ほしみは少し鈍感なところがある。

例えば二人で過ごす休日の、穏やかな昼下がり。オレは愛読書を、ほしみは分厚い薬学書を両手で抱えて読んでいる。絨毯の上にそのまま隣り合って、彼女のベッドを背に座っていた。二つの透明なカップには、少し冷めてしまったお茶が注がれており、それぞれ木製の四角いコースターに載っている。ほしみはお茶を淹れるのが上手で、二人でのんびりしている時にはいつも、さまざまな種類のお茶を淹れてくれた。今日のは蓮の葉茶というそうで、蓮の葉の微かな苦味と甘草の甘さがちょうどよいバランスで、すっきりと美味しかった。

沈黙が苦にならない関係だというのは、付き合う前から感じていた事だった。お互いに別々の本を読んでいても、別々のことをしていても、ただ同じ空間にいるだけで癒やされる。……ほしみもそう感じてくれているだろうか。

けれど日々、過密すぎるほど過密なスケジュールで任務を詰め込まれている身の上としては、今日のような休日は、せっかくほしみと過ごせるというのに本ばかり読んでいるというのも、勿体なく感じる。
『カカシは疲れてるだろうから、今日は家でまったり過ごそう』
ほしみのそういう気遣いは素直に嬉しいし、心はおおいに和んだのだが。
そろそろ読書を中断して、オレの事を構ってくれませんか。……そんな事を思いながらオレは本を閉じ、ほしみの事をじっとみつめた。

ほしみの真剣な眼差しは手元の書物にだけ注がれていて、彼女の細い指はゆっくりとページを捲る。嫉妬するほど熱心な様子で、オレの知らない事ばかりが書かれた本を読みふけっている。

これだけ見つめても気がつかないなんて――忍ではないという事以前の問題だな。

なんとなく悔しくなって、彼女の額に、唐突にキスを落としてみた。

「……!」

びっくりした様子でやっとほしみがこちらを見る。視線があっただけで、自分の心が満たされていく。

「カカシ?」
「ん?」
「お腹すいたの?」
「……なんでそうなるの?」

ちょっと苛つきながらほしみを睨みつけると、彼女はたじろいで、

「目が、何かを訴えかけてきているような……」

そう、そこまでわかっているなら話が早い。
ほしみの顔を引き寄せて、今度は唇に軽くキスをする。
至近距離で見つめ合うと、ほしみの顔は面白いほど赤くなる。
肝の据わった女だと思っていたけれど、こういう事には随分初心な様子で、それは、オレにとっては大変好ましい事だった。

けれど恋愛ごとに関して、あまりに鈍感なほしみは、自分に向けられる好意については顕著に鈍かった。――それが原因で、オレは悩まされることとなったのだ。


任務の合間や待機を命じられている隙間時間などに、オレはほしみの薬局に顔を出していた。隣人兼友人だった頃とは違って、もう特別な口実は必要無くて、ただ顔を見たいだけで会いに行くと、ほしみはいつでも快く迎えてくれた。接客の合間にお茶を出してくれて、他愛も無い雑談に興じたり、椅子を借りて本を読んだりしていた。

忍が入り浸っている薬局と噂になっては営業妨害になるかもしれないが、オレが居座っていることで来づらくなるのは、ほしみによこしまな気持ちを抱いている男共だけだろう。

薬局に入り浸るようになって気づいた事だが、客の中にはほしみに下心的な意味で好意を向けている男も少なくなかった。ほしみはまるで自覚がないようだったが。
ほしみは人当たりが良くて見目だって悪くない。年頃の女性でありながら、亡き父親の後を継いで懸命に、前向きに薬屋を営んでいる姿は、人の心を惹きつけるものがあった。

惹かれたのは何もオレばかりではなかったのだ。

「お大事にしてくださいね」
「ありがとう……!また来ます!」

今日も今日とて、ほしみに手渡された薬袋を大事そうに抱えて、黒髪の男性客が嬉しそうに笑っている。前にも見かけた顔だった。その男が去り際に、オレの顔をちらりと見てきたので、睨み返してやると、怯えたように慌てて店を出て行った。

