3.ないものについて考えるべきではない。
雨の音で、きっと話しかけても届きはしない。
水が傘を叩いてずっしりと重い。本当はさして重くはないのかもしれないが、二人の空気も相成って、鉛のように重く感じられた。
いつもより長く感じた帰路も終盤、カルナと別れる曲がり角まで来た。
いつも通り「じゃあな。」と軽く会釈して立ち去る。しかしカルナからの返答はなかった。
訝しげ思うもあまり機嫌がいいようにも見えなかったし、そういうこともあるかと自分の家路を辿ろうとすると、パシャッと水音を立てカルナが一歩こちらに寄り、俺の腕を掴んだ。先ほどの様子からしてなにか気に触ることをしてしまったのではないかと思ったが、そのような事をした記憶はない。
「話がある、オレの家に来ないか?」
……雨音に掻き消されそうなその声は、決意と恐怖に満ちていた。
これはきっとカルナにとって…この関係を続けるにあたって大切なことだ。強く頷きその手を取る。
絡んだ白く細く綺麗な指はふるふると震えている。雨に濡れた肌寒さ……なんてものではないだろう。いつもは鋭く射抜くようなその眼も、輝きのない人形のそれのようだ。そのせいでしばらく忘れていた、この人を初めて見たときと同じ…ここではない別の世界の人間なのではないか…などと考えてしまって、繋いだ手をもう一度強く結び直した。
今更、どこにも行かせはしない。
そんな思いはこの時、既にあったのだ。
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カルナの家に着いてあれやこれやとしているうち、どうせ明日は休日だからと泊まる流れになってしまった。借りた服から抱きしめた時と同じカルナの匂いがして、自然と気が昂る。
カルナはまだ風呂だ。家主より先に入る訳には行かないとはいったものの、先に入って欲しいと頼まれたのでそうしたのだがなるほど、かなりの長湯である。あとを気にせずゆっくりとしたかったのだろう。
ぐるりと部屋を見回す。ずっと気になっていることがあったのだ。
やはり、食器も布団もなにもかも二人分ある。来客のためだけにここまで準備しているはずはないし、考えてみればカルナが一人暮らしなんて言っていたこともない。
同居人がいる。
そう気がつくまでに時間はかからなかった。
カルナが来た。
乾ききらずしっとりとした髪のせいで、いつもと少し印象が違ってドキリと胸が鳴る。
「待たせたな。」
「気にすんな。そんなことよりカルナ、俺なんか呼んで同居人は大丈夫なのか?」
「…気づいていたか。ああ、問題ない。今日はあの男は帰ってこない。」
カルナは覚悟を決めたように、ぽつりぽつりと語りだした。
「あの男、アルジュナは弟なんだ。ここはもともと、アルジュナが高校からはひとりで暮らすのだと借りた部屋、オレはこちらの高校に通う予定はなく、実家近くの公立校を受験しようと考えていた。」
「…」
「そんなあるとき、視線を感じた。つけられていたんだ。家を悟られないようにと、なんとか巻こうと試みるもうまくいかず、」
そう話すカルナはいつもと変わらないような顔なのに、どこか無機質なものに見えて、ただ俺は不安になった。
なによりその声は震えていて、いつものような強い意思は感じられず、迷いと恐怖の中惑っているようにも思えた。
近づいてそっと肩を寄せると、すこしおちついて、カルナは口を開いた。
「連れられて、縛られて、世間では行方不明扱いになった。最後のほうはもう、どのくらいの期間だったか、何人相手にしたのかも忘れ、」
「カルナもういい。」
カルナが話そうとしていることを、まだちゃんと理解出来た訳では無い。
しかしこれ以上思い出させるべきではない。そう思った。話しているカルナの様子は明らかにおかしく、ここにいるのに、どこか遠くへいってしまったようだった。
カルナは軽く深呼吸をした。
続けるつもりらしい。
「…オレはアルジュナに無理を言ってここにいる。地元から離れて、セカンドレイプを防ぐためだ。
アルジュナに頭が上がらない立場であるのは承知している。
しかし気がついたら対立していて、時にあの男に対して憤りを感じているオレが、
…すまない脱線した。つまり、オレはお前に愛される価値などない、それだけなんだ。…それだけ、なんだ。」
「今日は、カルナの言うそれだけを言うために呼んだのか?」
「ああ、それだけだ。」
未だ、カルナの伝えたいこと全てを、カルナに起きた全てを知ったわけではない。
けれど、愛される価値などない。なんて、そんなことあるわけがない。それは自分が知っているのがカルナのほんの一部分だけだとしても、断言できることだ。
そも、自分にとって重要なのはそんなことではなくて、もっとカルナ自身の
「カルナ、俺が好きか?」
「……オレの主観など、ッ!」
カルナ自身の気持ちが欲しかった。
唇を重ね、塞ぎ、そのままカルナを押し倒した。
初めての、触れるだけのキス。
カルナは驚いたり困ったり、複雑な顔をしている。
それがどうしてもかわいらしく思えて、もっと困らせてやりたくなって、細くも男らしく、しっかりとしたその首に吸い付いた。
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bkm