厄介な片想いをしています。


好きだった、ずっとずっと好きだった。
でも俺達は職場が同じだけのただの上司と部下で、薄っぺらい関係で。この気持ちを自覚した時、同時に叶わない恋だということも理解していた。

仕事に私情を持ち込む訳にもいかないし、何よりも、こんな薄っぺらい関係さえも壊したくない。

だから気持ちに蓋をして、何食わぬ顔をして。
あいつが幸せなら、それでいいと。
隣にいるのが俺でなくても、あいつが笑顔なら、それだけで幸せだと。

そう、思っていたのに。


「塚内さん、好きです」


瞳に涙をいっぱい溜めて、ミョウジが言った。そのまま寄りかかってくる小さな体を呆然と抱き止めて、俺は硬直する。

……これは、夢か?







三月三十一日、水曜日。
数ヶ月に及んだ大きな事件が片付いたので、事件解決&今年度もお疲れ様でしたと称した飲み会が開かれた。連日の徹夜や張り込みで体は悲鳴を上げていたが、飲み会独特の明るい雰囲気は嫌いじゃない。

まだ週も半ばだというのに周りは大盛り上がりでどんちゃん騒ぎだ。警察官は休める時に休んどけ、飲める時に飲んでおけが教訓ではあるものの、俺は明日のことを考えて「程々にしとけよ」と笑いながら、自分のペースでビールをちびちび飲んでいた。


「玉川さん、隣いいですか?」


その時、ふと耳に届いた声。視線を向けると、俺から少し離れた座敷にミョウジが座るのが見えた。


「ああ。珍しいな、ミョウジがビールなんて」
「今日は久しぶりに、飲もうかなって思いまして」


猫頭と並んだミョウジがジョッキを片手に枝豆に手を伸ばしている。そんな二人を眺めながら俺もビールを飲み、目の前の大皿から唐揚げを一つ取って頬張った。

確かに珍しい。ミョウジはいつも烏龍茶しか頼まないので酒が苦手なのかと思っていたが、そうでもないのか。


「今回、お手柄だったな」
「たまたま勘が当たっただけですよ」


三茶がコークハイを飲みながら笑いかけている。ミョウジは謙遜しながらも嬉しそうに笑い、ビールを美味しそうに飲んだ。

三茶の言う通り、ミョウジは今回の事件で活躍した。ちょこまかと逃げ回るヴィランの逃走経路を的確に見抜き、逮捕にこぎつけたのだ。ミョウジがいなかったら捜査はまだ続いていただろう。

俺もさっき職場で「よくやった」とミョウジに言ったのだが、その時の彼女は「ありがとうございます」と小さく微笑んだだけ……


「玉川さんサラダ食べますか? 良かったら取りますよ」
「頼む」


ほのぼのとした空気間の二人を思わずじっと見つめながら、しみじみ思う。


「……羨ましい」


あ、しまった声に出た。慌てて口を閉じるが、騒がしい部屋で俺の独り言に気付くやつは誰もいなくてホッとする。もちろん三茶とミョウジにも聞こえちゃいない。


「……はぁ」


溜め息を吐いてビールを煽る。この虚しくて物悲しい気持ちを、酔って少しでも軽くしたかった。


ミョウジは五年前に異動してきた女性警察官だ。その頃、まだ交番上がりの新人だったミョウジを俺が教育係として指導してきた。

何事にも真摯に取り組み、どれだけ辛い業務であっても泣き言一つ言わず、努力を怠らないミョウジ。真面目で正義感が強く、けれどどこか危なっかしくて、俺が少しでも目を離せば危険な場所に突っ込んでいきそうな姿がほっとけなくて。そんなミョウジを、いつからか目で追っていた。

どんな時も俺の後ろをついてきて、振り返れば小さく笑ってくれるミョウジ。彼女がそばにいるだけで安心感が胸に広がった。その反面、視界にいなければ心配と喪失感でいっぱいになり、どこにいるんだろうと探してしまう。

