帰ってきた日常 ----------- しゃぼん玉がぱちりとはじけたように、日常は唐突に戻ってきた。 洗面所でぱしゃぱしゃ顔を洗って、濡れたままの顔をあげて、目の前の鏡を見る。寝すぎてまぶたが少し腫れぼったくなっているけど、それ以外は見慣れた、いつものあたしの顔だった。 「……元に戻ったんだ」 鏡の中で、まったく同時に唇が動く。まぎれもない14歳の顔。 「晴、いつまで寝ぼけてんの」 「あ、カカシ……」 唐突に声を掛けられて、振り向けば、……あたしの良く知っている14歳のカカシがそこに居た。 「……」 「……何?」 カカシの顔を、思わずじっと見てしまう。いつもどおり、口布はしているけど、額あてはまだ巻いていない。眠そうな目と、左目の痛々しい傷。全然笑わない表情だけが、『カカシ』と違う。 「……何まじまじと人の顔見てんの」 ゆるく喋る口調が、夢の中と重なった。 「何でもない……」 悲しいような寂しいような、何ともいえない気持ちになった。タオルで顔を拭いて、それをごまかす。 あれはただの夢だったんだ。 なのに、どうしてこんなにはっきり覚えているのだろう。いつもなら、目が覚めた瞬間に忘れてしまうのに。 『カカシ』の優しく笑った顔も、低くて穏やかな声も、大きな骨ばった手も。みんな、不思議なほど鮮明に覚えている。 手を繋いだことも、頭を撫でられたことも、抱きしめられたことも、初めてのキスも。 本当に、全部夢だったのかな。 洗面所を出ると、朝食の暖かい匂いが漂ってきた。クシナさんとミナトさんはもう座っていて、あたしを見ると明るく笑って、「おはよう」と言ってくれた。それに返事をしながら席につく。 そうして、ご飯を食べながら笑っているうちに、一瞬感じたうまく言えないざわめきは、どこかへ消えてしまった。 「それじゃあお邪魔しました!」 カカシと並んで靴を履いて、玄関に立つクシナさんにお礼をいった。 「うん、また来てね!って、ここはミナトの家なんだけど」 「……ミナト先生はどうしたんですか?」 カカシがそう聞きながら、廊下の奥を見た。台所の方で、なにやらガタガタと音がしている。クシナさんの話では、ミナトさんは朝から何か探し物をしているらしい。 「新術の実験に使っていた液体が無くなったんだって……そんなもの知らないわよね」 「新術って……時空間忍術ですか?」 クシナさんとカカシが、なにやら難しい術について話し始めた。それをぼんやり聞きながら、あたしは、「日常が戻ってきたんだな」なんて事を思った。 ただ、長い夢を見ていたってだけなのに、大げさかもしれないけど。 外に出ると、透き通るような青空が頭の上に広がっていた。とてもいい天気だ。 少し前をカカシが歩く。 あたしはとろとろ、その後ろをついていく。 「家に帰らないの?」 「んー、ちょっと散歩してから帰ろうかな。カカシは?もう帰るの?」 「帰るよ。任務もあるし」 「ミナトさんも一緒?」 「まさか。火影のあの人が任務に出るわけないでしょ」 「そっか、そうだよね……」 前を向いていたカカシが、急に振り向いた。 「散歩なんかしてないでまっすぐ家に帰れば」 「え?なんで?」 怒ってるのか、無表情なだけなのか、よくわからない目に、真っ直ぐ見つめられる。 「お前、朝から何かおかしいでしょ。ご飯食べながら、何度も箸止まってた」 「あー……昨日暑かったから、寝不足なのかも」 まさか、不思議な夢をみたからなんて、言えなくて。曖昧に笑ってごまかそうとしたら、ふいに目の前がかげって、カカシの少し冷たい手があたしの額に触れた。急に感じた低い体温にどきりとする。 「……熱は、無いな」 「……そ、そんなにぼーっとしてた?」 熱なんかあるわけ無いよって笑って見せたけど、カカシはまだ、じっとあたしを見ている。心配してくれてるのかなって、ちょっと嬉しくなった矢先。 「ま、お前が風邪なんて引くわけないか」 「なんでよ……?」 「だって馬鹿は風邪を……」 「はあ!?」 握りこぶしを作って怒ったら、カカシは急に、くすくす笑い出した。 「何だ、いつも通り元気だ」 そんな事を言われてしまうと、何だか調子が狂って、あたしは怒るに怒れなくなって、拳を降ろす。 「……カカシがあたしを心配するなんて珍しいじゃん」 「何言ってんの、いつも心配ばっかりかけて……あ、」 ぽろっと漏らしてしまった、という感じに、カカシは口を押さえた。そして、僅かに見えるほっぺを少しだけ紅くして、あたしから目をそらす。 そんなカカシを見るのは珍しくて、それに、嬉しくて、 あたしも素直になろうって思った。 「……そだね、カカシにはいつも心配かけてるね」 「……足はもう大丈夫なわけ?」 「あ、そういえば……。うん、全然痛く無いよ。カカシのテーピングのおかげだね。ありがとう」 そういって、にっこり笑ってカカシを見たら、カカシは目が合う前に、もう前を向いてしまった。 「晴が素直だと何か調子狂う……」 「あたしはいっつも素直だもん」 歩き出したカカシの背中をあたしは追いかける。 いつまでも縮まらないこの距離が、変わるときは来るんだろうか。 「……あの人はずっと、手を繋いでくれたのになー」 「あの人?誰だよそれ」 ひとりごとのつもりでぼそりと呟いた言葉を、しっかり拾ったらしいカカシが、またこっちを振り向いた。びっくりするほど不機嫌な表情をしていて、あたしはたじろいでしまった。 「なに?なんで怒ってんの?」 「怒ってる……?何でオレが。怒るわけないでしょーよ?」 いやいやいや、怒ってるじゃん。 「お前が誰と手を繋ごうが、オレには関係ないし」 「はぁ……そうかもしんないけど……」 何を怒ってるのかよくわかんないけど、あからさまに不機嫌な喋り方になってるって、カカシは気付いて無いんだろうか。 『大人になったカカシが夢にでてきたんだよ』なんて、もしカカシに言ったら、きっとものすっごく馬鹿にされるだろうなって思った。しかも、あたしと付き合ってて、一緒にデートまでしたなんて。口が裂けても言えそうにない。 |