店員さんがメニューを下げたところで、カラン、とお店の入り口のドアベルが鳴った。ちらりとそちらへ目を向けると、長い銀髪の、背の高い女性が一人で店に入ってくるところだった。遠目に見てもきれいな人だと思いながら、長い間彼女の事を見つめてしまったのは、その髪色のせいかもしれない。カカシは今頃任務に出ているのだろうか。 「ほしみさん?」 「あ、すみません」 ぼうっとしてしまっていた事を謝って、ワタギさんに視線をもどす。 短い黒髪の彼は、人の良さそうな笑みを浮かべている。 『これからお昼休みですよね、もしよかったら一緒に昼飯どうですか?奢りますよ』 ワタギさんにそう誘われたとき、先日のカカシの言葉が脳裏をよぎった。 『……ほしみに会いたくて来てるんじゃない?』 この誘いには乗らない方がいいのかな、と思って、何て言おうかちょっと困っていると、ワタギさんはたたみかけるように『あの、いつもほしみさんの薬が本当に良く効いて助けられているので、いつかお礼をしたいなと思ってまして!……迷惑だったら、断って頂いても構いません』と言った。 『お礼だなんて……私は薬屋として当然のことをしているだけですから。お代ならいつも頂いてますし』 『そうですよね……でも……今日だけ、一回だけでいいので!オレと昼飯食ってくれませんか?……実は、どうしても相談したいことがありまして……』 そんな風に言われてしまえば断れなかった。職業柄、こんな風にお客さんから色々な相談を受ける事もあった。ただの薬剤師である自分にできる事は限られているので、あくまで一人の薬剤師として聞くことしか出来ないと前置きをした上で相談を聞いていたのだけれど。ただ話すだけで楽になる人もいたし、お客さんの話から、その人に合う薬を処方する手がかりが得られる事もあった。 ワタギさんのケガの頻度が少々高い事は、気になってはいたし、なにか悩んでいるとしたら、食事をしながらの方が話しやすいかも知れない。 やっぱり少し、カカシの顔が頭をよぎったけれど、カカシも任務の最中に、後輩の女の子と昼飯を食べることぐらいあるだろう。ただ、異性と昼食を共にするくらいで、目くじらを立てるとも思えなかった。 そんな訳で私は今、ワタギさんと向かい合ってランチプレートが運ばれてくるのを待っている。先ほどの女性が私達の隣のテーブルに腰掛けるのを何となく視界の隅に感じながら、ワタギさんを見つめると、彼はそわそわした様子で目を伏せた。 「それで、相談っていうのは……」 「あ、それなんですが……。実は、ほしみさんにお渡ししたい物がありまして」 「渡したい物、ですか?」 「それは、食事の後にでも。……それよりも、普段なかなかゆっくりお話しする機会もないですから、色々お話しませんか」 あれ、ちょっと雲行きが怪しくなってきたような……。その時、ガンッと背後で音がして、びくっと震えながら振り向くと、銀髪の女性が、お冷やのグラスを握りしめて俯いていた。表情は見えないけれど、グラスを勢いよく置いて音が出てしまっただけだろうか。 「ほしみさんは、いつ頃からお店に出てらしたんですか?」 「……薬局を手伝い始めた年ですか?そうですね、小さい頃から店には入り浸ってましたけれど」 それからワタギさんは、私に色々なことを聞き、また、彼のアカデミーの職務についても色々とお話ししてくださった。子供達の事を話す彼の表情は、いきいきとしてみえて、きっと、アカデミーでも爽やかな先生として人気なんだろうなあ、なんて事を思った。 忍では無い私は、アカデミーの授業のことをとても興味深く聞いた。カカシもたまに任務のことを少し話してくれるけれど……自分の知らない世界の話を聞く事が出来るのは、とても楽しかった。 ワタギさんは話が上手で、また聞き上手でもあったから、退屈することもなくて、なかなか楽しい昼食の時間となった。 渡したい物というのが何なのかはわからないけれど、別に、ワタギさんから下心のような物を感じる事は無かった。というか、こんな私を好きになってくれたのは、これまでの人生でカカシだけだった。小さい頃から薬剤師稼業一筋で、薬の調合を趣味のようにして過ごしてきた私は、これまで色恋沙汰にはとんと縁が無かったのだ。 とはいえ、カカシと私ははっきりと、恋人同士であると言葉で確かめ合った訳でもないのだった。……言葉なんてなくても、私とカカシは心が繋がっていると……私はそう思っているのだけれど。 「カカシさんとはどういう関係なんですか?」 「えっ……?」 突然カカシの名前がワタギさんの口から飛び出したので、驚いた。 