いって何よ……」
「面白いよ。お前見てるとまったく飽きない」
カカシが優しい顔で笑うから、あたしは何も言えなくなる。愛されてるなぁ、っていうのは、多分うぬぼれじゃないと思う。


ご飯を食べ終えて、あたしが食器を洗って、部屋に戻るとカカシはまたソファにもたれて本を読んでいた。あたしは満腹で雑誌をめくる気分になれなかったので、絨毯の上に座ってふう、と一息ついた。正午よりは日差しも和らいだだろうか。あとで外に散歩にでも行きたいと、カカシを誘おうと思っていると、カカシがふいにこっちへきて、隣に座った。

「どしたの?」
「ん……別に」

そう言いながら、カカシはあたしにもたれてきた。なんだか、飼い犬がすりよってくるみたいな態度でかわいい。黙ってじっとしているカカシの頭を撫でてみる。見た目よりもふわっとした髪の感触が気持ちいい。大人しく目を閉じているカカシは、安心しきった表情をしている。カカシのこんな姿が見られるのはあたしだけ…と思うと、密かに独占欲が満たされて、幸せな気持ちになる。

「カカシー、眠たいの?」
「んー……」
「寝る?」
「いや、寝ないよ」

両目がすっと開いて、深い色の瞳にみとれていると、不意にちゅっとキスをされた。いつまでたっても、カカシにキスをされるとドキドキする。そう言ったら、彼は笑うだろうか。そのまま、何度も軽い口づけをされた。柔らかい唇と舌を感じながら、あたしは目を閉じた。ぎゅっと優しく抱き締められて、お互いの心音を聞いていると、とても心が落ち着いた。言葉なんて無くても、カカシの気持ちが伝わってくる。一緒に居るだけで幸せだって、きっとカカシも思ってくれている。



食後のお腹も落ち着いて、カカシと二人外に出た。特に行く当ては無いけれど、お散歩するのに心地よい程度に、日差しは和らいでいる。ケヤキの緑の下を、手を繋いで並んで歩いた。子ども達が蝶を追いかけて、目の前を駆けていく。一人の子が石につまずいて転んで、「あっ…」と声を出していると、その子のお兄ちゃんと思われる子が、泣き出した弟を慰めていた。

「碧は子どもは何人ほしい?」
「へ……?」

突然話をふられて、どきりとする。カカシは最近よく、未来の話をする。こんな家に住みたいね、とか、いつか長い休みを取って二人で旅行に行きたいね、とか。カカシの語る未来に、当たり前にあたしがいるのは嬉しい。でも、子どもの話をされたのは初めてだ。まだ結婚の話もしていないのに。

「うーん、二人はいると、いいよね」

あたしは一人っ子だったから、兄弟がいる子が羨ましかった。カカシも笑って頷いた。

「そうだね、オレも兄弟がいたほうがいいと思う」

なんだかこそばゆくなって、カカシの手をきゅっと握る。子どもの話をするって事は、つまり、そういう事?こういう時ばかりは、はっきりした言葉を言わないカカシの事が恨めしくなる。むくれているあたしに気づかないのか、カカシはまだ、遊んでいる子ども達をじっと眺めていた。

夕飯の買い物をして帰って、今度はあたしが料理をつくるよ、と台所に立ったのだけれど、カカシは料理するあたしに後ろから、なにかと話しかけていた。部屋で待ってれば?と言ったけどはぐらかす。
あの青いグラスの一件があってから、カカシはあたしと一緒に居るときは、べったり側に居たがった。そんなカカシがかわいいな、とも思うけれど、やっぱりまだあの件がトラウマになっているんだろうか、とちょっと心配にもなる。

「あ、そういえばさ。あたし来週の日曜、任務入っちゃいそうなんだよね」
「ふーん……」
「ごめんね、記念日なのに」

年に一度ずつのお互いの誕生日と、あたしたちが付き合った記念日だけは、一緒に祝うようにしていた。カカシは意外とイベントごとを大事にするタイプで、でも、去年の記念日は、あたしがグラスになっちゃってたので祝えていなかった。今年は一緒に過ごそうと思ってたんだけど、同僚に急用が入ったとかで、どうしてもと頼み込まれて、代打を了承してしまったのである。振り向くと、カカシはちょっとすねた表情をしていた。怒ってはいないけれど、ちょっぴりいじけているみたい。

