十日ぶりに帰還して三代目への報告をすませた後、暗部待機所に寄った。座って忍具の手入れをしていたテンゾウが、オレに気づいて顔を上げた。

「お疲れ様です、カカシ先輩」
「ああ。……これから任務?」

テンゾウは頷いて、そそくさと椅子の上に広げていた忍具を片付け始めた。

「いいよ、オレはもう帰るから」
「そうですか。……あ、そういえば先輩」
「ん?」
「この前、先輩のお友達に会いましたよ」
「友達?」
「先輩のお隣に住んでるっていう……」
「ああ、ほしみか」

その名を口に出したとき、何とも言えない不思議な気持ちになった。
長い任務を終えたばかりで疲れ切っていた体が、ふいに緩んだような。

「彼女、薬剤師だったんですね」

この間の任務でしくじって、ここをざっくり切りまして、とテンゾウは自分の腕を示した。医師に勧められて行った薬局に、ほしみがいたので驚いたのだという。

「驚きました。若いのにあの店を一人で切り盛りしていることも、腕の良い薬剤師だったことにも」
処方された軟膏がよく効いて随分治りが早かったと、テンゾウは感心した様子で話した。ほしみの薬の効力は身をもって体験していたので、適当に相づちを打ちながら、オレは彼女の白い指を思い出していた。あの指で、テンゾウの腕にも触れたのだろうか。

「先輩、ボクの事一体どんな風に話したんですか」
「え?」
「あの人、ボクの顔見た途端に、くるみの人って……」
「くっ……あはは」

つい吹き出してしまうと、テンゾウは半目になって溜息をついた。

「間違っちゃいないでしょ」
「間違っちゃいないですけど……いや、おかしいでしょ!」

笑いながらふと壁にかかる時計を見上げた。ほしみはもう帰る頃だろうか。



任務の間中、碌なものは食べていなかったはずなのに、疲れの方が大きくて、どこかで食べて帰る気力も沸かなかった。真っ直ぐ家を目指しながら、しかし帰宅したところで何か食べるものはあっただろうか、と考えた。缶詰の類ならあったかもしれない。家でもまた、携帯食料みたいなものを食べるのか、と思うと気は進まなかったが、腹は人間らしく減っていた。

何もかもが面倒くさい。今回の任務ではだいぶ目を使ったので、時々視界がぼやけた。はやく帰って、適当に食べたらすぐに眠ってしまおう。さすがに今夜は疲れ切っているから、朝までぐっすり眠れそうだ。……あの薬はもう切れてしまっていて、また彼女の薬局に顔を出してみようか、と思った。明日は休みだ。

そしてまた、ほしみの顔が浮かんだ。隣に住んでいる、忍では無い女。あの日森の中で出会った。彼女について、そう多くのことを知っているわけではない。ほっけにソースは置いておくとして、食べ方は綺麗だ。話す声のトーンも話題も落ち着いていて、好感が持てる。それでいて、笑うと人懐っこい印象になり、壁を感じさせない独特の雰囲気があった。
……そこまで考えて、オレは結構、彼女の事を気に入っているのかもしれないと思った。

「あれ?カカシ?」

今考えていた人がいきなり目の前にあらわれたので、面食らってしまい、言葉を返すのに時間がかかった。

「おかえり。暫く顔見なかったから心配してたんだよ」
「……ああ、ただいま」

『おかえり』とか『ただいま』に、いちいち心を揺さぶられているのは――それは決して不快な感情ではなく――オレだけなのだろう。ほっこり、としか言いようのない柔らかい笑顔を浮かべたほしみに、今度こそ肩の力が抜けてしまった。……帰ってきたのだ、とふいに思った。

「重そうだね」

ほしみは両手に野菜のぎっしりつまった袋を提げている。買い物帰りだろうか。

「うん、今夜鍋にしようかと思って。って言っても、最近は毎晩鍋なんだけどね」
「毎晩鍋……」
「一回作ると二日は食べられて楽なんだよね」
「へえ。飽きたりしない?」
「そこはまあ、味を変えたりして……」

持つよ、と腕を伸ばすと、ほしみはそんな、悪いよと恐縮している。

「どうせ隣なんだから」
「でも……あ、じゃあ、カカシも一緒に食べる?」
「え?……あ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃ」

慌てているオレに構わず、ほしみは「やっぱり鍋は、一人より二人だよね!」と嬉しそうに目を輝かせている。
そのとき、絶妙なタイミングでオレの腹が鳴った。

「……」
「お腹も空いてるみたいだし、ね、是非!」

そう言ってほしみは明るく笑った。……ふいに懐かしい記憶が頭をよぎった。ミナト先生とその奥さんは、こんな風によくオレを夕飯に誘ってくれたものだった。いつも気にかけてくれていたあの人達に、オレは何ひとつ返せなかったけれど……。

