カカシのおすすめの定食屋は、ほんとうに近所にあって、五分も歩けばすぐにたどり着いてしまった。身をかがめて暖簾をくぐる彼のあとについて店内に入ると、看板娘の女の子の元気な声と、焼き魚の良い匂いが出迎えてくれた。店内はほどよく客が入っていて、近所の人に親しまれている大衆食堂という感じだった。

壁際の席に向かい合って座ると、すぐに店員さんがおしぼりとお冷やを持ってきてくれた。お品書きは壁に手書きで貼り出されていた。少し丸みをおびた可愛らしい字は、あの店員さんのものだろうか。

「いつもの、的なのがあったりするの?」
「いつものって訳じゃ無いけど、だいたい本日の焼魚定食にするかな」

カカシが指で示した貼り紙によると、今日の焼き魚は、ほっけの開きらしい。ほっけいいなぁ、私もそれにしようと思って店員さんを呼んだ。

定食が運ばれてくるまでの間、なんでもない事を話した。お互いに共通の知り合いがいるわけでもなく、先日の出来事さえなければ、同じ里に暮らしている他は接点の無かった相手だ。忍の人に任務の内容を聞いたところで、一般人には話せないだろうから、とうぜん、この間傷だらけでぶっ倒れてた任務って、どんな任務だったの?などと脳天気な質問は出来なかった。あんなに血だらけになってて毒まで受けてたんだから、きっと相当おもたい内容の任務だったに違いない。いや、彼にとっては日常茶飯事なんだろうか。

自然と会話の内容は、あのマンションは住みやすいのか、とか、この前聞き忘れたけれど何歳なんですか、とか、そういった内容に限定された。沈黙にならないように、少し色々聞きすぎてしまったかもしれない、と思ったけれど、カカシは律儀に答えてくれたし、先日森の中で出会ったときよりも、なんとなく話しやすい人だな、と感じた。彼の方も気を遣ってくれているのかも知れない。だってまさか、もう二度と会わないかも知れなかったはずの薬屋の女が隣の部屋に引っ越してくるとは、カカシの方も驚きだっただろう。それとも、話しやすく感じるのは彼がこの前みたいに暗部の服装ではなかった為だろうか。

私たちは同い年だという事、他の住民は単身者が多いようだけれど騒音を出すような人も居ないという事、ゴミ出しは決まった曜日の朝に出す必要がある事、などがわかったところで、二人分の定食が運ばれてきた。

「美味しそう。いただきます」
「いただきます」

手をあわせて言い合い、お味噌汁から手を伸ばす。向かいでカカシもお味噌汁を飲んでいるのが見えて、まずはお味噌汁からだよねーと妙な親近感を覚えていると、カカシはまた口を開いた。

「そういえば、あんたんちの薬屋って……二階が住居になってなかったっけ」
「そうだけど。あ、やっぱりうちの薬局、来たことあったんだ?」
「子供の頃にね。……確かに、オレと同じくらいの年の女の子がお店に居たような、居なかったような」

曖昧な記憶を遠慮無く語るカカシに笑ってしまいながら、お茶を飲む。子供の頃から薬局には入り浸っていたから、きっと居たと思うよ、と返す。銀髪の男の子が来たこと、あったかな、と私も記憶を辿るけれど、これと思い出せるものがないのでお互い様だ。珍しい髪の色だから、頻繁に来ていたなら覚えていただろう。ああ、でもよく、銀色の髪の優しそうな男の人が来ていたような気がする。背が高くて、いつも、子供用の薬を買いに来た。『風邪を引きがちな子でね。妻がいないから、ずっと側にいてやりたいんだけれど、仕事柄それも難しくて……』そんな事を父と話していたように思う。あの人も、忍だったんだろうか。

なんとなく、沈黙してしまいながら、最初の質問の意図に思い至った。

「どうして引っ越してきたの?」
あ、やっぱり聞かれるよね。家があるのに何故引っ越してきたのかって。どう答えようかな、と迷いながら醤油を手に取り、ほっけにかける。
「あ……ほしみそれ」
「え?……うわぁ!」
今自分がどくどくとホッケに注いでいたのは、ウスターソースだった。慌てて傾けていた瓶を元に戻すけれど、もう遅い。ほっけ全体に明るい茶色のソースが行き渡っている。
「うう……」
「ああ……」
私の悲しみの声と、カカシの同情の声が重なる。
「ま、まあ、食えなくは無いんじゃない」
慰められて悲しくなりながら、ええい、と私は今度こそ醤油の方をつかみ、ほっけに二重がけした。
「えっ……」
「これで上手い具合に中和される気がする」
「いや……どう見ても悪化してるでしょ」
呆れられている気配を感じながら、ほっけの身をほぐして口に運んだ。
「……」
「……どう?」
恐る恐る聞かれて、「うん……食べられなくはない。甘くてしょっぱくて複雑な味」と素直に返すと、カカシはぶっと吹き出した。
「あんたってバカだね」
笑いながら言われる。はじめて一緒に食事をする相手にバカだねはないとおもう。
「……でも、脂がのってて美味しいね」
「そうだね、美味しいね」
カカシは醤油だけがかかったほっけを大根おろしと共に口に含んだ。
「……醤油だけの方が、きっと美味しいんだろうね」
「そりゃそうでしょうよ」
カカシはまだくすくすと笑っている。さすがに恥ずかしくなって、私はまたお茶を口に含んだ。





