宮殿勤務の実態



「こちらの書類を先程の資料と照らし合わせてまとめて下さい」

「はい」

「それが終わったら明日の軍事会議に提出する報告書をお願いします」

「はい」

「あと…昼までには昨日の書類をファイリングしておくように」

「分かりました」

「では私は陛下に呼ばれているので後は任せますね」

「…はい。失礼致します」


 大佐が部屋から出ていった瞬間、私は小さくため息を吐いた。

 第三師団補佐とは、こんなにも仕事が多いものなのか。大佐が持ってくる仕事は毎日膨大な量なのに、午後からはいつも槍術部隊の訓練をしなければならないので、何としても午前中に全てを終わらせなければならないのだ。

 今まで、任務がない時は槍の訓練や譜術の特訓しかしていなかった為、ひたすら書類とにらみ合うのは正直苦痛極まりない。けれど、士官寮から宮殿勤務になり、宮殿内に暮らせる事になったのは本当に嬉しかった。

 士官寮は宮殿の近くにあり、それなりに暮らしやすかったのだが、女隊士や女術士がかなり少ない為、合同部屋だったのだ。

 しかも私は年齢が一番若かった為、10人部屋の一番奥、一番狭くて小さいスペースしか与えてもらえなかった。軍曹という、女の中では上の立場であっても、やはり年齢には逆らえないのが女の集団である。

 そんな生活をしていたので、宮殿内の、しかも10人部屋並みに広い一人部屋を与えてもらった時は、思わず嬉し泣きしそうだったほどである。

 その時の喜びを思い出して自分を奮い起たせた私は、机の上に広がる膨大な書類を片付け始めた。


――――――――


 午後。

 今日も何とか仕事を終わらせた私は、急いで昼食を食べて広場に向かった。広場では兵士達がそれぞれの専門武器の訓練をしている。その一角に私の部隊が並んでいて、私は駆け寄る。


「遅れてごめん、早速始めようか」


 そう言うと、部下達は申し訳なさそうに私を見て、その中の一人が口を開く。


「…アイリアス軍曹、お疲れ様であります。お忙しい中、毎日我々の訓練に付き合って頂き…本当にすみません」

「訓練は前からしてたじゃない。謝ることないでしょう?」


 宮殿勤務になる前から、私は毎日部下と一緒に訓練していた。最初は…初めて出来た部下達だったから、せめて必ず自分の身だけは守れるようにと思い、必死で特訓していただけだった。それが段々とみんなの個人スキルが上がってきて、みんな熱心に訓練に励むようになって…いつの間にか、数ある槍術部隊の中で、先鋭隊と呼ばれる程になっていたのだ。

 私としてもとても嬉しいし、こうやって部下達と一緒に訓練することが楽しい。それに息抜きにもなる。


「私にとって、みんなと訓練する時間は大切な時間なんだから…気にしないで。みんなでもっと強くなる為に頑張ろう」

「…はい!」

「…軍曹…自分、軍曹の部下で良かったです!」

「自分達、もっと強くなって…軍曹を守れるくらいの部隊になりますから!」


 部下達はみんな大きく返事をしてくれて、私は思わず笑った。



―――――――



 みっちり日が暮れるまで訓練したおかげで、部下達の譜術強化は上手く成功した。あとはみんなが、それぞれの音素を上手く扱えれば威力は倍増される。

 今から、夕食を食べて少し休憩した後、街の見回りと警備だ。これも前からやっていた事である。少しでも多く休憩したいので、とりあえず部下達に別れを告げて、一足先に食堂へ向かった。


「今日は…グラタンと、コロッケだ」


 軍服の首もとを少しだけ緩めて、クリームの良い匂いがするトレイを持って座る。ここだけの話、士官寮のご飯は…かなり不味かった。しかし宮殿の食堂は流石というか、とにかく美味しくて、その上おかわり自由である。天国のような場所だ。


「よし…いただきます」

「前、いいか?」


 手を合わせて食べようとした瞬間、前から聞こえた声に驚いて顔を上げる。


「フリングス少佐。お疲れ様です」


 急いで立ち上がり敬礼。少佐は笑って、私の前に座った。


「宮殿勤務になったんだってな。すごい昇級じゃないか、部下達も喜んでいただろ?」


 フリングス少佐は士官学校時代の先輩だ。私と歳が4つしか変わらないのに、努力で少佐にまで上り詰めた実力者である。
そして、大佐よりも気軽に話せる数少ない人だ。


「そうですね。みんな、士官寮とは比べものにならないくらい過ごしやすいと喜んでいます」

「はは、だろうな。俺も士官寮には二度と戻りたくない」


 フリングス少佐は笑って、グラタンを頬張る。私もコロッケをかじった。中はカボチャのようで、ホクホクとした美味しさが口一杯に広がる。


「カーティス大佐の補佐の方はどうだ?」

「書類整理は…慣れるのに時間がかかりそうです」

「大佐の書類地獄は有名だからな…」

「有名なんですか?」

「…知らないのか?大佐は自分の仕事と、適当な雑用まで補佐に押し付けるって有名だぞ」

「……」


 それじゃあ、毎日回ってくるあの異常な量の仕事には、大佐の分まで入ってるのか。しかも雑用まで…確かに書類のファイリングなんて誰でも出来るだろうし、他の仕事で手一杯の私に頼む必要は無い。

 悲しいような情けないような、複雑な気分だ。私の心情を察したのか、少佐は哀れむような顔で私を見る。


「…ま、あの士官寮から出れただけでも、俺達兵士からしたら幸せだよな」

「…そうですね。ご飯も美味しいですし」


 そうだ。私は宮殿勤務。どんなに地味で嫌がらせのような仕事が大量に回ってきても、士官寮から出れただけで充分だと思わなければならない。


「にしても…気をつけろよ、ニーナ」


 少しだけ声を潜めて言う少佐に、首を傾げる。


「…何がですか?」

「兵士団の奴らだよ。お前がいきなり兵士団から第三師団に昇級したのを、納得いってない奴らが多いらしい」

「…」

「まぁ無いとは思うが、訓練する広場には兵士団もいる。一応気をつけとけよ?」

「…はい。ありがとうございます」


 妬まれるなんて、慣れてる。軍曹に昇級した時も、周りの男の兵士団達に陰口を言われたものだ。あいつは女だから上層部に色目を使って昇級した、とか。マクガヴァン元元帥に気に入られてるだけだ、とか。

 誰も、私の過去を知らないくせに。

 好き勝手言えばいい。私はフリングス少佐みたいに、努力しているつもりだ。少なくとも、そんな風に妬む奴らより、ずっと。それに私には信頼出来る部下達がいる。部下達の中には私より歳上の兵士も多いが、みんな私に付いて来てくれる。

だから、私は気にしない。




「あー、食った食った。ニーナはこれから警備か?」

「はい。少佐もですか?」

「いや、俺は陛下に呼ばれてるんだ。まぁ、多分ブウサギ絡みの事だと思うが」

「ブウサギ…」

 
 確か大佐も、陛下はブウサギ好きと言っていたな。そんなに好きなんだろうか。


「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。色々大変だろうが頑張れよ」

「はい、ありがとうございます。失礼致します」


 少佐の背中を見送ってから、私も警備の為に席を立った。



20120711


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