温かい色味のあかりに照らされて、つやつやに焼けたパンがいくつも並んでいる。『セサミマロン』の棚の前から動けずに、私はじっと、胡麻のかかった長方形のそのパンとにらめっこしていた。

両手で持っているおぼんの上には、すでに四種類のパンが載っている。今夜二個、明日の朝に二個食べるとしたって、既に食べ過ぎだというのに。このセサミマロン、名前から察するに、端からのぞいているクリームはマロンクリームだと思う。さらに悪いことに(そして、おおいに魅力的なことには)生クリームらしきものも、ちらりとのぞいている。多分、日持ちはしないだろう。今日中にお召し上がりくださいのシールが貼られるのは間違い無い。

黒ごまの練り込まれたパイ生地の中で、マロンクリームとホイップクリームの二層が素敵なハーモニーを奏でているなんて……想像しただけでうっとりしてしまう。してしまうけれど……。

今夜の分として私はすでに、クロックムッシュとキノコベーコンパンを選んでしまっている。どちらも卵を使っているし、今日中に食べた方が良さそうだ。一度おぼんの上に載せたパンを元の場所に戻すなんてマナー違反はもちろん出来ない。どうしよう。やはり諦めるべきか。三つも食べたらカロリーオーバーは間違い無い。それもこんな甘いパンを夜に食べるなんて……。けれど、つい先週まで並んでいたパンプキンパンはいつの間にか店頭から消えてしまった。結局一度も買う事の無いまま。

帰り道にあるこのパン屋さんは、季節ごとに色んな新商品を出している。ハズレだったことが無くて、いつも美味しいのだけど、入れ替わりのスピードが驚くほど早いのだ。パンは好きだけど、かといって毎日パンばかり食べたいわけではない。明日にしようかな、とのんびり構えている内に、何度新商品を逃したことか。今夜は久しぶりにパンの気分になって、帰り道に寄ったのだけど、今ここで出会ったセサミマロンも、明日には店頭から消えているかもしれない。そう思うとやっぱり、セサミマロンをここに置き去りにするわけにはいかない……。

「随分真剣に悩んでるね」

いきなり首の後ろで声がして驚いた。振り向くと、銀髪頭のお隣さんが私を見下ろしていた。今日は非番なのか、防具の類は身につけておらず、覆面つきの黒いシャツに黒いズボンをはいている。

「夕飯パンなの?変わってるね」
「そうかな?」

確かにパンって朝食べるイメージかも。けれど私は時々無性に、夜でもパンを食べたくなったりするのだ。

「そういうカカシだって、ここにいるって事は夕飯パンにするんじゃないの?」

不思議に思って聞くと、カカシは「あー……その……」と何とも歯切れの悪い返事をしながら後ろ頭を掻いている。見れば、パン屋の中だというのに、おぼんもトングも持っていない。

「ほしみを見かけたから入ってきたってだけ……」

言いながら、カカシは何だか照れくさそうにしている。……知り合いを見かけたから声をかけたってだけで、何をそんなに恥ずかしがっているんだろう。私はつい笑ってしまった。

「でも、美味そうだね」

カカシがぐるっとまわりを見渡す。あらゆる種類のパンが並ぶ店内は、焼きたてのそれらが醸し出す幸せな匂いに満ちている。

「美味しそうじゃなくて、美味しいの!……ここで買ったこと無かった?」
「うん。あんまりパンって食べないな……」
「ぜひとも買ってみて」
「そんなに言うなら。……ほしみのオススメは?」
「私のオススメ?……あ、だったら、……」

思いついた事を口に出そうとして……図々しい提案だな、と気づいて口を閉じた。

「ん?」
「……なんでもない。えっとね、オススメは……」

言いながら棚に目を戻そうとすると、カカシがぽんと私の肩に手をのせた。

「それ……全部美味しそうだね」
「え?」

彼の視線は私が持っているおぼんの上に注がれている。クロックムッシュとキノコベーコンパン、紅茶とリンゴのロールパンにカレーパン。さっき言いかけた提案を、私はドキドキしながら口にしてみる事にした。

