交わる殺気


翌日の正午。隔離病棟へ向かうと塚内がすでに病室の前にいた。彼の手には女の所持品の銃が握られており、ホークスは小走りで駆け寄る。


「お疲れ様です。遅れてすみません」

「お疲れ。いやいや、昨日この銃を鑑識に出していてね。結果を聞きに行った後に寄ったら早かっただけさ」

「鑑識結果、どうでした?」


塚内は一枚の紙を取り出し、それをホークスに渡した。小さな文字が連なった見づらい鑑識結果に思わず眉間に皺が寄る。そんなホークスを見て塚内は笑った。


「簡単に言うと、チタンの塊だね。電源を入れようとしてもスイッチや充電口は分からないし引き金はビクともしない。耐熱耐電耐水で、それでいて軽い。強度が高い金属さ」

「へー…昨日、銃口を向けられた時は動いてたんですけどねえ」

「え、向けられた?大丈夫だったのか?」

「はい。なんか…青く光ってから音声が聞こえてきて、確か…通信エラーとかなんとか言ってから動かなくなりました」

「通信エラー…ネット接続式なのか…?」


女が銃を構えた時、抑揚のない機械的な音声が長々と聞こえていたが、どうやら詳細は分からなかったらしい。二人で黒い塊を様々な角度から見ても、やはり何一つ掴めない。


「…まあ、本人に直接聞くしかないですね」

「そうだな。さっきリカバリーガールの治癒が終わったから、あと少しで目覚めるだろう。中で待っていようか」

「はい」


病室の重厚な扉を開けると、ガラス越しにベッドに横たわっている女が目に入った。もう人工呼吸器はつけておらず、昨日とは打って変わって顔色にも血の気が戻っている。それでも透き通るように白いその肌は、年中太陽の下を身一つで飛び回っている自分とは対照的だとホークスは思った。

リカバリーガールの治癒で女は随分と良くなったらしい。輸血は今も継続しているが、酷かった左肩と腹部はたった二回の治癒でほぼ回復。本人に元から体力があったのだろうとリカバリーガールは言っていたと。
女の異常な怪我と死にそうな状態を間近に見ていたホークスは、改めてリカバリーガールの“個性”の強さと、そして女の回復力にも驚いた。


「脈拍も呼吸も安定しているようだな…ん?」


病室内はガラス一枚を隔てて、患者がいる空間と、患者の容態をモニターで監視できる空間になっている。塚内がモニターを覗き込んだ時、それまで規則正しい電子音が奏でていた呼吸数が大幅に増えた。二人がガラス向こうの女を見ると、輸血の針が刺さっている左腕が微かに動いている。


「俺が行きます。どんな“個性”を持っているか分からないんで塚内さんはここで待っていてください」

「分かった。何かあったらすぐに応援を呼べるようにする」


ホークスはガラス向こうに通じるドアを音を立てないように開け、“個性”【剛翼】を大きく広げながらベッドに近付く。


「…う、…うう…」


小さな唸り声を上げた女は苦しそうに眉間に皺を寄せて、そして、ゆっくりと目を開けた。しばらく天井を虚ろな表情で見つめた後、大きな瞳がホークスへと向けられる。

重なる二人の視線。IDカードに写っていた表情と同じ冷たくて感情の読めない深い闇のような瞳は、綺麗に整った顔をより冷徹なものへと助長しているように見える。

女はホークスと目が合った瞬間、勢いよく起き上がりベッド向こうへと退いた。反動で輸血袋が床に落ちガシャンと耳につく音が鳴る。女の腕から針も抜け落ち、白いベッドと床に鮮血が散らばる。滴る血液には見向きもせず、女はホークスをじっと凝視しながら唖然と口を開いた。


「…お前、誰だ…」


明らかに恐怖が滲んでいる女の瞳を見て、そういえば昨日、悪魔だなんて失礼なことを言われたことを思い出す。大きく広がった剛翼はホークスの体の何倍もあり、広くはない病室の空間のほとんどを占めていた。ホークスは翼を閉じることなく、一歩、また一歩と女に近付いた。

逃げ場のない女は背中が壁についた状態で、警戒をするようにホークスを睨みつける。


「…言っときますけど、悪魔じゃないですよ。俺のこと知らない?結構有名なヒーローなんだけどな」


自分で言うのもアレですけど。と続けるホークスは、視線を決して女から外さない。ベッド越しで向かい合う程に近付くと、女は自分よりも随分と小さく見えた。

剛翼の羽の一つ一つが女の動きを静かに観察する。怪しい動きをすれば一瞬で封じるために。しかし女は、ただただ呆然とホークスを見返すだけで動かない。数秒の間、睨み合うように交差した視線に、やがて黙っていた女が口を開いた。


