店を出ると、当然だけれどもうあの女の人の姿は無かった。一体、誰だったんだろう。 カカシに聞いてみたら、誰のことだかわかるだろうか。 ……けれど、聞くのもなんだか嫌だな、とちょっと沈んだ気持ちになった。 「最後に、渡したい物だけ……お渡ししてもいいですか?」 ワタギさんが小さく微笑みながら言う。 そういえばそうだった、と思って、首を傾げると、 「まだ少し時間ありますよね。腹ごなしにちょっと見晴台まで散歩でも、どうですか?」と聞かれた。断る理由も無いのでうなずくと、ワタギさんはほっとした様子で笑った。 「お渡ししたいものというのは、これなんです」 「……これは?」 見晴台のベンチに並んで座り、ワタギさんから渡されたのは、いかにも上質そうな紙袋だった。 中を開くと、リボンのかけられた箱が入っている。 「……チョコレート?」 「はい。……その、今日は……」 「え……バレンタインですか!?」 今日の日付を思い浮かべて、私は呆気にとられた。 ワタギさんは目の前で頬を赤く染めている。 「……私、女ですよ?そしてワタギさんは、女性では無いですよね?」 「オレはれっきとした男ですよ!もちろん、ほしみさんの事は女性としてみています」 ワタギさんは吹き出した。私はびっくりしたのと、どう反応したらいいのかわかりかねて、彼の顔をじっと見つめた。 「元々の行事の成り立ちを考えると、男性が女性に贈ってもいいんだと……子供達が教えてくれましてね」 「そうなんですか……」 そういえばそんな事を聞いた事があるような気がする、かもしれない。 ワタギさんは頭を掻いて、どことなく照れた様子だ。 「でも、どうして私に?」 「えっ……わかりませんか?」 よっぽど私が間抜けな顔をしていたのか、ワタギさんはまた小さく吹き出して、それから、 「あなたのことが好きです」 と真っ直ぐ私の事を見つめていった。 「えっ……」 「こんな行事にこじつけてではありますが、やっと、あなたに自分の気持ちを伝える決心がつきました」 「わ、私の事を……?」 「はい。……いつも、ほしみさんの笑顔に癒やされていました。もちろん、あなたはただ薬剤師として、客であるオレに微笑みかけてくれているだけだという事は……わかってました。でも、オレにとっては、薬を貰うことより、あなたに微笑まれることの方が何よりの癒やしだったんです」 「……」 呆気にとられて顔が真っ赤になってしまう。 呆然としていると、突然ワタギさんが私の両手を掴んだ。 「あっ……」 「好きです、ほしみさん。カカシさんの事が好きだという事を聞いても、それでも、あなたの事が諦められません」 「諦めて貰わないと困るなあ」 突然聞こえてきた声に、私とワタギさんは驚いて、横を向いた。 「……カカシ!」 そこに立っていたのは、今度こそカカシだった。 「ほしみから手を離せ。それ以上触ってると殺すよ」 暗部装束のカカシが冷たい目で私達を……ワタギさんを睨みつける。 その格好、その表情で言われるとものすごい迫力があった。 ワタギさんの手がそっと離される。 その顔色は青かったけれど、ワタギさんは、それでも、 「あんたは……ほしみさんの何なんだよ!」とカカシに尋ねた。 「オレ?……ほしみの男に決まってるでしょうよ」 カカシはそう言うと、ぞっとする程冷たい笑みを浮かべる。 「わかったらとっとと帰りな。三十秒以内に視界から消えろ。オレも同胞殺しで捕まりたくは無いんでね」 一般人の私ですらわかる、本気の殺意が籠められた声色だった。 ぞくりと肌が粟立つようなプレッシャーを受けて、私は息を飲んだ。 「……くそっ」 ワタギさんは悔しそうな顔をしたあと、素早く印を結んで姿を消した。 「……」 「……」 あとに残されたのは私とカカシの二人だけ。 ベンチの上にはワタギさんが置いていったチョコレートの紙袋が残されている。 カカシは先ほど纏っていた殺気が嘘だったかのように、静かな表情で私のところまで歩いてきた。 そして、私の隣にどっかりと腰を下ろした。 びくっと震える私を冷たい目で一瞥した後、チョコレートの紙袋を取り上げた。 