笑顔でいてくれますように


強い正義感というのは、時に自らを危険に晒してしまう。だから、後先考えずに突っ込むなと、何かあれば応援を呼べと、自分一人で解決しようとするなと、何度も何度も言ったのに。


「俺の言うことを聞かないからだ」


目の前で白いベッドに横たわる部下を見下ろす。痛々しく巻かれた包帯には赤い染みが随所に散らばっており、いつも元気で明るいはずの彼女からは僅かな苦笑しか返ってこなくて、それが無性に腹立たしかった。


「…なんで笑ってる」


お前は死にかけたんだぞ。その言葉を飲み込む代わりに、白い頬に手を伸ばした。温かい。風前の灯火のような命だけれど確かに今、生きているのだと、言いようのない安心感が広がる。


「あの子どもは、無事ですか?」
「…ああ、掠り傷一つない」
「良かった」


安堵の息を吐き、俺を見上げて笑う彼女の表情は穏やかで。どうしてそんな顔が出来るんだと思わず怒鳴りそうになりながら、触れたままの頬に手のひらを添わせた。彼女は驚いたように目を瞬かせてから少しだけ恥ずかしそうに、また笑う。
いつから、この笑顔をずっと見ていたいと思うようになったのだろう。一回りも年下の、優秀な部下。それ以上でも以下でもない、仕事仲間だったのに。いつから俺は。


「……ミョウジ、」


小さく、名を呼ぶ。点滴針が刺さったままの細い右手が、ゆっくりと俺の手に重ねられた。自分とは正反対の小さくて折れそうなそれは、戸惑いつつも指先を絡め取るように動き、撫でられる。まるで慰めようとでもしているのか、緩やかな動作は、どこまでも優しい。


「…そんな顔しないでください」


そんな顔ってどんな顔だ、と返せば、泣きそうな顔、だなんて。上司を揶揄うもんじゃないと非難しても、彼女はただ微笑むだけで、俺の手をそっと包み込んだ。こんなにも傷だらけなのに、痛い思いをしているのに、それでも俺を気遣って弱音の一つも吐かない彼女のことを、気付けば目で追い掛けていた。無個性であることを嘆くことなく、努力を怠らず、正義を貫こうと真っ直ぐに進んでいく姿が、とても眩しくて。
…いつか、消えてしまいそうで。


「…なんで、あんな無茶したんだ」


声にした言葉は思ったよりも小さい。けれどしっかり聞こえていたのか、彼女はただ、申し訳なさそうに眉を下げるだけ。

――三日前、街中で敵の暴動が起こった。敵は帰宅途中だった子どもを人質に廃墟ビルに立て籠もり、誰もがヒーローの到着を待つ中。たまたまパトカーで現場近くを通った彼女は一人で乗り込み、結果的に無事子どもを救助した。そう、結果的には。
体から鋭利な刃物を噴出する敵は子どもを殺害しようとしており、ギリギリで間に合った彼女と戦闘になったのだ。警察であり個性を持たない彼女の武器は拳銃と、訓練した逮捕術のみ。自分よりも数周り巨大で凶暴な敵に一人で立ち向かった彼女は敵を確保したものの。代償としてその小さな体は全身傷だらけ、大量出血という瀕死状態で発見され。それから三日三晩目を覚ますことなく眠り続け、やっと先程、意識を取り戻したのだ。


「…どれだけ、心配したと思ってる」
「…すみませんでした」
「謝って済む問題じゃない」
「…でも、あと少し遅ければ子どもは殺されていたかもしれません」


彼女の言葉は最もで、警察としては出過ぎた真似にも思えるが、それでも定められた規律の中でしっかり一般人を守った部下を、上司である自分は褒めるべきなんだろう。でも、それはどうやったって出来そうになかった。


「…なら、俺はどうなる」
「…塚内警部?」
「いつも突っ走っていく、お前を…」
「…」
「お前のことを大事だと想う俺の気持ちは、どうなるんだ」


触れ合ったままの手を両手で握り、祈るように、額へと持っていく。


「…頼むから、もっと自分の命を大事にしてくれ」

 
そして叶うなら。俺の目の届く場所に、俺の隣にいてほしい。お前が走って行ってもすぐに追い掛けられるように、見失わないように。


「…今後、気をつけます」


彼女が俺の本当の気持ちに気付くことは、きっとないだろう。でも、それでいい。元気でいてくれるのならば、上司と部下という関係のままでいいから。

だからどうか、彼女がずっと笑顔でいてくれますように。



20201009
プラス再録


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