彼女の気持ち そのF


緊張しすぎて喋れない。けれど塚内さんの運転がとても心地よくて、次第にリラックスしてきた。仕事中から常々思っていたことたが、彼は運転が上手い。
パトカーや公用車に乗っている時は緊急通報が入ると、サイレンをつけて猛スピードを出す。その時の塚内さんは鬼のように凄まじい運転をするので何回か死ぬ覚悟を決めたものだが、自家用車は別だ。とても丁寧で、ブレーキやアクセルも柔らかく、心から安心する運転だった。

水族館までの道中にカフェがあるのでナビをしつつ、運転する塚内さんを横目で見てはニヤニヤしてしまう。かっこいい、百人いたら百人がかっこいいと答えると思う。それほど、今日の塚内さんはいつにも増して素敵だった。普段ももちろんかっこいいけど、仕事とは違う穏やかな雰囲気を纏った彼は別格だ。


「あ、この交差点の先です。あの赤い看板の……」
「ああ、あれだね」


終始塚内さんを見ていたらすぐにカフェに到着した。ここは人気店なので混むものの、前席が半個室になっているので人の目も気にならず、気に入っている。
店員さんに案内してもらい、向き合うように座って、二人でメニュー表を覗き込んだ。


「ミョウジのオススメとかある?」
「えっと……このランチセットがオススメです。パンの食べ放題が付いてくるのですが、焼きたてで美味しいですよ」
「じゃあ、それにしよう」


メインはステーキ、パスタ、オムライスから選べる。塚内さんはステーキを、私はオムライスを頼んだ。


「それにしてもお洒落な店だね。よく来るの?」
「はい。同期と休みが被った時とか、だいたいここでランチしてます」
「同期……」
「今は保須署の交通課にいるので、忙しそうで中々会えてませんが……」


元々、このお店も彼女に教えてもらったのだ。私の同期に女子は四人いたけれど、一人は「思ってたよりキツイわ」と早々に転職し、もう一人は一昨年、寿退社した。
なので今、同期の女子は保須署の彼女と私の二人だけであり、数少ない同性ということもあり仲が良い。そして警察学校時代から、私が塚内さんに憧れていることを知る人物だったりもする。
私が塚内さんと付き合うようになったと報告すれば、驚くだろうな。いつか、玉川さんと彼女にもちゃんと伝えたい。


「そ、そうか。保須署の管轄地区は交通量も多いから大変だろうな」
「そうですね」


塚内さんの言う通り保須署は大忙しらしく、同期はよく「総務に異動したい」と嘆いていた。交通課はどこも忙しいものだが、保須署はこの辺りでも特に事故が多く、毎日ヘトヘトだと愚痴っていた。


「保須署と言えば……」


ふと塚内さんが思い出したように口を開き、遠い目をする。


「塚内さん?」
「ああ、いや……この前の合同会議の後に飲み会があってさ」
「恒例のやつですね」
「そうそう。いつにも増して……すごかったんだ」


塚内さんが哀愁を漂わしているので、思わず苦笑した。


「塚内さん車でしたもんね。シラフではキツかったですか?」
「うん……俺達の飲み会とは訳が違うっていうか……色々とすごかった」
「ふふっ、想像つかないです」


ガクッと項垂れる塚内さんが面白くて吹き出してしまった。前までは塚内さんを前にすると緊張のあまりうまく笑えず、顔が引き攣っていたというのに。もう変に我慢しなくてもいいと思うと楽になって、なんだか自然と力が抜けた気がする。

が、そんな私を塚内さんが右手で頬杖をつきながらじいっと見つめるので、一瞬で顔に熱が集まり、固まってしまった。


「なっ、なんですか」


直視できず、どもりながら聞く。私は塚内さんの目が好きだった。同期には「あんな四角い目のどこがいいの?」「あの人いつも死んだような目してるよね」などと散々な言われようだったが、そこがいいのだ。切長でキリッとした目の形も、夜空のように澄んだ黒い瞳も、全部かっこいい。そして、この目をくしゃっと細めて笑う瞬間が、たまらなく大好きだった。