まるで、今考えていた事を読まれていたみたいだ。 「その、よくほしみさんの薬局にいらっしゃるのをお見かけするので」 「あ、ああ……。ワタギさんはカカシの事をご存知だったんですね」 「ええ。……あちらはオレみたいな中忍の事なんて、知らなかったでしょうけどね」 そういってワタギさんは頭を掻きながら笑った。何て返したらいいのかわからず、私は曖昧に微笑んだ。 「カカシさんはオレとは違って、有名ですから」 「そうなんですね。……有名なんですか」 火影直轄の暗部に所属しているカカシは、忍の間では名が知れているんだろうな、というのは以前から感じていた事だった。カカシと一緒に昼食をとっていたりすると、あちこちから視線を感じることがあったから。 「あの人は他人にキョーミなんて無いんだと思ってました。女性からはモテるみたいだけど、一人の女と長く続いたって話も聞かないし」 「……」 何が言いたいんだろう、と思って、私はワタギさんの顔を見つめた。ちょっと睨むような目つきになってしまったかもしれない。ワタギさんは慌てた様子で、 「いや、同性のオレから見ても憧れちゃうぐらい、あの人はやっぱりカッコいいし、モテるのは当然なんですけど」と言った。 「……そんなカカシさんとほしみさん、どんな関係なのかなって……」 「ああ、なるほど」 「え?」 「私とカカシが噂になってるって事ですか」 「……え、は、はあ。まあそうですけれど」 しどろもどろになるワタギさんを見て、私は全てを諒解した。 大方、カカシに好意を寄せる女性の依頼か何かで、私に噂の真偽を確かめるべく、昼食に誘ったのだろう。 例えば、ワタギさんはその女性を好きだからとか、そういう理由かもしれない。 「私とカカシは……」 言いかけて、私は口をつぐんだ。 私とカカシは……何だろう。ここで、はっきり恋人同士だと言ってしまっていいんだろうか。 ただの友達や隣人ではないはずだ。 だって、キスも、……それ以上の事もしているわけで……。 私はカカシの事が好きだし、カカシも私の事を好き、だと思う。 だけど、 「どうしてそこで黙るのよ」 カカシの声が聞こえた気がして、驚いて後ろを振り向いた。 あの銀髪の女性が、鋭い目で私を睨んでいる。 ……カカシの声、と思ったのは気のせいで、彼女のハスキーな声がなぜか、カカシの声に聞こえたようだった。 「あなたは一体……?」 ワタギさんがもっともな疑問を口にする。私も彼女の事を上から下まで眺めてしまった。 色白、銀髪で、切れ長の瞳の、かなりの美人だ。高い鼻と薄い唇から、なんとなく男性的な印象を受ける。手足はすらりと長い。 もしカカシにお姉さんがいたらこんな感じだろうか。 「そんな事どうだっていいでしょうよ」 不機嫌を露わにして女の人がいう。冷たい美貌にどきどきしていると、女の人はじっと私の事を見つめた。 「カカシとどんな関係かって聞かれて、なんで黙るわけ」 ……この人、もしかしてカカシの知り合いなの? 知り合いだとしたら。 こんな美人……カカシと一体、どんな関係だったんだろう。 いつか夕顔さんと話しているカカシを見た時に感じた、あの、胸がちりちり焼けつくような感じがして、私は言葉を無くした。 「……彼女、カカシさんの知り合いですかね?」 ワタギさんが小声で私に聞いてくる。「わからないです……」私は小さく首を振った。 「応えなさいよ」 なぜこの人はこんなに、挑発的な言い方をするんだろう。 だんだん苛々してきて、私はきっと女性を睨みかえした。 彼女は一瞬たじろぐような表情を見せた。 「……カカシの元彼女だか現彼女だかなんだか知らないけど、初対面なのに何なんですか?」 「……はぁっ?」 「カカシがどう思ってるかはわからないですけどね、私はカカシの事が好きですよ。それ以上でも以下でも無いです。以上!」 啖呵を切ると、銀髪の女性はさっと顔を赤らめた。 さあ、何て言い返されるのだろうと待っていると、彼女は意外な事に、怒鳴り返しては来なかった。 「あ、ああそう……なら、いいんじゃない?」 しどろもどろにいって、彼女は伝票をひっつかむと席を立って去って行った。 女性なのに鞄ひとつもっていなかったな、と少し不思議な気持ちになった。 「……ほしみさん」 「……あ、すみません。叫んじゃって、みっともないですね」 「いや……いいんです。ほしみさんの気持ちは、よくわかりました」 ワタギさんは何となく、元気なく笑って、頬をかいている。 「そろそろオレたちもでましょうか」 「……そうですね」 2 |