豆まきをしよう


「豆まきをしよう」


唐突な俺の言葉に、部下のミョウジは眉間に寄っていたシワを更に深くしながら、訝しげにこちらを見た。


「……塚内さん、何言ってるんですか?」
「何って、今日は節分だろう?」


言いながら、フロアの壁にぶら下がっているカレンダーを指差す。彼女はチラッと日付けを確認したが、すぐ目の前のパソコンに向き直った。


「……仕事中ですので、遠慮します」


苛立たしげにキーボードを叩く音が、二人きりの部屋に再び響く。とっくに消灯時間が過ぎているので、窓の外は暗くて静かだ。薄暗い照明に照らされたミョウジの横顔はさっきよりも険しく、もうこれ以上は話しかけるなよ、といった雰囲気が漂っていた。
はてさて、どうしたもんか。腕を組んで椅子にもたれると、ギイ、と軋む音が鳴る。その僅かな音にさえミョウジの眉が反応したので、俺は大人しく身を縮めた。


――なぜミョウジがこんなにもイライラしているのか。事の発端は一週間前に遡る。


『塚内警部、君の部下を一人借りたいワン』


そう連絡してきたのは、保須警察署の面構署長だ。保須市で規模の大きい事件が起きた為、近隣の警察署へ応援を要請しているとのこと。そこで、ちょうど手が空いていたミョウジに任せたのだが――


「なんで私が……」


ずっとパソコンを睨んでいるミョウジが、ぶつぶつ言いながらキーボードを叩いている。どうやら面構署長に散々こき使われた挙句、仕事ができるが故に資料や報告書の作成まで任されたらしい。彼女は大っぴらに愚痴を言わないものの、苛立っているのは明らかだった。いつも整理整頓されているミョウジのデスクに積まれた山のような書類と、散乱している栄養ドリンクの缶が、それを物語っている。
面構署長から『優秀な人材だったワン。また頼むワンと伝えてくれ』というメールが届いたのだが、今のミョウジには火に油を注ぐようなものなので、心にしまっておくとしよう。

そんなこんなで今日の午後には保須から戻ってきたミョウジだったが、今の今までずっとデスクに座りっぱなしで書類を作成していた。
手伝ってやりたいのは山々だが、事件の詳細を知らない俺が手を出したら余計な手間になるだろう。何か他に、疲労困憊な部下の助けになることはないだろうか。

そう考えた結果、俺は再び立ち上がる。


「……やっぱり、豆まきをしよう!」
「結構です。そもそも、そんな暇ありません」


ミョウジは少しもパソコンから目を離さずに言い放ったが、俺は構わず彼女の隣に立った。


「俺が鬼をやるから!気分転換になるだろ?」
「いいですって」
「はい、これ豆ね」


半ば強引に、ミョウジの目の前に今朝コンビニで買ってきた豆を置く。掃除が楽なように、いくつかの豆が個別包装されているセットの大袋だ。
ものすごく嫌そうに顔を顰める彼女から少し距離を取り、おまけで付いていた紙のお面を顔に装着。瞬時に鬼になった俺は「さあ、どんと来い!」と、すしざんまいのようなポーズを取って構えた。


「え……怖いんですけど」


ミョウジが引きつった表情で俺を見る。いきなり鬼へと変貌した上司に対して恐怖を抱いているのかもしれない。このままでは伝わらないと思い、俺はお面越しに、疲れ切っている彼女をじっと見つめた。


「……ストレス、溜まってるだろ?」
「え?」
「君は言わないけど分かるよ。発散した方がいい」
「いや、だからって何で豆まき……」
「それ、俺に全部ぶつけてくれ」
「へ?」


ミョウジがポカンと口を開ける。俺は続けた。


「豆をまくついでに、言いづらい愚痴も一緒に乗せればいい。誰かにぶつけたらスッキリするから」
「……上司に向かって豆を投げるのは、気が引けます」
「気にするな!今の俺は鬼だからな!」


俺が大きく頷くと、ミョウジは豆の袋と俺を交互に見てから口を開いた。


「……本当に、いいんですか?」
「もちろんさ!部下の愚痴くらい、いくらでも受け止めてやる!」


さあ、いつでも来い!と両手を広げる俺を見て、ミョウジはスッと立ち上がった。


「……では、お言葉に甘えて」


そして、右肩を回しながら首をゴキッと鳴らし、セットの袋から一つの小袋を取り出す。その目付きは驚くほど据わっており、背後にはただならぬオーラが見えた。
小袋をギュッと握り込んだミョウジは野球ボールを投げるピッチャーのようなフォームになりながら、射抜くような視線で俺に照準を合わせ、ゆっくりと口を開く。


「鬼はー……」


先に言っておく。ここは、マウンドではない。
俺たちの距離は、ほんの数メートル。

ものすごい気迫にギョッとして「待、」と声を出した、その直後。


「外!!」


俺の額のど真ん中に、強烈な痛みが走る。思わず気を失いそうになったがギリギリ耐えた。想像していた豆まきと全然違うぞ、なんだこれ。


「福はー……」


あまりの痛さに呆然としている俺を無視したまま、ミョウジはもう一度同じフォームになり、


「内!!」


豪速球のような豆入りの袋をぶつけにきた。


「ぎゃあ!!」


次は鼻に命中した。俺は今度こそ床に両膝をつく。そんな俺を少しも気にすることなく、ミョウジはまた、大きく振りかぶった。


「鬼はー…」
「ちょ、ま、待ってくれ!」
「外!!」
「ぶっ!!」


今度は右頬にクリーンヒット。あまりの強さに尻餅をついた。


「うっ……い、痛い、でもナイスピッチング……」


強烈な痛みに悶絶しながら半泣きで彼女を見上げるが、視界がぼやけて見えない。


「鬼は外!!福は内!!」


俺の声なんて聞こえちゃいないミョウジはひたすら小袋をぶん投げ続けている。
気付けば俺は部屋の隅に追いやられていた。これじゃ、どっちが鬼か分からない。


「待っ、待って!!もう少し優し、痛っ!!」 
「あの犬ヅラ!!何から何まで全部押し付けやがって!!」
「い、痛い!!ぐはっ!!い、犬ヅラって面構署長のことかい!?君けっこう口悪いね!?いて!!」
「テメェは指示するだけして何もしないわ、何聞いても「ワン!」しか言わねえわ、ホントなんなんだよ!!だいたい私は直属の部下じゃねえ!!」
「うん、分かったから、痛い!!ちょっと一旦落ち着こう!?痛!!」
「クソッタレ!!」


最後にそう叫び、空になった大袋まで俺にぶつけたミョウジは、荒くなった息を整えるように深呼吸を一つ。


「ふぅー……スッキリした」


独り言のように呟いたミョウジはどこか晴れ晴れとした表情で「塚内さん、ありがとうございました」と、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。そして、もはや床に張り付くように倒れている俺の周りに落ちている小袋を拾い上げ、


「これ掃除しなくていいなんて、便利ですね」


なんて感心したように言ってから、デスクへと戻った。「いただきます」と律儀にも手を合わせて、豆をボリボリ食べながら仕事を再開している。

さっきよりも随分と静かになったタイピング音が聞こえてきて、ミョウジのストレスが少しでも軽くなったようで良かったと一安心。次からはバッティングセンターにでも連れて行ってやるかと思いつつ、俺はお面の下で静かに泣いた。



20220211
2/3のプラス再録。


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