森の中で出会った忍のカカシの、隣の部屋に越してきてから半月ばかりが経った。カカシは任務で部屋を開けることが多いようだったけれど、何回か廊下で顔を合わせることもあった。私はわりと規則正しい生活を送っていて、早朝に家を出て薬屋へ出勤し、日が暮れてからこのマンションへ帰ってくる。カカシは朝に帰ってくることもあれば夜に出かけていくこともあったので、本当に忍というのは不規則な生活で、大変だなぁと思ってしまう。

同じ建物に、顔を見れば声を掛け合う程度の知り合いがいることは、嬉しかった。初対面の時に感じた壁は気のせいだったかのようで、カカシはいつも、気さくに挨拶をしてくれた。同い年だとわかって、多少なりとも親近感を持ったからかもしれない。任務帰りのカカシは、時折、びしょ濡れだったり血だらけだったり泥だらけだったりした。忍だから仕方がないだろうし、薬局でそういうお客さんにも見慣れているので、私は全く動じず接していた。
頭から血だらけの時はさすがに「怪我してるの?大丈夫?」と聞いたけれど、「オレの血じゃないから大丈夫」と返されたので、「それは良かった」と返してしまった。良かったのかどうかはわからないけれど。その時は流石に、「あんたって肝が据わってるよね」と感心したように言われてしまった。


九月のはじめ、お昼休みにしようと店に戸締まりをして『二時半に戻ります』と書いた紙を貼り付けた。

「ほしみ」

後ろから声がかかり、振り向くとカカシがたっていた。今日は暗部の服ではない、忍の人がよく着ているような服装だ。

「額あて、斜めだね」
「あれ?この格好で会うの初めてだっけ」

うん、と頷きながら、珍しくてまじまじと見てしまう。あの赤い目、綺麗なのに……隠しているのはもったいないな。それに、真昼にこの人に会うなんて、はじめてじゃないだろうか。

「斜めなのは……オシャレで?」
「いや、オシャレのつもりではないです」

カカシは困ったようにぽりぽりと頭をかいている。あ、もしかして薬を買いに来てくれたんだろうか。

「怪我したの?すぐにお店開けるよ」
「ああ、違うんだ。……たまたま近くを通りかかって」
「そっか」

振り向きかけていた体を戻して、カカシを見上げる。この人かなり背が高いなぁと改めて思いながら。

「……これからお昼?」
「うん。あ、カカシもまだなの?」

カカシは頷いて、「よかったら一緒に食べない?」と言った。一人で食べるより二人で食べる方が美味しいから、私は嬉しくなった。


「この間の定食屋さんもいいけど、ここも中々でしょ」
「うん。雰囲気良いね」

薬屋の側にある店は、私のお気に入りで、カフェっぽい外観だけれどしっかりボリュームのあるランチが食べられる。カフェっぽいというか、カフェなんだろうけれど、私はいつもお昼休みにくるので、ここでゆっくりコーヒーを飲んだことは無い。

日替わりランチのチキン南蛮プレートを頼むと、カカシも同じ物を選んだ。「ご飯大盛り無料だよ」というと、じゃあそれで、とくすりと笑いながら言う。店員さんが去ってから、カカシは「ほしみは大盛りにしなくていいの?」と聞いてきた。

「えっ。私べつに大食いってわけではないよ。太ってる?」
「いや、太ってない。でもなんか性格的に?もぐもぐ食べそうだなって」
「何それ……」

この前一緒に食事をした時だって、普通の量しか食べてないぞ、と思って、ほっけソース事件を思い出した。あぁ、ガサツな女だと思われてしまったんだろうか。

「ほっけの件で……?」
「くくっ……ほっけもそうだけど。なんかちょっと変わってるよね」
「変わってるかなぁ」

ただ廊下で挨拶をかわしているだけなのに、そんな風に思われているとは微妙だな、と押し黙ると、「ごめんごめん」とカカシは和やかに笑った。

「変わってる、は失礼だった。……なんていうか、さっぱりしててオレはイイと思うよ」
「イイ、ですか」

そんな風に言って貰えるのは喜ぶべきなんだろうけど、どこに、さっぱりしてると思われる要素があったのかなぁ、とイマイチぴんとこないで考えていると、店員の女の子がチキン南蛮プレートを運んできた。半分以上減ったグラスに気づいて、お水を取りに行ってくれた。九月に入ったけれどまだ暑さが残っていたからか、私もカカシもお店についてすぐ、ごくごくと水を飲んでしまったのだ。
お水をもって戻ってきた女の子が、さっと顔を赤らめた。彼女はカカシの顔をみてすこし呆然として、それから気を取り直したように、グラスに水を注いでくれた。チキン南蛮を食べ始めたカカシの顔をつられてじっとみてしまう。

