仕事モードをオンにします。


「塚内警部、二軒目どうっすか?!」
「俺は遠慮しておくよ」
「えー! 一緒に行きましょうよー」
「これでも結構飲んだからな。お前らも明日に響かないよう気を付けろよ」
「「はーい」」


あれから小一時間が過ぎ、盛り上がった飲み会もお開きになった。まだ飲み足りないらしい部下達が二軒目へと向かっていくのを見送ってから、俺も帰ろうとハンガーに掛けていた自分のコートを手に取る。
ふと忘れ物がないかと辺りを見渡すと、思わぬ光景が目に入ってきた。


「……ミョウジ?」


俺から少し離れた座敷。そこで、ミョウジがテーブルに突っ伏していた。隣にいる三茶はスマホを片手に誰かに電話を掛けている。

まさか、ミョウジは酔い潰れたのか?

驚いていると、ミョウジが僅かに身じろぎをして顔がこっちに向けられた。少しだけ見えた表情があまりにも可愛らしくて思わず見入る。

赤い頬に、半開きの綺麗な形の唇。いつもパッチリしている大きな瞳は閉じられており、長い睫毛が落とす影がここからでも見えた。

初めて見る寝顔に心臓が跳ねる。普段ピシッとしている彼女とはまるで別人のようで、あどけなくて、釘付けになった。

そんなミョウジとは反対に三茶は普段通りで、特段酔った様子もない。こうして二人を眺めているとなんだか美女と野獣に見えてきた。おかしいな、俺も久しぶりの酒で酔ってるのかな。
俺が目を擦っていると、電話を終えた三茶が俺を見た。そして、


「塚内警部、ちょうど良かった。ちょっとこっちに来てください」


突然話しかけられたので驚きつつ、二人に近付く。


「ど、どうした野獣」
「は?」


しまった声に出た。三茶が怪訝な顔をしている。俺は誤魔化そうとコホンと咳払いをし、猫目を見た。


「い、いやなんでもない。それよりミョウジは大丈夫なのか?」
「完全に酔ってますね。てか半分寝てます」


近くでミョウジを見ると、「うーん……むにゃむにゃ」と唸りながら寝息を立てていた。どうしよう、可愛くて直視できない。

内心ドギマギしまくっている俺に全く気付かない三茶は、いつも通りの声で続ける。


「警部、ミョウジと家の方向同じでしたよね?」
「え? う、うん。確かそうだったと思うけど」
「じゃあ、ミョウジのこと家まで送ってもらえますか?」
「え!?」


思わず大声が出た。三茶もビックリして猫目を大きくしたが、夢の中にいるミョウジには聞こえなかったのか微動だにしていない。


「……そんなに驚かなくても。今タクシー呼んだので、お願いしていいですか」
「……」
「俺は反対方向だし、こんな状態のミョウジを一人で帰らせるのも心配ですし」


それはそうだ。こんなミョウジを一人でタクシーに乗せたとて、そこから家までの道のりが心配である。

まさかの展開に脳内で若干パニックになりつつ、俺は頷いた。


「……うん、分かった」








ほぼ寝てるミョウジの両腕を三茶と俺で抱えながらタクシーに乗せ、俺も隣に乗り込んだ。三茶は運転手にミョウジのマンション名を告げ、「じゃあ後はお願いします」とあっさり去っていく。

タクシーが静かに走り出した。明日から四月とはいえ、夜はまだ冷える季節。車内は少し肌寒くて、隣に座るミョウジが両手を無意識に擦り合わせているのに気付いた。


「……ミョウジ、大丈夫か?」


返事はない。俺は一瞬迷いつつ、小脇に抱えていた自分のトレンチコートをミョウジの肩に掛けてやった。大丈夫かな、臭くないかな、でも寒そうだし……そんな不安が駆け巡ったのも束の間、ミョウジがコートに顔を埋めるようにして、それから、俺に寄りかかってきた。


「!!!!」


驚き過ぎてまた大声を上げるところだったがギリギリ耐えた。ど、ど、どうしよう、なんてことだ、ミョウジの小さな頭がコツンと俺の右肩に乗っている。なんだこの状況は、なにこれここは天国か?

