十数年前の夏 ----------- 太陽が沈みはじめてからどれくらい経っただろう。 草も木も、空に浮かぶ雲も、みんな橙色に輝いている。 うだるような暑さはいつの間にか和らぎ、心地よい風が雑木林を揺らしていた。 蝉の声がどこか物悲しくて、何だか泣いてしまいそうになった。 ごまかすように目を擦りながら、空を見上げていた視線を目の前に戻す。 睨み付けた先には、ごつごつした岩だらけの斜面。 座り込んだあたしの目には、ほとんど垂直に、やたらと高く見える。 ……こんな崖のぼれっこないよ。 助けを呼んで大声を出したりもしたけれど、こんな雑木林の中では人が歩いているほうが珍しい。 呼べども呼べども人は来なかった。 それにしても、なんてドジをしてしまったんだろう。ずきずき、痛む足首をさすりながら、どうしようもなさで涙が浮かんでくる。あたしがこの、落とし穴のような崖の下に落ちてから、もう1時間以上はたっている。 夏の日は長いとはいえ、もうすぐ夜が来てしまうはずだ。こんな場所に座り込んだまま日が暮れてしまったら……、考えただけでぞっとした。 「どうしよう……」 「……ニャー」 呟いた声に返事をするように、足元で猫が鳴いた。まあるいガラス玉のような目があたしを映して、きらきら透き透っている。 ……その、無垢な視線に、我に返る思いがした。 「……そうだよね。泣いてる場合じゃ無いよね」 猫を抱きあげると、まったく抵抗せずに腕の中におさまってくれた。ふさふさの体が温かい。 あたしがこの子を守るんだ、絶対に崖の上まで連れて帰るんだ。そんな使命感がむくむくと沸いてきた。 勢いよく立ち上がれば、ずきん、と足首が悲鳴をあげる。それに気づかないふりをして、一歩、斜面に向かって足を踏み出した。 猫を片手に抱えたまま、斜面にからまる植物の蔦を頼りに、一歩一歩のぼっていく。ごつごつと顔を出している岩が足場になった。頂上まであと少し、なんだけど、蔦に掴まっている右手が段々痺れてくる。ひねってしまったらしい足の痛みも、さっきから増しているような気がする。気を抜けばまた滑り落ちてしまいそう。怖いので下は見ない。 「ニャアア……」 「あと、ちょっと、だからね」 腕の中で、猫が不安げに鳴いた。その声に反応するように、崖の上から別の鳴き声がした。 にゃあ、というよりは、なあなあ、という感じの、人間の赤ちゃんみたいな高い声。ひょいと顔をのぞかせたのは、今あたしが腕に抱えている猫よりも一回り小さい、真っ白な子猫。母親を探しに来たのだとわかった。見覚えのある色のガラス玉がこっちを見ている。 まってて!今お母さんを連れてくからね! そう言葉に出して、伝われば良かったのだけど。母親を見つけた喜びで、甲高く鳴いた子猫は、すぐに飛び掛ってこようと、崖から前足を踏み出した。 「わ、ばか、……きゃあああああッ」 馬鹿なのはあたしだ。咄嗟にふってきた子猫を抱えようと、右手を蔦から離してしまったのだから。 ―――落ちる!! 猫を抱きしめたまま、背中から転落して、来るべき衝撃に体を丸めたその時。 「土遁 土流壁!!」 ふってきた声と共に、どがががが、と大きな音がして。ほとんど落下もせず、すぐに背中に固い地面の感触を感じた。 「った……あれ?」 「あれ?じゃないでしょーよ!!何やってんの、お前!」 声の主を見上げれば、もう、そんなに遠くない崖の上から、不機嫌な顔をした少年がこちらを見下ろしていた。 「か、カカシ……!!」 「お前ね、オレがたまたま通りかかってなかったら、頭から落ちてたんだよ!?」 「こわ、怖かったよおお……」 カカシが助けてくれたんだと解った瞬間、というか、カカシの怒った顔を見た途端に、はりつめてたものが一気に決壊して、あとからあとから涙が出てきた。号泣するあたしの緩んだ腕から、親猫が飛び出して、無事に子猫と再会して、顔を舐めあっていたのだけど、そんな感動のシーンも目にはいらず、あたしは涙もぬぐわないまま泣きつづけた。カカシは、怒るに怒れないといった顔で、呆れたようにあたしを見ていた。 |