「ん……?」
「いや……なんでも」

覆面を外したカカシの顔は、確かに女の子が赤面しちゃうくらいには整っていた。甘いマスクってこういう事を言うんだろう。初めて会ったあの夜に、解毒薬を飲ませるために、寝ているカカシの覆面を引き下ろして顔を見たので、その時も、綺麗な顔をしているなぁとは思ったけれど。左目の傷を差し引いても、女の子にモテそうだな……と思ってしまう。それに、さらりと性格を褒めてくれるところとか。

「うん、美味い」

にこ、と微笑む彼に一瞬どきりとしながら、私も自分のチキン南蛮にとりかかる。

「さっぱりしてるっていうのはさ。……なんていうか、女女してなくていいな、って思って」

あれ、その話まだ続いていたんだ。またカカシの顔を見ると、彼はもぐもぐとご飯をかきこんでいる。おんなおんなしてない、とは。

「それは……女っぽくないって事?」

あんまり嬉しくないです、という意味を言外にこめて言うと、カカシはちょっと焦ったように水を飲み下して、「そういう意味で言ったんじゃ無いよ」と言った。

「いや、あんたの前に隣に住んでた女の子がね、何かって言うと……やれ虫が出ただの何だので騒いだり、結構頻繁に、用事も無いのに尋ねてきたりしたもんで」
「ああ……」

虫が怖いのは本当かもしれないけど、なんとかお隣のカッコイイ忍さんと仲良くなりたかったのかもなぁ、と、会ったことも無い女の子のことを想像する。

「でも一度、返り血だらけで帰ってきた所に遭遇したら、化け物見るみたいに顔ひきつらせて。それからすぐに引っ越してっちゃったな。……ま、別に良いんだけど」

そうなんだ、としか相づちは打てなかったけれど、里のために任務をこなして帰ってきただけなのに、そんな態度とられたら嫌な気分にもなるよなぁ、と同情した。それでカカシは、私の事をさっぱりしていると言ったのか。この間血だらけの彼と遭遇したときの態度が、一般人の女としては珍しかったんだろう、と腑に落ちた。

「でも私、虫は怖いよ」
「へぇ、なんか意外」
「意外って言われるのも何か嫌だな。……怖いけど、なんとか倒す」
「ハハ……偉いね」
「倒したあとはティッシュかぶせて、お父さんに処理して貰ってたんだけどね」
「なるほど」

でもお父さんは死んじゃったから、もう虫が出ても、一人で片付けまで頑張らないと。
さすがにそれは言わなかったけれど、カカシは察したのか、少しだけ沈黙がおりた。

「私の部屋虫でるのかぁ。せっかく引っ越したのになぁ。一軒家よりマンションの方が出ないかと思ったのに」
「え?そんな理由で引っ越したの?」
「それだけじゃないけどさ……」
「じゃー、虫出たら、オレのこと呼んでもいいよ」
「だって騒がれて迷惑だったんでしょ?」
「……別に、迷惑ってほどじゃないよ。それにあんた、倒すとこまでは頑張るらしいし。もちろん、倒してあげたっていいけど」

カカシは笑いながら水を一口飲んだ。頼もしい隣人で良かったなぁ。素直に嬉しくなって顔がほころぶ。

「オレの方こそ、不規則な生活してるせいで、迷惑かけちゃってるしね。出入りの音とか、気をつけてはいるけど……あんたは規則正しい生活してるみたいだし、申し訳無いと思ってて」
「ああ、それなら全然気づかないから気にしないで!昔から、一度眠ったらぐっすり朝まで起きないタイプだから」

私が言うと、カカシはまた可笑しそうに笑った。

「本当に……隣人として理想的なヒトだね、あんたって」
「そんな褒められ方したのはじめて」

和やかな昼食を終える頃には、なんだか別れるのが名残惜しくなっていた。隣に住んでいるのだから、これからもまた顔を合わせるんだろうけれど。

私は店に戻らなければならないし、カカシは任務へ行かなければならないらしい。
じゃあまた、と言って別れる寸前、「ぐっすり眠れていいね」とカカシがぽつりと言った。

「ん?あんまり眠れてないの?」
「……ああ。眠りが浅くて、何度も目が覚める」

お隣さんに何を相談してるんだろうねオレは、とカカシは頬をかいた。

「不眠症なら、良くきく薬があるよ。今度時間のあるときに詳しく聞かせてくれたら、ぴったりなものを処方するよ」

私が言うと、カカシは目を瞬かせて、「そう。じゃあお願いしようかな」と言った。「あんたの薬が良く効くって事は、体験済みだしね」とも。

去って行く後ろ姿をしばらく見てから、私は薬局の方へ足を踏み出した。さて、午後もがんばるぞ、と思いながら。お隣さんとした小さな約束が、なんとなく嬉しかった。


真昼のやくそく



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -