目の前のご馳走


――十月三十一日。

今日のパトロールは実に大変だった。街はコスプレをしている若者で溢れ返っており、ここで大きな犯罪が起こったとしても誰が犯人で誰が被害者なのかパッと見では区別できない。そんな中「キャー痴漢!」「スリだ!財布が!」との小さなイザコザが起こる度に剛翼をフル活用し、ごった返す人の波に紛れようとする悪人を探すのは、正直かなりの体力を使った。普段の何倍も疲れた気がする。

けれどもここは福岡。都会のように日を跨いで盛り上げよう!なんて考える人はいないようで、日が落ちる頃にはすっかり落ち着きを取り戻していた。なので俺も、夜には無事帰宅することが出来たのだった。


「ただいま〜」
「おかえり」


同棲中の彼女が出迎えてくれる、この瞬間がたまらなく好きだ。ナマエさんの顔を見た途端さっきまでの疲れが吹っ飛ぶ。「お疲れ」と声を掛けてくれる彼女を見て、ふと。街中で散々聞いた言葉を思い出した俺は、下心を隠しながら声高々に言ってみた。


「トリック・オア・トリート!」
「は?」
「だから…トリック・オア・トリート!」


クールなナマエさんはまるで興味がないのか、俺の期待に満ちた顔を一瞥してからスタスタと室内へ戻ろうとする。慌てて細い手首を掴んだ。


「ちょ、ガン無視しないでくださいよ!」
「いや、馬鹿なこと言ってんなって思って」


ひどすぎる。思わず泣きそうになりながらも、俺は彼女の手をギュッと握った。


「…ねえ、トリック・オア・トリートなんですけど」
「晩ご飯できてるよ。チキン南蛮」
「え、マジで!俺の好物!って、じゃなくて!」
「なに、冷めるよ」
「う…」


ほら、と引っ張られ、俺の体はいとも簡単にリビングへ連れて行かれる。徐々に漂ってくる食欲をそそる匂いに思わず頬が緩んだが、ちょっと待って。


「ねえ〜、トリッ、もが!」


言いかけた瞬間、口の中に何かを突っ込まれた。甘くて柔らかい、とろける味わいは…


「暇だったから作った」


そう言った彼女の手には、一切れのチョコケーキ。ちょっぴり形は歪だったが味は抜群に良かった。疲れた体に糖分が染み渡ってめちゃくちゃ美味しい、ミシュラン三ツ星待ったなしである。
もぐもぐと口を動かしながら「ウマ…天才…」と呟くと、彼女は小さく笑った。


「デザートで出そうと思ってたのに、あんたうるさいから」


ごくんと飲み込んでから気付く。お菓子か悪戯か聞いてお菓子を出されたら、悪戯できないじゃないか…!


「…」
「どうしたの?」
「いや…別に…」


イベント事にかこつけて、あわよくば…なんて思っていたのに。現実は中々上手くいかないものだとガックリ項垂れると、ナマエさんはおもむろに俺の方へ手を伸ばして、ガッと後頭部を掴んだ。


「えっ」


驚いたのも束の間、俺よりも背が低いはずの彼女と目線が合わさった瞬間、唇に押し当てられたのは、しっとりとしたナマエさんの、それ。チョコケーキよりもずっと甘くて柔らかい感触に驚いていると、鼻先が触れ合う距離でじっと見つめられ、そして。


「…悪戯も、していいよ」


ニヤリ。そんな効果音がつきそうな笑顔で言われた俺は、思わず彼女の背中と腰に腕を回して、噛み付くような深いキスを落とした。いつの間にか細い腕も俺の首に回って、身体が隙間なく密着する。


「…じゃあ、遠慮なく」
「ふふ、どーぞ」


せっかく作ってくれたチキン南蛮は後で温め直すとして。今は互いに、目の前の甘いご馳走をいただくとしよう。

トリック・オア・トリート、っていうか、トリック・アンド・トリートな俺達のハロウィンは、今から本番だ。



20201031 ハロウィン
プラス再録。


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