想いが溢れて止まらないです。


「……」
「……」


静かな夜道。互いに無言のまま、ゆっくりと歩く。少しだけミョウジが前にいるので、俺は小さな背中をぼんやり見つめた。夜風が肌寒い。でも、この冷たさのおかげで頭は冷静な気がする。

家が近いから帰る方向ももちろん同じ。通い慣れた道なのに、ミョウジがいるだけで別の場所に思えた。

聞いてもらいたいことってなんだろう。早く知りたいけれど、俺から急かして聞き出す訳にもいかないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


「つ、塚内さん、喉渇いてませんか」


突然ミョウジが振り返ったものだから、急ブレーキが掛かったかのように歩みを止める。気付けばここは通勤路の傍にある公園の近くで、ミョウジが指差す方向には自動販売機が見えた。

そう広くない公園だが、人通りも少ない。ここで話すつもりなんだろうと察した。


「俺が買ってくるよ。何がいい?」
「いえ、私が買います」
「でも、」
「お、お願いします。昨日のお詫び……にもならないですけど……とにかく買ってきます」


そう言って、ミョウジが小走りで自動販売機に向かう。ここで追いかけたら怖いだろうと思い、俺は公園の中心に佇むベンチに腰掛けた。


「詫びるのは俺の方なんだけどな……」


街灯が近くにあるので、ミョウジの後ろ姿がハッキリ見える。綺麗な姿勢だ。こんな時だと言うのに見惚れてしまう自分が馬鹿らしい。

出会った頃の彼女は自信なさげで、初々しくて。小さな体をもっと縮こまらせていたのが印象的だった。今はもうそんな様子は微塵もなく、凛と背筋を伸ばし、一人で前へと進んでいく頼もしい刑事となったミョウジ。

いつも一生懸命なミョウジが可愛らしくて、放っておけなかった。どんどん成長していく姿を見て嬉しくなった。それだけだったのに、どうして恋愛感情なんてものを抱いてしまったんだろう。

俺に下心が一ミリもなければ昨日のことだって、こんなにも引きずらなかったのに。

ミョウジの笑顔を見ているだけでいい。
俺はそれだけでいい。

そう思い込んでいるだけで、俺は、本当は……


「お待たせしました。コーヒーで良かったですか?」
「……うん。ありがとう」


戻ってきたミョウジがコーヒーの缶を差し出してくれた。温かいそれを受け取ると、ミョウジも隣にそっと座る。俺達の間には一人分の距離があって、その間を冷たい風が吹き抜けた。

プシュッ、と響くプルタブの音。俺も同じように開けて、口から出そうな心臓を押し込むようにコーヒーを飲み込んでいく。俺の好きなブラックを選んでくれた、その心遣いすら嬉しいと思ってしまう。ミョウジはココアを飲んでいるようで、微かに甘い匂いがした。

長いようで短い沈黙のあと、ミョウジが、小さく口を開く。


「……塚内さん」
「……うん」
「昨日は、……本当に申し訳ありませんでした」


頭を深く下げるミョウジに俺は焦って、とっくに飲み干した缶を横に置き、体を彼女の方へと向けた。


「もう謝らないでくれ。謝るのは俺の方なんだから。その……そんなに気に病ませてしまって、嫌な思いをさせて、ごめん」
「……」
「ミョウジ?」


黙り込むミョウジ。小さな両手がココアの缶をギュッと握ったのが見えた。


「い、嫌なんかじゃ、……ない」


絞り出すような、弱々しい声。次いで、


「わ、私は……夢だと、思ったんです」


ミョウジが顔を上げる。丸い瞳が潤んだその表情は、昨晩の、ミョウジの家で見たものと……同じ。


「久しぶりのお酒で、眠くなって……でも、誰かが私を包んでくれてたことは、ハッキリ覚えてます」
「……」
「すごく温かくて、優しくて、……それが塚内さんだったらいいなって、願った」


一言一言、ゆっくりと、でも真っ直ぐに伝えられる
言葉。俺は驚きで目を見開き、真っ赤に頬を染めているミョウジを見つめて固まる。


「ゆ、夢の中の塚内さんは、ずっとそばにいてくれたのに……離れちゃうと思って、それで、」


昨夜、細い腕に掴まれた時の衝撃を思い出した。


「……好き、です」
「……、」
「塚内さんのことが、好きです」


ミョウジの瞳から、ついに雫が流れた。街灯に照らされた涙がキラキラ光る。


「ずっと、ずっと前から好きだったんです」


信じられない言葉が、耳に響く。


「でも、こんな、こんな気持ち……部下から向けられたら、きっと迷惑だって分かってたのに、なのに……!」


ポロポロと大粒の涙がこぼしながら、ミョウジが嗚咽混じりに、悲しそうな表情を浮かべた。


「酔った勢いで、告白してしまって……っ、こ、こんなつもりじゃなかったのに、ずっと……隠すつもりだったのにっ」
「ミョウジ、」
「塚内さんを、困らせたくなかった、……でも、でも、」
「……」
「忘れる、なんて、言わないで」


濡れた瞳が、俺を正面から捉える。


「そんな、悲しいこと、……っ、言わないで、ください」
「……」
「何も……望みません、塚内さんの部下でいられるなら、それだけで十分なんです……でも、」
「……、」
「私が、塚内さんを好きな気持ちだけは、……忘れ、ないで……」


細い肩を震わせながら、俯いて泣くミョウジ。俺は流れ続ける涙に向かって、そっと右手を伸ばす。親指で拭うと、ミョウジが驚いたように顔を上げた。


「……忘れる、わけないだろ」
「つ、かうち、さん……?」
「忘れられるもんか」


涙を掬いながら、彼女の頬にかかる髪を耳にかけてやる。真っ赤な耳も目元も、全部熱かった。


「……俺は、」
「……」
「俺も、」


想いが溢れ過ぎて、どうにかなりそうで。

気付いた時には、ミョウジを抱き寄せていた。さっきまであった空間を埋めるように、今までの距離を埋めるように、ぎゅうっと抱き締めた。柔らかい髪の感触を確かめるよう、強く。


「好きだ」
「っ、」
「ミョウジが好きだ。ずっと、」


ずっと前から。


「こんなに泣かせて、ごめん」
「……」
「……怖かったんだ。今の関係が壊れるのが、とても」


細い腰を引き寄せて、ミョウジの髪に顔を埋める。いい匂いがして、こんな時だというのに、どうしようもなく安心した。


「君を困らせたくなくて、無かったことにしようとした」
「ほん、と……?」
「うん」
「本当、に?」


弱々しい、不安げな声。俺はしっかり頷いて、ミョウジの冷えた体を温めるよう、さらに強く抱き締める。


「好きだよ、ミョウジ。君が好きだ」
「っ、うう……ひっく、っ、」


腕の中で、ミョウジがついに声を上げて泣き出した。やんわりと俺の背中に回された小さな手が、ぎこちなくスーツを掴む。

ミョウジが感じていた不安を包み込むように、もう悲しまないように。

俺はただ、強く抱き締めた。



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