「また来ますって……またケガする気なのかね、アイツ」
「ワタギさんはアカデミーで子供達に体術を教えてるんだって。全力で向かってくるから生傷が絶えないらしいんだよね」
「アカデミー講師か。……子供教えるのにケガしてるって、問題ありすぎでしょ」

ということは忍だったのか。ますます、ちょっとしたケガでこの薬局に通い詰めていることが怪しくてならない。指導で負った生傷の治療くらい、アカデミーの医務室でも事足りるはずだ。どう考えてもほしみ目当てなんだろう。

「そっか。忍なんだよね。カカシの知り合いでは無いんだ?」
「忍なら誰でも知ってるってわけじゃーないよ。中忍の顔なんて一人一人覚えてられないし」
「ふーん……」

ちょっと感じ悪かったかな、と思いながらほしみの顔を伺うと、彼女は気にした様子無く、薬瓶の整理にとりかかっていた。

「あいつ、オレが居ない時でも良く来るの?」
「ワタギさん?……そうだね、週に一回は見るかなあ」
「そんなに!?」
「ちょっとしたケガだと医者にいくほどじゃないから薬局で薬や湿布を買って済ませるって人は、結構いるんだよ」
「……そういう問題か?」

オレが眉をしかめると、ほしみはどうしたの、という顔できょとんとしている。

「……ほしみに会いたくて来てるんじゃない?」
「えっ?何で?」

ほしみは不思議そうな顔をして、それから急に、くすくすと笑い出した。

「……なに笑ってんの」
「だって、私に会いたくて来てくれてるのはカカシでしょ」

言い当てられて、言葉につまっていると、ほしみはますます楽しそうに笑う。

「どこもケガしてないのにね?」
「……迷惑ならもう来ないけど」
「迷惑じゃ無いよ。私もカカシに会いたいし」

来てくれると嬉しいよ、といってほしみはふわりと笑う。
何故彼女はこんなに素直なんだろう、と思いながら、赤くなっているだろう自分の顔を隠すように、オレは顔を背けた。






そんな会話があった数日後、昼時にぽっかり空き時間ができたオレは、ほしみを昼食に誘おうと薬屋へ足を向けた。
そこで目の当たりにしたのは衝撃的な光景だった。

薬屋の戸締まりをするほしみの傍らに、ワタギとかいうあの男が立っている。手こそ繋いでいないが(繋いでいたらすぐに出て行って八つ裂きにしてやっただろうけれど)恋人同士かとおもうような距離感で並び立つ二人は、目を合わせて二言三言、何か会話をしたかと思うと、微笑み合い、歩き出した。オレは慌てて気配を消し、建物の影に隠れながら二人の後を密かにつけていった。

どこへ行く気だ?……まさか、二人で昼飯に?


オレというものがありながら男と二人で昼食って……ほしみは何を考えているんだ。
いや、彼女の事だ。『奢りなら良いですよ』とか言って、何のためらいもなく誘いに乗ってしまうかも知れない。オレだって付き合う前から良く、彼女を昼食に誘い出していたわけで……。

ワタギに好意を向けられている事に気づいていれば、さすがのほしみも断っただろうが……何と言ってもあの子は超がつくほど鈍感だ。先日の様子からしても、あの男の好意にはまるで気づいていない様子だった。

あの時しっかり言い聞かせておけば……。いや、オレが何を言ったってほしみは気にしすぎだと笑っただろう。

もやもやしながら二人の後をつけていくと、近所にあるあのカフェに入っていった。日替わりランチのごはんが大盛り無料のあの店である。あの店を選んだのはほしみなのか、男の方なのかはわからないが、大衆食堂の方では無いところにも余計に苛々が募った。

このままの格好で店に入るのはさすがにすぐバレてしまうだろうと思い、……オレは一体何をやっているんだろうと情けなくなりつつも、変化の術をつかう事にした。まわりに誰もいない事を確認してから、手早く印を結んで姿をかえる。髪の色は何となくそのままに、性別だけを変えてみた。

「あー……」

念のため声も変えてみて、若干ハスキーなもののしっかり女の声色をしている事を確かめてから、二人が入っていったあの店のドアを開けた。



1



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -