幸福で塗り替えて


十二月二十八日、二十一時を過ぎた頃。
無事に今日の仕事を終えた俺は、スマホを開いて『今から行きます』とメッセージを送る。相手は、最近やっと思いが通じ合った恋人、ナマエさんだ。今日は俺の誕生日ということで、手料理を振る舞ってくれるらしい。

凍えそうな夜空の中を、彼女の家まで真っ直ぐに駆けていく。白い息を吐きながら、少しの期待に胸が膨らみつつも、俺の気持ちはどこか冷めていた。

俺は誕生日に、いい思い出なんてなかったから。

ナマエさんが一緒に過ごしてくれることは嬉しい。でも今日が誕生日だからと言って、その喜びが跳ね上がる訳でも、特別に感じることもなかった。




昔。
まだ俺が小さかった頃。

俺と同じ年くらいの子どもが家族や友人に囲まれて、笑顔でお子様ランチやホールケーキを食べる……そんな誕生日会のワンシーンを、何かの映画で観たことがあった。
あのキラキラとした光景に憧れたけれど、もちろん現実に起きたことはない。むしろ、冬の寒さに苛立った両親が憂さ晴らしをするかのように、いつもよりも多く罵声を浴びせにきたから、誕生日なんて、ただの憂鬱な日だった。

それでも公安に入ってからは、目良さんがショートケーキを買ってくれたり、あの仏頂面の会長が豪華な料理をご馳走してくれたりして、少しだけ嬉しい日になったけれど。

プロヒーローになってからも、サイドキックやファン達が祝ってくれて、誕生日って楽しい日なんだな、とは思うようになっていったけれど。

でも、今でも鮮明に思い出すんだ。

ボロボロの家が軋むほど激しく、父親から殴られたことを。頬を真っ赤に腫らす俺を見て、「あんたなんか産まなきゃ良かった」と呟いた母の顔を、言葉を。

幼い心に焼き付いた記憶は、大人になった今でも夢に見ることがある。だから誕生日は、やっぱり憂鬱な日に変わりない。




そんな気持ちのままナマエさんに会うのは少し気が引けたが、感情を隠すことには慣れているから大丈夫。そう自分に言い聞かせ、到着したナマエさんの家のインターホンを鳴らして、ドアを開けた。

――直後、

「ホークス!お誕生日おめでとう!」

明るい声と共に、パン!!と軽快な破裂音。カラフルな紙吹雪が舞う、その向こうには。

「それから、ちょっぴり遅めのメリークリスマス!」

鳴らしたばかりのクラッカーを持って笑う、赤い服を全身に纏った、モサモサのヒゲを付けたナマエさんの姿があった。

「え……ちょ、あっははっ!なんつー格好してんですか!」

いきなり目の前に現れたサンタクロースに思わず声を出して笑いながら、本物さながらの長袖と長ズボンを着こなす、可愛らしいサンタを見つめる。彼女は白いヒゲを得意気に撫でながら、

「クリスマスはお互い仕事だったでしょ?だから、ついでに一緒に祝おうと思って」

と、これまた楽しそうに笑った。
こんな愉快な一面もあったんだと新たな発見を嬉しく思いながら、俺も彼女のヒゲをつついて笑う。

「ふふっ、いい案ですね。このヒゲとっても似合ってますよ」
「でしょ?」

彼女は嬉しそうに笑いながら、俺の手に自分のそれを重ね、ゆっくりと歩き出す。

「今日はパーティーだよ」

その言葉と共に部屋に招き入れられた俺は、

「……これ、」

息を、呑んだ。
目の前に広がる、たくさんの料理に。

「本当はもっと豪華にしたかったんだけど、ケーキに時間かかっちゃって……」

ナマエさんはヒゲを外しながら、恥ずかしそうに続ける。

「鶏肉以外に何が好きかなぁって考えてたら、こうなっちゃった」

その声をどこか遠くに聞きながら、俺は視界いっぱいに映るテーブルを隅から隅まで見つめた。

――そこには、いつか夢見た、憧れの……

「ナマエ特製・お子様ランチプレートです!」

目玉焼きが乗ったハンバーグに、小さな旗がちょこんと飾られているチキンライス。彩りが綺麗なサラダや大きなエビフライ、俺の好物の唐揚げ。それらが全部、一枚のお皿に盛り付けられていた。他にもスープやシャンパンなんかも並んでいて。
その中央には、大きな大きな、ホールケーキ。

「ケーキ初めて作ったんだ。あっ、甘いの好き?」
「……うん」

込み上げる気持ちを堪えているせいで、頷くことしかできない。そんな俺に気付かないナマエさんは「良かった」と笑いながら、ケーキの上に並ぶ蝋燭に火を灯していく。ご機嫌な様子で誕生日の歌を口ずさみ、そして、俺に笑顔を向けた。

「改めて……ホークス、お誕生日おめでとう!」

呆然と突っ立ったままの俺は、「ほらほら、早く火消して!」というナマエさんの言葉に導かれ、言われるがまま息を吹く。蝋燭がふっと消えて、甘い匂いの煙が舞った。

「へへっ、おめでとー!」

じわり、ナマエさんの笑顔が滲んで、自分の頬を温かい何かが伝う。そんな俺を見たナマエさんは、ギョッと目を見開いた。

「……え!?な、泣いてる!?」
「……っ、」
「ご、ごご、ごめん、なにか嫌だった!?全部!?」
「や、違い、ます……違う、そうじゃなくて、」

嬉しくて。
そう続けたつもりだったけど、喉が詰まって声がうまく出せない。溢れてくる涙を乱暴に拭おうとした時、彼女の小さな手が伸びてきて、俺の涙に触れた。

「……意外と、泣き虫なんだね?」

優しい瞳に、目と鼻を赤くした情けない俺が映る。俺の過去や、名前すら知らないナマエさんは何も聞くことなく、ただ柔らかく微笑んだ。

「ホークス、生まれてきてくれてありがとう」

ナマエさんが俺の髪を撫でる。幼い子どもをあやすような、穏やかな手つきで。

「一緒にお祝いできて、私も嬉しい」

俺の方が嬉しいよ。ありがとう。恥ずかしい。こんなの初めてだ。幸せだ――いろんな感情が混ざって、言葉を発することができなくて。目の前の小さな体を抱き寄せた。泣き顔を見られたくなくて、ナマエさんの髪に顔を埋める。そっと背中に回された腕は俺よりもずっと細くて頼りないのに、どうしようもないほど安心して、温かくて。
また涙が溢れた。




いつか憧れた景色が今、目の前にある。
可愛らしい旗が乗ったお子様ランチプレートに、食べきれないほど大きなホールケーキ。
そして、笑顔で俺を見つめてくれる、大好きな人。

たくさんの祝福の言葉が、ずっと望んでいた言葉が、心に広がっていく。こんな日を夢見ていたんだ。幸せに溢れた、こんな誕生日を。

「ホークス、来年も一緒にお祝いしようね!」
「……うんっ!」

もうきっと、昔の夢は見ない。思い出すこともないだろう。だって、こんなにも素敵な日を迎えられたのだから。
今の俺には、幸福で塗り替えてくれる人がいるのだから。



20211231 Happy Birthday
12/28のプラス再録。お誕生日おめでとう!!!!


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