疲れた体に染み渡ります。


午前中の仕事が長引いてしまい、昼食をとる暇もなく保須警察署へと公用車を走らせる。今日は近隣の署の刑事課との合同会議だ。

管轄が明確に決まっている交通課や地域課などとは違い、刑事課はヴィラン犯罪の全般を担っているので各署との連携が必要不可欠である。そのため定期的に捜査情報を交換しており、開催場所は持ち回りで、今日は保須警察署だった。

なんとか時間に間に合い会議室に滑り込む。事前に指定されていた席に着くと、隣に着席していた大きな体が顔を上げた。


「塚内くんがギリギリなんて珍しいな」
「ゴリさん。いやー、ちょっとバタバタしちゃってね」


ゴリラ顔の刑事のゴリさんだ。彼とは歳が近く、これまで何度もチームを組んできたので見知った仲である。


「この前でっかい山片付いたんだろ? お疲れさん」
「ありがとう。優秀な部下達のおかげだな」
「またウチにも貸してくれるか? 最近手が足りなくてな」
「それはこっちも同じだけど、要請くれたらいつでも駆けつけるよ」


警察官は万年人材不足。愚痴っても仕方のないことだが、部下をまとめる立場にいる以上はついついボヤきたくなるものだ。

そんな世間話を軽くしていると、会議室に犬顔の面構署長が入ってきた。署長クラスの幹部が部屋にいるだけで空気が引き締まる。


「えー、それでは、合同会議を始めるワン」


ゴリさんが前を向き、俺も手元の書類を確認。なんだかいつもより量が多い気がする。それだけヴィランによる犯罪件数が増えたということだ。


「まず、保須管轄における三月の捜査状況をーー」







「あー……長かった」


ゴリさんが大きく伸びをするので、俺も倣って軽く肩を回す。腕時計を見れば、すでに定時を過ぎていた。


「こうも複雑な事件が多いと厄介だよな」
「ホント嫌になるぜ」


数時間ずっと座りっぱなしは中々キツい。合同会議のたびに腰を痛めている気がする。


「じゃあ、俺はそろそろ戻るよ」


机に広がる資料を片付けながら言うと、ゴリさんが「何言ってんだよ」と顔を上げた。


「今日はこの後、飲み会だろ」
「え」
「さては忘れてたな?」


しまった、完全に抜けていた。
会議の開催日が金曜日の場合、飲み会が開かれることがしばしばあった。そういえば数日前、職場の予定表に自分で「接待」と書いたことを思い出す。


「あー……うん。うっかりしてた。俺公用車で来ちゃったよ」
「シラフで乗り切るしかないな。あ、ついでに帰り送ってくれ」
「ちゃっかりしてるなぁ、分かったよ」


「ラッキー」と笑うゴリさんに苦笑で返す。つい一昨日も飲み会だったし、まだ残っている仕事もあるから職場に帰りたい。が、こういった付き合いも大事だ。

諦めた俺は、席を立つゴリさんに続いて会議室を出た。







「塚内くん! バナナの串焼き取ってくれ!」
「はいはい、二本でいいか?」
「サンキュー! やっぱり串焼きはバナナに限るぜ!」
「それはちょっと……って、ビールこぼれてるよ!」
「ウホホッ!」


けっこうな人数がいたので、居酒屋一つを貸し切って飲み会が開かれた。最初はみんな大人しく酒や料理を楽しんでいたものの、次第に盛り上がってきたのか騒ぎ始めている。

ゴリさんなんてもう完全に出来上がっていた。彼は酔うと絡んでくるので距離を取りたいところだが中々タイミングが見つからない。服を脱ぎ出し、本物のゴリラさながらドラミングを始めるのも時間の問題である。


「楽しそうワンね。私も混ぜてくれるかい」
「面構署長。お疲れ様です、どうぞ」


ゴリさんの世話を焼いていると、面構署長がふらっとやってきて俺の前に座った。紳士な署長は一人だけワインを飲んでおり、優雅な雰囲気を醸し出している。片手にしっかりワインボトルも持っているが様になっていて、バナナの串焼きを両手で頬張っているゴリさんとは正反対だった。