「あの、良かったら……半分こして一緒に食べない?」
「いいの……?」

カカシは一瞬目を瞬いてからそう言った。その顔が嫌そうでは無い事にほっとする。

「うん。二人で半分こするなら、もっと色んな種類が買えるし…!」

言いながらもう、私はうきうきとした気持ちになっていた。好きなだけパンを買って帰っても一緒に食べてくれる父が居た頃を思い出して、懐かしくなった。

「そしたらそれも買えるね……」

カカシがふっと笑いながら、セサミマロンに目を向けた。もしかして、私が悩んでいた理由をお見通しだったのかも……。だとしたらちょっと恥ずかしい。

沢山選んだパンを会計しようとしたら、カカシにおぼんを取り上げられて、奢られてしまった。

「この前の鍋の材料より大分安いと思うけど……」
「そんなの全然気にしないで良いのに……」

並んで歩きながら、ふと夜空を見上げた。いつの間にか、空気が大分冷たくなった。

「……くしゅんっ!」
「大丈夫?……もしかしてこの間の風邪うつしちゃった?」

カカシが心配そうに表情を曇らせた。

「ううん。私、軽い花粉症だから……」
「花粉ってこの時期もあるんだ?」
「うん。秋は秋で飛ぶんだよ」

店で薬を調合してくるんだった。でも、家にあるものでも簡単なものならつくれそうだ。時間のある夜に、父の残したメモを頼りに色々と試してみる事があった。だから自宅にも薬草類のストックと乳鉢は置いてある。

「そういえばカカシは?体調良くなった?」
「ん。おかげさまで。……その節はご迷惑おかけしました」

かしこまって言う彼は、すっかり柔らかな雰囲気をとりもどしていた。あの晩の張り詰めたような、それでいて儚く感じられた姿が嘘のように。
でも、元々彼はこんな風に笑う人だっただろうか。はじめて出会ったときの印象と、今の彼の印象は大分変わっていた。隣に引っ越してきて、たまに一緒にごはんを食べる仲になって、私にとってカカシという人は穏やかで気の良い友人になっていた。だからこの間は少し……驚いてしまった。

「あんまり無茶しないでね……。君の仕事を全然知らない私に言われてもって感じだろうけど」
「いや……ありがとう」

そう言ってカカシはまた柔らかく笑った。見えているのは両目だけなのに、気持ちが和むような優しい笑顔だ。なぜかふと、覆面の下を想像してしまい……どきりと心臓が音をたてた。

曲がり角を曲がったとき、向こうから歩いてくる初老の男性が見えた。私とカカシの歩く速度よりも、幾分かゆっくりと歩くその人とすれ違う時、胸がしくしく痛んだ。亡くなった父に顔貌が似ているわけでもないし、年齢ももっと上だろう。それなのに、年配の男性を見かける度、ふと父を思い出してしんみりしてしまう。亡くなる前、病のせいで年齢よりもずっと老けて見えた父を。

暫く歩いてから、私はカカシにそのことを話してみた。

「……変だよね」
「変じゃないよ。オレも全然知らない他人を見て、父さんを思い出すことがある」
「……カカシのお父さんも?」
「ああ。ずっと昔に亡くなってる」
「そっか。……ご病気で?」
「いや……」

カカシは否定して、それ以上は何も言わなかった。一瞬暗い目をした彼を見て、迂闊な質問をしてしまったと後悔した。カカシは何事も無かったかのように「で、オレんちで食べる?それともほしみんち?」と言って微笑んだ。

「またカカシの部屋いっていいの?」
「うん。ほしみが嫌じゃなければ」

先日、高熱を出したカカシの看病のために何度か出入りしたからか、彼は自分の部屋に私を上げることに抵抗がないみたいだ。「じゃあお邪魔しようかな」と言っているうちに、もうマンションの前に着いていた。

部屋に着くと、カカシは窓を開けて空気を入れ換えた。適当に座ってて、と言われて床に腰を下ろす前に、背の低い棚の上にメモが置いてあるのに気づいた。

『任務お疲れさま。お客さんに大根を沢山もらいました。良かったら食べてください』

それは私の書いたものだった。一週間ぐらい前にこの貼り紙をして、カカシの部屋のドアノブに袋にいれた大根をそのままかけておいた。任務で帰ってこない日もあるから、次の日もそのままになっていたら回収しようと思っていたけれど、その翌朝出勤しようとドアを開けたら『ありがとう。いただきます』の貼り紙が私の部屋のドアに貼られていた。きれいな字を書くんだな、と思った記憶がある。