「…ヒーロー?…何を馬鹿なことを…、それは…ホログラムか…?」

「…え?なんて?」


馬鹿なこと?それに、聞き慣れない言葉。ホークスは呆気にとられた表情を女に向けた。女はホークスの翼に視線を動かし、一言。


「…ホログラム…なんだろ?」

「…ホログラフィック技術のことですか?映像とかを投影するやつ?」


小さく頷く女に、ホークスはなんと説明しようか迷った。異形型の“個性”は発動型に比べて少ないとはいえ、外を歩けばいろんな人がいるこの現代、しかも自分はNO.3のヒーロー。こんなことを聞かれるとは思わなかったのだ。
うーん、と頭を悩ませていると、女が突然ベッドからシーツを剥がしホークスに向かって投げつける。

瞬時に羽を数枚飛ばしてシーツを真横の壁に叩きつけると、ホークスの首にひんやりとした感触。女は先程まで自分の腕に刺さっていた輸血の針を拾い、ホークスの視界が遮られた一瞬の隙をついて喉元に突きつけたのだ。飛び乗ったであろうベッドの上に片膝をつき、左手はホークスの胸倉を掴んでいた。息が重なるほどの近距離で殺気を放つ女は真っ直ぐにホークスを見て口を開く。


「…何者だ」

「…貴方こそ、何者ですか」

「…!」


先程シーツを避けた時に使った数枚の羽根を女に突きつけるように飛ばす。さらに背中の翼を一気に飛ばし、女が僅かでも動いたら刺さるような位置に空中に固定した。驚いた女が顔を動かすと、その右頬に掠る羽の先端。瞠目している女にホークスは冷たい視線を向ける。


「所属と名前を言え」


先程までは笑顔を張り付けていたホークスだったが女の殺気を体感した今、容赦はしないとばかりに“個性”を発動した。白い頬から鮮血を細く流す女はしばらく無言を貫いていたが、やがて小さく言葉を発する。


「…厚生省、公安局刑事課一係。監視官、立花亜希」

「昨日、東京タワーの下で何をしていた」


冷たく言い放ったその問いに、無表情を貫いていた女――亜希の顔に動揺の色が浮かんだ。


「…東京タワー?何を言っている…そんなもの、とっくに無いのに」

「は?」


喉に突きつけられている輸血の針が僅かに震えたことに気付き、ホークスは瞬時に亜希の両腕を掴む。ベッドに落ちた輸血の針が音もなく転がった。少し力を入れると、先程まで殺気立っていたとは考えられない程に大人しく下がる冷たくて細い腕。力が入っていないのだと気付いた時には、亜希はただ困惑の表情を浮かべていた。


「…ノナタワー、でしょう?」

「…なんですか、それ」

「何を、言って…だって、私はそこから落ちて…」


呆然と呟く亜希に、もう威勢はない。その様子を見てホークスが突き立てている羽を解除すると、ふわりと宙を舞った。

ホークスが掴んでいる小さな手に、先程亜希の頬を掠めた羽が落ちる。手のひらで包むように羽の感触を確かめている亜希の瞳に滲む戸惑いを見て、さっきよりも人間らしいな、なんて。この場にそぐわないことを思いながらホークスは亜希から手を離した。

もう掴みかかってくることはなく、手のひらで動きを止めた羽をじっと見つめている。伏せられた瞳を覆う長いまつ毛が微かに揺れており、彼女は今の状況を把握しきれていないのだと思った。

ホークスは、目の前で押し黙る亜希の白い頬に手を伸ばす。小さな線のような傷が妙に痛々しいのは、きっと彼女の美しい顔に似合わないからだろう。ホークスの指先が触れると、亜希はびくりと肩を震わせて顔を上げた。

傷口から零れた僅かな血を指先で拭い、ホークスは亜希を覗き込むようにじっと見つめる。


「…もう一度聞きます。貴方は、何者なんですか」


瀕死状態の中であっても鋭い視線を向け、明確な殺気を放ったかと思えば動揺に揺らぐ大きな瞳に、吸い込まれそうだ。

果たして、この端正な顔の笑顔は、どんなものなのだろうか。負の表情しか浮かべない彼女は、笑うことがあるのだろうか。それを見てみたいと本能で感じる自分はどうかしてしまったのかと、ホークスは亜希を見つめながら思う。

その時、背後で何かが動く気配がして振り向く。


「…えっと、俺も、色々と聞かせてもらっていいかな?」


塚内が警察手帳を見せながら立っていた。ホークスが亜希から手を離すと重なっていた視線が逸らされる。塚内の姿を見た亜希の顔に僅かな安堵の色が浮かんだのを、ホークスは見逃さなかった。


「(…なんか、面白くない)」


そう思う感情の名を、彼はまだ知らない。




20200609


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