「塚内くんは飲まないワンか」
「はい。今日は車でして」
「そうか。君も随分と忙しそうだが、この前は見事だったワンね」
「ありがとうございます。部下達が頑張ってくれたおかげです」


ふとミョウジのことを思い出し、誇らしい気持ちになった。彼女だけじゃない、三茶も他のみんなもよくやってくれている。俺は部下達に恵まれていると改めて実感した。


「部下が実力を発揮できるのは、優秀な上司がいるからだワン。君の敏腕さは私も買っている」
「そんな、買い被りすぎですよ」


お世辞とは言え真正面から褒められると嬉しいものだ。でもなんだか気恥ずかしくて、それを隠すように手元のジンジャーエールを煽る。


「ところで塚内くん、恋人はいないワンか」
「ぶふっ!」


署長の突然の言葉に思わずジンジャーエールを吹き出した。おしぼりで慌てて口元を拭うが、隣のゴリさんまで何故か身を乗り出してきた。近い、バナナ臭い。


「おっそれ俺も気になってた! 塚内くん浮いた話全然ないもんな!」
「ゴリさんまで……い、いきなりどうしたんですか?」


俺が咳き込みそうになっているのを気にもせず、面構署長は自分でワインを注ぎながら続ける。


「君のような真面目な男がいつまでも独り身でいるなんて、心配でね」


余計なお世話である。が、実はこれまで、面構署長からお見合いやら紹介やらの話を持ちかけられことが何度もあった。署長が善意で俺のことを気にかけてくれているのは分かっている。でも俺はすでにミョウジが好きだったから、その度に濁して断ってきたのだ。


「えっと……」
「どうなんだね? いい人はいるのかワン」


答えが詰まる。

あれ、そういえば俺、ミョウジにちゃんと付き合おうって言ったっけ?

俺はミョウジが好きで、ミョウジも俺のことを好きだと言ってくれた。俺達は両想いであり、抱きしめ合って手も繋いだ。言葉なんてなくたって恋人になったんだと思う。今朝だって、特に話し合った訳ではないが、周りにはバレないように振る舞っていた。

でもちょっと曖昧なような気もしてくる。こういうのはきちんと言葉にしなければ本人には伝わらないよな。それにしてもなんで俺こんな中学生みたいなことで悩んでるんだろう。


「塚内くん?」


黙り込んだ俺を、ゴリさんが隣から覗き込む。面構署長もじっと俺を見ていた。


「その……まあ、あの……」
「ハッキリ言ってくれワン」
「えっと…………います」


歯切れ悪く言うと、ゴリさんが突然「マジかよー!」と大声を出してドラミングを始めた。


「塚内くんにもついに春がきたんだな! ウホホッ! こりゃーめでたいぞ!」
「お、おい! 声がでかいよ!」


ゴリさんの言動に周りの人達もこっちを向いて「なんだって? あの塚内警部に女?」などとザワつき始める始末。なんてことだ、こいつらプライバシーってもんがないのか。


「ウッホッホ! で、相手はどんな子なんだ?」
「も、もういいだろ、勘弁してくれ!」
「もしかしてミョウジちゃんか!?」
「!!!!」


一瞬、部屋が静まり返る。
咄嗟のことで俺の喉が変な音を立てそうになった時、ドッと笑いが起こった。次いで飛んでくるのは、茶化す声。


「そりゃないぜゴリさん! どう考えてもミョウジちゃんに塚内警部は不釣り合いだろーが!」
「そうだそうだ、いくら同じ班だからって塚内さんには惚れないだろ!」
「天変地異が起こっても成り立たないよな!」
「一生仕事人間っぽい塚内警部だぜ!? ありえねー!」
「それもそうか! ウッホッホー!」