「大根迷惑じゃ無かった?」
「全然。ありがたかったよ。味噌汁にして食べたけど美味かった」

振り向いたカカシは、家の中だからか覆面を引き下げていた。やっぱり綺麗な顔をしているよな、とちょっと見とれてしまう。

「この前みたいに燃やさなかったの?」

メモをつまんでヒラヒラさせると、カカシはちょっと言葉に詰まった。

「……何でもかんでも燃やすってわけじゃないよ」
「ふーん」

読んだものは何でもボッと燃やすのかと思ってたけど、そういうわけでもないらしい。


カカシがカップスープをいれてくれた。パン屋で買ってきた小さなサラダと、沢山のパンをテーブルに並べれば、なかなか賑やかな雰囲気になった。

「何から食べよう……」

半透明の袋に入ったパンたちの中から、ひとつ選んだ。

「ね、クルミパンってなんでこんな形してるのかな」
「……なんでだろうね」

お花みたいな形が可愛い。数あるパンの中でも、私の中のランキング上位に食い込んでいる。

「そういえばテンゾウくん元気?」
「……え?」

カカシはパンを取り出しかけていた手を止めて、不思議そうに私を見た。

「テンゾウくんなんて呼んでたっけ」
「この間、私の薬局にお客さんとして来たんだよね」
「ああ……そんな事言っていたな」
「それから時々見かけることがあって。世間話ぐらいしかしたこと無いんだけどね」
「へぇ……そうなの」

カカシはぱくっとクロックムッシュにかじりついた。もぐもぐ咀嚼して、飲み込んでから、熱い紅茶をゆっくり飲んでいる。

「美味い」
「でしょ?……私もそれ」
「わかってる。ちゃんと半分残すよ」

カカシにふっと笑われて、何だか食い意地がはってるみたいで恥ずかしいな、と思う。

「テンゾウね。あいつもなかなか忙しそうだけど、ま、元気でやってるんじゃない」
「そっか。……忍の人は、怪我が絶えないよね。いつもご苦労様です」
「怪我するって事はヘマしたって事だから、あんまり褒められた事では無いけどね」

カカシの左目を縦に走っている傷も、いつか任務で負ったものなのかな。赤い色の瞳は視力を失っていないようだけれど。クルミパンを二つに割ってカカシの前においたら、半分食べたクロックムッシュを交換みたいに渡される。

「へへ……」
「なに……?」
「半分こって仲良しみたいで嬉しいね」
「……」

カカシは一瞬固まって、それからふうと息をついた。その頬が少し赤くなっている。
「素直だね、ほしみは…」
それからカカシはカップスープに手を伸ばす。「あち……」カカシが小さく言葉を漏らすのを聞きながら、私も自分のマグカップを持ち上げた。



パンを食べた後、「この後何するの?」とカカシに聞かれた。寝るまでにはまだ時間がある。

「帰って花粉症に効く飲み薬でもつくろうかなって」
「ふうん……」
「カカシは?」
「……忍具の手入れでもしようかな」
「……」

なんとなく沈黙が落ちた。温くなった紅茶を流し込む。

「あの、薬の調合ってね……」
「うん?」
「粉があちこちに飛び散ったりとかは特にしないし、材料もそんなに広げたりしないんだけど」
「……うん」
「その……」
「じゃあ、持ってきてうちでやりなよ」

私が思ってたことを汲み取ってくれた、というか、汲み取らせたと言うべきか。にこっと笑ってそういってくれたカカシの笑顔に、ちょっと申し訳無くなって、けれど嬉しくなって。その後続けられた言葉には驚いた。

「……もう少しほしみといたいから」

カカシも同じように思ってくれていたんだ。胸の中がほかほかと温かいもので満たされていく。

「私も。……じゃあ取ってくるね!」

勢いよく立ち上がった私を見上げて、カカシは優しく笑った。


秋の夜は長い。聞けばカカシも明日は休みで、夜更かしをするにはぴったりの晩だった。私はテーブルを借りて、汚れないように敷物を敷いた上で、乳鉢に乾燥させた薬草を計り入れていた。カカシは隣で、やっぱり床に布を敷いた上で、クナイやら刀やら、見た事の無い忍び道具のあれこれを並べて、ひとつひとつ点検しているようだった。