そんな気持ちが恋なのだと気付く頃には、ミョウジはすっかり一人前の刑事になっていた。今では俺達刑事課にいなくてはならない人物で、数少ない女性刑事ということもあり、他の署から応援に呼ばれることも多い。

優秀で、頑張り屋な、大切な仲間。

それだけだったはずなのに……どうして好きになってしまったんだろう。


「もう、何言ってるんですか玉川さん。冗談は顔だけにしてくださいよ」
「オイ、今失礼なこと言ったな?」
「あははっ、なんでもないです」


楽しげに談笑しているミョウジと三茶。周りにバレないように二人を盗み見してる自分が情けないが、こればっかりは仕方ない。羨ましいけど、ものすごく羨ましいけど、仕方ないのだ。

三茶とミョウジは仲が良い。デスクが隣同士だし、俺がミョウジの教育係を終えてからは、俺よりもいくらか歳が近い三茶に懐いているように思う。


「(あんな可愛い顔で笑うんだな……)」


ミョウジは愛想はいいが感情を大きく顔に出さないため、あんな風に声を出して、目尻を下げる笑顔なんて見たことがなかった。いつもの口元を手で隠すようにクスッと笑う笑顔ももちろん可愛いが、それはそれだ。ちくしょう、三茶が心底羨ましい。でも俺が真正面からあの笑顔を浴びたらたぶん可愛すぎて腰が砕け散るだろうから、この距離がちょうど良いのかもしれない。

そう、ミョウジは可愛いのだ。美人ともいえる。恋愛感情抜きにしても整った綺麗な顔立ちをしているし、署内外問わず人気者だった。

よく「ミョウジって可愛いよな」「どっちかって言うと美人じゃね?」「今度メシでも誘ってみるか」なんていう噂話や、「この前ミョウジと訓練で手合わせしたけど一瞬で一本背負いされたぜ」「ミョウジって射撃とか対人訓練も強ぇよな」などと感心している声も聞いた。

そうだろ、ミョウジはすごいだろ。それ全部、俺が教えたんだぞ。

なんて誇らしげに思う反面、どんどん独り立ちするミョウジに寂しさを覚えたのも事実。何言ってんだか、部下が立派に成長するのは喜ばしいことなのに。でもミョウジに部下以上の気持ちを抱いてしまっている俺の感情は非常に厄介で、自分でもどうすることもできないまま……こうして、今に至っている。


「玉川さん、お酒おかわりしますか?」
「そうだな……カルーアミルクにしよう」
「え、ふふっ、可愛いチョイスですね」
「甘い系が好きなんだ」
「なんか意外です」


楽しそうな雰囲気がビシビシ伝わってきた。ちらっと見たミョウジはアルコールも相まって頬が赤い。可愛い。三茶とミョウジの距離感は同僚のものだが、俺からすれば近いと思う。あれだ、パーソナルスペースってやつ。

三茶は良い奴だ。仕事もできるし信頼している。ミョウジよりも長い付き合いなので、玉川三茶という人間がどれだけ素晴らしく真面目な男なのかも知っていた。

だから、たまにふと思う。


「(……あの二人が付き合えば、俺は諦めるのに)」


知らない男より、安心して任せられる三茶がミョウジの彼氏だったら……この気持ちに終止符を打てるかもしれない、なんて。

そもそもミョウジに彼氏がいるかも知らないのに俺は何を考えてんだか。

刑事になりたての、右も左も分からないような初々しかったミョウジ。そんな彼女を一人前に育て上げたという謎のプライドがある俺は、どうせなら素性の知らない男よりも、信頼の厚い三茶に任せたかった。いややっぱり身近な二人が付き合ったらショックだよな、でも、いやでも、うん。

……いやいやいや、何言ってんだ俺は。二人の気持ちを無視して勝手なことを考えて、自分勝手すぎるだろ。

こんな最低な妄想を、これまで何度、脳内で繰り広げたことか。飲み会のたびにミョウジを遠くから眺め、たまにお酒を注ぎに来てくれると心の中で大喜びし、また悩んで、一人で落ち込む。