「でも、午前中で終わりそうだからさ、午後からは一緒に過ごそう?その日、カカシんちに泊まってってもいい?」
「……もちろん」

あ、もう嬉しそうな顔をしている。案外わかりやすく、ご機嫌になるカカシがかわいいな、と思った。カカシは感情が表情に出やすいから、普段覆面をしているのかもしれない。



「ねぇ碧。お前、アカデミーで事務でもしたら?」
「何よ突然……」

鰺の塩焼きを箸でつつきながら、カカシが言った。カカシはやっぱり、あたしが里の外に出る任務を良く思ってないみたいだ。

「努力して上忍になったんだし、内勤は無いでしょ」
「……」
「それにあたし、事務なんて、細かい作業は向いてないよー」
「たしかに。お前ってじっと座ってられるタイプじゃないもんね」
「そうそう……」
「でも、妊娠でもしたらさ。休むか内勤で働くかしかないわけだし、今から慣れとけば?」
「えっ……」
「子ども出来たら、オレは家に居てほしいけど。家でじっとしてるのも性に合わないでしょ?」

カカシはあたしの性格がよくわかっているなぁ。休みの日だって出来れば少しでも外に出かけたいってくらい、家でじっとしているのが嫌いなあたしが、妊婦になったからって仕事をとりあげられたら、暇すぎておかしくなっちゃいそうだもんね。体調の許す限りは働いて、誰かと喋ってたい。……って、そーじゃなくて。

「あのさ、カカシ……」
「ん?」
「……いや、やっぱなんでもない」

カカシはあたしと結婚するつもりなの?と聞いたら、そのまま「うん」と言われて終わりそうだ。……あたしはこんな年でおかしいかもしれないけど実はロマンチストなので、その、ちゃんとプロポーズとかをしてほしいわけで。でも、甘い言葉を普段から言わないカカシに、期待するのは無駄かなぁ。

「アカデミーの事務と言えばさぁ、イルカさんみたいに、先生やりながら事務的なことをやってる人もいるよね」
「ああ、そうだね」
「あたしアカデミーの先生とかなら向いてるかも!上忍師の話も一回出てたんだけど、何故かグラスになっちゃったせいで立ち消えたんだよね」
「へー……」
「イルカさんに聞いてみようかなー」
「お前、イルカ先生と仲良かったっけ?」
「うん、たまに何人かでランチに行くぐらい?」
「……」

カカシが途端に不機嫌そうになる。あたしは茄子の味噌汁を飲みながら、ちょっぴり居心地が悪くなる。まさかイルカ先生とランチに行く仲ってだけでヤキモチ焼いたりするだろうか。あたしはカカシが紅とランチに行ってもヤキモチやかないけどな。紅とアスマが付き合ってるからかもしれないけれど。

「カカシが心配することは何にもないからね」
「別に…心配してるってわけじゃないけど…」
「もー、素直じゃ無いんだから!」

あたしが笑うと、カカシはばつが悪そうな顔をしている。たまに、カカシは結構独占欲が強いのかも、と思うことがあるけれど、本気で愛されてるからだと思うから、別に嫌じゃない。ちょっとだけ困るけど。


明日は早朝から任務だというカカシだけれど、「碧んちに泊まってもいい?」と言われたので了承した。お風呂に入って早めに二人でベッドに入る。当たり前のように体をまさぐられて、「ちょっとストップ」と言うと「なんで?」と不服そうな顔をされる。

「明日早いんでしょ。もう寝た方が良いよ」
「一汗かいたほうが安眠できるから協力してよ」
「えー……」
「お願い」
言いながらカカシの手の動きは止まる気配が無い。

「抱きたい」

そんなにストレートに言われてしまえば、抵抗する気もなくなってしまう。
付き合ってからもう大分たつのに、未だに会うたびに体を求められる。女として喜ばしいことではあるんだろうけれど、こんなにずっとガツガツしてて、いつもやりたがられると、本当は体目的?なんて思って見たりもして。普段の態度から、ちゃんと愛されてるとは思っているんだけれど。

結局今日も、意識が飛ぶまで何度も喘がされて、沢山キスをされて、首の匂いを嗅がれてしまった。こういう時だけは、「かわいい」とか「きれいだ」とか、カカシは随分と雄弁になる。それが嬉しいような恥ずかしいような、ちょっと憎らしいような。二人で手を繋いで、泥のように眠った。




あたしを起こさないように気を遣ってか、カカシは静かに布団を出て行こうとしたけれど、あたしも忍のはしくれなんで、目が覚めてしまった。
「いってらっしゃい…」
眠たくて朦朧としたまま、小声で声をかけると、
「いってくるよ…」
といって、カカシにちゅっとキスを落とされる。
「愛してる、碧」

なかなか聞けない言葉を、眠たくてたまらない時に言うなんて、カカシはずるい。
「来週の記念日は、オレがプランをたてるから楽しみにしてて」
デートプランを立ててくれるなんて嬉しいなぁ。ふふ、と、にやけているとまたキスが落とされる。
カカシがあたしの左手をつかんで、指のまわりをするりと撫でていった。それが何を意味するのか、あたしが知ったのは一週間後の事である。




end.




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