こんな風に秋の夜長を過ごすのが、以前の私は大好きだった。好きなお茶を飲みながら、静かな部屋で、薬学の書物を読んだり、実際につくってみたりしながら。

父が家に居た頃を思い出した。同じ部屋にいなくても、同じ家に家族がいるというだけで、寂しくなかった。一人きりになってからは何をしていても、一人だという事を強く感じた。それで何だか虚しくなって、集中できなくなって眠ってしまうこともあった。
いい加減一人にも慣れてきたし、引っ越してからは特に、一人きりも悪くないと思うようになったけれど。こうして一人きりでは無く二人で、部屋にじっとしていると。やっぱり誰かと一緒にいるのはいいものだな、と思ってしまう。
家族でも何でも無い、ただの隣人に甘えてはいけないと思うのに。気づけばカカシと一緒にごはんを食べたり、会話をしている時間に癒やされている自分がいた。

さりさりと音を立てながら薬をまぜあわせていると、ふと気配を感じて振り向いた。

「終わったの?」
「いや……まだだけど」
「うるさかった?」
「ううん。……見ていたいだけ」

カカシは私の手元を興味深そうにじっと見ている。……その姿に、幼い頃の自分の姿が重なった。父がこうして薬をつくっているところを、いつまでも飽きもせず眺めていたっけ。

「なんていうかほしみの仕事もさ、見ようによっては魔法使いみたいだね」
「魔法使い?」

鍋でぐつぐつ怪しげな液体を煮ている魔女みたいなこと?想像してくすくす笑ってしまう。

「何かと何かを混ぜ合わせて、別の物質をつくるわけでしょ?」
「うーん……まあ」
「調合って何か……魔法っぽい」
「そうかな?」

言いながら、私は笑ってしまった。薬剤師=魔法使い。そのイメージが何だかすごく気に入って。

「忍術のほうが魔法っぽいよ」
「でも……人を治す魔法はオレは使えない」
「治すって言っても薬で全部治せるわけじゃないからなあ……」

やっぱり薬剤師は、魔法使いなんていうほど大それた存在では無い。もし魔法使いだったなら人の生き死にだって変えてしまえるんだろうか。

「ほしみの薬のおかげでオレは命を救われたしね」

優しく笑うカカシに照れくさくなる。私はまた乳鉢に向き直った。

「私はカカシの中にあった生きる力に、少しだけ力を貸す薬を処方しただけで……。カカシの命が助かったのはカカシ自身の生きる力のおかげだよ」
「生きる力……」
「それに、救うって事で言えば、カカシだって忍としてこの里の皆の命を守ってくれてる。私たちをいつも、守ってくれているよね」
「……」

薬の粒子が綺麗に細かくなったのを確認して、私は手を止めた。

「……くしゅっ」

その時また、くしゃみが出た。ふわりと粉が舞い上がって慌てる。

「やっぱりそれ、風邪なんじゃない?」
「そんな事無いと思うけどな……これ飲んじゃえばおさまるはず……」
「……こんなに冷えて。この部屋寒い?」
「……!」

唐突に後ろからまわってきた腕に、抱き締められていた。
カカシの温かい手が触れて、私は自分の腕が冷えきっていたことに気づいた。

「……あ、あの……」
「ほしみ、ありがとう」

耳元で低く囁かれて、ばくばくと心臓が跳ねる。何に対する感謝を言われたのか、一瞬わからなかった。さっきの私の言葉に対して、だろうか。
それにしても……友達の距離にしては近すぎる気がする。私はふりほどくこともできずに固まっていた。

「ほしみの体を抱き締めてると、ほっとする」
「……ほっとするの?」
「うん……変かな」
「変じゃない……いや……変かも」
「そう?」
「だって私たち……ただの友達なのに……」
「でも、この前こうして抱き締めてくれたでしょ」

それは確かにそうだけれど。ふいにカカシの腕の力が緩んで、私は後ろを振り向かされた。向かい合うカカシの目は優しかった。少しだけ、寂しそうにも見えた。

「カカシ……寂しいの?」
「……そうだね……そうかもしれない」

私も、と言いかけた時にはもう、彼の腕の中にいた。
再びぎゅっと抱き締められて、……その温もりが心地よくて。
私もそっと、カカシの背中に手を回した。

こうしていると、お互いの静かな呼吸や、心臓の音だけが聞こえる。
ただ抱き締め合っているだけで、不思議と心が癒やされていく。

「変かな」

カカシがまた、呟くように言った。

「……変じゃないよ」

今度ははっきりそう返事して、私は目を閉じた。
抱き締めあっていると、魔法みたいに心が温かくなった。
寂しさも温もりも全部、分け合っているみたいだ。


魔法使いと半分こ



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