世界で一番可愛いです。


デートが楽しみすぎて中々眠れなかった。遠足前の小学生みたいだ。でも体は全然重くなくて、むしろ晴れやかな気分である。カーテンを開けたら天気も良好、最高のデート日和だ。

適当に朝食を済まし、クローゼットの奥に押し込んだ私服をいくつか取り出そうとして……ハッとする。


「……何着ていこう」


ほぼ毎日スーツとワイシャツなので、こんな時に着る服が見つからなかった。まさかスーツでいく訳にもいかないし、どうしよう。

悩みながら漁っていると、白のカジュアルシャツと紺色のスラックスを見つけた。これならセーフだろうと急いでアイロンを掛け、着替える。

洗面台で入念に歯を磨き、顔を洗って髭も剃った。ふと以前オールマイトからお土産で貰ったヘアワックスの存在を思い出し、少しだけ髪も整える。短髪なので大して変わり映えはしないが何もしないよりはマシだろう。なんかほんのりいい匂いもする。さすがオールマイトだ、ありがとう。

まだ時間はあったが早めに家を出た。久しぶりに乗る愛車を掃除するためだ。

マンションの立体駐車場から車を出し、近所のガソリンスタンドに向かう。洗車機に入り、掃除スペースで水滴を一滴残らず拭き上げ、車内に掃除機をかけてピカピカにした。

ブラックのクロスオーバーSUV車。気に入っているが、なんせ休みがないのでほとんど乗れていない。助手席に座ったのも妹の真だけである。

そのおかげか少しの掃除で綺麗になった。時間まで余裕があったので、ゆっくりとミョウジの家に向かう。


「……十時四十分か」


マンションのエントランス付近に車を停め、深呼吸。ああドキドキしてきた。まだ時間はあるし、その間にできるだけ冷静になろう。座席にもたれかかって両手を胸に当てながら「鎮まれ俺の鼓動よ」と謎の呪文を唱えた。


『ーーそれでは本日のニュースです。トップを飾るのはウイングヒーロー・ホークスの活躍! 今朝方発生したコンビニ強盗ヴィランをものの数分で取り押さえーー』


聞こえてきたラジオに耳を澄ましつつ、首を振った。いかん、つい癖でニュースを流しているが、これじゃあ雰囲気が台無しだ。

それにしてもホークスはすごいな。あの若さで毎日昼夜を問わず活躍しているなんて。オールマイトやエンデヴァーとはまた違った素晴らしいヒーローである。いつか捜査の協力を依頼する日もくるだろうな。


「……いやいや、待て待て、違う違う」


今日は仕事ではないのだ。頭を振ってラジオを回すが中々いいのが見つからない。お経まで流れてきた、怖い。いっそ消すか? でも無音なのは気まずいだろうし、さて、どうしたものか。

あまり使っていないカーナビをいじっていると、見覚えのないプレイリストを見つけた。何だこれ……疑問に思いつつ再生すると、なんと洋楽が流れ出した。しかも静かな曲調の、雰囲気がいいものである。


「……あ、真か!」


以前、一時帰国した妹を乗せた時、あいつがカーナビをいじっていたことを思い出した。「兄さんの車って色気がないのよね」なんて文句を言いながら、好き勝手しているのを放っておいたのだが……グッジョブ真、こんなにも妹に感謝する日が来るとは思わなかったぞ。

ありがとう真、お前のおかげで無音を避けられる。今度帰国した時には荷物持ちでも何でもやってやるからな。兄さんはお前のために下僕のごとく働いてみせよう。

そうこうしていると、もう十一時前。慌ててミョウジに『着いたよ』とメッセージを送ると、すぐに『行きます』と返事がきた。

運転席から降り、車体にもたれかかる。どうにもソワソワして落ち着かない。腕を組んで空を見上げながら大きく深呼吸。スーハー、スーハー。大丈夫だ落ち着け。あ、遠くに山が見えるじゃないか。緑色はリラックス効果があるらしい、よし、山を眺めよう。

無心で山に集中していると、視界の端に人影が見えた。顔を向けるとエントランスの自動ドアが開いていて、そこから現れたのは……ミョウジだ。ミョウジが小走りで駆け寄ってきた。


「つ、塚内さんっ、お待たせしました」
「……」
「塚内さん……?」


目の前にいるミョウジに釘付けになる。不躾にも頭の先から足の先までじっくり見てしまったが許してほしい、だって、


「……可愛い」
「えっ」


瞬時に赤くなる顔も何もかも、可愛すぎたのだ。

いつもパンツスーツのミョウジが、今日はスカートだった。春らしい淡い水色のシャツのワンピースに、白いカーディガンを羽織っている。ふわふわ揺れる膝丈のスカートから伸びる足は細く、ヒールのあるベージュの靴を履いていた。いつもより背が高く見えるけど、それでも俺よりずっと小さい。髪も緩くまとめられていて、隙間から覗く耳にはシンプルなピアスが輝いている。


「すごく可愛い……綺麗だ」
「えっ、あ、……あ、ありがとう、ございます……」


照れてる表情がさらに可愛さをグレードアップしていて、今すぐ抱き締めたくなった。とにかく可愛い、それ以外に言葉が見つからない、語彙が行方不明だ。
どうしよう、今日大丈夫かな、俺の心臓もつのかな。