すぐ近くでミョウジの息遣いが聞こえる。保て、平常心を保て、なにがどうあっても冷静でいろ。
そうは思えど沸騰しそうな脳内と爆発しそうな心臓がうるさくて、さっきから冷や汗が止まらない。


「(落ち着け……落ち着け俺……)」


何度も深呼吸をしながら、そうだこれは仕事の延長だと思えばいいのではと閃く。

俺はミョウジのことが好きだが、勤務中はちゃんと上司として接しているつもりだ。特別扱いしたり、業務内容を忖度することもない。つい目で追ってしまうことはあるものの、俺は基本的に無表情なので誰も気付いていないだろう。あれ、なんか真顔で見つめてるって冷静に考えたら気持ち悪いな、でもニヤニヤしてる方が百倍気味が悪いだろ、だから大丈夫だ、うん。

捜査の一環で朝から晩までパトカーで二人きりで過ごしたり、柔道の訓練で組み合ったり。一緒に働く以上、そういった接触は何度もあったが、職場にいる時の俺は完全に仕事モードなので一切の下心なく接してきた。長年の片想いと無表情が成せる技、まさに無我の境地である。

さっきだって三茶と一緒にミョウジを支えた時も、変なことは全然考えなかった。随分と軽くて驚いたが、そんなことよりも心配の方が上回っていたのだ。

……でも。
でも仕事以外でミョウジがこんなに近くにいるのは、もちろん初めてのことで。


「うーん……」
「ミョウジ? だ、大丈夫か?」


俺にもたれたまま、ミョウジが小さく唸る。気分でも悪いのかと声を掛けるが、特に返事もしないまま、今度は額を肩にグリグリ、グリグリと押し付けにきた。


「!! …く、うう……っ」


なんて可愛い仕草をするんだ、俺を殺す気なのかコイツは、なんだってもう……もう叫びたい、腹の底から叫びたい。世界中のみんな、ミョウジがこんなに可愛いぞ。

その気持ちを抑えようと下唇から血が滲みそうなほど噛んで食いしばる。たぶん前歯が出ている。タクシーの運転手がルームミラー越しで俺を見た気がするが一瞬で逸らされた。とんでもない顔をしている自覚があるが無理だ、今の俺が無表情を貫くなんて出来る訳ないだろ。


「えーっと、お客さん。この角でいいですか?」
「あ、はい。お願いします」


あっという間にミョウジのマンション前に到着した。俺は手早く支払いを済ませ、できるだけ冷静にミョウジの肩をゆする。


「ミョウジ、着いたぞ。降りられるか」
「……うん…」


うんって言った。萌え死ぬかと思った。寝惚けているとはいえ、初めて自分に向けられたタメ口に言いようのない感情が広がる。なんでこんなに可愛いんだろう。

ぼんやりしているミョウジが危なっかしいので悩みながらも腕を掴み、引っ張るようにタクシーから降ろす。運転手は俺の百面相が怖かったのか、すぐドアを閉めて発進していった。

ミョウジはフラフラしながら、今度は立ったまま俺に寄りかかった。身長差があるのですっぽり俺の胸に収まり、咄嗟に抱き締めるような形になる。彼女の肩に掛けたままの俺のコートがなければ、ダイレクトにミョウジの体が密着するところだった。

俺の頭は大パニックで数秒フリーズしたが、よくよく考えればミョウジは今、酔っ払っているだけだ。いつも真面目で大人しい彼女が少し羽目を外しただけ。これは事故、そう事故である。だからここは上司として、きちんと部下を送り届けなければならない。

三茶が俺に頼んだのも、きっと俺を信頼しているからだ。俺なら大丈夫、俺なら安心して任せられると思ってくれたんだろう。

その部下の思いを裏切ってはいけない。よし大丈夫、仕事モードに切り替えろ、俺ならできる、いざ無我の境地アゲイン。


「ミョウジ、歩けるかい?」
「うーん、…………」
「ほら、掴まって」


ミョウジが転ばないよう、彼女の細い両肩を支えながら一歩を踏み出す。マンションのエントランスを見ればエレベーターがあって安心した。こんな様子じゃ階段なんて昇れない。


「ゆっくりでいいから……って、うお!?」


その時、力が抜けたかのようにミョウジが座り込みそうになった。驚いて支えるが、どうやらよほど眠いらしい。もう一歩も歩けそうになかった。

俺は数秒、迷いに迷って、


「……すまない、」


一言謝ってから、ミョウジの背中と膝裏に腕を回して、俺のコートで包むように彼女を横抱きで持ち上げた。やっぱり軽い。

ああ、嫌だろうな。好きでもない男にこんな風に抱えられるなんて。しかも相手が俺だなんて。でもこの体勢では背負うのも難しいから許してくれ。「何するんですかセクハラです!」と嫌われたらどうしようと思いつつ、急ぎ足でエントランスを抜けてエレベーターに乗り込む。

今の俺は仕事モード、今の任務はミョウジを部屋に送り届けること。

それだけだと死ぬ気で言い聞かせながら。



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