今日もいつもと同じだ。通常運転。誰だってネガティブになることくらいあるだろう。俺にとっては今日がその日なだけ。

それにしても、俺はいつまでミョウジのことを想うんだろう。たぶん、ずっとだろうな。いっそ告白でもして当たって砕けた方が今後の自分の為になるかもしれないけれど、ミョウジを困らせたくない。それに何より、この薄っぺらい関係すら壊したくなかった。

いつもこうだ。堂々巡り。
臆病だと思う。三十も半ばを過ぎたいい大人が何やってんだか。

そんなことをウダウダ考えながら唸っていると突然、どんっ、と肩に軽い衝撃。次いで、


「塚内警部ー! 飲んでますかー!」
「なぁに辛気臭い顔しちゃってるんすか! まだまだ酒はありますよ!」


頭にネクタイを巻いた部下達がジョッキを抱えてやってきた。そのうちの一人が俺の肩に腕を回して笑っている。ものすごく酒臭いし汗臭いが、彼らがあまりにも楽しそうなので、俺もつられるようにして笑った。


「ハハッ、お前らちょっと飲み過ぎだぞ。明日も仕事ってこと忘れてないか?」
「あっはっは! いーんですよ! 酒は飲んでも飲まれなかったらオールオッケーでーっす!」


よく分からない理論ではしゃぐ部下が瓶ビールを持ち、俺の空になったジョッキに注いでくる。苦笑しながらそれを受け止め一気に煽ると、部下達が「ヒュー! いい飲みっぷり!」とさらに騒ぎ立てた。


「もうこれ以上は飲まないからな」
「そんなこと言わずに! ささっ、もう一杯!」
「勘弁してくれよ、俺はお前らみたいに若くないんだから」
「大丈夫ですって! 塚内警部はいつもフレッシュですから!」


雑な褒め方をしながら部下がビールを並々注いでくる。オイオイこぼれるだろーが。ギリギリでジョッキを傾け、少しずつ飲み込んだ。


「あっ、そういや、もうすぐ警部の誕生日じゃないっすか?」
「え? あ、……そうだな。すっかり忘れてた。ってなんでお前が覚えてるんだよ」


この歳になると自分が何歳なのか分からなくなるし、そもそも誕生日がどうとか、ここ数年考えたこともなかった。


「俺の親父と同じ誕生日なんすよ! 健康診断の時にチラッと見て覚えてましたー!」
「んじゃあ、こいつの親父さんと塚内警部のフライングハッピーバースデー! ってことで、かんぱーい!」
「あははっ、なんだそりゃ」


部下達が笑う。俺も笑う。落ち込んでいた気分に彼らの明るさはありがたかった。どんより曇った思考回路を断ち切るようにビールを飲み込んでいく。

その時ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所にいるミョウジと目が合った。それはもうバッチリと。びっくりして心臓が跳ねる。

でも一瞬で逸らされてしまい、さらにミョウジは三茶の方へと体を向けたので、俺からは彼女の後ろ姿しか見えなくなってしまった。

……今、俺のこと見てた? いや違うか、「あいつらうるせーな」「いい大人が誕生日ごときで盛り上がりやがって」みたいな感じで見てただけか。いやミョウジはそんな粗暴な口調じゃないな、せいぜい「黙ってください耳障りです」くらいか、いやそれもキツい、そんなこと思われてたら泣く。

それにしてもミョウジ、けっこう酔ってるのかな。さっきよりも顔が赤くなってて、可愛い顔がもっと可愛くなってたな。

チラッと三茶を見れば、三茶は涼しい顔でミョウジと向き合って何か話している。ちくしょう、やっぱり羨ましい。俺にもその冷静さを分けてくれ。


「塚内警部、この唐揚げ美味いっすね!」
「こっちの刺身も中々イケるっす!」
「おう。ビールもいいけど料理もいっぱい食えよ」
「「うっす!!」」


……ダメだ。気を抜けばすぐにミョウジのことを見てしまう。いい加減にしろ俺、しっかりしろ俺。

美味しそうに料理を頬張っている部下達の真似をして、俺も刺身に箸を伸ばす。今はただ、飲み会を楽しもう。



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