ジジジジとないていた安物のオーブントースターが焼き上がりを知らせる軽い音をたてた。キッチンの床は足の裏が凍りつくような冷たさで、爪先を丸める無駄な抵抗を試みながら移動したけれど、やはり無駄は無駄でしか無かった。先週磨き上げたばかりのガラスの奥を覗き込む。あまり膨らみもしなければ焦げ目一つ負っていない四角い餅が無傷の表面を平然とさらしていた。
もう一度タイマーをセットし、ジジジジ音を背に部屋へと戻る。暖房をきかせた部屋はそれでも寒く、小さな電気ストーブの前に腰をおろして橙色の光に爪先と指先を翳した。冬の早朝はいつも静かだけれど今朝は殊にそう感じる。つい数時間前に新しい年をむかえたばかりである事と何か関連があるのかもしれない。

今度こそ膨らんだ餅に醤油をつけて海苔を巻いた物と、何となく二つ買ってしまった為に一つ余っていた年越し用のカップ麺(天ぷら蕎麦)を朝食にした。元旦にした事は何でも、その一年の縮図になるのだと、昔どこかで聞いたような気がする。とすると、この侘しい食事が今年一年の私の食生活の縮図となるのだろうか。そんな事を考えるとますます虚しい気持ちになり、啜った蕎麦のぼそぼそと切れる食感は、やはり味気がないのだった。

雪でも降り出しそうな窓の外を見て、初詣にでも行こうかと思っていた気もそがれ、半纏の紐をきゅっと結び直してぼんやりベッドに腰を下ろした。眠たいわけでも無いけれど特にする事も思いつかない。枕元には読みさしの本が置いてある。以前借りたあの本の続刊だ。続きを読もうかと手を伸ばしかけて、やっぱりやめた。寂しさとむなしさが募るばかりだからだ。

寂しい、と一度思うともうだめだった。

深く長い息をつきながらベッドに倒れ込む。天井の模様を数十秒眺めてから目を閉じた。一人ぼっちの寝正月。明けましておめでとうを言う相手もいない。
言いたい相手は任務で年末から里を空けている。今頃どこで誰と戦っているのだろう。無事に帰ってきてくれればそれでいい。共に過ごせる時間が少なくても、会いたいと思える人が居るだけできっと恵まれている。
寂しいことは寂しいけれど、二度と会えない寂しさじゃない。そう思うと少しだけ気持ちが上向いた。

その瞬間に玄関でチャイムの音がした。はっと目を開けて体を起こす。帰ってきたのだとしたら予定よりも早すぎる。だからきっと違う、彼のはずがない。そう思いながらも期待に速まってしまう心音を感じながら、小走りで玄関へ向かい確認もせずにドアを開けた。

「……明けましておめでとう」

期待していた通りに、居るはずの無い彼がいて、私は咄嗟に言葉が返せなかった。

「なに間抜けな顔してんの。そんなに驚いた?」
「……うん」
「寒いよ。中入れて」

遠慮無く足を踏み入れたカカシをまだ信じられない思いで見つめていると、
「ほしみに早く会いたくて頑張ったんだよオレ。いたわってちょうだい」
とおどけたように言い、両目を細めて笑った。
私がやっと我に返って「おかえり」と言うと、カカシは嬉しそうに「ただいま」と返した。


「明けましておめでとうございます」

お茶を出してから、恭しくお辞儀をすると、カカシも丁寧に頭を下げ返した。

「今年も宜しく」
「こちらこそ」

顔を上げて見つめ合う。

「……どうしたのほしみ」

カカシがくしゃ、と音がしそうな柔らかい笑みを浮かべる。

「そんなにオレに会いたかった?」

言い当てられて、顔に出ていたんだろうかと恥ずかしくなり私は俯いた。

「……会いたかった」

テーブルの上を見ながらぼそりと言うと、途端に横から抱き寄せられる。

「オレも」

耳元で囁かれた言葉は熱く、つい身体に力が入る。どきどきしていると、カカシの右手に頬を包まれて、そちらを向かされた。

「一緒に年越し出来なくてごめんね」

至近距離で見つめられて、理知的な黒い右目と燃えるように赤く煌めく左目から目が離せなくなる。
ふるふると首をふると、両頬を包み込まれてあっという間に唇を塞がれた。
目を閉じて、柔らかい唇の感触にうっとりしていると、不意に舌が差し込まれて、驚いて身を引いてしまう。

「……!」
「久しぶりすぎて照れてるの?」

どうしてこんなにも苦しいのだろう。
私はカカシの事が好きで、彼も私の事が好きだと思う。それなのに、一緒にいるのに、目の前に居るのに、なぜこんなに胸が苦しくなるんだろう。
はぁ、と溜息をつくと目の前でカカシが不安そうな顔に変わる。

「え……もしかして嫌だった?」
「嫌じゃない」

慌てて言うと、目に見えてほっとした表情になる。

「どきどきして、苦しいの」

医師に訴える患者のように病状を吐き出してみると、カカシは目を丸くして、それから、嘘みたいに顔を真っ赤に染めた。

「殺す気か……」

カカシは小声で呟いたかと思うと、またその顔を近づけてきた。食むように唇を奪われて、今度は後頭部を抑えられてしまい逃げられない。苦しくなってカカシの胸を弱く叩くけれど、退いてはくれなかった。

「……はぁっ」

やっと解放されて息を大きく吸い込む。
カカシはまだ顔を赤くしたまま、恐らく同じかそれ以上に赤くなっている私の頬を指で撫でた。

「合鍵、渡したのに」
「……え?」
「全然使ってくれないね」

突然何を言うのだろうと、カカシの目を見つめる。拗ねたように彼は続けた。

「オレの部屋で待っててくれないかな、と思ったんだけど」
「……そんな、家主もいないのに。勝手に上がり込むなんて」
「勝手に上がり込んで欲しいから渡したんでしょうが」

犬のストラップがついた銀色の鍵を手渡されたときは何の冗談かと思った。隣に住んでいるというのに、部屋で待ってて欲しいと思う理由は何だろう。

「おかえりってドア開けてくれて、ただいまっていうの夢だったんだよね」
「……そうなの?」
「ねぇほしみ。もう一緒に住んじゃおっか」

軽い口調と裏腹に、ふざけた様子の無い眼差しに息が詰まる。

「……でもこの部屋、まだ契約したばかりなんだよね」

一年未満の退去は違約金が発生したような気がする。私の返事を聞いたカカシは項垂れて、
「ほしみは時々驚くほど冷静だよね」と拗ねた目をした。

「隣なんだし、一緒に住んでるようなものでしょ」
私が言うと、カカシはまだ腑に落ちない様子で
「まぁいいか。焦ることでもないし」と言う。

「せっかくお正月に来てくれたのに、正月らしい物が何にも無いんだよね。お餅くらいしか……食べる?」
「食べたい。餅があれば十分じゃ無い?でも、元旦からもう肉屋も八百屋も開いてるみたいだったよ」

カカシの目が、食べ終えたままにしていたカップ麺に注がれているような気がする。粗末な食生活を咎められているようで恥ずかしい。

「……じゃあ、後で買い物行こうか。それで、お昼はすき焼きにでもする?」
「いいね。そのまえに神社に行こうよ」
「行く!お神籤ひかないと!」

いつのまにか静けさを失った部屋は温かく、止まっていた時間が動き出したような気さえする。窓の外も打って変わって明るく日が出ている。私の寝正月は半日もたたずに終わってしまった。けれど、一人より二人の方が、絶対に良いに決まっている。


冬はつとめて



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