「あっ……」 「これはオレが捨てとくから」 「えっ!?……チョコに罪は無いよ」 「チョコに罪は無いけどね、ほしみにはお仕置きが必要だよ」 「何で?」 「何でって……何だってあの男と昼飯なんて食べに行ったわけ?浮気でしょうが」 「ワタギさんが相談があるっていうから……」 「相談って言うか告白じゃないの」 さっきの事を思い出して、私はぐっと言葉につまった。 「……ごめん」 「わかればいいけど」 いつになく高慢なカカシの言葉に苛立って、私はおもむろに立ち上がった。 カカシは驚いた表情で私を見上げる。 「ワタギさんが私に好意を持ってるなんて、思わなかったんだよ」 「……お前は鈍感すぎるよ」 「……私に好意を持つ変わり者なんて、カカシぐらいだと思ってたんだもん」 「変わり者って。そんな言い方しなくても」 「カカシだって前に私の事、変わってるねって言ったじゃない」 「それは……」 「大体異性とご飯食べるくらいで何が浮気なの。カカシだって女の子とご飯ぐらい行くでしょ!」 「それは……でもオレは、好意を持たれてるような相手と二人でなんて行かないよ」 「ふーん……」 「何よその信用してない目は……」 こんな言い合いがしたいわけじゃないのにな。 私がはぁ、と溜息をつくと、カカシはおもむろに立ち上がった。 「オレは、ほしみの事しか好きじゃ無いし、ほしみが嫌ならどんな女とも飯いったりしないよ」 「……別に、ご飯ぐらいいってもいいけど」 「ああそう……」 ちょっと拗ねた様子のカカシがおかしくて、私はつい笑ってしまう。 「カカシ、私の事好きなんだ」 「……好きだよ」 「はっきり言ってくれたの初めてだよね」 「……そうだったっけ」 ばつが悪そうに、カカシは頬をかく。 「元カノには言ってあげてたの?」 「えっ?」 意地悪な質問だな、と思いながら、私は言ってしまった。 言った側から嫌な気持ちが胸の中いっぱいに広がって、すぐに後悔したのだけれど。 「銀髪のきれいな人。……前に付き合ってた人にいなかった?」 それでも、結局聞いてしまった。 聞かなきゃ良いのに、と思うのに。 「……えっと、その人は……オレです」 「……へ?」 カカシがごめんなさい、と頭を下げるのを見て、私はぽかんとした。 少しして、……どういう事だったのか理解して、顔がものすごく熱くなった。 「へ、変化ってやつ……?」 「……うん」 「な、なんでそんな事を……」 「ほしみがあいつと昼飯食いに行くのが見えて、いてもたってもいられず……」 「じゃあ、さっきの……」 あの啖呵はカカシ本人に切ってたのか。 理解した途端、私はあまりの恥ずかしさに、俯いた。 そしたら、カカシは急に私の事を抱き締めてきた。 「ごめんなさい……」 情けない声で言われるけれど、色々と居たたまれなくて返事も出来ない。カカシの腕の拘束がまたきつくなった。 「……オレの事嫌いになった?」 「……」 「お前に嫌われたら……オレは……」 「……」 「ほしみ……」 「もういいよ……さっき、私の事好きだって言ってくれたし、許す」 私が言うと、カカシはほっとしたように溜息をこぼす。 「これからはちゃんと言うよ。だから……」 そう言って、一旦体を離して私の事を見つめた。 「誰かに何か聞かれても、聞かれなくても、オレの事ちゃんと恋人だって言ってよ」 そういってカカシは、顔を赤くした。 何とも言えない恥ずかしさに、私は俯いて、 「わかった」と頷いた。 「ところでほしみ、オレにバレンタインのチョコレートは?」 「……いやー……その」 「まさか忘れてたの?」 「……カカシ甘い物嫌いだから、いらないでしょ?」 「……」 カカシが明らかにがっかりしているので、私は笑って、 「じゃあ今から買いに行こうか」と言って誤魔化した。 カカシははぁ、と溜息をついたけれど、「まあいっか」と言って手を繋いでくれた。 「甘くないのを探そうね」 「そうしてくれると助かる」 私達には甘くないぐらいで丁度良い、と思ってたけど、 たまには甘いのもいいかもしれない。 end. 20180211 3 |