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

そう言って、ほしみの手から買い物袋を奪う。
「一つで良いのに」
奪い返そうとするほしみの手をかわして歩き始める。

「塩ちゃんこと味噌とんこつどっちがいい?」
「塩かな」
「やっぱり塩かあ!カカシは塩だと思った」

さっきまで感じていたはずの疲労が、心なしか和らいでいた。何故なのかはわからないけれど……隣人兼ごはん友達にばったり会ったことと無関係では無いのだと思う。


任務帰りの汚れた体で部屋にあがりこむのもどうかと思い、シャワーを浴びて着替えてから隣の部屋のチャイムを押した。押してみてから、こんな時間に一人暮らしの女の部屋にあがりこんでもいいのだろうか、と今更ながらに考えた。先日も、たまたま部屋に上がり込んで、あの時も夜だったというのに、茹で栗をごちそうになってしまったのだけれど……。

「いらっしゃい」

ドアをあけたほしみは、何の邪気も無い笑顔でオレを迎え入れた。部屋にはすでに出汁の良い香りがたちこめている。手伝おうと早めにシャワーを浴びたのに、もう鍋は完成間近で、ただご馳走になるばかりで申し訳無く思った。

「材料代は払わせて」
「気にしないで良いよ。計算するのも面倒だし」

今度何か奢らせて貰おう……と考えながら、ほしみに促されるまま席に座る。ぐつぐつと煮える土鍋の中で、沢山の野菜と肉と豆腐が湯気をたてていた。いい匂いが空腹に染みる。
「カセットコンロなんて使わないかと思ったけど、やっぱり家から持ってきておいて良かった」
一人で食べる分には必要無いし、引っ越してきて初めて使ったよ、とほしみが言うのを聞いて、オレの家には確かに無いな、と思った。

「友達呼んだりしてないの?」
「そうだね……部屋も片付いたし、そろそろ呼ぼうかとは思ってたけど。……って、私ちゃんと友達いるよ!?」
「別にいないとは思ってないよ?」
「嘘だ……絶対いま寂しい人だと思ったでしょ」

ほしみの言葉に笑いながら、本当に友達がいないのはオレの方だけどね、と心の中で思う。同期はいても、彼等に会う度、心配される事が煩わしくて、逃げるように遠ざけてきた。……仲間を、いろいろなものを失ってきたのは、オレだけでは無いのに、……同期の気遣いが、優しさが、疎ましかったのだ。

そんな自分が勢いあまってこの間、彼女を友達だと言ってしまったのは何故だったのだろう。今日テンゾウに、『先輩のお友達』と言われた時、自分で言い出したことなのに、なんとも照れくさかった。けれどこの間、ほしみが『友達って言って貰えて嬉しかった』と笑ってくれたとき、間違いなく自分は、それを嬉しく思っていたのだ。

彼女が何も知らないことが、心地よいのかも知れない。

「はい、お豆腐多めだよ」
「なんでオレが豆腐好きだってわかったの?」
「定食屋さんで豆腐の小鉢だと早めに食べるから」
「……そうだっけ」

好きなものがばれるくらいには、一緒に食べに行っていたらしい。思い返してみるとやはり、ただの隣人と言うよりは、友人と表現するのがしっくりくるだろう。

けれど、ほしみはオレの過去を何も知らない。
そしてオレも、彼女の事をまだまだ殆ど知らない。

さっぱりした性格で、なかなか肝が据わっていること。虫は苦手らしいこと。薬剤師としての腕は確かなもので、ご高齢のお客さんからは可愛がられていること。

墓石に向かって手を合わせているときの小さな背中。

『自分がたてる以外の物音が、一つもしない家にいるのが、寂しくて。一人ぼっちなんだなあと思うと、子供みたいに悲しくなった。』

ほしみがそう言ったとき、すぐに、同じだ、と思った。
父を亡くした後、あの家を出た時の自分と。

「美味しいね」
「うん……」

鍋を食べながら、顔を綻ばせるほしみは、……けれど、オレと同じはずがなかった。彼女の指は人を診るために、人を治すために動く。
ほしみの手が、血で汚れたオレの手と似ているわけがなかった。

それなのに、どうしてもっと知りたいと思うのだろう。

「……ほんとに美味い」
「よかった。どんどん食べてね」

そういって笑うほしみを見ていると、心が和んだ。そしてどうしようもなく、懐かしくなった。忘れかけていた、忘れようとしてきた、温かい記憶が、ひとつひとつ思い出されていく。

息をふきかけて冷ましながら、ゆっくりと湯豆腐を食べるほしみをぼんやりと見つめる。
知りたいけれど、知られたくはない。
胃の中が温まるにつれて、次第に眠気が訪れた。大きな欠伸をもらしたら、ほしみが「おつかれさま」と微笑んだ。




ほどける記憶



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