そんなことを考えつつ塚内さんの視線に耐えていると、


「君は可愛いな」


……なんて。
また恥ずかしげもなく言われ、私は逃げるように俯いた。


「っ、……ずっと思ってましたけど、塚内さん、キャラ変わってませんか……」


こんなにも人から可愛いと言われたのも初めてだし、しかも相手が塚内さんだなんて。
もはや別人なのではと疑ってしまうくらい、今日の塚内さんはいつもと違う。

だって塚内さんにはそういう、人を可愛いとか綺麗とか思う感情がないのだと思っていたから。失礼な話だが、割と本気で思っていたのだ。

――刑事課のみんながテレビを見ながら「俺はウワバミ派だな!」「絶対リューキュウのがイケてるぜ」「いやいやミルコだろ!」と女性ヒーローについて語っていても、塚内さんはずっと無表情で会話に一切入らなかったし、先輩が「塚内さんのタイプは誰っすか?」と聞いても「俺はオールマイトのような筋肉が欲しい」という、意味不明なことしか答えなかった。

アイドル系ヒーローの特集が載ったグラビア雑誌を先輩達が回し読みして「ねぇ塚内さん、この子の体ヤバくないっすか! くびれ! たまんねっすよ!」と際どい写真を見せても、チラッと一瞥して「筋肉が足りないな」と真顔で言い放っていたり。

塚内さんは女に興味がないのか、はたまた異常に筋肉が好きなのか。なら私はもっと筋トレに励み、オールマイト並みにゴリゴリになるべきか――と、その場にいた私は人知れず、随分と悩んだのだが。 

今、目の前にいる塚内さんはどうだ。私を見ては「可愛い」と口にし、優しく微笑んでいる。この人は誰だ? あまりにも普段とキャラが違いすぎやしないか?

言われ慣れていない言葉をかけられるのも、それが塚内さんであることも、何もかもが恥ずかしくて、どうしたらいいのか分からない。「またそんな冗談言って」と軽く笑い飛ばせればいいのだが、そんな余裕もなく。ただただパニックである。

俯いていると、頬にかかった前髪に温かい何かが触れる。それが塚内さんの手のひらであることに気付き、驚いて顔を上げると、私と目があった彼は声を出して笑った。


「ハハッ、ごめんごめん」
「も、もう! 揶揄わないでください!」


いっぱいいっぱいの私とは正反対で、ついキッと睨んでみるが、塚内さんは楽しそうに笑うだけ。


「ごめんって。こんな俺はイヤかい?」
「い、いやじゃない、ですけど……」
「けど?」


そんな聞き方はズルイと思いつつ、私が小声で「……いつもと全然違うから、ドキドキします」と正直に答えると、彼はまた笑った。


「俺も同じだよ。君が可愛いから、ずっとドキドキしてる」
「……嘘」


どこから見たって、塚内さんは余裕だ。


「嘘なもんか。脈でも測ってみる?」
「脈って……もうっ」


すっと差し出された彼の左手を「測りませんっ」と突っぱねる。残念そうに「嘘じゃないのに」と笑っている塚内さんはとても楽しそうで、完全に私で遊んでいると思うが、平常心ではいられない私にはどうすることもできず。

結局、店員さんがランチセットを運んできてくれるまで、塚内さんに揶揄われるのだった。









ステーキを「うまい!」と口いっぱいに頬張る塚内さんは可愛い。食べ放題のパンも気に入ってくれたようで、ものすごい量のパンを食べていた。バターやジャムもつけずにひたすら焼きたてのパンを飲み込んでいく姿はさながらフードファイターのようだったが、緊張して食べるのが遅くなってしまった私に気を遣ってくれたのかもしれない。やっぱり優しい人である。

お会計の時「運転してもらっているので」とお金を出そうとしたのだが、塚内さんが目にも止まらぬ早さで支払いを済ませてしまった。車に戻り、また助手席を開けてくれる彼に申し訳なくて、せめて自分の分だけでも出そうとしたのだが、


