僕の孤独が暖まるとき




闇は何もかもを飲み干す恐ろしさを持っている。目を閉じれば無遠慮に襲いかかり、じわじわと侵食する。まるで【自分】という一人のちっぽけな人間など元から存在しないかの如く跡形も無く消し去ってしまう。


「だから僕は、夜が怖い」


いつまで経っても過去に縛られているこの僕は果たして本物の【僕】であるのか。六道骸という人間はこの世に真に存在しているのか。この忌々しい赤い瞳を埋め込まれ狂った僕は、僕なのか。この瞳は一体何なのか。六道輪廻をインプットしている瞳が写す世界は、本物なのか。


「そんな事をね、考えてしまうんですよ。この憎い目を閉じれば闇が広がり、いとも簡単に僕を殺しにくる…そんな錯覚が襲う」


笑って下さい。

僕は自嘲しながら目の前の彼女を見上げる。壁に背中を預け片膝を立てて座り込む僕には、立ち上がる気力が無い。


―――あるマフィアの正体を暴く為に、僕に偵察の任務が入った。相手に幻術使いが多くいるとのことで僕一人で向かい、難なく任務は遂行した。僕は怪我一つしていない。けれど、どうしたって、この場から動けなかった。

ここは、このマフィアは、人体実験をしていた。まだ年幅もいかない幼い子を街から攫い、モノのように扱い、人間を人間として見ずに虐待と呼べる実験をしていた。

沢田は…ボンゴレはこのことは知らなかったのだろう。任務内容は【人身販売をしている可能性のあるマフィア】の偵察だったのだ。知っていれば、あのお人好しの男が僕にこの任務を与える訳がない。

このマフィアは幻術で巧妙に人体実験の現場を隠していた。僕が幻術で張られた結界を破壊した時がまさに、何らかの投薬をされた一人の子どもが喚きながら頭を抱え、小さな背中から禍々しい骨の様な翼の様なモノが飛び出した瞬間だった。


「グッ、アァ…た、すけ…」


痛みと、悲しみと、辛さと、怒りと…いろんな感情が混ざった子どもの瞳は、僕を真っ直ぐに見ていた。あの瞳は、あの表情は、間違いなく過去の僕がしていたモノと同じ。


―――子ども諸共、全員殺した。

攫われた子ども達で無事な者は誰もおらず、投薬の副作用で化け物に成り果てた者と、副作用に耐えられず生き絶えた者が半々。息のある者は全員、全員殺した。


「骸」


目の前の彼女は僕の名を呼び、目線を合わすように膝をついた。

暗闇の中、半壊した天井から月明かりが屋敷の中を照らす。辺りには敵の無残な死骸の塊がそこら中に転がり、赤いはずの血痕はドス黒く変色している。

そんな中をボンゴレ医療班の彼女は、戻るのが遅く連絡がつかない僕を探しにやってきたのだろう。面倒臭がりの彼女がこんな場にまでやって来るのはめずらしい。だけど、彼女が晴の匣を使うことは無い。


「ご覧の通り、僕は怪我をしていません。貴方の出る幕はありませんよ。無駄足でしたね」


失笑すると、彼女はその芯の強い大きな瞳を僅かに細めて、そして僕に手を伸ばした。

細く柔らかい手は、僕の頬へと添わされる。小さな手のひらは暖かく、じんわりと彼女の体温が伝わってくる。


「…嘘。怪我、してる」

「…」

「しかも傷はとても深い」

「…なら、治してください」


ただでさえ嫌いな闇夜に、過去と重なる状況が重なった僕は疲れてしまった。この瞳も、力も、過去も、いらないと思うのは果たして本物の僕であるのか、それすらも分からず静かに混乱してしまう。

どうして、なんで、僕は。

答えのない問い掛けを誰に言うでもなく己の中に溜め込み、今日という何もかもが最悪に重なってしまった時に止めどなく溢れ出る。

いつもの僕なら、なんてこと無いのに。いつの間にか、この生温い平穏に慣れてしまったのだろうか。それとも、心の奥で密かに想いを寄せる彼女が今というタイミングに現れたことで、弱さが流れて出したのか。

彼女の暖かい手のひらが、僕の頬を、ゆっくりと優しく撫でる。


「…夜が怖いなら、泣けばいい」

「…」

「辛いことがあったら、辛いと言えばいい」

「…」

「骸の心の中は大怪我をしてる。それを治す為には、弱さを吐き出すのが一番だよ」


あまり笑顔を見せない彼女が微笑んだ。月明かりに照らされて浮かび上がる僅かで小さな笑み、しかしそれは、あまりにも優しくて綺麗な表情だった。


「僕、は」

「うん」


思わず口を開けど、慣れないことはすぐには出来ない。閉じられない僕の唇に指を滑らせ、彼女はまた笑う。


「ゆっくりでいい。全部聞いてあげる」


優しい手が僕の後頭部に回され、そのまま彼女に引き寄せられる。されるがままの僕は膝立ちの彼女に抱き締められる形になり、嗚呼、なんて脆くて、けれども暖かい身体なのかと思った。初めて触れる彼女の腕の中は、なんと居心地が良いのか。


「…長くなりますよ」

「いいよ」


僕は目を閉じ、彼女の細い首筋に顔を埋めて、そしてゆっくりと言葉を吐き出して行く。一言発する度に心の奥底に広まる穏やかな想い、これが安らぎなのだろうか。

忌々しい両目から久しく流れていないモノが頬を濡らす。きっとソレに気付いている彼女は、優しく、僕の髪を撫でた。




僕の孤独が暖まるとき、世界が平和でありますように。


20170622




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