……なんて失礼な奴らなんだ、さすがに言い過ぎだろ。俺のことなんだと思ってやがる。でもどれも自覚があるので何も反論できない。俺自身、ミョウジがなんで俺のことを好きになってくれたのかは疑問だ。

それにしてもこいつらに昨日のミョウジを見せてやりたい。俺の前であんなに可愛い顔をするんだぞと思い切り自慢してやりたい。いややっぱり誰にも見せたくないな、あの表情は俺だけのハートフル・トレジャー。


「冗談は置いといて……で、誰なんだ?」
「う、うるさい! もうほっといてくれ!」
「ウホホッホー!」


ミョウジから話題が逸れたのは良かったものの、いい加減にしてほしい。俺がゴリさんを止めようと躍起になっていると、いつの間にかワインボトルを飲み干した面構署長が静かに口を開いた。


「そうか……いるワンね……知り合いの娘さんを紹介しようと思ってたんだが……そうか……」


しみじみ言われると、なんだか居た堪れなくなる。俺は暴れるゴリさんはそのままに席に着いた。


「……その、すみません。署長にはいつもお気遣いいただき……」
「君もやっと、仕事以外の生きる目的を見つけたんだね。安心したワン」
「署長……」


そんな風に言ってもらえるなんて。やっぱり面構署長は全てが紳士、ジェントルマンだ。俺も署長のような優しい人でありたい。

と、感動したのも束の間。
面構署長はいきなり立ち上がり、空になったワイングラスを高々に掲げ、


「ワン! それでは皆の衆! 塚内くんの春を祝して、この飲み会を締めようと思う! さあ全員起立! 合唱開始!」


何が起こったんだと固まっていると、保須警察署の刑事達がビシッと立ち上がる。そして、


「「「迷子の! 迷子の! 子猫ちゃん! あなたのおうちはどこですか!!」」」


……え?


「「「犬の! おまわりさん! 困ってしまって! ワンワン、ワワーン! ワンワン、ワワーン!!」」」


突然の童謡合唱……合唱というか一斉唱和に呆然とする。保須署以外の人達もみんな慣れているのか笑っていた。ゴリさんなんてもはや「ウホ! ウホーッ!」と無関係に叫んでいるし、面構署長も天井に向かって遠吠えしていた。

え、合同会議の後の飲み会って、こんなカオスなものだったか? 普段は俺も飲んでたから気付かなかっただけ? というかよく見たら面構署長の目が据わっている、落ち着いているように見えるだけで、完全に酔っ払っていた。


「よし、解散だワン!!」
「「「あざーっした!!」」」


……面構署長は全てが紳士、ジェントルマンだ。俺も署長のような優しい人でありたい。が、ワインには何がなんでも気を付けようと心に誓った。







「つ、疲れた……」


暴れるゴリさんを公用車に放り込み、なんとか彼を家まで送って職場に戻ってきた。もう日付が変わっている。ものすごく疲れた……今日は飲んでいないのに一昨日の飲み会よりも遥かに体が重い。

宿直中の職員が「ヒィッ! 幽霊!」と驚いていた。苦笑しつつ驚刑事課の鍵を借りる。そりゃそうだ、俺の顔はもう気力がなくてゾンビ状態である。

当然フロアには誰もいないので、暗かった部屋の電気をつけて車の鍵を返却。自分のデスクの上には山のような書類が積んであって、溜め息が出た。


「とりあえず、急ぎのものだけ片付けるか……ん?」


いくつかの資料を手に取って確認していると、ふと、デスクの端に栄養ドリンクの小瓶があることに気付く。瓶の下には「お疲れ様でした」と綺麗な文字で書かれたメモが挟んであって、思わず頬が緩んだ。


「……まったく、」


ミョウジってやつは。

彼女の小さな心遣いが疲れた体に染み渡る。もう深夜だがメッセージだけでもと思い、ミョウジに『ありがとう。おやすみ』と連絡を入れる。

早速栄養ドリンクを飲み干して、俺はパソコンを開いた。



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