「……ん? その荷物は……」


ふとミョウジが持っている大きな紙袋に気付く。ミョウジは思い出したように、それを差し出した。


「あ、これ、お借りしていたコートです。クリーニングに出していたら遅くなってしまって……」
「コート?」
「はい、……飲み会の時の……」


恥ずかしそうに言うミョウジを見て思い出した。ミョウジを包んだ、俺のトレンチコートだ。


「ああ、わざわざクリーニングなんて……ありがとう」
「いえ、シワだらけにしちゃったので……こちらこそありがとうございました」


あの夜を思い出すと、互いになんだか気恥ずかしい。俺は紙袋を受け取ってから、助手席のドアを開けた。


「立ち話してごめん。さあ、乗って」
「あ……はいっ」


ミョウジがそっと助手席に座る。甘い香りがふわっと漂った。香水だろうか、いつもの彼女とは違う匂いだけれど、やっぱりいい匂いだ。ミョウジにはバレないよう胸いっぱいに吸い込む。はあ、いい匂い。

助手席のドアを閉め、コートが入った紙袋を後部座席に置いてから俺も運転席に乗り込む。勤務中にパトカーに乗る時とまるで同じなのに、今日は何もかもが違った。いそいそとシートベルトを着けるミョウジの横顔から目が離せない。

そんな俺の視線に気付いたのか、ミョウジがこちらを向いた。


「……塚内さん? どうされましたか?」
「君が可愛いから、つい見ちゃうんだ」
「な、何言ってるんですか!」


ミョウジが視線を彷徨わせる。くるんと上を向いている長い睫毛が揺れた。


「なんか雰囲気が違うね。君はいつも魅力的だけど、今日はいつにも増して綺麗だ」


思ったことが全部、言葉となって溢れていく。ずっと心に留めていた反動だろうか、止まらなかった。

いつも大きな瞳がさらに大きく見えるし、なんか瞼もキラキラしてる。唇もツヤツヤでプルプルだ。こんなに素敵な人なんて見たことがない。天使というかもはや女神である。

まじまじと見つめていると、ついにミョウジが両手で顔を覆ってしまった。微かに見える耳を真っ赤にしながら、ミョウジはボソボソと小さく口を開く。


「……わ、私……張り切りすぎてませんか?」
「え?」
「だって、今日のデート……すっごく楽しみで……」
「……」
「メイクも服も……塚内さんの好みが分からないから、考えすぎちゃって……自分でも訳分からなくて」


そこまで言ってから、ミョウジがハッとしながら「私何言ってんだろう……!」と独り言のように呟いた。ずっと両手で隠している顔をさらに抑え、丸まるように俯く。


「……」


それはつまり、ミョウジは俺のために悩み、頑張って可愛くなろうとしたと? 化粧も服も、俺好みを考えて?

なんてことだ。どうしよう、ものすごく嬉しくて目頭が熱い。鼻の奥も熱い、鼻血出そう。俺の好みはミョウジという人間そのものなのに、そんな人が俺のために悩んだとなると、もうパニックである。

心の中で感動と萌えが爆発した俺は感極まって無言でハンドルに額をぶつけた。ゴンッ! と大きな音が鳴る。勢いよくぶつけたので車体が揺れ、ミョウジがビックリしながら顔を上げた。


「塚内さん!? 何を……!?」
「……ああ、うん……ハハッ」
「大丈夫ですか!? あ、おでこが赤くなってる!」
「大丈夫大丈夫、平気だよ」
「で、でも……」


鼻血はなんとか耐えた。大丈夫。

俺はミョウジの方を向き、心配している彼女をじっと見つめた。


「……ありがとう。たくさん考えてくれて」
「……」
「今日のミョウジ、世界で一番可愛いよ」
「……お、大袈裟ですよっ」
「大袈裟なもんか。本当だよ、本当にすっごく可愛い」


ミョウジが赤い顔のまま、困ったように、でも嬉しそうに笑う。そして、


「……塚内さんも、」
「ん?」
「今日……すごくカッコイイ、です」


と、消え入りそうな声で言った。短い一言にミョウジの恥ずかしさが詰まってるように思えて、瞬時に俺まで照れてしまう。慌てて姿勢を正し、自分のシートベルトを着けるために前を向いた。


「そ、そうか」
「……はい」
「……良かった。ミョウジにそう言ってもらえて嬉しいよ」


褒める言葉はスラスラ出るのに、褒められると言葉に詰まってしまう。そもそも俺は今までの人生で「カッコイイ」なんて言われたことが皆無に等しいので、どう反応したらいいのか分からない。褒められるのってこんなに恥ずかしいのかと思いつつ、でも嬉しい気持ちは上回っていた。


「……じゃあ、そろそろ行こうか」
「はいっ、お願いします」


さっきから心臓はバクバクとうるさいが、真が入れてくれた洋楽メドレーのおかげでミョウジには聞こえていないはず。

左右、後方よし。しっかり確認し、俺はゆっくりと車を発進させた。



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