「デートくらい俺にカッコつけさせて」


……と、ちょっと困ったような笑顔で言われてしまっては、もう頷くことしかできず。元々かっこいい人がカッコつけるとなると、もう暴力的に眩しくて目が開けられない。
そんなことを言ってもらえるなんて逆に私が塚内さんにお金を払うべきなのでは、と思った時、私は重大なことを思い出した。


「(……あ、誕生日!)」


緊張のあまりスッカリ忘れていたが、今日は塚内さんの誕生日である。今日という日を祝いたくてデートに誘ったのに、まだ一言も、誕生日について触れていなかった。


「(ど、どうしよう……)」


冷や汗が流れる。運転している塚内さんに気付かれないよう、鞄の中にプレゼントが入っているかを確認。良かった、ちゃんと持ってきている。


「(……い、今言ったら変だよね……?)」


朝一番に伝えてプレゼントを渡せれば良かったのだが……完全にタイミングを逃してしまった。せめてさっきのランチの時に思い出せれば良かったのに。


「(……水族館で渡しても荷物になるし……帰る時にしよう)」


デートが終わって、送ってもらった時しかない。それまでにもしタイミングがあれば、その時に渡そう。









日曜日の水族館は人が多かった。チケット売り場は混雑しており、塚内さんは私を壁際に案内してから「君はここで待ってて」と、一人で窓口へ向かってていく。
助手席のドアを開けてくれたり、こうやって気遣ってくれたり……塚内さんの自然な優しさが嬉しく、少しだけくすぐったいような不思議な気分だった。

人混みをぼんやり眺めていると、小走りで駆け寄っくる塚内さんが見えて思わずニヤける。こうやって遠くから見ると本当に背が高くて、足が長い。やっぱりモデルみたいだ。


「お待たせ」
「すみません、ありがとうございます」
「カップルチケットってやつにしたんだけど、良かったかな?」
「カップルチケット?」
「これなんだけど」


カップルという言葉の響きに感動しつつ渡されたチケットを受け取ると、塚内さんが「ハハッ、よく分からないまま買っちゃった」と笑う。可愛らしい笑顔に心臓が跳ねつつチケットに視線を落とすと、隅の方に特典が書かれていた。


「このチケットがあれば、シャチのショーを前の方で観れるみたいです」
「シャチのショー?」
「ギャングオルカさん監修の、人気のショーらしいですよ」


ほら、とチケットの裏面を見せる。ギャングオルカさんとは何度か仕事を一緒にしたことがあるが、ヒーロー以外の活動を目にするのは初めてだった。


「じゃあ、あとで観に行こうか」
「はいっ」


きっと面白いんだろうなと期待が膨らみながら、チケットを片手に館内に入る。
館内はそこまで混雑しておらず、薄暗い照明も相まって落ち着いた雰囲気だった。

隣にいる塚内さんを盗み見るように見上げる。穏やかな表情の横顔がかっこよくて見惚れていると、突然背中を押されたかのような衝撃を受け、


「わっ」


前のめりに転びそうになった瞬間、腰を引き寄せられ、思わず何かを掴む。


「おっと、大丈夫か?」


私は塚内さんに、軽く抱きしめられるようなポーズで支えられた。私の右手は彼のシャツをしっかり握っており、反動で体がくっついて、一瞬で顔が熱くなった。
おそらく私にぶつかったであろう男の子と、母親らしき女性が頭を下げながら謝り、去っていく。


「す、すみませんっ」


つい塚内さんに見惚れて注意力散漫になってしまった。慌てて離れようとすると、シャツを掴んでいた右手がそっと握られ、


「危ないから」


優しい声と一緒に大きな手のひらに包まれ、指が絡まる。


「は、はい……」


なんとか返事はしたが、緊張で手に力が入る。けれど彼の骨張った指はびくともしない。

想いを告げた日、私を安心させるように包んでくれた大きな手が、今度は私をドキドキさせている。

赤い顔を見られないよう俯きつつ、でも塚内さんを近くに感じながら、ゆっくりと並んで歩き出した。



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